ToHeart if.「矢島の事情」(7)  投稿者:ARM


○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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【承前】

 由那は、矢島がいきなり何を言い出すのだろうと思った。
 はっきりいって、理解出来なかった。
 なのに、悔しかった。
 別に、8投目が決まらなかったからではない。

「――ぼ、ボクのどこが物真似なんだよっ!」
「物真似だから、俺と同じようにそのラインが決まらないんだ」
「――寿は決められたじゃないか!」
「それ、俺が教えたんだ」

 困った顔をする赤星が言った。

「――そのシュートポイントの弱点と対処の仕方、俺が教えたんだ」
「……え?」
「矢島の3Pシュートは、球が真っ直ぐ延びるよう、少し左手首に反時計回りのひねりが入る。ひねるコトで球の回転が加速され、球のブレが少なくなるから狙い通りに飛ぶんだが、左利きで左向きにひねりを入れた、その立ち位置からのシュートだと、矢島はどうも力の加減を入れ間違え易いらしいんだ。それは矢島が元々、左利きだった所為らしい。――平光も、元は左利きなんだろ?」

 はっ、とする由那の後ろで、矢島がゆっくり頷いた。

「――――」

 由那は唖然としたままだった。

「だから、だ」

 矢島はこともなげに言ってみせた。
 体育館が暫し静寂に包まれたのは、それから間もなくであった。
 体育館が再び喧噪をと戻したのは、静寂か始まって丁度3分後。
 由那が突然、浩之たちの居る出入り口から体育館を飛び出して行った後であった。

「……泣いていたぞ、平光」

 黙って見送る矢島に、赤星が堪りかねて言った。

「お前、冷たすぎやしないか?」

 少し怒気をはらんで見せても、それでも矢島は応えなかった。

「お前なぁ――」
「……俺だって、こんなコトしたくなかったんですよ」
「――――」

 矢島の不可解な返答に、赤星は始め、矢島が逆ギレしたモノと思っていた。しかしその辛そうな横顔を見た時、赤星は矢島の今の心境に気づき始めた。
 決して由那を拒絶したわけではないのだ。

「ひっどーい、矢島くん、あんな冷たい男だったなんてね――早速、志保ちゃんネットワークに……」
「止めとけ」

 体育館の外にいる志保が呆れたように言うと、隣にいる浩之が諭すように言って見せた。すると志保は目をぱちくりさせて、そして睨み返した。

「なによぉ、ヒロ?あんただって今の見てたんでしょ?同情の余地なんて――」
「これはお前ぇなんかにゃ到底判らない問題なのさ」
「問題ぃ?」

 浩之に噛みつく志保の声が、体育館の中央にいる矢島たちのほうにも届いていたが、それで耳を傾けるような者はその場には誰も居なかった。

「……矢島君。どーすんのよ?」

 桜庭が呆れたふうに訊いた。

「あのまま由那までスランプになったらどうしてくれるの?」
「あれはそんなヤワな女じゃないですよ。――部長、練習続けましょう」
「あ――、ああ」

 赤星がためらいがちに頷いた。それを見て矢島は、先ほど不得意と言われていたシュートポイントに立ち、再び3Pシュート練習を始めてボールを放った。
 ところが矢島は、先ほど決められたその位置のシュートをしくじってしまった。
 続いて二投目。またもシュートを失敗した。

「……え?まさかさっきのはまぐれ?」

 直ぐ近くで矢島を呆れたように睨んでいた桜庭は、このシュートぶりに酷く当惑した。

「……余計なこと考えていると、ダメなんですよ」

 苛立つように応える矢島に、桜庭は肩を竦めて見せた。

 そんな矢島を入り口から観ていた浩之は、やがて隣にいたあかりの肩を、手の甲でとん、と軽く叩いて見せた。

「?何、浩之ちゃん?」
「……ちっと遅くなる。さき帰っていいや」
「え?」

 あかりが不思議そうに訊くが、しかし浩之は矢島を見つめたまま何も応えようとはしなかった。

   *   *   *   *   *   *

 空が西から茜色に染め変えされた頃、男女バスケ部は部活動を終えた。部員たちが後かたづけをはじめた頃、矢島は、体育館の入り口に立つ浩之のほうへ振り向いた。由那との勝負を見届けて、あかりたちを先に帰宅させてからずうっと浩之は体育館の入り口に居たのである。

「……なんだ藤田、バスケットに興味があるとは思わなかったよ」
「そんなんじゃない――ちょっと話、いいか?」
「話?」

 不思議がる矢島は、近くにいた赤星のほうに一瞥をくれた。
 赤星は既に矢島と浩之のやりとりに気付いていたらしく、直ぐに、こくん、と頷いた。
 それを見て矢島は浩之のそばへ近寄ってくると、浩之は外で話そう、と言った。

「聞き耳立てられたくないだろ?その柱の影でいいか?」
「……かまわんが」

 浩之と矢島は、体育館の入り口を出て、直ぐ脇にある柱の影に移った。

「……なんだよ」
「何で、こんな勝負をしたんだ?」
「勝負……って」
「雅史に、そっくりだ、って言われて腹が立ったのか?」
「え……?」
「ホラ、あの時――今日の昼」
「あ――あ、ああ」
「その、ああ、ってのは、その通りだ、ってコトか」
「……違うよ」

 矢島は頭をかいた。

「……泣かせるつもりはなかったんだがな。――ただ、俺は知りたかっただけなんだ」
「知りたかった?」

 浩之が怪訝そうに訊くと、矢島は左肩を右手で揉んでから、

「……藤田。幼なじみの男女、って、必ず恋人同士にならなきゃいけないのか?」
「え…………?」
「男と女でも、恋愛感情抜きの気の合った親友で居ちゃいけないのかな?」

 浩之は聞き返されたコトより、その内容に酷く驚いた。

「ほら、さ……藤田、神岸さんと付き合っているんだろ?」
「あ……、ああ」
「前に、俺が神岸さんに交際申し込んだ時、な。…………俺、そんなふうには見えなかったから」
「あ…………」

 言われてみればその通りである。浩之があかりを強く意識したきっかけは、この矢島が原因であった。矢島の行動が、浩之にあかりという少女への認識に変化を与えたのであった。

(矢島君、って、チャレンジャーよねぇ。端から見たって、ヒロとあかりが付き合っているように見えなかったのかしら?)

 修学旅行で一緒に行動した志保と話していた時、ちょっとしたきっかけで矢島の話題が出て、それを志保がそう評していたのを、浩之は思い出した。

(確かあの一件の時に、矢島から、イメチェンしたあかりに好意を持つ男子が大勢居ると言うコトを初めて知ったんだよなぁ)

 果たして、直接行動に出たのは、矢島だけであった。だから志保は、矢島をダメで元々のチャレンジャーだったと揶揄したのだ。
 だが、何故、矢島だけだったのか。
 今思えば、不思議であった。矢島だけだった、と言うコトにではなく、何故、矢島は、他の者達がやろうとしなかった実力行使――「あかりへの交際申し込み」を行ったのか。
 しかも、周りが付き合っていると思っていた浩之に、その助力を申し出たのである。それはマヌケと呼ぶには余りにも異常すぎる選択である。
 そう、矢島という男にしてはそれは余りにも異常すぎる選択であった。

(…………なんか、その理由がやっと判ったような気がする)

 矢島が由那に対して抱いている感情。それは、恋愛感情ではなく、浩之がこの矢島という男に脅かされるまで、あかりとはそれでいい、と思っていた――それが本心であったかどうかは今となっては分からないが――「感情」であった。
 今の矢島は、まさしくあの時の「浩之」であった。
 そして矢島は、浩之が選ばなかった「もう一つの道」を選ぼうとしているのだ。

「……俺、本当のところはあいつとそう言う関係でも悪くはないとは思っている――今も。ただ、あいつと勝負してみてさ、――こっちのほうが楽しかったんだ。本音で、自分をぶつけ合うほうが」

 矢島は嬉しそうに言うが、やがてその顔は曇り始めた。

「……恋愛、ってそう言う付き合いかたも出来るとは思うんだが、でも何か違うんだ、何か――長年一緒にいたから余計に感じるんだ」
「…………」
「…………俺、神岸さんに交際申し込んだ時にも藤田に手助けして貰おうとしたくらい、こういったコトには考える頭がまるっきりなくってさ――臆病と思ってくれても構わないけどな」
「ンなことねーよ」
「え?」
「臆病じゃなくって――不器用なだけだ」
「そ、そうか?」

 苦笑して応える浩之に、矢島も吊られて苦笑した。

「……神岸さんの時みたいに、好きなら好き、って言えるのに、由那が相手だと、そんな好き――LOVEじゃなく、LIKEのほうがピッタリだと思えてさ。そんな時、ほら、佐藤が俺と由那がそっくりだ、ってゆったろ?」
「あ、ああ」
「だから、さ――――俺が由那だったらどう思うか、って考えてみたんだ…………」

 そう言って矢島は昏い面を俯けた。

「…………そしたら、さ。俺、いつからあいつと一緒にバスケしなくなったのかなぁ、て気付いたんだ」
「?」
「…………俺が憶えている由那との想い出、って、いつもバスケしていた頃のものばっかりだったんだ。小学生の頃、昼休みも放課後も、日が暮れるまで校庭でバスケットばかりやっていたんだ。…………それが何となく懐かしくなって、それで今日の勝負を挑んだんだ」

 矢島はそう言うと、はあ、と困憊しきった溜息を洩らし、直ぐ後ろの体育館の壁に背もたれした。

「…………それがこのざまだ」
「?」

 浩之は自嘲気味にいう矢島の顔を見つめた。

「…………これで何か判ると思ったのにな。……判ったのは、俺は由那に対して、ライバル意識はあっても、恋愛感情が無い、ってコトだけだ」
「…………」

 浩之は、物憂げな面もちをする矢島に、何も言えずに暫しその場に佇んでいた。

「……藤田。もう良いか、話」
「?――あ、ああ」


 浩之がバスケ部が撤収準備をづけている体育館を後にして、玄関の下駄箱にやってくると、思わず瞠ってしまった。

「……なんだよ、あかり、先、帰ったんじゃないのか?」
「うん……。ちょっと、浩之ちゃんを待ってみたくて」

 そう言ってあかりは、少し照れくさそうに微笑んだ。
 そんなあかりを見て、浩之も少し照れくさかったらしく、そ、そう?と頬を掻いた。

「……まったく、忠犬ハチ公か。……まぁいい、一緒に帰ろうや」
「うん」

 浩之とあかりが一緒に校門をくぐり抜けたとき、西の空には一番星が輝いていた。
 浩之とあかりは肩を並べて歩いていたが、何か気まずいのか、一言も言葉を交わしていなかった。
 やがて、高台にある学校から下り道になっている通学路の最初の信号で、赤信号に捕まって立ち止まると、浩之が溜息を吐いてからようやく口を開いた。

「……なぁ、あかり」
「……何?」
「……お前ぇ、俺が幼なじみだったから好きになったのか?」
「――」

 思わずあかりは絶句する。
 いきなり、しかも訊かれた内容が内容だけに、どう応えてよいものか迷ってしまったようである。
 暫しの静寂。惑いの沈黙。
 しかし、無言で自分を真っ直ぐに見つめる浩之の顔をみて、そんな迷いはあかりの心からはいつしか消えていた。
 だから、首を横に振って見せた。

「……あたしが浩之ちゃんを好きになったのは、そんなところじゃないよ。……きっと、この高校で知り合えても、浩之ちゃんのこと、好きになっていたと思う」
「……そっか」

 浩之は嬉しそうに微笑むと、おもむろにあかりの頭を撫でた。

「……ねぇ」

 頭を撫でられて頬を赤らめるあかりは、照れながら訊いた。

「…………浩之ちゃんは、どうなの?」
「さあな?」

 浩之は惚けるように答えた。同時に、信号が青になり、浩之は先に進み出した。
 そんな浩之の背を見て、あかりはちょっと残念がるが、それでも浩之らしい返答だと満足し、その後を慌ててついて行った。

                 つづく
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