ToHeart if.「矢島の事情」(5)  投稿者:ARM


○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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【承前】

 矢島は、浩之に誘われて、あかりたちの調理実習に顔を出した。矢島が現れると、調理実習室にいた女子たちが一斉に湧いた。

「あ!矢島くんだ!」
「ねえねえ、これ、食べてみて!」

 調理実習の女子たちは、こぞって矢島に自分たちが作った料理を差し出してきた。料理の波状攻撃に矢島は圧倒された。

「あ、矢島も来たんだ」

 入口から少し離れたところのテーブルに居た雅史が声をかけてきた。これで2年生の中で人気のある男子二人が揃ったことになる。
 さて、不断から人気があると、こういう調理実習のようなイベントなどでは格好の標的(?)になるもので、招待された人気者は、実習で作った料理を食べなければならない(偏見&妬み&嫉み)。おそらく雅史も、あかりに誘われてやってきたのであろう。雅史の持つ皿には山盛りになった料理があった。

「おー、あかりー、連れてきたぞー……あれ、矢島、もう皿にてんこ盛りだな」
「まぁ……いろいろと」
「ま、育ち盛りだから食えるだろ。――あかり、どうだー?」

 浩之が訊くと、エプロン姿のあかりが、天ぷらの乗った皿を持ってやってきた。

「うん。今日の課題は卵を使った自由料理だったから、溶き卵のスープと、お母さんからこのあいだ教わった、ゆで卵の五色揚げ。ゆで卵の天ぷらだけど、衣にしいたけ、パプリカと青ピーマン、ねぎとハムを衣に和えているの。そこの、ケチャップと中濃ソースを混ぜて作ったソースで食べてみて」

 早速浩之は、あかりから渡された箸を使ってあかりの手料理を食べる。

「ゆで卵の天ぷらなんて……シンプルかと……思っていたが、いけるなぁ。矢島もどうだ?」
「ああ」

 あとからやってきた矢島も、先に他の女子生徒からもらっていた箸でひとつまみを食す。

「……うまい!」

 頬張る矢島、思わず笑みをこぼす。こういう顔を、ほっぺたが落ちる、というのであろう。

「よかった。今日はスープのほうに凝ってみようかと思ってちょっと簡単に作っちゃったんだけど。スープもあるよ」
「おっ、もらうもらう」

 浩之はそういうと、雅史から、テーブルに用意されていたお椀を二つ受け取り、そのうちの一つを、もられた皿の料理を堪能していた矢島に手渡すと、スープの入った鍋に近寄った。

「矢島、あかりちゃんの溶き卵スープ、凄く美味いんだよ」

 雅史は相変わらずの日向のような笑顔で言った。だが、その顔が不安に少し曇ったのは、物憂げな矢島の横顔を見た所為だった。

「……どうしたの?お腹一杯になったの?」
「――あ、いや、そう言うワケじゃなくって……」

 矢島は、スープの鍋の前で楽しそうに話し込んでいる浩之とあかりを見ていた。

「……ああいうのって、家庭的な娘っていうんだよなぁ」
「?…………うん、あかりちゃん、昔からこういうの得意だから」

 雅史がそういうと、矢島は1分丁度沈黙してから、

「……ああいう娘に憧れていたんだよなぁ」
「ああいう娘――――」

 そこで雅史は、以前、矢島があかりに交際を申し込んだ話を思い出し、思わず苦笑した。

「つーか、さ、うち、俺以外みんな女でさ。親父が生きていた頃も、女性上位みたいな雰囲気があって。姉貴が親父死ぬまで家事なんか目もくれず自分のやりたいコトばかりやっていたから、きっつい女の顔ばかり見ていた所為で、尚更ああいう娘が彼女だったらなぁ、なんて憧れていたんだ」
「平光さんはどうなんだ?」

 浩之がスープの入ったお椀をすすりながら訊いてきた。
 すると矢島は苦笑しながら肩を竦めて見せ、

「ああ、ダメダメ。由那は昔っからおままごとより、俺たちと一緒に走り回っている方が好きな奴だったから。今でもあんなふうだし、料理なんてからきしだろう」
「そうでもないよ」

 あかりは首を横に振って見せた。

「さっき志保からここにつまみ食いに来てね、その時聞いたんだけど、平光さんも料理上手だって。裁縫も得意で、破れたジャージとか体操着を、持ち歩いているソーイングケースで自分で直しちゃうんだって」
「……へぇ」
「意外そうな顔をするんだな」

 浩之が不思議そうに、ぽかんとしていた矢島に訊いた。

「つきあい長いのに、そう言うところには気付いていなかったのか?」
「あ……いや…………だって…………あいつ、女友達より、男友達と遊んでばかりだったから」
「でもさ、いくら何でもそう言うところには気付くだろう?」
「うーん」

 矢島は腕を持て余して小首を傾げた。そんな矢島の反応に、浩之は憮然とした。

「……気付いていないんじゃなくって、単に見えていなかっただけじゃないのか?」
「?何のこと、浩之ちゃん?」
「――あ、いや、ちょっと矢島から相談されたコトがあってな」
「……ふぅん」

 あかりは、浩之が少し込み入った話に関わっているコトに気付き、それ以上その話題に触れることを避けた。

「……そうなのかもしれない」

 矢島はぽつりと洩らした。

「……俺、あいつのコトをどこかで無視していたのかもしれない。……怒ったのも無理もないな」

 そう言って矢島は、はぁ、と溜息を吐いた。

「あいつ、って?」

 雅史が訊いた。

「平光由那。志保のクラスにいる」
「平光……、ああ、女子バスケのエース」
「何だ雅史、彼女のコト知っているのか?」
「うん。運動部では結構、有名人だよ。男勝りな――あ」
「いや、別に気にしちゃいないさ。俺もそう思っているし」

 矢島が苦笑して言うと、雅史は、ほっ、と胸をなで下ろした。

「本当、周りから男勝りだと思われているんだなぁ。俺が由那から家庭的なところを見つけられなかったのは、仕方がないコトなのかもしれんな」
「なぁ、矢島」
「何だ、藤田?」
「……平光さん、って、そんなに昔から男っぽかったのか?」
「あ?――ああ、女のコの遊びより、男の子と一緒に泥だらけになるほうが好きだったからなぁ」
「それって……」

 ん?、と矢島がきょとんとすると、浩之は何か戸惑ったような顔で矢島の顔を見た。

「……平光さん、って、矢島が居なかった時も、他の男の子たちと遊んでいたのか?」

 訊かれて、矢島は暫し考え込み、

「……そういやぁ、いつも俺とばっかりだったな」
「――それだ」
「?何だよ藤田、藪から棒に」
「いや、さっきさ。矢島、平光さんのコト、弟みたいだと思っていた、って言ってたろ」
「あ――、ああ」
「つまり、それだ。――矢島、昔からそんなふうに接していたから、異性として意識出来なかったんだ」

 浩之の言葉には根拠がほとんど無かった。しかしそれでも不思議と説得力があったのは、かつて浩之も、あかりに対して同じような思いを抱いたことがあったからであった。

「ふぅん」

 浩之と矢島のやりとりを端で聞いていた雅史が、感心したふうに言った。

「弟、っていうより、矢島に似ていない?」
「「?」」
「……いや、ね。うちのメンバーで、彼女のコト、オンナ矢島、だなんて揶揄したのが居てさ」

 雅史の言葉に、浩之は、きょとんとしている矢島のほうをゆっくりと見た。

「同じバスケ部で、よく3Pシュートを決めたがるし、フォーム似ているし」
「……そうなのか?」

 浩之は訊いてみたが、矢島は雅史の言葉に戸惑っていたらしく、暫し黙り込んでいた。

「僕は言い過ぎたとは思うんだけどね――――」
「……いや」

 矢島が、雅史の言葉を遮った。遮って、しばらく黙り込んだ。
 そして矢島は口を開いた。

   *   *   *   *   *   *

 その日の放課後の体育館では、一寸した騒動が起こっていた。。

「……勝負?」
「ああ」

 頷く矢島の視線の先に、当惑する由那が居た。部活が始まるなり、いきなり矢島が女子バスケ部のほうに近づき、いきなり由那を呼びつけた。

「いい加減、しつこいンでな。――俺が勝てば、もうこれ以上、俺に絡んでこないって約束しろ」
「…………バカ?」
「何とでも言え。――お前が勝てば、お前の言うコト何でも聞いてやる」

 矢島がそう言った途端、由那の顔が閃いた。

「…………何でも?」
「ああ。――何でも、な」
「――よし」
「由那ぁ」

 由那の隣にいた瑞穂が、呆れたふうに言った。

「……矢島くんも止しなよ」
「いーや。ここで決着を着けないと、矢島家末代までの恥」
「何のこっちゃい」

 矢島の隣にいた赤星が肩を竦めて見せた。

「……でもまぁ、面白いと言えば面白いか。前々から、同じ名3Pシューターとして、どっちの腕が上か、知りたかったのも事実だしな。どうだ、桜庭?」

 桜庭とは、女子バスケ部の主将である。ついでに、赤星とは小学生の頃から付き合っている恋人同士で、気心の知れた間柄でもあった。だから、赤星のノリを直ぐに理解し、ウインクして応えた。
 勝負は3Pライン外からのシュートを10本。多く入れた方の勝ちである。矢島も由那も、名3Pシューターとして、近在の高校バスケ部から注目されていた者同士である。
 しかし。

「……矢島、今、スランプのクセに何、血迷ってンだか」
「でも、心の迷いが原因なんでしょ?背水の陣よ、きっと。荒療治で解決しようと思ったんじゃないの?」

 呆れて言う赤星の横に並ぶ桜庭は、くすっ、と笑って見せた。

「まぁ、俺としては面白けりゃイイや。――二人とも、準備は良いか?」
「いいわよ」

 由那に続いて、矢島が頷いた。

「――俺が先行だ」
「あら、勝負は一投目で決まったモンね」

 由那は矢島を険しい目で見て意地悪そうに言った。
 しかし矢島は気にしたふうもなく、リングめがけてボールを放った。
 何気ない一投。ボールは綺麗な放物線を描いた。
 そしてそれは、リングに触れるコトなく、その中央に吸い込まれていった。
 それを見て、勝負を見守っていた赤星たちが絶句した。
 復活。――名3Pシューター矢島の復活。
 誰もが――由那までもが、そう思った。

「……スランプだったなんて、嘘でしょ」

 桜庭が、苦笑して言ってみせた。

「…………ほら、由那の番」
「――――あ、ああ」

 由那は矢島に促されるまで、我を忘れていた。

「――ちっ」

 由那は我を忘れていた自分が悔しいのか、唇を噛みしめ、リングのほうへ向いた。
 そして放った。ボールは綺麗な放物線を描いた。
 そしてそれは、リングに触れるコトなく、その中央に吸い込まれていった。
 それを見て、勝負を見守っていた赤星たちはまた絶句した。
 凄い。――名3Pシューター同士の、真剣勝負だ、と。
 誰もが――矢島までもが、そう思った。


「…………凄ぇ」

 体育館の外から、矢島と由那の勝負を見ていた浩之たちも唖然となった。

「ケーブルTVで、アメリカのNBAの凄い試合を見たコトがあるんだけど……何、あいつら、あんな離れたところから、簡単にシュート決められるわけ?まるでNBAの選手みたいじゃねぇか!」
「ふふーん」

 志保が胸を張って威張ってみせた。

「あんた、何も知らないのねー。矢島くん、って、中学生のバスケ大会で全試合3Pシュート成功率100パーセントを誇ったバスケの天才なのよっ!」
「でも矢島くん、スランプだって言ってたよ」
「あかりはスポーツマンのなんたるかを知らないからそんなふうに言うのよ。真の天才は、逆境なんて簡単に克服できるモノなのよっ!」
「……何言ってやがる。聞いたふうな口聞くな」
「何よ、文句ある?」

 志保が浩之に食ってかかるのと同時に、矢島の第2投が決まった。

                  つづく
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