○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【承前】
「……というわけだ、志保」
「ふぅん」
その日の昼休み、あかりを誘いに来た志保に、浩之は声をかけ、最近の智子に関する変な噂がないか尋ねてみた。
「まぁ前はその手の噂、良く聞いたわね。でも安心して、保科さん、今じゃ曲がりなりにもあたしらの友達だし、そんな噂聞いたら片っ端から否定しているわよ」
「……済まねぇ」
「感謝しているならなんかちょーだいよ」
「……そういう余計なコトを言わなければマシなんだがなぁ」
「なによぉその言いぐさ」
「はいはい。脱線はそこまで。――で、本題の回答は?」
「率直に言うと、変な噂は聞いてない――でも」
「でも?」
「…………新しい噂は、ってコト。前に言ったでしょ、あのロクでもない悪い噂。あれはタマに聞くわね。特に、一年坊主の男子学生の間で」
「一年坊主ぅ?」
「そ。そういう盛りなんでしょ」
「どーゆぅ盛りなんかだか」
「でも、どうして一年生の間で?」
今まで黙っていたあかりが、堪りかねて訊いた。
「噂の時間差攻撃、ってヤツかしら?あたしらの間で流れていたヤツが、まだ、もしくは遅れて一年坊主たちの間で話題になっちゃったとか。もしかして、噂が一人歩きして、校外にでて、鮭の帰巣本能よろしく、忘れた頃に噂が学校に帰ってきたとか」
「考えられないコトもないな……もしそうだとしたら酷ぇなぁ」
同じく、浩之の横で黙って聞いていた矢島が、苛立った顔で言った。
「しかし意外だったわねぇ」
そんな矢島を見て、志保はにやり、とした。
「矢島くん、保科さんに気があったなんて」
「そ――そうじゃなくって」
矢島は顔を赤くして首を横に振った。
「困っている人が居るんだ、ほっとける訳なだろ?」
「そうだよね」
あかりは花が咲いたように微笑む。しかしいくら好感度をあげても、あかりは浩之の彼女という事実は変わらない。
「――ねぇ浩之ちゃん、思い切ってわたし、智子に訊いてみる」
「……待て、あかり。とにかく、その噂が本当に流れているか確かめてから、だ。それが必ずしも原因とは限らないし、何より、委員長、ああいう性分だから、押しつけがましいコトすると却って怒らせてしまう」
「そ、そうね」
あかりは頷いた。友達のつき合いは短いが、智子の頑固さや気性は重々判っているつもりだった。
「んー、じゃあ、あたし、一年坊主の子からどんな噂が流れているか聞き出してみよっか?」
「おぅ、助かる。蛇の道は蛇、ってヤツか」
「あのねぇ、ヒロあんた(汗)。あたしゃ別にCIAとかモサドとかMI6とかそんなプロの情報捜査官じゃないんだから、変な言い方しないでよ(笑)」
「まぁまぁ(心:つーか何故、この女、そういう固有名詞知っている(笑))。少なくともこの校内じゃ超一流の情報屋なのは事実なんだから――頼めるか?」
「超一流って言ってくれるのは嬉しいわねぇ。まぁ、この志保様の大親友の親友といえばダチも同然。そのピンチを黙ってほっとけますかって」
浩之はなんだかよく判らない志保の返答に呆れたが、その本心はおくびも出さずに頷いた。扱いやすいと言えば扱いやすい女だと、浩之はつくづく思った。
放課後。
その日のバスケット部の部活は、両部の顧問教師が職員会議で出らおらず、両部キャプテンの合意で男女バスケット部合同で体育館で練習していた。まぁ早い話、鬼の居ぬ間に男女仲良くやろうと言うコトなのだが。もともと、男子バスケット部のキャブテン赤星と、女子バスケット部のキャブテン桜庭は恋人同士で、普通ならこう言った男女部は対立しているのが殆どだろうが、この高校での両部は親密と言っても良いくらい仲が良い。たとえ顧問が居ても、偶に混合で練習などしたりするので、特に珍しい光景ではなかった。
「矢島、いけいけっ!」
「由那ぁ、抜かれるんじゃないわよっ!」
「「わかってらっ!!」」
矢島と由那が声を揃えて部員たちに返答する。二人は今、部を代表した1on1の勝負をしていた。
矢島と由那の実力は五分五分。男女の差など関係ない。どちらかがスランプでもない限り、その差は微妙であった。それに、以前、由那のフォームが矢島のコピーと指摘されてからは、由那は、女性ならではの独自のフォームを研究し、更に上達していた。
「へっへー、――貰ったっ!」
「うっ?!し、しまったぁっ!」
由那は、リングの守りに入った矢島の隙を見抜き、フェイントによる時間差でジャンプする。由那のしなやかなフットワークとバネのように伸びる脚力は僅かながら矢島を凌駕し、見事シュートを決めた。
「これで5点差――勝負あり」
「うぐぅ……矢島のバカタレ」
にこりと笑う桜庭の隣で、赤星が矢島を睨んでいた。
「てなわけで、男子部は女子部にジュース奢り、決定」
「とほほ」
と男子部員たちは声を揃えて嘆き、そして矢島を睨んだ。ジュースをかけての勝負だった。
「つーたって、由那がここまで成長していたとは思わなかったんですよっ!」
「寿ぃ、言い訳は見苦しいぞぉ」
由那は腕を持て余して、息を切らして床の上でへたり込んでいる矢島を、にぃ、と自慢げに笑って見下ろした。
「まぁ、そう言う約束だからな。ほれ、集金」
赤星は男子部員たちから代金を徴収し始めた。
「じゃあ、一年が近くのコンビニに――」
「赤星先輩、俺、パシリします。負けた責任取って」
「別にそこまで気にせんで良いって。俺だって、この間までの平光見てて、勝てると思ってお前出したんだから」
赤星たち男子部員らの頭にはまだ、矢島と3Pシュート勝負で負けた頃の由那の姿があったようである。矢島の指摘で自省し、練習を重ねてきた由那の勝利であったが、一番そのコトを知っている矢島が負けたのは、油断だけではないのであろう。正直、矢島は悔しかった。
「いいです。負けは負け」
「そっか。なら、頼むわ」
「――昔から生真面目だねぇ」
「とか何とかいって買い出しに付き合っているお前は何なんだよ由那」
「一人で持てる分けないと踏んだから。――そうだったろ?」
近くのコンビニから戻って、学校までの坂道を上る矢島のその両手には、ジュースで一杯のビニル袋がぶら下がっていた。その横を歩く由那も、数は半分もなかったが両手に同じようにジュースで詰まった袋を手にしていた。
「……感謝するよ」
「なんか忌々しそうに聞こえるんだけど」
「あーりーがーとーぉーごーざーいーまーすーっ!」
「へっへー♪」
ふてくされる矢島を見て、由那は意地悪そうに笑う。幼なじみのこんな困った顔がとても好きな少女だった。
「……しかしホント、義理堅いって言うかマメっていうか、さ。…………だよなぁ」
「なんだよ、そのしみじみとした言い方」
「こういうの、一年に任せりゃいいのに」
「だって可哀想だろう」
「それだよ、それ」
「?」
きょとんとする矢島に、由那は急に走って坂の上から矢島のほうを見下ろした。
「寿、いいひと過ぎるんだよ」
「……また、いいひと、かい」
「?」
「いや、こっちのこと。――良いんだよ、情けは他人の為ならず、っていうだろ?」
「にしてもさ、――昔からそうなんだよ、寿は。頼まれもしないのに、他人の困り事には躊躇無く首突っ込んでさ、面倒被っちまう」
「俺はそこまでお人好しじゃねぇよ」
「いーや、お人好し。――お隣通しでもう何年のつき合いだと思ってンだよ」
「ヤな腐れ縁だな、ホント」
「それはボクのセリフだ――あれ?」
ようやく追いついた矢島は、由那が、学校がある坂の上のほうを不思議そうに見ているコトに気付いた。
「どうした、由那――」
と、そこまで訊いた途端、矢島は由那が見ているものに気付いた。
「……保科さん」
「知り合い?」
「女のほうは、な、うちの学級委員長だ。――でも、野郎たちのほうは知らん」
それは、坂の途中で智子を待ち伏せしていたような光景だった。微かに見覚えのあるそれは、隣町にある進学高校の制服だった。その男子生徒が3名、恐らく先ほど下校したばかりの智子を包囲していた。遅かったのは、今日は学年会の会議があった為なのだろう。
「…………なぁ、あんた、同じ塾に通っているダチに聞いたんだけどさ。――エンコーやっているんだって?」
「「?!」」
遠くからだったが、しかし矢島と由那には、智子を見ていやらしそうに笑っている他校の男子生徒のその声は聞こえていた。
矢島は、その一言で、浩之たちと問題にしていた智子の悩みではないかという疑念に直結した。
一方、智子は、他校の生徒たちに包囲されているが、まったく狼狽えている様子もなく、毅然とした、あるいは呆れているのであろう、涼しげな顔で、悪い噂を信じてわざわざやってきた阿呆どもの顔を睨んでいた。
「寿――」
戸惑う由那に、矢島は、しっ、と言って静かにさせた。もう少し様子を見ようと思ったのだ。
「んなオヤヂ相手にしないでさぁ、俺たちに付き合えよ――嫌ならエンコーのコト、学校にバラすぜ」
男子生徒の中で一番長身の、おそらくリーダー格と思われる男子が、いやらしそうな顔で言って見せた。
「な――――」
呆れた由那が、直ぐに怒り顔になって駆け出そうとした。
ところが、それよりも早く、矢島が智子の許へ駆け出していた。
「おい、まてコラ」
「や、矢島くん!」
「な、なんだお前」
突然に矢島の登場に、智子と男子生徒たちは同時に驚いた。
「お前ら、何いってやがんだ。――彼女はそんなコトしちゃいねぇよ」
「な、なっ?」
矢島に睨まれて言われ、男子生徒たちは狼狽える。一番長身の生徒ですら、矢島より背が低い。矢島の叱咤は頭上からの天罰のように聞こえたのかも知れない。
「どいつもこいつも、ロクでも無ぇ噂信じやがって……!」
「……はぁはぁ。寿ぃ、急に走るなよぉ」
ようやく由那が矢島の許に追いついた。そして息を切らせつつ、男子生徒たちを睨み付けた。男子生徒立ち寄りも由那のほうが背が高かった。
そんな助け船を見て、始め智子は呆気にとられていたが、しかし、ふぅ、と呆れ気味に溜息を吐いて肩を竦めると、智子は自嘲気味に苦笑した。
「……ええんよ。所詮デタラメな噂やし、あたしが無視していれば――」
「――それでいいのかよ、保科さん!」
まさかそこで矢島が怒鳴るとは思っていなかったらしい。智子はいつの間にか自分を戸惑いげに睨んでいる矢島を見て、困惑した。
「や、矢島くん……?」
「……そうやって、こんな奴らの所為で自分が傷つくばかりで、本当に良いと思っているのかよ?」
「そ、それは――」
返答に窮する智子を見て、矢島は再び他校の男子生徒たちを睨んだ。
「お前らもお前らだよ。――何がバラす、だ!根拠の無ぇ噂、マジにとりやがって……!最低だな!」
「何だと?」
「何、いきがってんだよ!――お前、こいつの何なんだよ?」
リーダー格の男子生徒が怒鳴って聞いた。
始めから喧嘩腰で、冷静な判断があやふやだった所為かも知れない。しかし矢島は、とっさに、躊躇わずこう答えた。
「――こいつの彼氏だよっ!」
「「「「え?」」」」
その返答には、男子生徒たちばかりか、由那までもが唖然とさせられた。
「……矢島くん」
智子はそれが、自分を庇う虚言だと理解していた。確かに効果的で、しかも二度目だったので、智子は少しばかり呆れた。
「……まったく、何もこいつのコト知らねぇクセに、得物見つけたハイエナのように嘘だらけでっちあげの噂信じて群がりやがって……!まだ何か言いたけりゃ覚悟しろよっ!」
そう言って矢島は凄んでみせた。これには流石に男子生徒たちはビビったか、ちぃ、と言って坂を下りていった。矢島は彼らの姿が完全に見えなくなるまで、その後ろ姿をじっと睨み続けたままだった。温厚な矢島をして、そうとう頭に来たらしい。
「……やれやれ。サンキュ、な、矢島くん」
お礼を言うが、しかし物憂げな智子であった。
そんな智子を見て、矢島は確信した。智子は今もくだらない噂に振り回されて気が滅入っているのだと言うコトに。
「しっかし矢島くん、そのネタ、三度は通じへん――」
「――いいのかよ、それで」
「え――?」
智子は、矢島がまだ怒っているコトに気付いた。そして何故か、その矛先が自分にも向けられているのである。
「いつまでもあんなコト言われてて、それで良いと思っているのかよ?」
そんな矢島を見て、智子は、はん、と呆れた。
「……ここにうち解けへんかったあたしが悪いんやさかい。それに所詮は根も葉もない噂やからな、ほっといても――――」
「ほっといたって、いつまで経っても消えやしないぞ、こんな噂」
「――――だったら、どないすればええっての?!」
あくまでも喧嘩腰の矢島に、遂に智子もキレてしまった。
「何度もゆぅけどなぁ、タダの噂如きに振り回されて泣き入れるほどあたしは――――」
「……無いのかよ」
「……?」
矢島の言葉に、智子は、思わず、ドキッ、とした。
「――そんなに、ここに保科さんの居場所は無いのかよっ!?」
「――――――」
思わず絶句する智子。しかし矢島は躊躇無く言葉を続けた。
「もう神戸だけじゃないんだろ?神岸さんだって、藤田だって、保科さんの友達だろ?――なのに、どうしてもっと心を開かないんだよ!」
「……………………!」
矢島に一方的に言われていた智子は、ゆっくりと唇を噛みしめた。そしてゆっくりと、大きく口を開き、
「――――ぐじぐじ言わんといてやっ!大人しゅう聞ぃとれば、勝手なゴタクをまぁ…………いつあたしが、ここで居場所が無いなんてゆぅたっ!」
「じゃあ、あるのかよっ!?」
「……………………!」
矢島は臆せず、そして容赦なく聞く。智子はまた、ゆっくりと、悔しそうに唇を噛みしめた。
そして由那は、二人の言い争いをおろおろとしながら見守っているばかりであった。
「本当は無いんだろっ!?」
「………………」
「無いんだろっ!」
「………………!」
「無いのに意地張っているだけなんだろっ!?」
「…………あんたに」
「――――――」
そこで矢島を絶句させたのは、いつの間にか涙を溜めて矢島を睨んでいる智子の顔だった。
「………………あんたに、あたしの何が……判るっちゅう……」
「……ああ。保科さんの意地っ張りはワカランさ」
矢島は智子の涙を見て、少し冷静さを欠いていた自分に気付き、はぁ、と困憊した溜息を吐いた。
「…………だけどな」
「…………?」
「つまんない意地張って、本当は居場所求めて陰で泣いている女のコの気持ちは判ってやりたいと思っている」
「………………?」
きょとんとする智子に、矢島は一回深呼吸してから、こう言った。
「……俺が居場所になる、って言ったら?」
「……へ?」
「俺が、保科さんの居場所になって上げたいと言ったら――――交際して欲しい、と言ったら――ダメか?」
真っ直ぐな顔をして、そして怒鳴り声から一転して優しい口調で尋ねる矢島に、突然のコトに呆然となる智子は、絶句するばかりであった。
そして、そんな矢島の隣に居た由那も、言葉を失ってその場に呆然と佇んでいた。
第6話へ つづく