ToHeart if.「矢島の事情」(3)  投稿者:ARM


○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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【承前】

 由那が、矢島を好きになったのは、いったいいつの頃だっただろうか。
 本人も覚えのないまま、由那は幼なじみの少年を好きになっていた。
 いや、その想いが明確になったのは、あの事件がきっかけだったのは確かである。
 少年の父親が交通事故で他界し、一家の大黒柱を失って途方に暮れていたそんな時た゜った。

「自分が頑張るから」

 由那は、まさか、いつも実の姉や自分にからかわれているあの少年が、こんなに逞しいコトを口にするとは思いもしなかった。いや、自分がそう思っていただけなのかも知れない。
 好きなバスケットボールに打ち込み、勉強もおろそかにならぬどころかいつも上位をキープして、他の女子たちからも人気のある矢島寿という少年と、自分の幼なじみでいつもからかわれては困った顔をするその少年は、紛れもなく同一人物なのだ。
 しかし由那には、どんなに周りのみんなが少年を眩しく見ていたりしても、自分の目には隣の頼りない少年にしか見えていなかった。
 そんな印象を、あのたった一言が払拭してしまった。

(――違う。これが、矢島寿という少年の本当の顔なのだ。今まで自分が変な色眼鏡で彼を見ていただけなのだ。幼なじみという、近すぎる存在が色をなし、矢島寿という少年の本当の姿を曇らせていただけなのだ)

 そう思った途端、由那は、矢島に初めて異性を感じた。
 男言葉を好き好んで使い、実の親からも呆れられていたくらい男勝りな自分が、初めて女を感じた一瞬だった。

 矢島が神岸あかりに交際を申し込んだコトを知って、由那は生まれて二度目の嫉妬を憶えた。
 一度目の嫉妬は、中学に進学した時、今までみたいに男女混合で大好きなバスケットができないと知った時だった。今までバスケを一緒に楽しんでいた矢島を含む男友達から疎外される形となった由那は、仲間はずれにされた思いで心底悔しがった。
 しかし二度目は、あの時とは別の悔しさだった。
 女としての悔しさ。一度目も女である自分を悔しがったものだが、それは男女の差を痛感させられた結果である。
 今回は違う。
 女としての悔しさ。純粋な、女として、自分ではなく、神岸あかりを選んだコトに。
 由那の目から見ても、神岸あかりは綺麗だと思った。春休み前にあかりがイメチェンした時、由那は女のコらしくて良いな、と感心したが、イメチェン前のお下げの頃も可愛いな、と思っていた。
 思えば、自分の好みと矢島の好みは、子供の頃から同じであった。バスケも、大好きな焼きプリンも、少し麺の伸びたカップヌードルも、TV番組やアイドルも、みんな矢島と同じであった。
 矢島は、神岸あかりがお下げ髪の頃から興味を示していたコトを知っていた。しかし、シスコンの気がある矢島には、取り巻きがいても自分から異性に好きだと告白するような甲斐性など無いと信じていた。それは半分当たりではあったが、しかし実際に告白したものだから、由那は内心冷や冷やしていた。
 果たして、矢島は振られた。神岸あかりの心には、幼なじみの少年がとうに棲みついていた。
 矢島が振られたことを知って、一部の女学生はなんてもったいないコトを、という者もいた。あかりは女生徒の間でも有名なくらい料理がうまく、理想的な、家庭的な女性という評判があったくらいである。不思議とそのコトで、あかりを酷く言う者が皆無だったのは、そんなあかりの人となりを皆が理解してくれていたことと、そしてまだ自分たちにチャンスがあると考えたからであろう。ライバルは少ないに越したことはない。

 由那は、矢島が振られたコトに、ほっ、として、そして当惑する自分に気付いた。
 この苛立ちは、そんな自分に気付いてしまったためであるのは間違いなく、こんな想いをさせた矢島に八つ当たりしているのだと言うことも、由那には理解出来ていた。そして、そのコトで矢島がえらい迷惑を被っていることも。
 だが、矢島が失恋のショックでスランプに陥っているコトを知ると、どうしてもその苛立ちを押さえきれず、彼に八つ当たりせずにはいられなかった。
 それが、二度目に知った、そして「初めての」嫉妬なのだ。

 今週の土曜の部活は休みであった。由那は帰りにまた、矢島をからかおうと、矢島のクラスに顔を出したが、矢島は既に下校した後であった。

「……珍しいなぁ。いつもならダラダラと残っているのに…………さては、逃げたな?」

 由那は悔しそうに歯噛みするが、すぐに、安堵したようにも困憊したようにも見える複雑そうな顔で溜息を吐き、素直に帰るコトにした。

「……あーあ。瑞穂も用があるからって先に帰っちゃうし、つまんないなぁ……。そうだ、タマには駅前に寄り道するか。中司雅美のアルバム、今日が発売日だっけ」

   *   *   *   *   *   *   *

 瑞穂は、約束の時間ギリギリまで自分の部屋にある鏡の前で、着ていく服を選んでいた。
 あこがれの矢島との買い物。
 でも、デートじゃない。
 矢島が、仲の良かった少女と仲直りするためのプレゼントを選ぶ、その協力。

 まるで道化じゃない。

「――――」

 瑞穂は鏡の中にいるもう一人の自分の顔に気付き、かき消すように頭を横に振った。
 まもなく時間だった。結局、瑞穂は、最初に着た服を選んだ。


「――ごめんなさい」
「そんなに気にしなくたっていいって」

 矢島との約束に5分「も」遅れてしまったので深々と頭を下げる瑞穂に、矢島は少し困ったふうに笑って首を横に振った。

「ところで、どうしよう」
「へ?」
「由那のプレゼント。駅前のデパートで良い?」
「あ……、う、うん。……ルミネで良いよね」
「お任せするよ」

 矢島は屈託なく笑った。こんなさわやかな笑顔が出来るのは、矢島と同じクラスにいる佐藤雅史くらいだろう。二人とも校内の女子から人気があった。
 そんな人気者の一人と、土曜の午後、買い物に付き合う。

 なんで、これがデートにならないんだろうな。

「?なんか言った?」
「――う、ううん」

 瑞穂は慌てて首を横に振った。つい、口にしてしまったらしい。


 30分後、矢島と瑞穂は、駅前にあるルミネデパート内のエレベーターの前に列んで立っていた。

「由那って、変にボーイッシュなところがあるから、アクセサリーみたいなものではダメだと思うな」
「と、なると…………鉄アレイとかダンベルとか」
「何故?(笑)」
「いや、だってさ、あいつ男っぽいし」
「うわぁ、問題発言(笑)」

 そう言いつつ、瑞穂も吹き出していた。

「……ねぇ、矢島くん」
「何?」
「矢島くんが貰えたら嬉しいもの、って、何?」

 瑞穂の質問に、矢島は首を傾げた。ちょうどその時、エレベーターが到着し、二人はエレベーターに乗り込んだ。

「……えっと、さっきの質問なんだけど」
「矢島くんが欲しいもの……だよね」
「なんでそんなコトを訊くの?」

 矢島に聞き返され、瑞穂は、ふむ、と頷き、

「…………だって。由那、って、なんとなく矢島くんに似ているンだモン」
「俺に似ている?」

 矢島はきょとんとなる。当惑しているようにも見えた。

「……うん」

 瑞穂は戸惑いげにに頷き、

「……こう、言葉とか仕草とか……雰囲気とか、が」
「本当?」

 矢島は少し嫌そうな顔をした。

「……変かしら?」
「変。絶対、ぜぇったぁい、変、それ」
「そうかなぁ……?」

 瑞穂は苦笑しながら首を傾げた。

「でも、好みは似ているんでしょ?バスケのシューズの色柄とか、前に、カップ麺は少し伸びたものが好きだって聞いたコトあるし」
「う……、うん、まぁ確かに」
「だったら?」
「うーん、と」

 矢島は躊躇した。

 彼女が欲しい。

「…………ダメぢゃん、俺」
「?」
「あ……いや、そうじゃなくって…………そうだなぁ…………あ?」

 二人を乗せたエレベーターは、目的の最上階についた。そして、ゆっくりと開くドアの向こうから、聞き覚えのある曲が流れてきた。

「…………中司雅美の新曲ね」
「俺、彼女の曲、好きなんだ」
「確か、由那も好きだったよね……、あ、そうだ!」
「どうしたの?」
「今日確か、中司雅美の新しいアルバムの発売日だったんじゃない?」
「え?…………、あ、そーいやそーだ」
「だったら、新譜をプレゼントするのよ」
「あ、それ、ナイスアイディア――ちょうどこの階にCD売場があるし、善は急げ、だ」
「うん!――あっ?!」

 瑞穂が嬉しそうに頷くと、矢島は瑞穂の手を引いてエレベーターを降りた。いきなり矢島に手を引かれた瑞穂は、顔を赤くし、もたつく足で何とかついていった。
 CD売場は、エレベーターの直ぐ先にあった。目当ての品は、カウンター前にある特設展示台の上に平積みになっていた。注目度の高い歌手のCDは、このように特別扱いで売られる。

「あった、あった――」

 矢島は瑞穂の手を引きながらCD売り場コーナーに進み、特設展示台の上に置かれていたCDに手をかけた。
 同時に、矢島が手を伸ばす反対側から、か細い白い手が伸びてきた。

「あった、あった――あれ?」

 あれ?、という声は、矢島のそれと、反対側から手を伸ばしてきた主の声が奇遇にも重なった。
 そして、顔を上げた矢島と、呆気にとられていた瑞穂は、その声の主を良く知っていた。

「「――――由那?」」
「……あれ?」

 前屈みになって、矢島の手と一緒に一枚のCDを持ち上げた由那は、二人に気付いて唖然とした。

「…………あれ?あれ?あれ?」
「な、なんで由那、お前ここに居るんだよ?」

 驚きのあまり、矢島は狼狽した。そんな幼なじみの顔を見て、由那の顔が見る見るうちに険しくなってきた。

「…………そう……だったんだ」
「へ?」

 由那は、掴み上げていたCDから手を離し、はぁ、と溜息を吐いて身体を起こした。

「…………二人して、用があるのは…………ただの偶然じゃなかったんだ」
「い、いや、これは……な」
「ふぅぅぅん…………」

 矢島を見つめる由那の目が細まった。睨んでいると言っても良いだろう。

「神岸さんにふられたら、今度は瑞穂、なんだ」
「お、おい」
「いーのよ、べつに。ボク、寿が誰を好きになったって」
「だからさぁ……」
「――――うるさいっ!!」

 フロア全体に轟く、由那の怒鳴り声。他の客や店員たちは一斉に驚いて、声が聞こえてきた矢島たちのほうへ振り向いた。

「「ゆ……由那……?」」

 矢島と瑞穂は、注目を浴びていることにも気付かず、目の前にいる由那を見て絶句していた。
 由那は、悔しそうな顔をして泣いていた。

「お……おい…………」
「ほぉっておいてくれよっ!」

 甲高い声で怒鳴る由那は、そのまま矢島たちに背を向け、その場から駆け出していってしまった。矢島と瑞穂は、その背をただ呆然と見送っていた。

「…………なんで?……なんでこうなるわけ?」
「――!矢島くん、追い掛けないと!」

 矢島の呟きに、瑞穂は我に返り、矢島の両肩を掴んで振った。

「え…………、で、でもしかし」
「でも、じゃないよ!これ以上、由那が悲しんだら、もう元に戻らなくなっちゃうよ!」
「悲し……む、って」
「だって由那、いつも矢島くんのコトを見ていたんだよ!」
「え――――」
「由那、矢島くんのコト、好きなんだよ!――あたしも一緒に見ていたんだから、間違いないよ!」
「――――――」

 矢島は、瑞穂のその言葉を聞いて、頭の中が真っ白になった。

「…………で、でも……俺……いや……俺、そんなふうに思っていたなんて…………」

 狼狽える矢島に、瑞穂は首を横に振った。そして、にこり、と微笑み、

「……そんなコト、ないよ。矢島くんだって、由那のコト、好きなハズだよ。……そうじゃなきゃ、由那と仲直りしたい、だなんて思わないし」
「…………」

 矢島は俯き、暫し黙り込んでしまった。そんな矢島の様子に、瑞穂が恐る恐る顔を覗き込むと、やがて矢島はゆっくりと顔を上げた。

「…………ごめん」
「謝る相手、違うよ」
「……いや」

 そう言って矢島は、瑞穂のほうへ手を差し出した。そして微笑んでいる瑞穂の頬を伝い落ちていた涙を、その指先でぬぐい取った。

 あたしも一緒に見ていたんだから、間違いないよ!

「……良いんだ。ごめん」

 矢島は瑞穂の言葉を聞き逃していなかった。

「…………本当、俺、鈍感だよな」

 そう言って自嘲気味に微笑む矢島に、瑞穂は、ううん、と首を振った。

              つづく
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