ToHeart if.『矢島の事情 〜 告白 〜 』第17話 投稿者:ARM 投稿日:7月23日(日)00時45分
○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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【承前】

 矢島が初めてバスケットに興味を抱いたのは、小学2年生の頃、当時、人気のあった少年漫画誌のバスケット漫画の影響だった。3Pシュートを決める脇役キャラに引かれ、自分も、と3Pライン外からのシュートを試してみた。
 5回試して5回ともシュートを決めてしまっては、舞い上がらないハズもない。矢島はすっかりバスケットの虜になってしまった。
 やがて矢島は、クラスの友達と一緒に、昼休み、上級生が独占していた、校庭にあるバスケットボールゴールの奪い合いを始めるようになる。結局、上級生達に混じってプレイするようになったのだが、上級生達との体力、体格の差を埋めたのは、矢島の腕前にあった。始めは笑っていた上級生達も、矢島の天才的なプレイに翻弄され、その実力を認めて一緒にバスケットをするようになった。
 そんな矢島を、遠巻きに見ていた者が居た。


 平光琢哉(42)。バカボンのパパよろしくねじり鉢巻きと腹巻きがよく似合う、町内でも有名人な酒屋の主人である。見た目はまんまバカボンのパパで、早稲田の法学部を首席で卒業した経歴を持ち、これで馬に蹴られて頭がイッていればパーフェクトなのだが、生憎そんな話はない。僥倖というかキャラ的においしくないというか意見が分かれるところだが、それよりも何よりも、由那の父親であるという事実は無視できないだろう。

「……なんだよ、いつからお前の学校はプルマーが制服になったんだ?」
「……あ」

 空が西から赤みがかってきた頃、突然、店の前に昏い顔をして現れた実の娘に気付いた由那の父親は、体操着姿のままであるコトを漸く思い出し、途端にあたふたし始めた由那を見て、呆れ返った。

「ま、まずいっ!学校に帰って――」
「ちょっと待ちぃ」

 慌てて学校に戻ろうとした由那を、由那の父親は険しい顔をして引き留めた。

「…………学校でなんかあったのか?」
「べ、別に――」
「目が赤い」
「あ」

 指摘されて由那は、先ほどまで泣いていたコトを思い出した。これでは誤魔化しようがない。

「……まさか、いじめか?」
「由那がそんなタマじゃないでしょう?」

 と、由那の父親の後ろから声を掛けてきたのは、よそ行きの服に着替えていた由那の母親、由綺(43)であった。

「そりゃそうだ。逆に誰かいじめやしないか心配する方が先か」

 そう言って由那の父親は爆笑する。由那の母親も釣られて、豪快に笑い始めた。澄まし顔が実に上品な割に、下品な笑い方も似合う、実に不思議な美人であった。二人とも元々は佃島生まれの江戸っ子で、可笑しい時はタガが外れたように大笑いする性分だった。

「……あのぅ、あなたたち二人は実の娘を揃いも揃ってどういうふうな目で見ているんですかっていうか、おい(泣)――ところでおかーちゃん、どこか行くの?」
「ん?ああ、町屋のおばさんがまた入院したっていうからお見舞いに――ほらあんた、とっとと着替えなさいよ!」

 由那の母親は、のんびりと店内のパイプ椅子に腰掛けている由那の父親の首根っこを掴んで急かした。

「あー、俺は別にこれでもいいんだよ」
「そーもいかないでしょ。病院へ行くんだから。凝りもせず入院する晶子さん――今度の理由は通販で取り寄せた、生きたタラバガニと喧嘩して怪我したんだっけ?新鮮さが命取りになるなんて怖い時代よねぇ」
「この間はステーキ用に取り寄せたダチョウに蹴られて顔面骨折したんだったよなぁ。実の姉ながら、まったくあのグルメフェチには困ったもんだ」
「……てことは」

 と由那は両親の会話に恐る恐る入ってきた。

「二人して、これから町屋のおばさんとこへお見舞いに行くの?」
「おうよ。と言うわけだ、悪いが急だったから晩は何も用意しちゃ居ない。帰りは遅くなるから、夜は何か適当に、店屋モンでもとって喰っとけ」
「……ボクが家に早々帰ってこなければ、ほって置く気だったな」
「そん時は早く帰ってこねーお前の運が悪かっただけだ。メンドーなら矢島さん家ントコで晩飯ご馳走になっとけ」

 なんとも厚かましい事を口にする父親だが、矢島家とは家族ぐるみで付き合っている間柄なので、細かい事は気にしないのである。由那は呆れつつ、近くにあったパイプ椅子に腰掛け、はぁ、と溜息をもらした。もっとも、由那も平気で矢島家に転がり込んでくるので、うん、と頷いた。
 だが、頷いた由那の頭が暫くしても何故か上がらないのを見て、由那の父親は不思議そうに小首を傾げた。

「……どうした?隣の寿となんかあったか?」

 寿、と言う名を聞いて、由那は俯いたまま、びくっ、と身体をふるわせた。それを見て、由那の父親は正解と思った。

「……由那。ちょっとそこに座れ」
「……座っているよ」
「いーから」

 由那は肩を竦めた。

「…………で?」
「?」
「また喧嘩したか?」
「…………」

 由那は黙り込んでしまった。
 そんな由那を見て、由那の父親は呆れ顔で肩を竦めて見せた。

「……まったく、またくだらねぇ理由でか?」
「……違うよ。ボクが悪いんだ」

 由那はそう答えて唇を噛んだ。

「……何が悪いんだよ?」
「…………寿の事を考えずに無神経な事したから」
「無神経?つーと寿の部屋からエロ本か秘蔵のエロビデオを持ち出したとか、“お祭り”の最中をこっそり写真にとって校内でばらまいたりしたのか――――」

 由那の父親がそこまで言った瞬間、母親がいつの間にか握り締めていたビール瓶が、父親の頭頂部に垂直に振り下ろされ、茶色の粉塵をその周囲に広げた。

「実の娘相手になんつーコトゆうのよ、このセクハラ親父っ!」
「痛ぁーい、何すんのぉ?」

 ビール瓶の直撃を受けて俯せに倒れていた由那の父親は、むっくりと身を起こし、ひと昔前、猫ニャンソングを唄っていた二人組の片割れを真似した口調で言い返した。ビール瓶と思しきそれは実は宴会用で市販されている松ヤニを固めて作った模擬ビール瓶で、見ての通り、叩かれてもダメージはほとんど無い。父親がよくボケけてみせるので、そのツッコミ用に由那の母親が東急ハンズからわざわざ仕入れていたものであった。

「いちいち、うえっとにトんだ俺様のあめりかんぢょーくに突っ込んで来るんじゃねぇよ」
「どこが、あめりかん、よっ!バカも休み休み言いなさいっ!」
「んじゃ、………………バカ………………バカ――」
「「バカはおのれじゃっ!!」」

 次の瞬間、由那と由那の母親が同時に、父親の顔面にハリセンチョップを喰らわす。二人してそれをどこから取り出したかは、未来永劫へと語り継がれていく大宇宙の謎である。

「……こんなバカはほっといて、――由那」
「な、なに、おかーちゃん」
「寿ちゃんと何があったの?」
「うっ…………」

 直ぐにボケる父親と違い、真面目に話を聞こうとする母親に、由那は戸惑った。こういう時は、逆にはぐらかしてくれる父親のほうが実に都合が良かった。
 すっかり黙り込んだ由那を見て、由那の母親は図星であるコトを知った。

「正直にお言い、由那」

 急に、由那の母親の口調が変わった。トーンが少し下がった程度の変化なのだが、昔から自分を叱る時の母親はいつもこうであったため、由那にはその変化に対する恐怖心が身体の芯まで染みついていた。だから母親相手に、最後まで隠し通せたコトは今までない。ちょっとでも秘密の端が露見すればそこまでである。

「……ちょ、ちょっと、寿を怒らせちゃって」

 由那は母親に目を合わせないように答えた。

「何で怒らせたの?」
「それは…………」
「それは?」
「…………寿の就職の――」

 由那は母親に、矢島が進学を断念し、就職先を探しているコト、そしてその就職先のコトで知り合いに頼み、それをバスケの勝負で決めようとして、それを知った矢島を怒らせてしまったまでの経緯を説明した。由那は、顔を終始、母親に向けようとはしなかった。
 話を一通り聞き終えた由那の母親は、ふぅ、と難しい顔をして溜息を吐いた。

「なんだよ、つれないなぁ。そう言うコトならうちで働きゃいいじゃねぇか」
「……うちの仕事で、矢島さんちの家計支えられるほど給金出せると思っているワケ?」
「うぐぅ」

 呆れ顔の妻から、由那の父親はたしなめられた。この不景気、酒屋だけで儲かるハズもなく、この間もいっそコンビニに改装しようかと話し合っていた程である。

「とはいえ、寿ちゃんならうちの店継がせてもいいわねぇ」
「何、ゆってんだよ、おかーちゃん……」

 由那は呆れたふうに言った。
 すると由那の母親は、信じられないものでも見ているような顔をした。

「何よアンタ、寿ちゃんのコト好きじゃないの?」
「あのねぇ……」
「あのねぇ、ってアンタ……ちっちゃい頃はいつも、寿ちゃんの後を追いかけ回していたんでしょう?アンタがバスケット始めたのだって――」
「ああっ、もういいよっ!町屋のおばさんの居る病院へ急いでいかないと、面会時間に間に合わなくなるじゃないかっ!」
「あ、そういやそうね。ほら、アンタっ、とっとと着替えなっ!」

 と由那の母親は父親を急かした。

「うぐぅ、俺様、蚊帳の外?……まぁ、しゃあねーか」

 由那の父親はやれやれ、とぼやきながら部屋の中へ向かった。どうやらこの家も矢島の家と同じく女性上位らしい。

「…………ふう。それはそれとして」
「ぎくっ」
「アンタ、寿ちゃんの何が不満なワケ?」
「……不満なワケないだろう」
「あーら、やっぱり好きなんぢゃない」
「……違うって。そう言う、好き、じゃなくって、友達としては好きだよ。だけど――」

 由那がそう言った途端、由那の母親の顔が険しくなった。

「な……?」
「我が娘ながら、なぁにを、心にもないコトゆってんだろうねぇ――いつも寿ちゃんの後ろを追い回し、ちょっとでも見失ったら、わぁわぁ泣きながら家に帰って来たあのお嬢ちゃんはいったい――」
「しつこいっ!」

 由那はついに、母親への本能的恐怖より、羞恥心が凌駕し、怒鳴った。
 だが、由那の母親は、まったく驚くどころか、ニヤリ、と意地悪そうに笑った。

「……でも事実でしょう?」
「う……!」
「まったく……。まぁ、アンタはともかく、肝心の寿ちゃんがその気が無さそうなのがちょっとシャクね。その気でもありゃ、寿ちゃんにアンタを押し倒して貰ったら、少しは素直になるとは思うんだけど」
「お、おかぁちゃんっ!」

 由那は恥ずかしそうに赤面して怒鳴った。旦那も旦那だが、奥方も相当剛胆な人である。もっとも、生まれた時から由那と矢島を見てきただけあって、その微妙な関係もお見通しであったらしい。だから、由那が顔を真っ赤にして怒鳴る姿を見て、一層ニヤニヤと笑ったみせた。

「……由那、アンタね、もう少し自分の気持ちに素直になった方が良いよ。昔からさ、どこか引っ込み思案なところがあるでしょう」
「そ、そんなコト、ないよ」
「嘘おっしゃい。寿ちゃんと一緒にいたいから、っていつも側に居ようとしてさ、男の子たちと一緒に遊んでばっかりだったじゃない」
「そ、そんなことないよ……ボクは基本的に男の子の遊びのほうが好きで――」
「だったらさ、どうしていつも寿ちゃんと一緒だったの?」
「う」
「前に、寿ちゃんが麻疹で寝込んだ時なんか、あんた余所の男の子に野球誘われても、寿ちゃんの側から離れようとはしなかったでしょうが――それが原因で、あんたまで麻疹に罹っちゃたんだよね」
「う」
「おたふく風邪も水疱瘡の時も、寿ちゃんが罹った後にアンタが罹っていた。――そら、いつも、寝込んでいる寿ちゃんのトコへ無理に遊びに行っていたからねぇ」
「だ、だって、あれは、寿が寂しそうだったから……」

 由那は狼狽しながら必死に反論するが、所詮、敵う相手ではなかった。
 終いにはまた俯いて黙り込む由那を見て、由那の母親は、わざとらしげにオーバーアクションで溜息を吐いた。

「……なんでさ」
「?」
「なんで、寿ちゃんのコト、素直に好き、って言えないワケ?」
「う…………」

 返答に窮する由那を、由那の母親は冷めた眼差しで見つめていた。

「……っても、訊くまでもないんだけどね」
「……え?」
「知ってるよ、アタシ。――まだアンタ、小学生の時のコトを気にしているんだね」
「――――!」

 由那はたちまち驚いて絶句した。由那の母親は、その様子から、図星だと理解した。

「…………忘れるワケないでしょう?うちの家の前でさ、寿ちゃんを本気で怒らせて、絶好だ、二度と顔なんか見たくない、って大騒ぎされちゃあ。――あの後、あんた全然泣き止まなかったんだから。まぁ寿ちゃんも悪気があってゆったワケじゃないし、実際、あの後仲直りできたんでしょう?」
「…………」
「あれからだよねぇ。あんた、寿ちゃんにあまりベッタリしなくなったのは。まぁ、バスケットに興味が移った所為も――」
「……違うよ」
「?」

 ぼそり、と答えた由那の様子に、由那の母親は首を傾げた。

「……バスケットは…………寿が好きだから……好きになったんだ」

 由那の母親は、いつもの強気なところが微塵もないその返答ぶりを少し不思議に思ったが、直ぐに由那の心中に気付き、優しそうに微笑んで、そう、と言った。

「……由那」
「……?」
「人はね、言わなきゃ判らないことが沢山あるのよ。確かに、言わぬが華、って言葉もあるけど、――でもね、あれは、それを言わないコトで幸せなコトもあるけど、同時に不幸でもある、って意味ももっているのよ。まるで今のアンタのよう」
「――――でも」
「……判っているって。アンタはごり押しが嫌いだってコト、アンタが生まれた時から見ていたアタシには充分に。アタシによく見た娘だからねぇ――ほら、アンタ、まだ着替えがおわんないのっ?!遅い、遅すぎるっ!」

 母親の言葉に感動仕掛けた由那だったが、直ぐに、父親へ180度転換した態度を示したものだから、ちょっと感動した自分に後悔した。しかしそれが、自分に良く似ていると言う母親の言葉に、由那は悔しかったが納得するモノを感じた。

「やれやれ。――とりあえず、さ」
「?」
「学校戻って着替えてきなよ。学校、閉まっちゃったら大変でしょう」
「あ――、う、うん、そうだね」
「それから――」
「?」

 慌ててパイプ椅子から腰を上げた由那に、由那の母親は指差し、

「……寿ちゃんと喧嘩したなら、ちゃんと謝っちゃえ。寿ちゃん、頑固そうに見えるけど、素直に謝られると文句言わない子だから」
「……わかってるって」

 由那は苦笑して頷くと、急いで店の外にでて学校へ戻っていった。

「…………とーちゃん」

 やれやれ、と呟いて娘を見送った由那の母親は、父親が襖の裏からひよっこりと顔を出すと、振り向きもせず呼んだ。まるで背中に目が付いているかのようである。

「……すまんな、由綺」
「……しゃあないよ。とーちゃんより、同じ女のアタシがきっちり言って相談に乗ってやった方が良いしね」

 しっかり背広に着替えて店のほうにでてきた由那の父親に、漸く由那の母親は振り向きながら答えた。

「本当、由綺に似て頑固なヤツだよ」
「アンタ、その頑固さに惚れてアタシと一緒になったンでしょ?」
「バカ言え。俺は、そーいう頑固でジャジャ馬な女を調教して大人しくさせるのが趣味なんだよ」
「ハイハイ」
「あ、お前、バカにしやかっがったな?」
「しやがったんじゃなくって、した、の(笑)――ほら、行くわよ。ロマンスカーが来ちゃうわ」
「ちぃ」

 由那の父親は、軽く舌打ちしたが、どこか照れているような顔をしていた。本音で、バカなコトも交えて言い合える連れ合いを持てたコトを、彼は嬉しいのかも知れない。

       第18話へ つづく

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