ToHeart if.『Dual ”L”』第8話 投稿者:ARM
【承前】

 4月23日、昼前。
 登校したハズのレミィが行方不明になった。おそらくは――

 ……どうしても?…………No、ヨ…………

「……ヘレン……嫌がっていたから……!」
「Mam……大丈夫、大丈夫よ……ヘレンはバカなコトはしないわ」

 動揺する母親を、シンディは抱いてなだめた。ジョージは慌ててあやめのそばに近寄り、励まし始めた。

「…………とにかく、早くレミィを探さないと――、シンディさん!」

 突然、はっ、と何か閃いた浩之は、シンディのほうを見て聞いた。

「レミィは学校に行ったんだよね?」
「?――え、ええ。途中までは一緒だったから……」

 シンディが頷くと、浩之は軽く頷いて、門のほうへ走り出した。
 それを見て藤島が浩之を呼び止めた。

「心当たりがあるのかね?」
「心当たりは無ぇが、手懸かりになるモノがあるかも知れない――学校をもう一度探してみる!」
「待ちたまえ。――私が車で送る」

 藤島の申し出に、浩之は立ち止まり、意外そうな顔を戻した。

「ジョージ、済まないが車を使わせてもらう。でも午後の会議には遅れないでくれ。――あやめとシンディは、家で私の連絡を待っててくれ」
「ケン……」

 戸惑っていたレミィの父親は、藤島の真摯な顔を暫し見つめ、黙って頷いた。

「藤田くん、乗りたまえ」

 浩之は迷ったが、直ぐに頷いて藤島が運転席に入ったリムジンの助手席に乗り込んだ。浩之が扉を閉めると、藤島は勢い良く発車した。
 リムジンが走り出し、レミィの家がバックミラーの視界から見えなくなった頃、浩之は、険しい顔でステアリングを握る藤島を不思議そうに見た。

「……何かね?」

 藤島は前を見ていたが、浩之の視線に気付いていた。

「……いや、レミィの父さんの秘書にしては、結構大胆な人だったから」
「ジョージとは古くからの友人だ。…………それに」
「それに?」
「ジョージの妻つまり、あやめは私の妹だ」

 浩之は酷く驚いた。つまりこの藤島という男は、レミィの伯父にあたる人物だったのだ。浩之は、たかが秘書風情が、雇い主の娘のコトで酷く出しゃばるが、しかし変に説得力のある男だな、と不思議がっていたのだが、ようやくその理由が判った気がした。

「ジョージが大学時代、日本に留学していた頃、そこであやめと知り合ってな。もっとも私はその頃、日本には居なかったのだが」
「居なかった?」
「私の両親が、私が小学生の頃に離婚していてな。父が私を、母があやめを引き取って育てた。父の仕事の関係で長く海外に居たので、あやめが外国人と結婚すると母から訊かされた時、酷く驚かされた。――迷ったが、ジョージの人となりを知ってな、初めは反対したが、結局認めたよ」

 はにかみながら語る藤島の横顔を黙ってみていた浩之だったが、急にその横顔が翳ったのを不思議がった。

「…………しかし、ジョージと結婚したあやめはかなり苦労した。ジョージの出身地は南部でも未だに酷い人種偏見が残っていてな。ジョージの両親は立派な理解者だったが、周囲はそうではなかった。特に酷かったのが、あやめが黒髪だったコトをなじるモノが多かったコトだ」
「黒髪…………」

 その言葉に、浩之は黒髪(ブルネット)のレミィの穏やかな笑顔を思い浮かべた。

「使用人まで陰でバカにする始末だ。……それでもあやめは頑張った。やがてシンディが生まれたコトで、そんな偏見も和らいだかに見えたが――ヘレンが生まれたら、今度はそのターゲットをヘレンに向けたのだ」

 淡々と語る藤島の話に、浩之は頭の中で、今までの話を整理し始めた。レミィの多重人格は黒髪に対するコンプレックスからだったという。そしてそれを解決するために日本に来たのだが、そう言った背景が存在していたとは浩之も思わなかったらしい。

「米国(ステイツ)は、様々な民族の坩堝と言っても良い。だが、国民と認められた者には、黒髪だろうが金髪だろうが偏見など無いハズなのだ。――現に私は、20代のほとんどを、空母という多民族の坩堝の中で過ごしたのだがな」
「空母――軍人さん?」
「海兵隊だ。今でこそハンドルを握っているが、ジョージの会社に引き抜かれるまではパイロットを勤めていた。ファントム、トムキャット、イーグルそしてホーネット、大抵の戦闘機には乗ってきたよ」

 そう答える藤島の顔は、どこか子供じみた笑顔があった。浩之も、へぇ、と感心しながら笑みをこぼしていた。男とはこういうモノにはつくづく弱いらしい。

「……もともと私の父親は横須賀に駐在した海兵との間に生まれた男でな。父親は従軍カメラマンだったが、私は国籍を得るために海兵隊に入った。……民衆より軍隊のほうが、そういった理解には寛容だったよ」
「…………」
「……だから」
「?」
「……だから、ヘレンがそのコトで辛い目を見るのは、私には許せないのだ」

 穏やかな口調だった。穏やかなのに、浩之の耳には酷く重みのある言葉に聞こえていた。
 藤島がレミィの髪の色に必要以上に拘る理由は、浩之の想像を凌駕していた。姪の為に、この優しすぎる男は冷酷に徹しようとする理由に、浩之は何も言えなかった。
 その一方で、浩之は、藤島という男を不思議がった。

 ――藤田くん。ヘレンお嬢様にこれ以上関わらないで欲しい。

 そこまで言った男が、行方をくらましたレミィを探そうとする浩之を手伝い、立ち入った事情まで説明する。そんな男の本心が、浩之にはどうしても判らなかった。
 しばらく車内の会話が途切れてから、リムジンは浩之たちの高校の前に到着した。浩之に案内され、藤島は職員室につくと、そこに偶然居合わせたレミィの担任に事情を話し、校内を探すコトにした。
 捜索は昼過ぎまでかかったが、結局レミィの姿を目撃した生徒も居らず、どうやら登校の途中で姿をくらましたコトまでは判った。
 途方に暮れる浩之は、先にリムジンのボンネットの上に腰を下ろして憮然としている藤島の元にやってきた。

「……やはり居なかったか」
「ええ……」

 浩之はそう答えて、はぁ、と溜息を吐いた。

「学校にいないとすると、後はどこになるか……」
「レミィの女友達も当たったけど、心当たりはないって……」
「うぅむ」

 すっかりお手上げ状態になる藤島は、仰いで唸った。浩之も肩を竦めるばかりだった。

「……あとは街のほうだが、流石に当てもなくては、な。……警察に捜索依頼を出すか」
「……仕方ないですよ。まさか神隠しにでもあったってワケじゃあるまいし――――」

 浩之はそう言った途端、はっ、と困憊する顔を硬直させた。

「まさか――――木の神様の、お願いの……」
「?何かね、キミに心当たりでもあるのかね?」
「――藤島さん」

 そう言って浩之は藤島の前に飛び出すように立ち、その顔を見据えた。

「――あの木の場所、覚えていますか?」
「……木?」
「ホラ、昔――俺がレミィと一緒に庭の木に小瓶を埋めようとして、もっといい場所がある、って言ってくれた――あの木がある公園ですよ!」

 暫し呆けた顔をする藤島は、やがて、ああ、と思い出せたらしく頷いた。

「……ここから西にあるあの公園の、か。まだあの公園はあるのか?」
「ある!」

 浩之は力一杯返事した。

「――判った。乗りたまえ」

 浩之が頷くと、藤島は運転席のシートに滑り込む。乗り込んだ浩之がドアの扉を締めると、藤島はリムジンを勢い良く発車させた。
 公園までは、学校からは車で10分もあれば着ける距離である。しかし先ほど校内を捜索して走り回っていたので疲れていたのだろうか、藤島は少しスピードを落とし、ゆっくりと運転していた。

「……ところで、藤田くん」

 3分ほどして、交差点の赤信号につかまった時、藤島が訊いた。

「どうしてあすこかも、と?」
「……言っていたんですよ」
「言ってた?」
「――レミィが。――”金髪の”ほうのレミィが」
「……?」

 藤島は、浩之が”金髪の”という辺りを強調して言うのを不思議がった。

「この間、一緒に下校した時、レミィがそのコトを思い出したんです。俺でさえ、いい加減に覚えていたその想い出を」
「そう……」

 藤島はそういうと、信号が青になり、発車させた。

「まぁ、可能性としてはマシなほうだろう……」
「でも――――」
「?何かね?」

 不思議がる藤島に、真っ直ぐ前を見据えていた浩之は、ゆっくりと顔を向けた。

「俺が一緒にその公園に行ったのは、金髪ではなく、黒髪のレミィなんですよ」
「……で?……別にヘレンがそのコトを覚えているのはおかしくは……」
「でも、レミィは多重人格なんですよね。――記憶を共有しているんですよ」
「多重人格症の患者には、別人格で記憶を共有するものもいるさ」
「だけど――」
「だけど?」

 藤島が聞き返すと、浩之は何か言おうとして、一瞬声を詰まらせた。

「――それ、なんだよ」
「?」
「……藤島さんにレミィのコト言われてから、ずうっと釈然としないものを感じていたんだ。――藤島さんの言い分も判る。理解したつもりだった。――でもそれが、黒髪のレミィの人格を否定できる理由にはならないと思うんだ」
「理由にならない?」
「ああ。記憶まで共有しているのに、別人格だなんて――あんまりだ、酷すぎる」
「…………」

 藤島は黙り込むが、浩之はお構いなしに話を続けた。

「――――俺に言わしてみれば、金髪のレミィも黒髪のレミィも同じレミィだ。……見かけなんて関係ない!」
「………………」
「……だいたい、さ」
「?」

 そこでようやく藤島は浩之の言葉に反応した。

「笑っている顔と、泣いている顔って――表情が違うだけで別人っていう?」
「――――」
「…………そんなモンじゃないの?……金髪も黒髪も、あれは――宮内レミィという女のコの、当たり前の表情さ」

 そう言って浩之は笑った。自然ににじみ出た笑顔であった。
 そんな浩之とは対照的に、藤島は気の抜けたような顔でぽかんとしていた。ぽかんとしていて、何か大切なことを思い出したような、そんな驚きがその貌にはあった。

「……ふぅん」

 藤島は、そんな気の抜けたような顔をしてそう呟き、

「…………同じ、か。――いや、そうかもな」
「?」

 浩之が藤島の呟きにきょとんとした時、リムジンは目的地の公園に着いた。リムジンが停まるのと同時に、浩之は車内から飛び出し、公園内に走っていった。藤島はまだぽかんとした貌でゆっくりと車から降りた。
 浩之が慌て、藤島がゆっくりと車を降りたのは、車内から、公園の奥に見える大きな木の下にいるレミィの後ろ姿を見つけたからである。

「――レミィ!」

 浩之が木の下にいるレミィの背に呼びかけると、レミィはまるで見えていたかのように驚きもせず、振り向かずに頷いた。

「……ヒロユキ、やっぱりきてくれたネ」

 レミィがそう言うと、二人の周りを暖かい風が通り抜け、木々の緑がさわさわと鳴った。

「……聞いたよ。……米国へ帰るンだって?…………どうしてここにいるんだよ?」

 浩之は、気付いていながら、しかしあえて訊いた。

「……ヒロユキのお願い、叶ったの?」

 レミィは浩之の質問に答えず、目の前の大木を見上げながら訊いた。金髪のレミィだが、雰囲気はむしろ黒髪のレミィのそれであった。

「……俺の願い?」
「ホントにヒロユキだよネ。一緒にお願いを埋めたの」
「……ああ」

 浩之が頷いた時、ようやく藤島が二人の元にやってきた。しかし藤島は黙って二人のやりとりを見守っていた。

「…………ヒロユキ。…………お願い、叶った?」

 訊かれて、浩之はしばらく戸惑い、やがてゆっくりと首を横に振った。
 レミィはまだ振り向いていなかったが、浩之の様子は背中越しに分かるらしい。レミィは、ふっ、と口元に笑みをこぼした。

「…………そう。…………アタシも、叶ってないヨ……」

 そう言ってレミィは、大木に手を触れる。そしてそれをゆっくりとなで始めた。
 浩之は、今のレミィの気持ちを考えてみた。こんな時、この思い出の場所を訪れたくなった少女の気持ちを。
 だから、話が逸れてしまっているのを承知で、訊いた。

「…………なぁ、レミィ。お前は、お願い、なんて書いたんだ?」

 それは、子供の頃の浩之が、一番知りたかったコトでもあった。
 するとレミィはくすくす笑い始めた。

「……ずるいヨ。アタシ、ヒロユキのお願い、聞いてないのに。――Please Tell me.」

 レミィに言われ、浩之は戸惑った。戸惑っていたが、顔は少し赤くなっていた。
 正直、答えづらかった。いや、気持ちだけは、あの黒髪の少女がレミィであったと判ったあの時にはっきりとしていたハズである。
 レミィが居なくなる。それを聞いただけで、浩之はいてもたってもいられなくなった。レミィが行方をくらましたコトを知って、胸が不安感で一杯になっていた。もはや自分の想いは一つしかなかった。
 それを、このレミィに告げるのが怖かったのかも知れない。レミィは確かに浩之に好意を抱いているが、それが恋愛感情のそれであるとは限らないからだ。浩之は押し黙るばかりであった。

「アタシね……」

 そんな浩之を察してか、レミィは、うん、と頷くと、ゆっくりと浩之のほうを振り向いた。

「……浩之くんが好き、って書いたよ」

 振り向いたレミィの髪は金髪であった。だが口調は、紛れもなく黒髪の時のそれであった。

「…………そして、今でも好き……。I love you」

          第9話へ 続く