ToHeart if.『矢島の事情 〜 告白 〜 』第7話 投稿者:ARM 投稿日:5月28日(日)12時43分
○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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【承前】

 智子の家に上がった由那は、居間のほうへ通された。由那には、別の都営団地に住む友達が居てその間取りを覚えていたのだが、ここは少し狭い感じがした。智子の家は、母子家庭の家族でも借りられる低所得者向けの集合住宅であった所為だが、色々と家具を詰め込んでいるのも狭く感じる一因であった。

「……あのぅ、お家の人は?」
「母さんは働きに出ている。離婚で、な」
「あ…………、ご免」
「ええんよ。…………矢島くん家だって、そうやろ?」
「え…………」
「前に聞いたンや。…………気の毒になぁ。その点、うちは両方生きとるから、まだ幸せなほうや」
「そっかぁ…………」

 由那はしみじみと言った。
 そんな由那を、智子は不思議そうに見つめた。

「…………なぁ」
「何?」
「……平光さん。なんであんた、矢島くんのコトをわざわざ――――しかも、あたしの家まで探して……」
「あ、うん。学校で先生に住所聞いてね、直接来てみたんだ」
「ふぅん。…………で?」
「?」
「――だから、何でわざわざ、あんたが矢島くんの弁護に来たわけ?」

 苦虫を噛み潰したような顔で智子が訊いた。喧嘩を売っているような強い口調だった。
 しかし、当の訊かれた本人は、途端に顔を硬直し、絶句していた。

「……どないしたん?」
「…………本当、どうしてだろう」

 予想外の返答に、智子は咽せ返った。

「あ、あんたなぁ…………」
「いや…………ボクにもよく判らないんだ」

 由那は苦笑して頭を掻いた。

「…………なぁんて、ね。どーせ、寿のう゛ぁっかが悪いんだから、ほっとけばいいとは思っていたんだけど――――だけどさ、寿がああいう頼りないヤツだから」
「頼りない…………」

 由那が言うほど、智子には矢島が頼りない男には見えなかった。むしろ、人望もあるし成績も優秀、女子たちからもモテている。悪口さえ言う人間も皆無であった。
 しかしこの幼なじみにしてみれば、矢島はそれでも頼りない男なのである。

「それに――――あいつのダチとしてほっとけなかったのも事実だし」
「ダチ?」

 一瞬智子は、“ダチ”と言う言葉が関東のほうでは友達以外の意味を持っているのかと思ってしまった。

「寿とは、もう家も隣同士、生まれた病院も一緒の腐れ縁でね。だから、あいつのコトはよぉく判っている」
「…………」
「だからさ、――――寿のコト、誤解しないで欲しいんだ」
「誤解?」
「うん」

 由那は頷き、そして智子の目を見た。
 なんて澄んだ眼差しだろう、と智子は思った。見つめられて不快にならない、綺麗な目だった。
 暫しの沈黙。

「…………なぁ。一つ、訊いてもええ?」
「何?」

 由那がきょとんとすると、智子は一回深呼吸して、

「……平光さん、あんた、矢島くんの彼女やないの?」
「はぁ?」

 思わず呆れ返る由那。それを見て智子も呆れ返った。

「……なんでボクがあいつの彼女なわけ?」
「……それはこっちのセリフや。彼女でも何でもないヒトが、なんで矢島くんのコト――」
「そりゃあ、だって、ボク、寿の親友だからね」
「親…………友…………?」
「そ。親友」

 由那はこともなげに言った。
 しかし智子は、由那の真意がまったく理解出来ず、戸惑った。

「…………ホンマ?」
「ホんマよ、ホんマ」

 由那は下手なアクセントの関西弁で応え、そして笑った。

「――あの時も言ったけど、さ」
「?」
「――寿、からかうつもりでも、悪気があって言ったワケでもないから。寿、本気で保科さんのコト、好きって言ったんだよ」
「――――」

 智子は絶句した。

「それは、寿とつき合いの長いボクが保証する。…………だから、ちゃんと寿に答えてやって欲しいンだ。そうでなきゃ、寿が可哀想だ」
「…………」

 智子は、自分を説得しようとしている由那を、無言で見つめていた。その眼差しはどこか虚ろげであったが、決して現実逃避をしているワケではなかった。

「…………なぁ、平光さん」
「だから――へ?」

 突然、智子は由那の説得を遮り、

「あんた――ホンマに親友でええんか?」

 そこで由那は、智子がまだ、自分と矢島の関係を疑っている、あるいは理解出来ていないコトに気付いた。

「……ふう」

 由那は溜息を吐き、

「…………何も、気心の知れた幼なじみ同士が、必ずデキる必要は無いと思うワケなんだ、ボクとしては」
「?」
「ほら、さ――知っているかなぁ、前に、寿、同じクラスの神岸さんに交際申し込んで玉砕したコトがあって」
「……あ、ああ。そーいや、そないな話、藤田くんから聞いたなぁ」

 矢島はあかりに交際を申し込んで玉砕した話は、校内でも有名な話であった。しかし智子は、最近、浩之とあかりの会話でそのような話題が上がった時に初めて知った。当時の智子は、勉強一筋で、周囲のコトなどまったく感心を抱かなかったのだから無理もない。

「あの後、その件でちょっとしたゴタゴタがあってね、それでボクなりに判ったんだ。男と女でも、同性と同じ友情は成立するって」
「友情……?」
「うん」

 由那は自慢げに頷いた。

「正直、ボクは、寿とずうっと居たいと思っていた。それが恋愛感情なのかな、って思っていたんだけど、なんか、さ、今ひとつ解せない気がして考えていたんだ。そのうち、寿に全力でぶつかっていくのがとても楽しいと判った途端、ボクが寿に抱いている感情は、恋愛ではなく、友情だってコトに気付いたんだ」
「恋愛ではなく、…………友情?」
「うん。男と女は、その関係を恋愛という要因で結びつけて、それが正しいとは限らない場合もあるってコト。――ボクは昔からさ、寿に勝負挑むのが好きでね。今、部活で、寿と同じバスケットやって居るんだけど、元々は小学生の頃、学校の昼休みに校庭で、寿を含めた友達とバスケットやっていたのが始まりでさ。小学生の頃なんて、身体的な男女の差が有るか無いかの頃だから、ハンデ無しの真剣勝負が平気で出来たんだよなぁ……!」

 しみじみと回顧する由那を見て、智子も、小学生の頃の自分を思い出した。
 ……当時の智子は、別にスポーツはしていなかったが、“あの二人”とは日が暮れるまで、時には泥んこになりながらも遊び続けていたものである。
 思えば、あの頃が一番、由那の言うように男女なんて何の気兼ね無しに付き合えた、懐かしい佳い時間であった。

「………………」

 それを思い出した途端、智子の顔が昏くなった。

 それは、ここしばらく、智子の中で芽生えていた疑問だった。
 もう帰る必要もないのに、――帰れないのに、未だに、居場所を無くしている神戸(ふるさと)に拘っているのはどうしてか。塾に通っているのも、もはや惰性でしかない。

 それが、由那の言葉で、ようやく判った。
 自分をあすこまで追い詰めたのは、あの想い出の所為ではなかったのか、と。
 いつまでも、仲良し三人組で居られたハズなのに、と信じていた自分の原風景が、それではなかったのか、と。
 そして、今もなお、それに縋っている、みっともない自分が居ると言うコトに。

 佳い頃の想い出は、決して永遠でも絶対でもないのだ。

「…………保科、さん?」

 少し落ち込んでいる智子の様子に気付いた由那が、恐る恐る声をかけてみた。

「……あ、え?」
「……なんか、まずいコト言ったかな?」
「え…………、いや、何でもあらへんよ」

 そう言って智子は、由那に、にこりと微笑んでみせた。

「…………ただ、な。………………平光さんの言い分に、一理ありと思って、な
「一理」
「ああ。………………そうやなぁ、男と女の間に、必ずしも恋愛感情が必要とは限らないってコト」
「それは、もしかして、寿の……」
「ちゃうちゃう。…………あたし、な」

 智子は寂しげに微笑んだ。

「……神戸からこっちに引っ越してきたんやけど、その時、平光さんにとっての矢島くんみたいに、幼なじみの子を残してきたんや」
「幼なじみ………………、って、もしかして彼氏?」
「ちゃうちゃう。確かに男の子も居ったけどな、もう一人、女の子も居ったんや。…………で、その二人、あたしがこっちへ引っ越していった頃から、表だって付き合い出して――昔からそんなつき合いだったらしい」
「へぇ。…………もしかして、その男の子のコト、好きだったとか」
「それはあらへんよ」

 智子は苦笑し、

「あたしにとって、もう兄妹みたいなヒトやったし。…………ただ、な。その二人が、好きおうとったのに、あたしに気兼ねしていたってコトを思うと、なんや、やりきれなくなってなぁ……!」

 そう言うと智子は、はぁ、と溜息を吐いた。

「…………まるっきりあたし、邪魔者扱いや。あたしが居った所為で、二人を苦しめていたと思うと、ああ、もうあすこにあたしの居場所を求めたらあかん、って思って…………………………、ここだけの話、何もかも嫌になってな。死のうかと思った」
「し――――?!」
「そない吃驚せへんでもええよ。もうそんな気はあらへん」

 ふとこぼす、智子の笑み。とても一度は死を覚悟した少女のものとは思えない、晴れ晴れとした笑顔であった。

「……前と違ぅてな。この街も学校もだいぶ好きになった。友達だって出来たしな。…………とびっきりお節介なのと、そんなお節介焼きが好きなのと。…………まるで今な、小学生の頃、なんの気兼ねも無しに付き合えた、あの頃みたいで――――とても嬉しいんや」

 智子の脳裏を過ぎる、仏頂面の少年と、彼の傍にいる時は決して笑顔を絶やさない少女。
 ふるさとに残した二人とは似てもにつかぬのに、どこか似ている気がする。
 しかし似ているのは、容貌ではない。
 あの二人と居た、そして、居る、そのひとときが、である。
 そう言うのが、本当の居場所、なのだろう。智子は心の中で呟いた。

「…………ふぅん」

 そんな智子の話を聞いていた由那は、どこか嬉しそうに感心した。きっと今、この人は幸せなんだろう。そう思わずにはいられなかった。

「……それで、な。平光さんの話聞いて、あたし、やっと、判ったんや。男と女にも友情は成立させてもおかしくない、って」
「うん。そう思うよね!」

 由那はまるで誉められた子供のように、屈託のない笑みをこぼして頷いた。そんな笑みを見て、智子のほうも少し嬉しくなった。

「……そのコトに、もっと早う気付いて居ったら、あたし、神戸(ふるさと)にも、あたしの居場所はあるんだ、って考えられたんだろうになぁ。……もっとも、もう、それはどうでもええコトやな」
「どうでもいい?」
「ああ。……過去や緩い想い出なんかが、居場所でなければならない必要は無いんや。今、あたしが居る“ここ”が、あたしの居場所なんや」
「…………そうだね」

 由那は嬉しそうに頷いた。そんな由那を見て、智子はゆっくりと頷いた。

「…………平光さん、ありがとな」
「え――あ、いや、いいって!」

 智子に礼を言われて、由那は照れくさそうに笑った。

「それにしても――」
「?」
「平光さん、あんたも相当なお節介焼きやなぁ」
「そ、そう?――――もしかして、ウザかった?」

 すると智子は首を横に振った。

「…………あたしはお節介焼きは、嫌いやないよ」

 そう言って意地悪そうに笑う智子に、由那は苦笑する。

「あはは…………、って、それはそれとして――さっきの」
「さっきの?」
「うん。――寿のコト」

 言われて、智子は目を丸めた。正直、忘れていたようである。

「ねえ」
「…………心配せぇへんでええよ。ちゃんとケジメつけるから」
「ケジメ……(汗)なんかもの凄い言い方」
「へ?なんか変?」
「いや、まぁ…………いや、寿のう゛ぁっかにはピッタリかも」

 由那はケタケタ笑い出した。

「ははは……。なんか、安心した」
「安心?」
「だって、保科さん、とてもいい人だったから」
「いい……って、あんた……」

 思わず智子、赤面して照れる。

「ねえ、保科さん」
「……?」
「ボクたち、良い友達になれそう。――これからは由那って呼んで」

 そう言って由那は智子に握手を求めた。智子はちょっと戸惑ったが、

「……なら、あたしのコトは智子でええよ」

 智子は由那に握手した。
 嬉しそうに笑う由那に対し、智子はどこかまだ、ぎこちない笑みをしていた。
 その時、智子がその笑みの下で何を想っていたのか、由那は知らなかった。

       第8話へ つづく

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