ToHeart if.「矢島の事情」(9・最終回)  投稿者:ARM


○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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【承前】

「……ボク、さぁ」

 勝負が引き分けに終わり、暫し夕映えの中で並んでいた二人だったが、両手を後ろにまわして背伸びをする姿勢をした由那が話し始めた。

「……寿が神岸さんに交際を申し込んだって聞いたとき、凄くびっくりしたんだ」
「びっくり?」
「だってさ。寿、中学の頃からモテていたのに、そう言った色恋沙汰にはまったく無関心だったからさ。てっきりバスケが恋人かと思っていたんだよ」
「あのなぁ。――まぁ、正直、バスケのほうが面白かったからな」

 矢島は照れくさそうに鼻の頭を人差し指でかいた。

「じゃあ、なんで?」
「……しつこいなぁ。そうやってかさぶたになりかけているダメージに塩塗るなよ」
「いーじゃん――な?」

 由那は屈託のない笑顔で訊いた。
 そんな由那の顔を見て、矢島は思わずドキッとした。
 夕映えの中で朱く染まったその笑顔が、矢島を少し動揺させた。もし今が黄昏時でなければ、矢島は少し赤面している自分を由那に気付かれたかも知れない。いや、もう気付いているかも知れない。

「……ちぇ。…………なんか、いいな、って思ったんだ」
「良い?」
「……ほら、うち、ああ言うタイプの女ってうちのお袋くらいだろ?」
「……ははぁん。マザコン?」
「ちーがーう。姉貴も栞もがさつだろ?――おっと、今のはここだけにしてくれよ」
「はいはい」

 由那は苦笑した。マザコン以前にシスコンな男であったのを思い出した所為だった。
 そんな由那の笑みを見て、矢島は、ふっ、と微笑んだ。

「……でも、それだけじゃないんだ。…………藤田のヤツがさ」
「藤田君?神岸さんの彼氏?」
「ああ。――俺たちみたいに幼なじみで、周りは付き合っている、って言っていたんだが、俺にはそうは見えなかった。確かに神岸さんは藤田にべったりしていたが、あいつはそんなに神岸さんを見ていなかった。なのに、神岸さん、ちっともめげてないんだよな。芯が強いっていうか、優しすぎる、っていうか――そう言うところがいいなぁ、って思ってさ」

 矢島がそう言うと、笑っていた由那の顔が見る見るうちに冷めていく。

「……やっぱり、ああ言うタイプが好かれるんだなぁ」
「そうでもないよ」
「え?」

 きょとんとする由那の前で、矢島は大きく背伸びした。

「……色々考えてみたんだ。俺が神岸さんを気になっていたのは、イメチェンする前からだから決して外見じゃないのは自信もって言える。――内面的なモノに惹かれていたンだ。何でも一生懸命なひとに」
「一生懸命……」

 由那は浮かされたように呟くと、矢島は足許に転がっていたボールを拾い上げ、目の前にリングにシュートした。ボールはリングに触れ、リングの内側に沿って回転しながら吸い込まれていった。

「……由那、学校サボっていた間、どこでシュートの特訓していたんだ?」
「え?」
「シュートフォームが今までと違うじゃないか。思いつきで出来るシロモノじゃないんだろ?」
「あ?…………あ、ああ、……隣町の3on3が出来る有料コートがあって、そこでちょっと」
「そっか」

 矢島は納得すると、戻ってきたボールを由那に手渡した。

「もういっぺん、やってみ」
「ああ」

 由那は、また矢島が苦手とする3Pシュートポイントに立ち、シュートした。リングにぶつかり、上に弾け飛んだが、垂直に落ちてきたら運良くリングを通り抜けた。

「……まだ綺麗には決まらないンだ」
「それでも、俺とは違う方法で攻め方を見つけたんだ。それだけでも素晴らしいよ」
「えへへ」

 由那は照れくさそうに笑った。

「……まぁちょっとしたヒントをくれた娘が居てね。ほら、3年の来栖川先輩。あの人の妹と今日の午後、そこで一緒になってね。あたしのフォームの無駄な癖を教えてくれたんだ」
「無駄?」
「ああ。初めはさ、寿と同じように赤星先輩のアドバイス通りにシュートしてみたんだけど、巧くいかなくってさ。で、彼女が、女には女なりの投げ方がある、って。それで、力の加減と投げる方向を少し変えて、こう、左なりに曲がるようにやってみたんだ。まぁ、モノにするにはもうしばらく練習がいるけど」
「ふぅん……」
「…………でね」

 矢島は、嬉しそうに話していた由那の顔が、不意に寂しげになったので少し驚いた。

「……やっぱり、女なんだよね、ボク」
「……え?」
「――投げ方。結局、矢島が導き出したシュートは、男なりのやり方。それを女が真似してもダメだってコト」
「…………」

 黙っている矢島の前で、由那はその場で軽いドリブルを始めた。

「……ボク、寿を越えたかった。小学生の頃からずうっとそう思っていた。…………だけど、中学に上がってから、制服で分けられ、部活で分けられ――それでも寿とは互角だと思っていた。身長も同じくらいだろ?」
「朝礼の時なんか目立つモンな」
「うるさい(笑)。………だけど、今回のコトで色々考えさせられたよ。寿を越えるつもりで、実はただ寿のコピーをしていたんだって。――だから、さ。寿が神岸さんに交際を申し込んだとき、こう思ったんだ。寿を取られる、って」
「…………」
「でも、そうじゃなかったんだ」
「え?」

 きょとんとする矢島に、ドリブルを止めてボールを胸に抱いた由那は、ボールをじっと見つめながら答えた。

「……取られるんじゃなく、中学校に入った時みたいに、矢島がボクの追いつけないところへまた行っちゃうんじゃないかって」

 由那は夕映え色の物憂げな横顔で、ボールをぎゅっと抱きしめた。

「……だってボク、女だし…………誰かとカップルになったらきっと今度こそ、今までみたいに付き合えなくなると思って…………」

 それを聞いて、矢島は由那の本心を悟った。まさしく矢島が由那に抱いていたそれであった。
 結局、由那も恋愛沙汰には鈍いのだ。矢島は安心した一方で、どこかがっかりしていた。
 しかしそれがまた、矢島には可笑しかった。
 何故、可笑しいのだろう。不思議に思う矢島だったが、彼の中で僅かに芽生えた気持ちの変化にはまだ気付いていなかった。

「……ばっかだなぁ」
「なんだよ、笑うなよぉ」
「……いや、さ。……どうなろうとも、俺たちは子供の頃からバスケで勝負していた最高のライバル同士だよ」

 矢島がそう言うと、由那は、ふっ、と安心したように微笑んだ。

「…………そうだよな」
「だからさ。一度は勝負から逃げ出したお前が、きっちりケリを着けると言ってくれて、ホッとしているんだ。あのままだった本気でお前のコト、嫌いになっていた――って痛っ!?」

 矢島はいきなり由那にボールを当てられて驚いた。

「……悪かったな」
「……やったなぁ――よし、まだ時間あるし、陽が沈むまで1on1で勝負するか?」
「望むところだ!」

 矢島と由那は、陽が沈むまで1つのリングをめぐって1on1勝負を続けた。
 バスケでの一対一での全力勝負など、二人にとって小学生以来であった。
 終始二人は笑っていた。笑い合いながらボールの奪い合いを続けていた。
 こんな時間を、小学生の頃は飽きるほど繰り返していた。
 こんな時間を覚えていたから、今の二人は在るのだ。

 陽が沈み、矢島と由那はかつての恩師に挨拶してから帰宅の途に着いた。
 肩を並べて歩く二人は、暫し黙っていたのだが、やがて由那が最初に口を開いた。

「……なぁ寿」
「なんだ?」
「また、勝負しよ?」
「構わンよ。――但し」
「但し?」
「例のシュート、ちゃんとモノにしろ」
「それはお前もだろ」

 二人は一緒に苦笑した。
 まもなく平光家の玄関に着くと、由那は不意に夜空を見上げた。
 そんな由那の行動を矢島が不思議がると、由那はゆっくりと顔を戻した。

「……男と女の差、か。ちょっと悔しいな」
「まだ気にしているのか」

 矢島が呆れ気味に言うと、由那は首を横に振り、

「だって、さ」

 そう言うと、由那は矢島のほうへ一歩進み、

「……こういう気持ちも認めなきゃいけないんだし」

 由那は矢島にキスした。唇に、ではなく、頬に、ある。

「――じゃあまた明日な」

 そう言い残して赤面する由那は自宅の玄関に走っていった。突然のコトに呆然とする矢島だったが、由那がキスした頬をさすりつつ、やがて、ふっ、と笑った。

「ばーか。…………また、明日な」

 複雑な気持ちの矢島だったが、前より正直に喜んでいる自分が、少し誇らしかった。

 ……そういうのも、佳いよね。

 今日の昼、由那を佳いライバルと評した矢島に対し、あかりが微笑みながら呟いた言葉が矢島の脳裏に甦った。
 矢島は、何となくその言葉の意味が解った気がして嬉しかった。

                        完
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