【承前】
それは、暗闇の中にいる楓であった。
泣いていた。それも、血の涙を流して。
……千鶴お姉ちゃん……助けて。
「……え?今の声は……楓さん?」
……耕一さん……助けて……!
「……これは……楓さんの…………え?!」
マルチが驚いたのは、その泣き顔が突然、鬼のような形相に変わったためである。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。――全てを奪ったモノを。
私の思いを踏みにじったモノ全てを――殺す、破壊するっ!
「――――くっ!」
その凄まじい殺意を受けて、マルチは仰け反った。
――嫌だ。
――助けを求めておいて、それを憎むなんて。
――なんて身勝手な。
……マルチ。お前は人間なんだよ。――こんな身勝手なこころを持ったモノと同じ存在なんだよ。
突然、ワイズマンの歪んだ笑い声が――無論、幻聴ではあるが、マルチに聞こえた。
……他人に心を振り回れて、その歪んだ本性をむき出しにする。欲望に忠実で、狡猾で、邪悪で、誰それ構わず憎める。――人とはそう言う生き物なのだよ。
――やめてっ!
マルチは耳を塞いだ。その時点でもマルチは、今の自分は現実から逃避した意識体であるコトに気付いていなかった。
……否定してはいけない。お前は、そんな心を救おうとしているからだ。
――違うッ!私が、私が救いたいのは、こんな――こんな――――えっ!?
マルチはその時、自分の中からゆっくりと千鶴が抜け出していくコトに気付いた。
――おかあさん!
マルチから抜け出した千鶴は、暗闇の奥にいる楓のほうへ進んでいった。
千鶴が楓の目前に立ったその時だった。いきなり、目を背けたくなるような凄まじい鬼の形相と化した楓が千鶴の首を両手で掴み、締め上げ始めたのである。
――駄目です!――楓さん、やめて下さい!
マルチはそう叫ぶが、しかし二人にはその声が届いていないのか、鬼の楓は姉の千鶴の首を絞め続けていた。
ぎりっ、ぎりっ、ぎりっ……。嫌な音がマルチの耳にも届いていた。マルチは思わず耳を塞いだ。
――やめて…………おねがい……お願いです、――――おかあさんをいじめないでっ!
「――っ!?」
マルチがそう叫んだ瞬間、楓は元の顔に戻り――まるで自分を取り戻したかのように、はっ、とした顔で呆然となった。
「……私……私…………なんてコトを……!」
次第に楓は青ざめ、わななき始めた。そしてついには泣き出し始めてしまった。
そんな楓を、千鶴はゆっくりと抱きしめた。
「……もう、いいのよ楓」
「…………でも……でも……あたし……酷いことを…………」
「……あなただけが悪いんじゃない。…………あなたの、耕一さんへの気持ちを理解しながら……していたのに………………」
千鶴がそう言った時だった。マルチは、千鶴と楓を取り巻く暗闇が晴れ、その奥にある、不思議な情景を目撃した。
それは、耕一に良く似た、小学生くらいの男の子と向かい合う、セーラー服姿の美しい少女の後ろ姿であった。
――あの男の子は……耕一さん……おとう……さんだ。
――じゃあ、あの女の人は…………
「……耕ちゃん」
男の名を口にした少女は笑っていた。
男の子は、少女の笑顔が眩しいのか、気恥ずかしそうに俯いていた。
……あの女の人は……千鶴さん……おかあ……さんだ。
……これは、おとうさんとおかあさんが出会っているシーンなんだ。
「……私、ね。…………耕ちゃんのコト、ずうっと好きだったんだ。……多分、楓が耕ちゃんを好きになった頃から。…………だけどね、きっと梓も初音も、みんな好きになっていたんだと思う――――」
突然、情景が変化した。
満月の夜。
そこは、成長した耕一と、全裸姿になっている千鶴がいた。
先ほどの笑顔をした人物とはとても同一人物とは思えない、凍てついた表情をする美貌が、当惑する耕一を見つめていた。
「…似ているわ」
「えっ?」
驚く耕一の前で、千鶴は少し顔をうつむけた。
「……本当に似ている。……あなたと叔父さま。実の親子ですもの、当然よね。…………叔父さまもそうだった。いくら私が心を偽っても、すぐにそれを見抜いてしまう。そして、『お前は嘘が下手だな』って顔で笑うのよ…………!」
千鶴は顔を伏せたまま、そう言った。
暫しの静寂。耕一はそんな千鶴を見つめるしかなかった。
「……嫌なのよ」
「――えっ?」
「……嫌なのよ、それが。そんな、あなたたち親子が」
「千鶴さん……」
「……あなたたち親子は、いつだってそう。――私が拒む拒まないにかかわらず、ズケズケと勝手に心のなかに入ってきて――そして、いつも…………」
千鶴はゆっくりと顔を上げた。
その貌には人間の、幼い耕一に向けた笑顔を魅せたあの千鶴に戻っていた。
「……いつも私を…………あたたかく包み込んでしまう……」
――苦しい。
マルチは、そんな千鶴を見て、胸が痛んだ。
そして理解した。千鶴が、母が、耕一を、父を愛したその理由を。
呪われた血の宿命に打ちのめされ、心を凍り尽かせるしかなかった女性は、その心を癒してくれるひとを求めていたのだ。
それが、耕一だったのだ。
たとえ楓の想い人と知ってても。
その優しさに触れてしまった今は――そして、血の宿命に呪われた運命の果てを知っている今、この男の哀しみを自分が引き受けなければならないと自覚した。
それは、決して愛するとは言えないかもしれない。しかし、この男のこころを、人を癒してくれるこころを護り汚さないためには――仔を残そう。彼の仔を。
――それが――わたしなの?
マルチは、泣きながら尋ねた。
いつの間にかマルチのほうを向いていた千鶴は、ゆっくりと頷いた。
「……それが私たちの運命(さだめ)」
――哀しすぎます!
マルチは叫んだ。
――その為だけに、わたしはこの世に生を受けたんですがっ!?
「……違うわ」
錯乱しかけたマルチの背後からそう言って、優しく抱きしめたのは楓であった。
「……マルチ。あなたが生を受けたそこには、確かに愛は在ったわ。…………千鶴姉さんは、いつも自分を犠牲にしていた。だけど、あなたをもうけようとしたのは、決して義務や使命なんかじゃない……」
「……もう、あんな想いはいや。……あんな……大好きな人たちを失う酷い想いは二度としたくない……」
情景の中で、千鶴が泣き崩れていた。
「…………耕一さん、私は……あなたを……あなたとして愛してしまった。……だから………だから……だからこそ苦しい……私は……あなたを……呪われた宿命から解き放つために、あなたを…………殺めなければならない……」
その告白に、耕一はぎょっとした。だが、自分に流れる呪われた血の真実を知った今なら、千鶴が自分を愛するが故に苦しんでいる姿を見ていられなかった。やがて耕一は立ち上がり、嗚咽し続ける千鶴の身体を優しく抱きしめた。
「……もういい。……もう、いいよ。…………それ以上、自分一人で哀しみを背負い込まなくて良いんだ。…………俺が、千鶴さんの苦しみを受け止めてあげる…………」
「……耕……一……さん…………」
弱々しく呟く千鶴の唇を、耕一の唇が塞いだ。そして二人の身体はゆっくりと沈んでいった。
「……マルチ」
楓はマルチに呼びかけた。しかしマルチは何処か哀しげな顔で黙り込んだままであった。
「……千鶴姉さんの心は傷ついていた。その傷ついた心を癒したのは、耕一さんの愛(ちから)だった。…………求めながらもそれを堪え、傷つくばかりのこころは、癒されるしかなかった――愛されると言うコトは、決して求めるばかりじゃない。……私は、そのコトを忘れて、逃げてばかりで、挙げ句自分勝手に求めてしまった。………………私には、耕一さんの癒しの力を貰うには相応しくない女」
…………。
「……そんな癒しの力を、マルチ、あなたは受け継いでいるのよ」
…………。
「その力で、あなたは今まで多くの姉妹(きょうだい)や、傷ついた人たちのこころを癒してきた。……思い出しなさい」
優しいご主人に、偽りの笑顔でしか応えられない我が身の不甲斐なさを嘆いていた心を癒したのは誰?
優しかった主人を殺されたその怒りを暴走させ、しかし人の心の優しさを否定しきれずにこころをすり減らし、罪の呵責から自滅を望んだ心を癒したのは誰?
親友を自分の不甲斐なさから陵辱され、守れなかったその後悔から心を閉ざしてしまった女性の、その心を癒し、扉を開かせたのは誰?
愛する男に抱かれながら、しかしこころを持てぬ機械仕掛けの我が身の応えられぬ歯がゆさを呪っていたその心を癒したのは誰?
――――楓さん。
「……お願い」
楓はマルチを後ろから強く抱きしめた。
「…………今度は…………私の心を癒して…………同じ血を受け継いだ、素敵な二人の心を受け継いだあなたの力で、私を――――」
「――――――うぉおおおおおおおおおおっっっっっっっ!!」
凄まじい閃光が、ゴルディオンナックルと生機融合体・楓の接触箇所から放出された。その閃光は、その場にいた者達を苦しめていた衝撃波を全て消滅させた。
「〈The・Power〉の発動が高まったのか?」
驚く耕一がゆっくりと立ち上がった。――その時だった。
――耕一さん。
「――千鶴?!」
耕一の前で拡がる黄金色の閃光の中に、千鶴が向かい合うように立っていた。
千鶴は微笑みながらこう言った。
――マルチを、いえ、娘をお願いします。
「――――っ!」
刹那、耕一は悟った。
もう取り返しの付かないコトが、今、目の前で起ころうとしている事実を。
「――――――ち、千鶴っ!」
悲鳴のような耕一の叫び声は、出力全開となったゴルディオン・ナックルから聞こえる轟音にかき消されていた。
「――ぬぅおりゃあああああああっっっっっっ!!!ナックル・ヘルっ!」
マルチが咆吼したその瞬間、生機融合体・楓の外装が弾け飛び、その中から意識を失っている全裸の楓が露わになった。
「核(コア)、発見!ナックル・ヘヴン!」
すかさずマルマイマーはゴルディオン・ナックルの回転を止め、その巨大な手を一気に開いた。そして楓の身体を飲み込むようにむき出しになった生機融合体・楓の内装に指を突き刺し、楓の身体を掴んでえぐり取った。そして掴み取った瞬間、ゴルディオン・ナックルの内側から浄解パワーであるエメラルド色の光が楓を包み込んだ。始めは強張っていた楓の貌は、その浄解パワーを全身に浴びると、ゆっくりと和らぎ、笑みさえこぼした。
「柏木楓、回収!――ゴルディオン・フライパーンっ!」
えぐり取った楓を左腕で抱き抱えたマルマイマーは、ゴルディオン・ナックルの手甲に装着されているフライバーン・ユニットを分離し、その柄を掴み取った。
『グラビティゲイザー・マークアップ!GDN特異点、シュワルツシルト半径突破。――――定常限界面内からの活断ショックウェーブ放射確認っ!』
「EI−09、ミートせんべいになれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっ!!」
大きく振りかぶったゴルディオンフライバーンを、核を失った生機融合体・楓の頭部に叩き付けるマルマイマー。するとそこから生機融合体・楓は無限加速する重力波に絶えきれず、光粒子へと分解されていった。
「……EI−09の反応、完全消滅を確認」
そう言って〈レミィ〉は、ほっ、と息を吐いた。続いて伝染したかのように、あかりや智子、綾香も安堵の息を吐いた。
だが、長瀬主査だけは、惑乱したような顔でスクリーンを見つめていた。
そして、〈The・Power〉の発動が収まり、元の緑色の装甲に戻ったマルマイマーを見て、我を忘れたかのように叫んだ。
「――千鶴君!千鶴君、まだ自我があるなら返事を―――」
そう訊いた時だった。長瀬主査は、THライドの中から聞こえてきた浩之の嗚咽する声に気付いた。
浩之は泣いていた。ぐしゃぐしゃに泣いていた。
そして、スクリーンの中で、ゴルディオンフライバーンを地面に叩き付けたままの姿勢でいるマルマイマーも、同じように泣いていた。
「ちづ――――」
『……千鶴さんは…………もう……』
「……もう、おかあさんはいません」
そう言ってマルマイマーは地に膝を突いた。
「――――」
メインオーダールームにいたあかりは、マルルンのパラメータを観て絶句していた。
ただならぬ事態に気付いた綾香が、慌ててあかりに呼びかけた。するとあかりは、引きつった顔をゆっくりと綾香のほうへ向け、そしてこう言った。
「…………マルルンのTHライド、全出力停止。………………再……起動…………」
そこまで言ったあかりの頬を、光るモノが伝い落ちた。
「……再起動………………不可能……!」
マルマイマーは仰いだ。そして自分の身体を両腕で強く抱きしめ、二、三、ぱくぱくと口を開いていたが、それは声にならない声を発しようと苦労している姿であった。
やがてそれは、ようやく声になった。
「――――ぉ、おかあさぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!!」
(画面フェードアウト。新ED:「それぞれの未来」が流れ出す)
第19話 了
【次回予告】
君たちに最新情報を公開しよう!
鬼界四天王との決戦は終わった。母を、愛する者を失ったマルチたちに課せられた過酷なる運命はしかし、最後の悲劇にまだ幕を下ろしていなかった。耕一たちは初音を取り戻せるのか?新たな脅威の出現と、封印されし禁断の力が今、目覚めようとしていた……!
東鳩王マルマイマー!ネクスト!
第20話「終わり、そして始まり」!
次回も、ファイナル・フュージョン承認!
勝利の鍵は、これだ!
「TH四号・バスター・フォーメーションとドッキングしているキングヨークと、柳川祐也」