【承前】
次の日曜。
智子たちの買い物に付き合うコトになった矢島は、約束の正午、駅前にあるルミネの入り口に立っていた。
矢島は、待ち合わせには几帳面なところがあり、約束した時間の10分前には必ず着くように家を出る。果たして、正午きっかりに現れた浩之とあかりは、先に待っていた矢島を見て驚いた。
「あれ、待たせちゃった?」
「いや、性分で。――神岸さん、こんにちわ」
矢島は照れくさそうにあかりに挨拶する。諦めたコトとは言っても、その顔の紅さの分だけまだ未練があるのかも知れない。
「ところで――」
矢島は二人をまじまじと見て、
「保科さんは一緒じゃないの?」
「委員長?」
すると浩之、不思議そうな顔をして、
「もうそこに居るじゃん」
浩之が指したのは、矢島の直ぐ隣だった。
「?」
言われて、矢島は横を向いた。
そして、息を呑んだ。
そこには、まったく見覚えのない――そして、見たコトもない、はっとするような可憐な美少女が立っているではないか。
「………………………………へ?」
矢島ばかりか、浩之の隣にいるあかりも戸惑っていた。
「……浩之ちゃん、知り合い?」
酷く戸惑うあかりは、ひとりニヤニヤしている浩之に訊いた。
問題の美少女は、頬を赤くし、すこし困ったような顔をして浩之を見ていた。
「…………だからあかんってゆぅたのに」
「「――――――っ?!」」
その声に、矢島とあかりが思わず身を引いて驚いた。
「――そ、その声ってっ!」
「まさしく保科さんっ!」
「……何や、二人して」
栗色の、長く艶のある綺麗な髪を冠し、少しつり目の澄んだ瞳に戸惑いの色を称える美少女は、呆れるようにぼやいた。だが間違いなく、智子の声は彼女が発したモノである。
「……藤田くん。だからあたし、嫌やゆぅたんや」
「いや、だってさぁ。俺だって驚かされたんだし、こういうのは他人にも同じ目に遭わせないとシャクというか」
「ひ、浩之ちゃん、ど、どういうコトなの?」
「どうもこうも、委員長の私服姿がこれ。あかり、今日来る時は、前にお父さんと一緒だった時と同じ格好で来てくれ、って委員長に頼んどいたろ?」
「し、私服って――――」
終いに言葉を失ったあかりは、また智子の顔をまじまじと見つめた。
「…………あかり。えーかげんにせぇ」
流石に呆れた智子、あかりのほっぺたを摘んで睨んだ。
「あいたたた……!う、うん、これは間違いなく智子」
「どないな認識しとんや、あんた」
「あはは……イタタ」
そんな二人のやりとりをみて、浩之はひとり苦笑していた。
その横では、まだ矢島が呆気にとられていた。
「……驚いたろ?」
矢島の様子に気付いた浩之が訊いた。すると矢島は浮かされたような顔で、黙って頷いた。
「……もぅ、矢島くんまでっ!だからあたし、嫌やゆーたのに……!」
「まぁまぁ。折角、矢島も付き合ってくれるんだし」
そう言って浩之は、今度は智子のほうへ近づき、
「――それにあいつもまんざらじゃなさそうだし。ほれ」
浩之は自分の身体で隠すように胸元で、矢島のほうを指してみせた。矢島は考えもみなかった私服姿の智子をみて、すっかりのぼせていた。美少女が多いと評判の浩之たちの高校でも、言葉を失うほどの美貌さを持つ女子学生は、3年の来栖川芹香ぐらいであろう。いや、矢島をしてこの有様なのだから、智子がコンタクトでお下げを解いたこの姿で登校して来ようものなら、男子学生たちの中で大パニックを起こすかも知れない。――と浩之は思っている。その考えをミニマムレベルで試した結果であった。
「ふ、藤田くんっ!――もうっ!」
智子は赤面して浩之を怒鳴った。とはいえ、本気で怒っているわけではないので、可愛らしい怒鳴りかたである。
結局、帰ろうとした智子を何とか引き留め、あかりの呼び声で我に返った矢島を引き連れ、浩之たちはルミネの紳士服売場がある6階へ向かった。
「さて。委員長は、お父さんにどんなモノをプレゼントする気でいるの?」
「それがなかなか思いつかないから、藤田くんたちにこうしてお願いしてるんじゃない」
智子は呆れるように肩を竦めた。
「たとえば、さ。もし、浩之ちゃんが父の日に、お父さんにプレゼントするとしたらどんなモノを選ぶ?」
「俺?」
あかりに訊かれ、浩之はきょとんとした。
「そーだなぁ。…………………………………………………………」
「何、黙りこんでんね?」
「…………そういやさ、俺、父の日にンなコトした記憶が無ぇ」
「うわぁ、親不孝なヤツ」
今まで黙っていた矢島が、ここぞとばかりに突っ込んだ。浩之にしてやられたコトが相当悔しかったらしい。
「何だよ、矢島。そーゆぅお前さんはあんのか?」
「俺か?」
聞かれて、矢島は少し戸惑った。
「…………」
「お前も無いんじゃないのか?」
浩之がにやり、と意地悪そうに笑った時、端でそのやりとりを聞いていた智子が、はっ、と驚いた。
「あ――――、藤田くん、ちょっ、ちょっ!」
突然智子は、浩之を睨んで呼び寄せた。
「?何――いてて、耳、ひっぱんなよ」
「いーから。――藤田くん、あんた、矢島くん家の事情、知らへんの?」
「矢島の家の?――――あ」
浩之はそこでようやく、矢島の家は母子家庭であったコトを思い出した。つい先日、あかりたちの調理実習の味見を一緒にして、平光由那との問題で矢島から相談を受けた時、そんなコトを聞いていたのだ。
ようやく思いだし、とんでもないコトを言ってしまった浩之は困惑し、矢島のほうへ振り向いた。
「……悪ぃ。忘れてた」
「いや、良いんだって」
矢島は、浩之が悪気があって言ったわけではないコトは、そのひととなりから判っていたので、笑って言って見せた。
「でもさ」
「?」
「それ、良いかも知れない。――もし俺が、親父が生きていたらどんなプレゼントしていただろうな、って」
「矢島……」
「「矢島くん……」」
まだ戸惑う三人に、矢島は照れくさそうに肩を竦めた。
「なぁ、保科さん。――もし、そんな選び方でも良いのなら…………」
矢島がそう訊くと、智子は首を横にゆっくりと振った。そして、ふっ、とはにかむように微笑んでみせた。
「……そないなコトあらへんよ。…………ステキな選び方やないの」
浩之は、そんな智子の笑みに救われたような気がした。
矢島が選んだモノは、ネクタイとワイシャツだった。ワイシャツはノーアイロンのモノで、サイズは智子が知っていた。ネクタイは、赤地に猟犬をデザインした小さなポイントの入った、大人しいめのモノだった。矢島は、浩之と違って智子の父親に会ったコトはないので、二人にそのひととなりを色々聞いてイメージしようと思った。だが智子は、「矢島くんの好きなとおりでええよ」と矢島に一任して口を挟まなかったので、結局、派手でないデザインのモノを、とそれを選んだのであった。
「……うん。おとんにピッタリや」
「何か、俺の趣味で選んで、本当に良かったのかなぁ」
照れくさそうに言う矢島に、智子は嬉しそうな笑顔で頷いた。
「ええよ。おとんもきっと喜んでくれるハズや」
「そ、そう?」
どきまぎする矢島。少し慣れたとはいえ、それでも今の智子にこんなふうに感謝されて、落ち着いていられるほど矢島は鈍感ではない。むしろ純情すぎる彼には、これは一種の拷問に近いだろう。
そんな二人を見て、浩之とあかりは、揃ってほっとする。一時は浩之の無神経さが原因でハラハラしたが、何が幸いするか判ったモノではない。もっとも浩之は結果主義者ではないので、自分の迂闊さは重々反省していた。
「良かったね、浩之ちゃん」
「まぁな。――さぁて、買い物も済んだし、ちと上の喫茶店で茶ぁでもするか?」
「あ、ああ」
「ええよ」
買い物が済んだ浩之たちは、最上階にある喫茶店へ向かい、そこで一息つくコトにした。その喫茶店は最近、休日の午後一時から三時まで間、ケーキセットを注文すれば食べ放題になるサービスタイムを始めていて、店内はかなり混み合いをしていた。
「とりあえず、俺たちがケーキ取ってきてやるよ。何が良い?」
「ごめんね浩之ちゃん。わたしはチーズケーキ」
「わたしはショートケーキ、お願い」
「あいよ。矢島、一緒に来てくれるか」
「わかった。二人とも、ちょっと待っててね」
そう言って浩之と矢島は席を離れた。混んでいるケーキカウンターを見て、矢島と浩之は呆れ返った。
「まるでうちの購買部だな」
「まったくだ。――ところで矢島」
「?」
「……さっきは本当、悪ぃ」
「良いって。――俺だって今日は大変な眼福ものだったからな。逆に感謝したいくらいだ」
「……本気で驚いたろ?」
「ああ、まったくだ。――でも何で保科さんの素顔、知っていたんだ?」
「さっき言ったろ?前にな、あの私服姿の委員長が親父さんと会っていたのを目撃したコトがあるんだ。俺もあれが委員長だなんて始め、信じられなかった」
「その気持ちは判る――もう本当、この上なく」
「でもな」
「?」
「委員長、あんましあの姿の自分見られたくないらしいから、学校じゃ内緒だぞ」
「内緒、って…………(笑)そんな、大げさな」
「ああ勝ち気に見えても、結構恥ずかしがり屋なんだよ、彼女」
「まぁどのみち、口でどう言い表せればいいのか、ボキャブラリーが貧困な俺には無理な話だが」
「俺だってそうだよ。論より証拠、ってな訳で矢島には紹介したんだ。――どう思う?」
浩之は急に小声で訊いてきた。
「ど、どう思う、って、何を……?」
「バカ、委員長だよ。――どう思う?」
「そ――――」
たちまち矢島、赤面する。
「……可愛いだろ?」
「……神岸さんに知られたら大変だぞ、今の発言」
「あかりだってさっきみたいに驚いたんだ、納得するわい。――で、矢島先生のご意見は?」
「そ、そりゃあ…………」
「そりゃあ?」
もし浩之がマイクを持っていたら、当惑する矢島の鼻先に突き付けてにやりと笑っていただろう。
「……………………あ、あれを可愛くないなんて言えるヤツの顔がみたいくらいだよ」
「正直で宜しい」
浩之はいやらしそうに笑った。
「で、どう?」
「?」
「……付き合いたい?」
「――おい」
堪らず矢島は浩之を横目で睨み付けた。大仰にするとあかりたちに気付かれてしまうからであった。
「藤田、お前いつからポン引きになったんだ?」
「ムキになんなよ。――いや、さ。ああ言う姿を知り合いに見られるのが嫌なハズの委員長がさ、お前さんが来るって言ったのに、注文通りにしてきたからさ。――委員長だってその気、あるかも」
「し、しかし――」
「無論、お前には平光さんがいるのも判っているけどさ」
「ゆ、由那は関係ないって――――」
思わず声を荒げる矢島に、浩之は口元で人差し指を立てて、しぃ、と声を潜めるようアピールした。慌てて矢島は口を噤んだ。次に口を開いた時は、すっかり小声になっていた。
「…………べつに由那は関係ない、って言っているだろう?」
「まあまあ。…………ていうか、委員長、なんか寂しそうだし。意外な繋がりがあったから、今日の買い物で何となく引き合わせてみたんだが――悪い感触ではないと思う」
「藤田ぁ……(汗)」
今の矢島の目には、浩之は、男やもめにやたらとお見合いを勧める近所の世話好きなおばさんのように見えていた。
「まぁ、無理とはいわんが――ただ、さ」
「……ん?」
「お前さんなら、委員長を支えてやれるかも知れないと思ったんだ」
あれほどいやらしい笑い方をしていた浩之が、急に穏やかな笑みを浮かべているコトに、矢島は少し呆気にとられてしまった。
いや、別に浩之は矢島に嫌がらせをしていたわけではないのだ。浩之は、気になっていた智子の様子を案じ、自分なりの方法で何とかしてやれないかと思ってしたコトであった。そしてそんな浩之のお眼鏡にかなったのが、この矢島なのである。
浩之は単に直感で選んだだけなのかも知れないが、わりかし本気であった。
矢島ほどの男なら、智子に相応しい彼女の居場所になってやれるかもしれない、と。
矢島は、ただただ戸惑うばかりであった。
第4話へ つづく