○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 【承前】 浩之は、矢島が選択した道が決して誤りではないと思いたかった。 しかし、あの対決の翌日から、由那が学校を休み始めたコトを志保から聞かされ、まずいことになったな、と、自然と矢島の姿を求めた。 矢島と話せたのは、志保からその話を聞かされた日の昼休み、購買部でパンを買っていて、たまたま隣に矢島が居合わせていた時だった。 「……矢島」 「おう、藤田。今日は神岸さんと一緒じゃないのか?」 「今日は忙しかったから弁当用意していなかったんだと。あかりの分も買いに来たんだが――どう、一緒に?」 「あ?……あ、ああ」 浩之は矢島を連れて屋上にやってきた。そこでは既に志保とあかりがベンチに座って会話していた。浩之に声をかけられて、志保は隣にいる矢島に気付いた。 「あー、女泣かせが来たぁ」 「黙れ、人泣かせ」 「あによぉ」 志保は口を横に広げて、浩之に、イーだ、とやってみせるが、浩之は無視する。そして志保に言われて戸惑う矢島を半ば引きずるように引っ張ってあかりたちの元にやってきた。 「……あれ、佐藤は?」 「部活の打ち合わせで先輩たちと一緒。――ホラ、志保、お前が頼んだ餌」 そう言って浩之は、抱えていた紙袋に無造作に手を突っ込み、中から取り出したサンドウィッチを志保の胸元を狙って放り投げた。続いてあかりに同じサンドウィッチを取り出して投げると、あかりの隣に座った。 「おう、矢島、志保の隣」 「あ、ああ」 矢島はためらいがちに志保の隣りに座る。志保は嫌そうな顔をして矢島を睨んでいたからだった。 「そう邪険にするなよ……」 浩之が呆れ気味にいうと、志保は口をとがらせた。 「だって、好き、っていってる娘を力ずくで振るような男だし」 「…………」 「志保、おめーな、言い過ぎだぞ、それ」 堪りかねて浩之が言った。 「何よヒロ、イヤに肩持つじゃない?」 「矢島の事情も考えずに、そんなえらそうなことゆうんじゃねぇよ」 「……いや、いいんだ」 「矢島……?」 矢島は苦笑して首を横に振った。 「俺は由那とは気のいい親友でいたかったんだ。――いつか判ってくれる」 「……親友?」 志保は不思議そうに訊いた。 すると浩之は、自分の買ったカツサンドを頬張りながら、 「男と女でも友情は成立する。――そういうこった」 「友情?」 「……俺とおめーみたいなモンだ」 「え――――」 浩之の言葉に、志保は目を白黒させた。 「……違うか?ダチだろ、俺たち」 「……あ……、ええ、そうそう」 そう言って志保は、あはは、と苦笑した。それでいてどこか寂しげにも見える笑顔であった。 「矢島は平光さんとは、そういった関係が一番しっくりくる、って思っているんだ」 「……でもね」 こういった話題には珍しく、あかりが割り込んできた。 「それでもね、平光さん、矢島君のコトずうっと好きだったんじゃないかなぁ」 「かもしれない。――でも、あいつ、俺と勝負していたときの方が輝いていた」 「かがや……!」 思わず吹き出す志保。失礼極まりない。 「…………」 「あ(汗)、矢島君、気にしないで……しーほー」 「だ、だって、素の顔でそんなコトゆうヤツいるなんて…………ひぃひぃ!」 どうやら矢島の言葉は、志保のツボに入ってしまったらしい。当分笑いを止めそうになかった。そんな志保をみて、浩之とあかりは申し合わせたように同時に肩を竦めた。 「……ま、こういう悩みは同じ幼なじみを持たないヤツにはワカランもんだ」 「藤田……」 「俺だって、ずうっと一緒だったからって、必ずあかりに惚れていたとは言いきれんしな」 「浩之ちゃん……」 「あ、たとえだ、たとえ。そういった人生の進み方もあるってコトだ。――この俺は、そんな道を選ばなかった。……安心しろよ」 「うん……」 あかりは複雑そうに頷いた。可能性とはいえ、しかし肯定できないのは純情が故だろう。 「……でも、矢島君」 「なに、神岸さん?」 「どうして平光さんじゃダメなの?」 そう訊くあかりの隣で、浩之は正直、困っていた。浩之の中のあかりは、こういった話題には進んで関わろうとはしない性分だと思っていたのだが、逆に、由那のコトを自分に投影しているのだと気付いたのだ。あかりが優しすぎると言うこともあるのだろうが、もしかすると浩之は他の娘と付き合っていたら、これはまさしく自分たちの問題になっていたかも知れない、そう思うと心配で堪らないのであろう。そんな気持ちが訊かせた質問であった。 訊かれた矢島は、少し顔が引きつっていたようであった。しかしそのうち、ふっ、とぎこちない笑みを浮かべると、一回頷いて答えた。 「……あいつがあれで逃げ出さなければ、――最後まで勝負を挑んできたら、俺はあいつを受け入れていたかもしれない。だけど……藤田にはあの勝負の後に言ったけど……つき合いが長すぎた所為もあるが、しかしそれ以上に、俺にとって――いや、あいつもそうだったハズだ」 そこまで言って矢島は一呼吸つき、 「…………佳いライバルだったんだ」 「……」 矢島のその返答に、あかりは黙ってしまった。根本的なところで自分たちとは違うコトにようやく気付いたのであろう。 そして、矢島が真剣に由那のコトを心配しているコトにも。 隣にいた浩之は、あかりが僅かに笑みを浮かべて呟いた一言に、ほっと胸をなで下ろした。 * * * * * * * その日の放課後。その日はバスケ部が休みだったため、矢島は早々に下校した。 矢島たちの通う高校は高台の坂の上にある。その為、校舎からの展望は郊外と言うコトだけあって街に高層ビルは少なく、絶景であった。とくに西に間近に拡がる丹沢山系の尾根は、一応都内であるにもかかわらず雄大な自然をいつも感じさせてくれる。西の尾根の向こうに沈み行く夕陽は、子供の頃から見慣れてきた矢島の原風景であった。 だからなのかも知れない。矢島は何となく、寄り道したくなった。坂を下り切ったところにある十字路を、矢島は、いつもなら右のほうへ向かうところ、西のほうへ向かう、正面の道を進んでいった。 懐かしい光景であった。その道は、矢島が小・中学校へ通っていた時の通学路だった。 そして、その道は、由那と毎日のように一緒に歩いて通った道でもあった。 しばらくして、矢島は小・中学生の時に通っていた懐かしい母校の前に着いた。奥の小学校の校舎を隠すように向かって手前にある中学校の老朽化していた校舎は、矢島たちが卒業して直ぐ、工事が始まり、屋内プールがある体育館と一体化した最新構造を持った新校舎に生まれ変わり、もはやその面影すらなくなっていた。 唯一、記憶が合致したのは、校庭ぐらいであった。この校庭も、通っている妹の話では年末に最新素材の地面を敷く工事が入り、この光景もじきに、矢島たち卒業生たちの記憶だけのものとなろう。 矢島は何となく寂しい気がして、金網柵の隙間から校庭を覗いた。もっと記憶に焼き付けようと思ったのかもしれない。 だが、覗いた瞬間、矢島は、はっ、と驚いた。そして校門のほうへ駆け出し、中学校の校庭に入った。 「――由那?」 矢島がそう呼ぶと、校庭にあるバスケットのゴールリングにフリースローをしていた制服姿の由那が、矢島のほうへ振り向いた。 「……寿?なんでここに?」 「……それはこっちが訊きたいくらいだよ」 矢島は溜息を吐きながら由那のほうへ近寄っていった。 「……何、二日も学校サボってんだよ」 「……ちょっと、な」 由那は直ぐに、むすっ、として再びリングのほうへ向き、フリースローを再開した。 「……だいたい、勝手に母校に入り込んで黄昏てる場合かよ」 「……さっき通りがかっただけだよ。その時、高橋先生が丁度いてさ、校庭使って良い、って言ったんだ」 「…………まだ、気にしているのか?」 「……別に」 由那は矢島に一瞥もくれず、素っ気なく答えた。 矢島は、由那がまだあの勝負のコトでへそを曲げていると思い、肩を竦めてみせた。 「…………桜庭先輩たちも心配しているぞ。拗ねてないで、学校来たら――」 「そんなんじゃないよ」 「?」 「……悔しいのは認めるけどさ」 「…………」 「……いや、悔しいんだよな」 そう言って由那は、戻ってきたボールをキャッチしてフリースローした。再開した一投目もそうだったが、今度もシュートは決まらなかった。 「…………寿に負けたコト。…………お前のコピーだって言われたコトが」 そう言って放った三投目も失敗した。おざなりではないシュートのフォームでこうも失敗するのは、由那を知る矢島には信じられない光景であった。 よほど、自分との勝負に負けたコトや物真似と言われたコトがショックだったのだろう。矢島はそう思った。 「……そうなのかもな。負けず嫌いのお前が、逃げ出したんだから」 矢島がそういうと、由那は、びくっ、となった。無論、矢島は当てつけで言ったつもりは無く、親しさからの気さくな言葉であった。 すると由那は、4投目の態勢をとったまま固まってしまう。それを矢島が不思議がると、由那は急にシュートするのを止めて、矢島のほうへ振り向いた。 「――――なあ、寿」 「?」 きょとんとする矢島に、由那はいきなりボールを放り投げてみせた。突然のコトだったが、矢島は何とかボールを受け止めて見せた。 「…………残り」 「?」 「……ボク、9投目から残しているだろ?――あの続き、やらせてくれ」 突然の申し出に、矢島は戸惑った。 「……一回しくじったけど、まだ勝負は2本ある。――最後までやらせてよ」 「…………」 由那は矢島を真っ直ぐ見据えて言う。 そんな由那を見て、矢島は本当に由那が悔しかったコトをようやく理解した。 矢島に負けたコトでも、矢島の物真似と指摘されたコトでもない。 矢島との勝負から逃げ出してしまった自分の弱さが悔しいのだ。 ――ボクもまぜてよ。 矢島の脳裏には、その時、小学生の頃に男子だけで遊んでいたバスケットに、由那が声を掛けてきた光景が甦っていた。もう忘れたと思っていたそれがこうも鮮やかに甦ったのは、今があの時と同じ夕方だった事もあろうか。夕映えの色は時として魔術のように不思議なコトをするものだ。 だから矢島は、あの時と同じように答えた。 「……判ったよ」 由那はあの時と同じように、嬉しそうに微笑んだ。 「――但し」 「……但し?」 「つーか、さ。俺、あの後、シュート2回、きっちりやってんだ。で、2回とも失敗。…………つまり、シュート10回中、ミスが2回。由那は2本残し、ミスは一回。――もうシュートミスは許されないぞ」 「――――」 それを聞いた由那は戸惑った。戸惑ったが、笑っていた。 「――よし、わかった」 「頑張れよ」 矢島は持っていたボールを由那に投げ渡した。ボールを受け取った由那は、矢島がシュートを失敗していた、3Pシュートラインの右側に立って構えた。あくまでも勝負は互角で行きたいらしい。 そんな由那を見て、矢島は由那の頑固さに呆れつつ、しかしそれでいて、やってくれるのでは、という期待をほのかに抱いた。 勝負が再開した。リングを向いて目を瞑った由那は、やがて見開いた瞬間、ボールを放った。 9投目。ボールはリングに触れず、しかしその中心を通り抜けた。 「――これで、五分五分」 そのシュートフォームは、明らかに矢島が赤星の指摘を受けて直したモノとは異なったフォームであった。矢島は素直にこんなシュートのフォームもあったんだ、と感心した。 おそらくは、学校をサボっていた2日の間に、由那はそれをモノにしたのであろう。こういった頑固さを、矢島は昔から何度も見てきた。 そしてその頑固さが、矢島にライバル意識を与えてしまったのだ。そのコトに由那は果たして気付いているのであろうか。 由那はリングを見つめたままであった。由那の今の集中力は、あの勝負に望んだ時の矢島以上なのかも知れない。 「――次も、決める」 まるで自己暗示でもかけているような言い回しをする由那の言葉に、矢島も頷いた。 夕映えに暫しの静寂。実際は、道路の車の音や、校内にまだ残っている後輩たちの声も聞こえていたのだが、今の二人の耳にはまったく入らなかった。 やがてついに、由那は最後のシュートを放った。 由那の放ったボールは、黄昏色の虚空に、綺麗な白い放物線を描いた。申し分ないシュートラインであった。 しかしそのボールは、リングの内側の縁に当たると弾かれ、失敗してしまった。 「…………あっちゃあ、土壇場でミスったか」 残念そうに言ったのは矢島のほうだった。由那はリングを呆然と見つめていた。 だが、矢島のそんな呟きを耳にすると、突然、ぷっ、と吹き出した。 「…………ちぇ。また、おあいこ?」 「残念だったな、由那」 つられて矢島も笑い出した。 二人とも、引き分けになったこの勝負の結果が、堪らなく可笑しかった。 つづく http://www.kt.rim.or.jp/~arm/Hatohato.htm