『羅刹鬼譚 天魔獄』 第9話 投稿者:ARM 投稿日:5月8日(月)01時08分
【警告!】この創作小説は『痕』『雫』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しており、ネタバレ要素のある作品となっております。
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第13章 “集団たる個”

 時刻は、新しい日付に変わったばかりだが、隆山市上空は、まるで昼のような明るさであった。
 白夜とも違う。白夜ならば、上空に眩いクラゲの化け物など居るハズもない。既に県知事の要請で、小松と百里の自衛隊基地から最新鋭のFJX−18部隊が出動準備に入り、市内から市民の避難が完了してから攻撃を開始するコトになっていた。
 しかしあまりの異常事態に、恐慌状態に陥っている市民の避難は思うように進まず、市内の混乱は続くばかりであった。

「……うーむ。このままにしておいたら、夜間の電気代は要らないで済むのになぁ」

 などと、この大混乱する路上で呑気なコトを言うのは、世界広しと言えども、隆山署の防犯課課長ぐらいであろう。長瀬課長はようやく見つけた公衆電話が、この混乱で回線がまったく通じなくなっているコトを知ると、はぁ、と溜息を吐いて受話器を降ろした。

「しかし、自衛隊に出動されたら間違いなくこの街は焼け野原になっちまうし。市内はこの有様で署に戻れるかどうか怪しいし。どーしたもんかねぇ――おや」
「課長」

 長瀬が呼ぶ前に、群衆の中から上司の姿を見つけた柳川が声をかけた。

「ブランカたちは?」
「海岸のほうへ向かったよ。俺は自衛隊が上空の怪物退治を始めようとしているのでな、止めに来たんだが、どーにも電話がつかえんで困っている」
「怪物退治――」
「柏木の嬢ちゃんが取り込まれている。攻撃させるわけにはいかん」
「くそっ!」
「あー、まてまて、幾ら鬼でも自衛隊相手では力ずくは無茶だ。海岸へ行きたまえ」
「海岸――」
「ブランカさんたちが怪物から何とか嬢ちゃんを取り返そうとしている。どのみち、この混乱じゃもうしばらく自衛隊も迂闊に出動できまい。時間はある程度余裕はあるさ」
「その前に千歳を――」

 頷く柳川は、長瀬に一礼するとその場から一気に飛び上がり、街路灯を踏み台にして群衆を飛び越え、海岸のほうへ向かっていった。長瀬はその跳躍ぶりに、おー、と呑気な声を上げて見送った。


 千歳は、エメラルド色に輝く光の中にいた。
 しかし、それは意識だけだった。
 身体がない。肉体的感覚がまったく感じられないのである。まるで自分の身体が分解され、空気中に散った灰にでもなってしまったような稀薄さしかなかった。
 辛うじて、柏木千歳、と言う自我だけが残っていた。
 だが、ふと自分を見ると、その姿は一定ではなかった。
 一番多く見えたのは、緑色の髪をした奇妙な女のコの姿であった。モップを持っていたり、奇妙な鎧を纏って空を飛び回ったり、緑色の光を放ったり、力尽きて光になってしまった場合もあった。
 一番印象的だったのは、父親に良く似た、父親を一回り老けさせたような男が、血塗れの父親を追い詰めていた時だった。いてもたってもいられなくなった千歳は父親の前に庇うように立ち、おとうさんをいじめるな、と叱りもした。次の瞬間、見えていた光景は全く別の物に変わったが、その際、自分の意識が少し欠けたような気もした。
 とにかく、すべて千歳には不思議な体験であった。
 どうして、こんなコトになってしまったのだろう。千歳は思い、辺りを見回した。
 真下に、見覚えのある光景があった。――それはセスナで隆山海岸を撮った航空写真とそっくりなモノであった。

 ――違う。

 千歳はそこでようやく気付いた。
 自分は今、空を飛んでいるのだ。そして、あの奇妙な光の怪物に取り込まれてしまった瞬間のコトを、やっと思い出した。


「――ブランカ。あれ」

 隆山海岸に到着したブランカと瑠璃子は、海岸の東をぷかぷかと波に乗っているように浮遊している、小型の天魔を見つけた。

「中心にいるよ」
「ええ」

 ブランカは、その天魔の中心に、千歳の姿を見つけていた。

「喰われたと言うより、一体化シていると言ったほうがいいわね」
「まるで雲に乗った孫悟空みたいね」
「雲――」

 瑠璃子の言葉に、ブランカは、むぅ、と唸った。

「……そうか!」
「?」
「判ったのよ――天魔の正体。あれは鬼神の一族が神との闘いで使用した〈鬼神の方舟(ヨーク)〉なのよ!」
「よーく?……ぷっ」

 瑠璃子はそういうと、突然忍び笑いを始めた。きょとんとするブランカは、瑠璃子がその後、よーくわかりません、とおやぢギャグを言いかけて、それが自分のツボに入ってしまい勝手に笑っているなどと知るよしもなかった。

「……変なの。……ソんなコトより、チトセをどうやってあすこから――――」

 ブランカはチトセと融合した天魔を憮然とした顔で見上げてそう言った瞬間、まだ笑っている瑠璃子を抱き抱え、宙を飛んだ。
 入れ替わるように、二人が立っていた浜辺は、まるで間欠泉のごとく大量の砂を噴き上がらせた。その噴出は二つあった。
 海のほうに着地したブランカと瑠璃子は、その砂の雨の向こう側に、精気をなくした顔をする楓と初音の姿を見つけた。

「あ、楓ちゃん、初音ちゃん、久しぶり〜」
「何、呑気なコト言ってんの。――飼葉ね」
「うん」

 応えた瑠璃子が指した方向に、にぃ、と嗤う飼葉が立っていた。

「あれはあたしのもの。邪魔はさせない」
「……ちぃ。二人を操っているのか――なんでこんな時に戻ってきたのさ、まったく」

 ブランカは苛立つが、この場に初音が現れたコトに、自分の推理が正しいコトを一層確信した。

「今度は鬼神が二人。勝てるかしら?」

 飼葉がそういうと、楓と初音が、まるでピタリと息を合わせて居るかのように全く同じモーションで、ゆっくりと前に進み始めた。

「瑠璃子」
「何?」
「飼葉の毒電波、抑えてよ」
「ダメ。抑えきれない」
「なんで?!」

 すると瑠璃子は、今度は、次第に海岸上空に集まり始めた天魔の群を指した。

「……多分、あの天魔の中に、飼葉の毒電波を吸収しているのが居ると思うの」
「飼葉が飼い慣らシているの?」
「んーと、違う」

 瑠璃子はゆっくりと首を横に振った。

「飼葉は、天魔が構築しているリミビットチャネルを利用して、自分の毒電波を受信させている天魔をちょくちょく変えているの。だからどれがそうかは限定できないの」
「毒電波の受信――」
「飼葉は、自分の毒電波を天魔が構築したリミビットチャネルネットワークに送り込んで、遠距離へその毒電波を送信させているの。インターネットみたいなコトしてるの。インターネットは世界中のサーバーへリクエスト出来るけど、電話料金はプロバイダのアクセスポイントまでで足りるでしょ?」
「……つまり、あいつは天魔というプロバイダへ毒電波を送信するコトで、距離を問わズ毒電波攻撃が出来るのね」
「うん。飼葉はアクセスポイントを自在に切り替えているから、毒電波の送信を止めるのは、天魔を全部殺すか、あるいは飼葉そのものを斃さなければダメ」
「でも――」

 ブランカは歯噛みしながら楓と初音を睨んだ。

「あんたたちはそこで共倒れしているが良いわ。あたしは、あの天魔の中にいる娘を潰して、代わりにあの天魔のホストになる。…………うふふふ。うふ、うふふふふ」

 勝ち誇る飼葉は、千歳と融合した天魔を見つめ、不気味に笑い始めた。目が笑っていないのである。

「……あたしがあの天魔と融合さえすれば、リミビットチャネルを利用して全世界にあたしの毒電波を同時送信できるわ!だぁれも逃げられない。いーわぁ、いーわぁ、あたしの毒電波をこの日本の反対側へ一瞬にして送信できるのよ。あたしの愛ある電波を受けた人たちの、弾ける頭、爆ぜる脳、相手や自分の腕を自分の腕で引きちぎる光景を想像しただけでもう…………」

 凄惨な光景を想像する飼葉は、すっかり欲情したらしく、右手で自分の秘所をさすり始めていた。

「はぁ……はぁ…………そうだぁ、共食いもいいわぁ。現代人は顎が弱いから噛みきれるかどうかわかんないけど……はぁ」
「…………SHIT!」

 そのあまりの様子にブランカは堪らず舌打ちした。

「……そう言うわけだから、鬼神の末裔姉妹さん、よろしくね」

 飼葉のその言葉が号令だったかのように、楓と初音がブランカたちに飛びかかってきた。

「――後免!」

 ブランカはコートをひるがえし、鎖に変化させて放った。鎖は楓と初音の身体を空中で捕らて縛るが、毒電波で操られて鬼神のパワーを全開にしている二人は、その鎖を易々と引きちぎってしまった。

「離れるね」

 瑠璃子はブランカの身体から飛び離れ、浜辺をクッションにして起きあがった。

「鬼さん、こちら、手の鳴るほうへ」

 実際には手など叩きもしていなかったが、瑠璃子はブランカと離れるコトで、鬼神の末裔の攻撃力の分散化を図った。狙いは当たり、初音が瑠璃子のほうへ向かっていった。

「瑠璃子!あなたじゃ鬼神相手に格闘戦は無理よ!」

 ブランカは心配そうに瑠璃子を見るが、しかし直ぐに楓が自分目がけて飛びかかってきた為、瑠璃子を庇うコトは出来なくなってしまった。このままでは瑠璃子は、飼葉に操られている初音に八つ裂きにされてしまうだろう。

「大丈夫」

 瑠璃子は、ふっ、と笑った。そして初音のほうへ手をかざすと、ふんっ、と唸った。するとどうだ、初音はまるで瑠璃子の目の前に突然出現した不可視の壁に激突したかのように空中で止まり、次の瞬間初音は吹き飛ばされてしまったのである。

「ばりあー」
「何がバリアなもんか」

 それを見ていた飼葉が歯噛みした。

「高密度の毒電波を干渉させて発生させた衝撃波で吹き飛ばしただけでしょうが!」
「操られている分、動きが単調だし。……っていうか、毒電波で操られている人は自律行動は無理」
「――――」

 そう言って瑠璃子は飼葉のほうを向いて、にっ、と不敵に笑った。こんな攻撃的な瑠璃子は、ブランカも初めて見た。

「――常に対象者と意識を接続していなければ操れない。それが毒電波のウィークポイント」
「――ちっ」

 ほんの数秒前までは勝ち誇っていたその貌が、こうも簡単に悔しい顔になるとは思いもしなかったらしい。飼葉の顔は酷く憎しみに歪んでいた。

「……でも、天魔を経由しただけでは、毒電波の長距離放射しか出来ないハズ。そこまでして天魔を狙う訳って、何なの?
「……“集団たる個”さ」
「「集団たる個?」」

 飼葉は、ああ、といって頷き、

「リネットが天魔の正体を知っていた」

 応えたのは、毒電波で操られている初音だった。

「天魔のリミビットチャネルが感知できたあたしは、天魔のなんたるかを理解していた。――天魔はそれ自体が巨大なネットワークの端末に過ぎない。そう、元々は鬼神がかつて神々と戦さをした時、同胞との意志疎通を図るために、自然界に影響を及ぼさぬよう配慮して造り出された人工生命体。そして、集団でありながらネットワークによって意識を共有しあうコトで、その集団が一つの生命体として存在し得る」
「……バカな。意識の共有など、あまりにも生命としては――」
「いいや。不自然ではないさ」

 飼葉がそう言うと、突然初音と楓はブランカたちから飛び退き、飼葉の両脇に阿吽の如く立った。

「そう言う生命体は“珍しくはない”のさ」
「「……?」」
「不思議がるコトはないさ」

 飼葉はクスクスと笑い出した。

「――人も動物も、細胞の集合体であろうが」

        つづく

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