ToHeart if.「矢島の事情」(番外編)(後編)  投稿者:ARM


○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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    ToHeart if.

       『矢島の事情』第8話(SIDE:由那)(後編)

            作:ARM
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【承前】

「……なにもさ。男と女だから、って、額面通りの『好き』で無くったって良いと思うけど」
「…………」

 由那は俯いて黙り込んでしまった。何か考えているように見えて、単に現実から目を背けているようにも見えた。
 そんな由那を見て、綾香は肩を竦めた。肩を竦めて、はぁ、と溜息を吐いた。

「…………あたしもさ」
「……?」
「あたしも、昔、似たようなコトがあったのよ」
「え……?」

 ようやく自分のほうを向いた由那を見て、綾香は気を引けたとしたり顔をした。

「……昔、米国に居た時、空手を始めたのが、一緒に遊んでいた、年上の男の子の所為。彼がやっていたからあたしもやってみた。流石に幼すぎて恋愛感情と呼べるほどのモノじゃなかったけど、彼のコト好きだったから、一緒にいたかったんだ。――で、やっているうちにあたしの腕前が彼を越えちゃった。思いあまって試合で倒しちゃったのよね。で、すっかり彼、自信なくしてあたしを敬遠するようになって…………ま、それくらいでビビッちゃうようじゃそこまでの人だったんだろうけどね」

 えらく冷たいコトをゆう綾香だったが、由那には何故か、それを口にしている時の綾香がとても寂しく見えた。
 そして、そこでようやく、由那は、はっ、とした。綾香はその変化を見逃していなかった。

「……きっと彼、逃げ出したあなたのコト、失望しているわよ」
「……そう……だよね」

 そう言って由那は唇を噛んだ。指摘されるまでもなくそのコトは由那も気にしていた。だがそこから目を背けて、弱点と指摘されたシュートポイントを極めようと必死になっていたのだ。だが改めて他人から指摘されたコトで、由那は後悔の念に押し潰されてしまった。
 昏い顔で落ち込む由那を暫く見つめていた綾香は、やがて自分のボールを構えてシュートした。シュートした位置は由那や矢島が弱点と指摘された位置であった。綾香はそこからのシュートを綺麗に決めた。

「……左よりにするといいのかも、ね。――ねえ?」
「……えっ?」

 不意に綾香に呼ばれて、由那は、はっ、と我に返った。

「……逃げ出したの、後悔しているんでしょ?」
「…………」

 由那は何も言わなかったが、やがて観念したように頷いた。

「……だったら」
「え?」

 由那は綾香の顔を見た。
 なんて優しい笑顔だろう。

「……帰って上げるべきよ」
「…………」
「それとも怖い?」
「そんなコトは――」
「だったら――」

 そう言って綾香は由那にボールを投げ渡した。驚く由那は左手で自分のボールを抱きかかえ、右手でそれを受け止めた。

「自信つけよう。――左より」
「?」
「男がする力任せな山なりのシュートは、由那には不似合い。由那は力任せに打つさい、足りないところを手首のひねりを使ってスピンを入れている。多分、オリジナルのシュートも、真っ直ぐ飛ばそうとスピンさせていると思うのだけど……」

 それを聞いて由那は唖然とした。赤星が気付いた、矢島の打ち方を、この空手が得意だという少女も見抜いたのだ。しかも矢島の打ち方に至っては、見たコトもないハズである。いったいこの来栖川綾香という少女は何者なのか。

「どうしてそれを……」
「うん。今、あなたの真似してやってみて気付いたの」

 綾香はしれっと言って見せた。これには由那も唖然となるばかりであった。

「……真似……って」
「さっきもやったでしょ?」

 そう答えてにっと笑う綾香を見て、由那は戸惑った。
 きっと担がれているんだ。この人、昔からあたしを見てて、矢島と勝負したあの場にもきっと居たんだ。そうとしか――――そんなハズ無い。
 混乱しかけた由那の頭を正常にさせた言葉があった。

 天才。

 そう。この来栖川綾香は天才なのだ。一目見たコトで何でもこなしてみせる。そう考えれば説明がつくではないか。――実にバカバカしい推論であった。
 それでも由那は疑いはしなかった。由那は弱点のシュートポイントに立った。そしてリングをきっ、と見据えた。

「力を少し抜いて、スピンを押さえるの。で、軌道は少し低めに、いつもより左に打つ。それで良いと思うわ」

 由那は綾香のアドバイス通りに打ってみた。
 ボールは由那が理想とするラインを通って、リングに触れるコト無く、その内側を綺麗に通り抜けた。申し分ない成功であった。

「やった…………!」
「でしょ?」

 綾香はまるで自分事のように嬉しがった。

「凄い…………」
「まぁ、由那には由那にピッタリな投げ方があるわけで、無理に男のフォームを意識しなくったって出来るモノよ…………ん?」

 綾香は、由那が戻ってきたボールを拾い上げ、それをじっと見つめているコトに気付いた。
 その照れくさそうにする横顔には、先ほどまで見えた陰りは全くなかった。

「……寿にこだわらない、ボクなりのシュート、か」
「……判ったみたいね。――何事もこだわらず、素直に行くのが一番なのよ」
「……そう……だよね」

 納得する由那だった。しかしそんな由那を見て、綾香は不思議そうな顔をした。

「……まだ、釈然としないものでもあるの?」
「え?」
「だって、凄く残念そうに見える」
「…………」

 由那は自分の顔に手を当てた。無論そんなコトで自分の微妙な顔の変化など判るべくもない。

「……何にこだわっているのかしら?」
「?」
「彼のフォーム?――それとも、彼への気持ち?」
「――――」

 由那は正直、この綾香という少女は人の心も読めるのではないかと思った。天才ならそれも可能なのだろう。もっとも綾香は、無論超能力などあるはずもなく、単に格闘試合などでこういった相手の心情を読みとる能力を培ってきただけである。由那が先に事情を説明していたコトも、由那の心を読みとる材料になっていた。

「……どっちも、か」
「……」
「……好きなの?」
「……判らない。――だって、あいつが他の娘といっしょにいて――なんか判らないけど腹は立ったんだけど…………判らないんだけど、そんな気じゃないんだって……」
「ふぅん」

 綾香はそういうと、ふと、受付のほうを見た。受付の横にはジュースの自販機があった。

「……休憩」
「?」
「しよ。――頭、グチャグチャになる前にリフレッシュ」
「ん……、うん」

 どうも綾香のペースに乗せられているような気がしつつ、由那は頷いた。
 由那は綾香と一緒に買い求めた缶ジュースを飲んで一息ついた。しかしジュースを飲んだぐらいでは、由那の心の中にあるモヤモヤは晴れるハズもなかった。
 そんな複雑そうな顔をしている由那の横顔を、綾香は暫く見つめていた。

「……もう一度、整理しない?」
「整理?」
「そ。――彼氏にたいする由那の気持ち。――幼なじみのライバルなんでしょ?」
「……うん」
「で、張り合っていると楽しい。そして他の娘と一緒にいるのを見て、腹が立った。――ありがちなシチュエーションじゃ、そうゆうのを普通、恋愛している、っていうんだけど、そうじゃない、と」
「…………う、うん」

 由那はためらいがちに頷いた。

「……だって、さ。あいつとは幼稚園に入る前からのつき合いでさ、子供の頃から喧嘩しては直ぐ仲直りして、一緒に泥だらけになったりしてバカやったり、そんなコトを繰り返してた。…………中学に入ってからよ、男と女を無理矢理意識させられたのは。小学生の頃は私服だったけど、中学生に上がったらまず制服で分けられ、授業も体育を筆頭に分けられ、ついでに部活も男女に分けられ――男と女は身体の作りが根本的に違うから、分けざるを得ない。…………頭では判ってもよ、13年も気にしていなかったコトを急に気にさせられて――納得なんか出来なかった」
「それ、あたしも判る」

 綾香は、にっ、と笑い、

「あたしもさ、男も女も関係なく強くなりたかった。で、なった。――だけどね」
「だけど?」

 由那が訊くと、綾香は手に持っていた缶ジュースを一口飲んで、

「……逆に、男は男に、女は女にこだわらなきゃならない場面もあるのよ。それが特に顕著になるのは、男が女に、そして女が男を好きになる時ね」
「恋愛の時……」
「それと――」
「それと?」
「男にしかできないモノ、女にしかできないモノに出くわした時」
「…………?」
「判らない?」

 由那は素直に頷いた。

「……んじゃ、ね。――例えば、あたしの体格」

 綾香に言われ、由那は綾香の全身をゆっくりと舐めるように見た。格闘技をやっているらしいが、由那のイメージにある筋骨隆々とした体格とは無縁の、しかしまるでモデルのような見事なプロポーションであった。

「軽いのよ。あたしの身体。筋肉を鍛え、必要最低限の脂肪を乗せてあるけど、それでも男の格闘家に比べれば圧倒的にウェイトが軽い。これは男の格闘家には致命的とも言えるコトなの。だって、体重はそのまま攻撃力に置き換えることが出来るのよ」

 由那はなるほど、と思った。蹴ったり殴ったりする時、同じ筋力の持ち主なら、体重移動で破壊力に差をもたらせるからだ。同じ人間が、同じ大きさで重さの違う物体、たとえはバスケットボールとボーリング用のボールのどちらかを持って相手に叩き付けた場合、後者のほうが圧倒的に破壊力がある。

「だからあたしは、その差を、体重の軽さを利用したスピードと関節技に重きを見て、そして拳や脚の小ささを逆に有効活用し、衝突面の小ささが逆に加圧力を高めるコトになるから、確実に急所を打ち抜いてダメージを与えられるよう、正確な狙い打ちを目指した。――それで、判ったのよ」
「?」

 きょとんとする由那に、綾香は左人差し指の先で水平に線を描くように動かした。

「男も女も、あるラインまでは同じなの。でも、そのあるラインに達した時点で、差が出てしまう。その差は、男は男であるがゆえに、女は女であるがゆえに埋めがたいものなの。それを無理に埋めようとするから無理が出てくる。由那が幼なじみの彼氏の打ち方を、たとえ意識していなかったとしても真似をしていたから、無理があった。それが今回、顕著になったと考えるべきなのよ――だから」
「だから?」
「男は男であるがゆえに、女は女であるがゆえに突出したその差を、鍛えればいい。由那は、由那であるがゆえの打ち方を見つけたでしょ?」
「あ……!」
「そうゆうこと。女の由那は、女であるコトにこだわるべきなのよ」

 そう言って綾香はまた一口飲んだ。

「……それでまず、由那が女にこだわる理由が出来たわけだ。残るは、あとひとつ」
「ひとつ……?」
「幼なじみの彼氏に対する、好き、って気持ち」
「――――」

 由那は少し頬を赤らめた。赤らめていたが、複雑な顔をしていた。

「……無理もない、っか。ずうっとそんなコト意識しないで一緒にいたんだから、急にそんなコト気付いちゃ戸惑うわけだ」
「うん……」
「でも、さ」
「でも?」
「その好き、ってヤツが、必ず『LOVE』である必要なんて、ないと思うよ」
「え……?」
「好きには『LIKE』ってのがあるでしょ?――『LIKE』でも、好きには変わりないし」
「…………」

 戸惑い黙り込む由那の横で、綾香は缶ジュースを一気に飲み干した。

「……ふぁ。……ま、あたし自身、恋愛とか、そう言った生々しいモノを体験したことがないから、はっきりとしたコトは言えないけど、男と女にも、友情や対抗意識は成立してもおかしくないと思うんだ。そもそも、男と女が同じ場所にいても、恋愛が必ず成立するとは限らないでしょ?」
「う、うん、まぁ……」

 由那はまだ戸惑いげに頷いた。既にそのコトには気付いているようである。しかしそれを認めたい一方で、認めたくない気持ちも働いているのだろう。

「だから、さ」

 空き缶を近くのゴミ箱に捨てた綾香は、自分のボールでドリブルを開始した。

「今のままで良いんじゃない?――ライバルな彼氏のままで」

 そう言って綾香は、自分が借りたコートのリングにフリースローをした。ボールは綺麗な放物線を描いて見事決まった。

「――多分、彼もそれを望んでいるよ」
「え……?」
「だって、彼氏、真っ向から由那に勝負挑んできたじゃない?しかも容赦なく、持てる力を使って」
「あ……」

 言われて、由那は気付いた。何故、矢島は勝負を挑んできたのか。何でそんなコトをしたのか。
 前後のいきさつを考えれば直ぐに判るハズであろう。矢島もきっと、デパートでの由那のあの反応に驚いたのだ。

「……だから、か」

 由那は、ホッ、としたような声で言った。あの勝負からようやく、安心できたような気がした。
 そんな由那を見て、綾香はくすぐったそうに微笑んだ。

「……なんか、いいな」
「?」
「そういう人が居る、っていうの。――好き嫌い関係なく、真っ向から自分をぶつけられる相手がいる、ってコト。――そう言う相手、ってさ、たとえ恋愛対象じゃなくても、一生モノだと思うわ。――でも」

 不意に、由那を見る綾香の顔が険しくなった。それを見て由那は、ドキッ、とした。

「――そんな相手から逃げ出したのよ、あなた」
「――――?!」

 由那は愕然となった。その通りだった。由那の顔は見る見るうちに青ざめていく。

「……ど……どうしよう?……ボク…………あいつに…………!」
「何故、悩むの?」

 狼狽する由那は、不思議そうに訊く綾香の顔を見つめた。
 今まで険しかった綾香の顔が笑顔に変わったのは、そんな時だった。

「――するコトはひとつだけじゃない」
「ひとつ?」
「……逃げ出した場所へ戻る。そして、きっちり決着をつける」
「――――」

 それは当たり前のコトなのかも知れない。それが正解なのは誰にでも思いつくコトだろう。だが時として人は、迷った余り、そんな簡単なコトさえ導き出せないコトもあるのだ。

「……出来るよね?」

 綾香は、まるで子供をあやすような口調で訊いてみせた。そんな口調だったものだから、由那は少し返答するのが照れくさかった。しかしそれでいて、ホッとしている自分が、何となく嬉しかった。だから、自然に頷けたのだろう。

 それから暫く由那は、綾香と学校で流行っている他愛のない話題を交わし、それから1on1を2本ほどプレイしてから別れた。その際、由那は綾香とまたいつか会おうと約束を交わしたのだが、後にこの綾香が矢島と由那の問題にさらに深く関わることになるのだが、それはまた別の話である。

 意気揚々として自分の街に帰ってきた由那は、自分の家へ帰ろうとしていた。だが時間はまだ3時過ぎで、このまま戻ったら学校をサボっていたコトが親にバレてしまう恐れがあった。どうしようと迷っていたその時、由那はふと、見覚えのある十字路に立っていることに気付いた。
 この十字路を真っ直ぐ進めば自分の家へ向かう。
 右の道は学校へ通じている。
 左の道は、久しく通っていなかった、懐かしい道だった。

 由那は、左の道を見ていた。

 懐かしい道には、ふざけあいながら歩いていく、今は記憶だけの存在となった子供達が居た。

 由那は、懐かしさと、そして、ふっ、と湧いた期待感を信じて、懐かしい道を進んでいった。陽は、ゆっくりと由那が進む方角へ傾いていた。

             この章、完

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