○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−【承前】
「知っているか?藤田の奴は物理学者になりたくて大学に行くんだよ。――しかし由那、お前、大学に上がってさ。…………そこで得たいものや、そして必要としているお前なりの夢って、あるのか?」
「夢――――」
由那は絶句してしまった。
矢島は訊いてから、しまった、と思った。言い過ぎたかと思い、また例によって由那がヒステリックを起こしてしまうだろうと覚悟した。
だが、予想外の反応が返ってきた。
「…………あはは、そーいやボク、そこンとこ、ボヤけているわ」
「……はぁ」
それはそれでまた、矢島に脱力感を与えた。
「……でもさ、実際そうなんだよなぁ」
二人のやりとりを聞いていた浩之は、笑いを堪えつつ、口を挟んできた。
「目的と手段がすり替わっちゃっているんだよなぁ、今の受験ってやつ。特に、大学受験。大学へは勉強するために進学するんじゃなく、大学という“就職に箔を付ける”為の勉強ばかりやっていたモノだから、大学へ入った途端、目的を失ってしまう、なんて話は結構聞くし。――やりたいコトや深く学びたいコト、そんなモノがないと確かに辛いと思うよ」
「でもさ、平光さんは、大学バスケの名門校から推薦の話があるんでしょ?」
急にあかりに訊かれ、由那は、一瞬戸惑った。
「矢島くんから訊いたの。――あるじゃない、夢が」
「え――?」
「大学でバスケをやるって夢」
「あ……、ああ」
頷いて応える由那だったが、それはどこか生返事だった。
「そうだ、そうだよ、神岸さんが言う通り、由那にはちゃんと目的があるじゃないか。だったら、話は早いじゃないか――俺の分まで頑張ってくれよ」
そう言って矢島は、由那の両肩を、ぽん、と両手で叩いて笑った。
そんな矢島を見て、由那は戸惑っていた。戸惑ったが、しかし笑うしかなかった。
その日の放課後。
下校で玄関から顔を出した浩之とあかりは、校門を潜ってきた久しぶりの来訪者を目撃した。
そのリムジンは、主が在学中は朝と夕、必ず来校していたが、今は別の学校に通うその妹の登下校のみに使われ、浩之たちの学校には殆ど来なくなっていた。
「やっほー、おひさ」
開かれたリムジンのパワーウインドウの中から、相変わらず陽気な来栖川綾香が浩之たちの姿を見つけて声をかけてきた。
「よぉ、久しぶりだなぁ、綾香。何の用だ?」
「葵に会いに来たのよ。次期エクストリームの覇者候補の鍛錬ぶりを労いに」
「次期……ああ、そーいや綾香、今年の大会は出ないそーだな」
「お母様との約束でね。来年あたし、米国の大学へ行くから、その受験勉強しなきゃなんないの」
「え?寺女の大学部には行かないの?エスカレーター式で行けるのに」
「楽は嫌いなの」
そう言って綾香は笑った。もっとも、浩之もあかりも、文武両道の綾香が受験勉強で足掻く必要など無いコトは知っていた。日本などという狭い枠で収まる女性ではないのだ。
「で、今日は浩之、葵のところへは顔出さないの?」
「俺はもう受験生なんでな、引退させてもらった。二人で頑張ったおかげで、部員が増えて部に昇格し、今年からは体育館で部活動が出来るようになったから、お役ご免さ」
「えー?もったいない、浩之なら今年こそ男子でトップになると思ったのに」
綾香は意地悪そうに笑ってみせた。
この小悪魔の言葉に何度乗せられたコトか。浩之は呆れつつ、綾香の言う通りちょっと惜しかったかな、とも思った。だが、隣にいるあかりがそんな浩之の心を見抜き、だめ、と小声で叱ったので、はいはい、と肩を竦めてみせた。
「ま、勉強頑張ってね。……ってコトは、葵は体育館のほうね。セバス、此処で降ろしていいわ。早く姉さんを迎えに行って」
運転席にいるセバスは、判りました、と答え、扉を開けた。車内から綾香が颯爽と姿を現し、勝手知ったる校内とばかりに体育館のほうへ向かった。
「しかしあの綾香さんが受験勉強ねぇ」
あかりは綾香の背を見つめながらしみじみと呟いた。その脳裏に、ドテラを羽織り、合格の文字が入った日の丸はちまきを頭に巻いて机に向かい、うんうんと唸っている、ステロな受験生姿の綾香が浮かび上がると、あかりは一人吹き出した。
「葵ちゃんを労いに来たって言うくらいだから、余裕あるとは思うが――――」
浩之は相づちを打ち、そこで、はた、と妙な違和感を感じた。そしてまだ運転席に座っている――憮然としているセバスのほうを見て、
「…………いや。受験勉強の現実逃避――大方、家庭教師から逃げてきたのか」
訊かれて、セバスは、はぁ、と溜息をもらした。
浩之とあかりはそれで全てを察すると、苦笑する顔を見合わせて、やれやれ、と肩を竦めてみせた。
* * * * *
「やっほー」
体育館に着いた綾香は、奥で部員たちに正拳突きを教えていた葵を見つけ、声をかけた。
「あれ?」
その時、綾香の直ぐ隣を、由那が通り抜けた。すると同時に二人は、見覚えのある顔に気付き、きょとんとする顔で見合わせた。
「あ、あなた――綾香、さん?」
「平光由那さん、だったわね。すっごくひさしぶり!――ま、全国大会優勝と“3P(スリーポイント)の魔女”の噂は、寺女(うち)でも聞き及んでいたけどね。遅ればせながら、全国大会優勝、おめでとう」
「あ……、ありがとう」
嬉々として握手を求めてきた綾香に、由那は照れつつ掌を重ねて握手を交わした。由那は、時折この学校に顔を出す、来栖川芹香の妹の噂は知っていた。自分など足元にも及ばぬアイドルの彼女に誉められ、正直嬉しかった。
「こうしてここに良く来ていたのに、校内で顔を合わせたのは今日が初めてなんて、奇妙な話よね――あ、そうか、いつも、裏にある境内か、文化部のクラブハウスのほうへ直行していたから、逢えるハズもないか」
「あ、そうなんだ。ウチの学校に良く来る、って聞いてはいたけど、実際見かけなかったから……」
「――ねえ、ねえ!」
綾香がいきなり訊いてきた。
「問題の、彼氏、って、どこ?」
「彼――――」
由那はたちまち頬を赤らめた。
「そ、そんな人は居ないって――」
「うっそぉ?」
動揺する由那を見て、綾香は、にぃ、と意地悪そうに笑う。どうやら小悪魔のスイッチが入ったようである。
「第一あの時も、寿のコトは――」
「ふぅん。ヒサシってゆうんだ」
「――――」
由那は、心の中で、しまった、と思った。
そんな由那の心を見透かしたか、綾香はますます意地悪そうに笑った。
「――ヒサシくん、ヒサシくん、いらっしゃいますかぁ?いらっしゃいましたら至急――」
「あ、綾香!」
顔が真っ赤になる由那は慌てて綾香の口を両手で塞いだ。
だが、悪いコトがある時は更に悪いコトが重なるのが世の常か。綾香が顔を出していた体育館の入り口の直ぐ傍で、男子バスケ部が部活動をしていた。
「?――何?」
「わーっ!何でもない、何でもないったら、寿――――」
「――みっけ(笑)」
「しまったぁぁ!(泣)」
後輩たちと一緒にシュートの練習をしていた矢島が、騒がしい二人に気付いて近づいてきた。
綾香は近づいてきた矢島を、まじまじと見つめ、ふぅん、と感心してみせた。
「……佳い男じゃない。由那、あなた佳い趣味しているわよ」
「も、もうっ!違うっていっているでしょ?」
「……えーと、確か来栖川先輩の妹さんの綾香さんでしょ?ほら、去年の文化祭で、藤田と一緒に居た時に会ったよね」
矢島は、去年の文化祭に綾香が顔を出していた時、浩之に紹介されていたのを覚えていた。
「あ……、どこかで見た顔だと思ったら……矢吹、いや矢島くんじゃない――なぁんだ、下の名前、ヒサシくんなんだ」
「?」
矢島は一向に状況を掴みあぐねていた。
「だから、綾香、違うって……」
「……ところで今日は何の用で?」
「用?――――」
「……綾香さん、あのぅ」
聞き覚えのある声に、綾香は慌てて振り向いた。そこには、先ほど、綾香に呼ばれていた葵が、綾香の隣に立って困ったふうに笑っていた。
「あ、葵、ご免(汗)。あはは、関係ないコトに首突っ込んじゃった」
「関係ないコト……って……酷い、しくしく」
すっかり綾香のペースに乗せられ、振り回された由那は、押さえつけていた綾香を放しながらいじけてしまった。
「まぁ、そういうワケだから」
「なーにーがーそーゆーわーけー?」
「ああっ、ささくれ立っている(笑)……じゃあ、お二人とも息災で!」
苦笑する綾香は元気良くそう言うと、呆れている葵の背を押して体育館の奥へ行ってしまった。そんな綾香の背を見送りながら、はぁ、と洩らした由那はその場にへたり込んでしまった。
「何、へたばっているんだよ?」
「――――寿、あんたねっ!」
呑気に訊く矢島を見て、由那はその怒りの矛先を矢島に向けた。人、それを八つ当たりという。
「――寿の所為で、ボクが綾香にあんたの彼女と思われちゃったじゃないか!」
「…………はぁ?」
まるっきり、二人のやりとりを知らない矢島には、とんだ言いがかりである。由那がキレると、殆ど脊髄反射で文句を言ってくるのでは、と矢島は呆れていたのだが、ここで売り言葉に買い言葉、などしようものなら余計に混乱を招くだけだと言うことは判っていたので敢えて反論しなかった。
それにしても、由那が自分の彼女とは。智子といい、やはり周りはそう見えて当然なのか。矢島の胸を複雑な想いが過ぎった。
「……もうっ!」
反応のない――当然、何を言っても怒らせるだけと判っているので黙っているのだが――矢島を見て、由那は余計腹立つかに見えたが、どうやら自分でも無茶を言っているコトにようやく気付いたらしく、はあ、と溜息を吐いて気を静め、ゆっくりと立ち上がった。
「……いいよ、もう」
「何が良いんだか……」
「……うるさいなぁ。…………まったく、あんた、こんなところでのらりくらりしてて良いの?」
「のらり……って、お前(笑)。就職組だから部活に専念出来るってゆったろ?」
「就――そうだよ、それ!」
「?」
「普通科のあんたが、どこへ就職するってワケ?」
「それは――――」
由那に指摘されて、矢島は今朝、進路指導室の担当教師とのやりとりを思い出した。
『まだ今の時期だから何とか成ろうとは思うが、正直、普通科では厳しいな。特に今の就職氷河期は。高卒の就職率が限りなくゼロに近いんだよなぁ』
教師は渋い顔をしたが、事情が事情だけに進路変更の話は理解はしてくれたようで、善処してみると言った。能天気なところがある矢島は、それでとりあえず大丈夫だとは思って忘れていたのだが、由那にまで言われて、少し不安な気になった。
「…………ま、まぁ、何とかなるだろう」
「……寿、お前なぁ」
「なんだよ、その呆れ顔」
「――――だってさぁ!お前、矢島家の大黒柱になる、って決めたんだろ?それが、そんな調子じゃ……!」
「由那に言われなくったって判っているさ。でも昨日の今日の話なんだし、即日に全て解決するワケないだろ?」
「う…………」
指摘されて、由那もそのコトにようやく気付いた。急いていたのは由那だけだった。
「で、でも…………」
「デモも体験デモ版でも無いっ!俺のコトは俺でやるから、ほっといてくれよ!」
あまりにもしつこいので、矢島も苛立ち始めていた。どうして由那にそこまで言われなければならないのか、と、正直忌々しい気分だった。
「だってさぁ…………」
「?」
「放っておけるワケないだろう……!」
「……………由那?」
そこで矢島は、由那の様子が少しおかしいコトに気付いた。
自分に意見する時は、いつもなら、根拠があろうが無かろうが、そんなコトお構いなしに自分の顔を真っ直ぐ見ながらモノを言う由那が、肩をわななかせて俯けて話す姿など、想像だにしなかった。
正直、こんな由那を見たのは初めてであった。まるで矢島は、由那と姿形を同じにした別人と話しているような気分だった。
「自分の――」
「……?」
「……自分の一大事なのに、呑気過ぎなンだよ、寿は」
「…………」
言われるまでもなく――いや、敢えて意識しないようにしていただけなのかも知れない。矢島は、由那が本気で自分のコトを心配してくれているコトに気付き、どう答えて良いか、正直判らず、自分の気持ちを持て余していた。
「……ご免」
「……ごめんじゃないよ、まったく……!」
俯く由那はそう言って唇を噛んだ。
唇を噛んだ途端、由那はいきなり矢島のほうへ顔を向けた。上がった顔は予想通り昏い貌で、戸惑いに満ち溢れていた。
「――――なんでさぁ」
「…………」
「何でここまで寿のコトで、ボクがこんなに苛立たなきゃいけないんだよ?」
「――――」
訊かれて、しかし矢島に判るはずもない質問であった。
だが、相変わらずワケの判らないコトで因縁をつける女だと思ったその一方で、今の言葉は、妙に矢島の心に引っかかるモノがあった。
単なるお節介焼きなら説明がつくが、由那はそこまで自分にベタベタする女ではない。矢島にしてみれば、周囲がどう言おうとも、由那がそう思っているように、気の合う親友ぐらいにしか思っていないのだ。
あるいは、親友として心配してくれているのだろう。そう思いたかった。――思いたかったのに、納得できない自分が居た。
「…………悪ぃ」
矢島は戸惑いながらも、由那の頭を撫でた。
由那も戸惑いながらも、頭を撫でる矢島に任せたまま、黙り込んでしまった。
第11話へ つづく