○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【承前】
世の中には、勢いに任せてしまう場合も少なくない。
今の矢島は、そんな状況だった。
しかもまずいコトに、矢島本人はそのコトにまだ気付いていなかった。
よりにもよって、由那が直ぐ傍にいるというのに、智子へ交際を申し込もうなど、誰が思おうか。
だが、智子のコトで頭に来て、冷静さを欠いている矢島に、それは無理な注文であった。
「………………ふぅん」
意外にも、矢島を我に返らせたのは、由那の感心したふうな声だった。
「寿って、神岸さんみたいな家庭的な娘が好みとばかり思ったんだけどねぇ」
由那の口調に嫌味はない。正直に感心したふうであった。
それが余計に矢島を慌てさせた。
「――――って、由那っ!?何でそこにいるっ!」
「……寿、本気でバカだろ?」
由那は肩を竦めて呆れた。
「……買い出し一緒に付き合ってやったのをお忘れ?」
「あ――――――」
矢島、口をあんぐりとさせたまま硬直する。やっと思いだしたらしい。
由那はそんな矢島の間抜けな顔を見て吹き出しそうになるが、しかし、一人呆然としている智子の顔を見つめると、直ぐに真顔に戻った。
「…………まぁ、無理もないか」
「――――」
由那に見つめられているコトに気付いた智子は、ようやく我に返った。
「――――っ、や、矢島くんっ!あ、あんた、いきなりナニゆぅねんっ!」
「あ――――あああああああああ(汗)」
智子に怒鳴られ、矢島は智子にとんでもないコトを口走ってしまったコトを思い出した。
「ひ、ひと、からかうのも大概に――」
「からかっちゃいないよ」
「――――」
唯一冷静でいる――単に呆れているだけなのかも知れないが、涼やかにそう言う由那に、智子は驚いた。
「寿、本気だよ」
「え――――」
呆気にとられる智子に、由那は親指で矢島を指して苦笑し、
「人間、キレている時ほど本音をブチまけやすいからね。――そうだろ、寿?」
「由那、お前…………?」
由那の言動に驚かされてばかりの矢島は、にっ、と笑う幼なじみの真意が今ひとつ掴み切れていなかった。
「まぁ、こいつ、いつもいきなりだから、キミも驚かされただろうけど――悪いヤツじゃないから」
「えっ……と」
智子はどうリアクションすればいいのか判らなかった。だいたい、智子にすれば、矢島と由那の関係など知らないのである。
「……あの……失礼やけど、誰?」
「?――あ、ゴメン!ボク、このヴぁっカとガキの頃から腐れ縁持っている、平光由那つーの。――――そっか、キミ、寿と同じクラスの保科さんか」
「?何で……」
「寿のクラスで、関西出身の娘が居るって聞いてたから」
ついでに由那は、智子の悪い噂も一緒に聞いていた。正確に言うと、悪い噂が先にあって、それが智子だったという順番で聞いたものなのだが、しかし由那は、その真偽に感心など無く、そんな話もあったな、程度でしか記憶していない。
「成る程、ね。……酷ぇ連中が居るモンだ、まったく」
「あ……お前……」
「ああ。…………噂で前に、ね。ま、もっともボクには関係ないコトだか、気にもしていないけど」
相変わらず大雑把な女だと、矢島は思った。もっともそれが、細かいコトに拘らない、この幼なじみの長所でも言えるのだが。
「それを寿が気の毒と思ったのか。……まったく、寿らしい話だよね」
そう言って由那は、また智子のほうを見て苦笑してみせた。
そんな由那をみて、矢島は内心ハラハラしていた。この間の騒動のコトもあり、もしかすると由那が嫉妬して意地悪なコトを言っているのではないかと思っていたのだ。
だが、しばらくたっても、由那が爆発しそうな気配は見られなかった。これには矢島も、混乱する一方だった。正直、矢島には由那の真意が判らないでいた。
「……で?」
「?」
不意に、由那が智子に訊く。
「返事は?」
「――――」
「折角、寿のバカが言ったんだよ。返事くらい――――」
由那は苦笑しながら訊いてみた。ところが、始め、唖然としていた智子は、次第に貌を曇らせ、ついには憮然とした面もちで由那を睨み付けた。
「…………保科さん、どうしたの?」
「………………あんたらなぁ」
「?」
「――――――――ひと、からかうのもええ加減にせぇっ!」
「「――――?!」」
突然の智子の激高に、由那と矢島は目を瞠って驚いた。
「――何が、居場所になってやる、だっ!矢島くん、あんた、あたしの何がわかってるっちゅうのっ?!」
「お、おい…………!」
「何にもわからん人間が、知ったふうな顔でえらそうなコトぬかすなっ!――――あんたなんか、あんたなんかっ――――」
そこまで言って智子は、罵倒する声を詰まらせた。高ぶった感情が、智子を一時的に麻痺させてしまったのである。涙で顔がくしゃくしゃになっている智子は、矢島の顔をじっと睨み、わなわなと肩を震わせていた。
「保科さん…………?」
由那が恐る恐る訊いた。
すると智子は、由那の顔を、きっ、と睨み付けた。そしていきなり駆け出して、坂を駆け下りて行ってしまった。
取り残された矢島と由那は、その後ろ姿を呆然と見送っていた。
やがて、由那が先に我に返り、慌てて追いかけようとした。しかしすぐに矢島のコトを思い出し、まだ呆然としている矢島のほうへ振り返った。
「寿っ!何で追いかけないのっ!?」
「え――――あ、あの、その…………」
「――――あんた、なにやってんのっ!」
そんな矢島を見て、由那は怒鳴った。
「あんた、保科さんのコト好きなんでしょ?!だったら何で追いかけてやんないのっ!」
「あ…………、そ、そうだな――」
答えた矢島であったが、実のところ、この目まぐるしい展開についていけず、混乱したままであった。熱し易く醒め易い、そんな男女の著しい差がここに現れたようである。
無論、性分が性分だけに、そんな矢島を見て由那がキレたのは無理も無い。
「寿、あんた――――」
堪りかねた矢島に、由那は拳骨でその呆けている顔を殴りつけた。無論、スポーツマンとは言えども女の細腕、大した威力はない。
それでも矢島に精神的ダメージを与えられるだけの威力はあった。突然のコトに痛みさえも感じられず、思わず手に持っていたコンビニの袋を落としてしまう。袋からこぼれたミニペットボトルが下り坂に沿って半円を描いて転がり、溝のところですべて貯まるように止まった。
静寂。いや、由那の感情任せに荒くなった吐息だけが、その場を支配していた。
「――――っ!」
呆けている矢島を睨み付けていた由那は、これもまた高ぶった感情に言語中枢が麻痺したか言葉が出せず、ふんっ、と顔を振ると、矢島を置き去りにして坂を登って行ってしまった。
残されたのは、矢島ただひとり。やがて矢島は、まだ呆けた顔で、溝に貯まったペットボトルを拾い集めて袋にしまい、ひとりトボトボと坂を登って行った。
結局、学校に戻った矢島は、それから智子を追いかける訳でもなく、かと言って先に戻って憤る由那の機嫌を取るわけでもなく、呆然としたまま部活を過ごした。
帰宅した矢島は、自分の部屋から由那の部屋を伺った。しかし由那はまだ帰宅していないのか、カーテンに閉ざされたその部屋はまだ真っ暗であった。
その暗さが、矢島にまた溜息を吐かせた。
とにかく、矢島には判らず終いであった。
激高する智子。
激高する由那。
全部、自分が悪いのか。自分が何か悪いコトをしたのか。
――何が、居場所になってやる、だっ!矢島くん、あんた、あたしの何がわかってるっちゅうのっ?!
判っているつもりだったのに。矢島はそう思っていた。
あんた、保科さんのコト好きなんでしょ?!だったら何で追いかけてやんないのっ!
「――――」
その後の、由那の罵倒を矢島は思い出した。
思い出して、戸惑った。
智子のコトが好き。
好きだから、居場所になってやりたいと思った。
――そうだろうか。
矢島は、自分のベットに、背中から飛び込むように倒れ落ち、そして天井を見上げてそう思った。
「…………俺、本当に保科さんのコト、好きなんだろうか?」
真顔の矢島、暫しの沈黙。
「――――いや、好きじゃなきゃ、あんなコトは言えねぇよ」
なのに、この胸のモヤモヤが晴れないのは何故なのか。
そもそも、矢島をこうも戸惑わせているのは、そのモヤモヤの所為だった。勢いで智子に告白した時から続くそれは、矢島には理解しがたい感情の働きであった。
そのモヤモヤをいっそう強めたのは、その後の由那の言動だった。
この間、あんなに好きだ嫌いだのと大騒ぎしたのに、今日のあのあっさりとした態度が、矢島にはまったく理解出来なかった。
これが女心なのか――と、自分にもよく判らない理由で納得したい気分だったが、根が真面目な矢島には、そんなおざなりな結論など認められるモノではなかった。
その日の夕方、智子は家に帰っていた。母も働きに出ている、寂しい無人の室内は、精神的に参っていた智子には、この上なく優しかった。智子は戻るなり、自室に閉じこもり、制服のままベッドの中に潜り込んだ。
今日は塾のある日だったが、智子はとても行く気にはなりなかった。今はただ、ベッドの中で一人で居たかった。
しかし、自分だけの世界にいるのに、智子は嗚咽ひとつ出すコトが出来なかった。理由は判っていた。今まで我慢してきたものだから、それが染みついてしまったのだ。泣けば少しは落ち着くと思っていたのに、泣くコトすら出来ない自分が、とても情けない気がした。
なのにどうして、矢島の前であんなに感情をむき出しにして泣くコトが出来たのだろうか。こんなコト初めて――――
「…………ううん。…………藤田くんの前で…………あったなぁ」
智子は浩之の顔を思い出した。思い出した途端、胸がとても締め付けられるように痛かった。
――判っている。
智子は、浩之に惹かれていた自分に気付いていた。しかしそれは、無理な注文だった。
(……それでも、もっとあたしをさらけ出すコトが出来たら、あるいは…………あの人が……あたしの…………)
そう思っただけで口にしなかったのに、智子は唇を噛みしめて堪えた。心の中でも、それを言ったら自分は負けだ、と。
どれだけ時間が過ぎたのだろう。智子はベットの中に引きこもってから一日経ったように長く感じたが、実際の所は30分も経過していなかった。
突然、玄関のチャイムが鳴った。
「…………?」
玄関の鍵は閉めていたが、母親は玄関の鍵を持っているハズである。不意の訪問者に、しかし、ベットから抜け出たくなかった智子は、暫くそれを無視した。あまりにも何度も鳴らすモノだから、智子はいやいやベットから抜け出し、玄関へ向かった。
何もかもが面倒な気分だった智子は、相手を確認せずに扉を開けた。
そこに立っていたのは、制服姿の由那だった。
「や、やぁ」
智子の不機嫌そうな顔を見て、由那は少し戸惑ったが、何とか挨拶してみた。
「……誰」
正直、智子は由那の顔を忘れていた。もっとも、由那もきっと自分のコトは覚えていないだろうと思っていたので、苦笑するだけだった。
「……えっと、ね。さっき、ほら寿――いや、矢島と一緒にいた、平光由那」
「……あ、ああ」
ようやく智子は由那の顔を思い出した。
「…………で、何の用?」
「あ――、その、その矢島のコトで――――ああっ、閉めないでっ!」
「……その話なら」
「だからっ!」
由那は冷や汗かきながら智子に言う。
「――寿、ああいう鈍感でニブイヤツだけどさ、…………悪いヤツじゃないんだ!だからっ!」
ぎこちない笑顔で必死に言う由那を見て、智子は扉を閉めようとするのを止めた。
「…………あのなぁ、何が言いたいのかよぉわからへんけどな……………………狭いところやけど、上がりぃ」
そう言って智子は扉を開けた。智子は、どうして扉を開ける気になったのか、自分でも不思議だった。
第7話へ つづく