ToHeart if.「矢島の事情」(1)  投稿者:ARM


○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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 矢島。

 この名が上がった時点で、多くのToHeartファンは失笑するのがほとんどであろう。神岸あかりシナリオにおけるピエロやら噛ませ犬やらへっぽこやらと、散々コケにされているキャラである。
 まぁ、プレステ版でさらにヘッポコ度を増してしまったH氏(仮名・17歳)に比べればまだマシであるが。(笑)
 しかし、バカにはされているが、H氏(仮名・17歳)よりは善人であるし、評判からすると、浩之よりもあかりのコトを幸せにしてやれるほどの甲斐性があってもおかしくはない。
 そこで、今回、ミレニアム記念として、せっかくだから俺は赤くない赤の扉をもとい矢島を救済してみようと思う。

 ……ここだけの話、実は単に、他の人間が描いてなさそうだったので、やってみようかと思っただけなのだが(笑)

 便宜上、名前がない矢島に、今回の話では「寿(ひさし)」という名をつけてみた。元ネタは判る人には判るとおもう(ヒント:プレステ版)。

   *   *   *   *   *   *

 矢島が、イメチェンした神岸あかりに意を決して交際を申し込み、敢えなく玉砕してから一ヶ月経った。
 あろうコトか、神岸あかりは、自分に協力したあの藤田浩之とすっかりデキてしまったらしい。修学旅行でのべったりぶりを、まるで新婚旅行じゃない、とからかっていた長岡志保の笑い声がまだ耳に新しい。聞けば、矢島が交際を申し込んだ頃は、神岸あかりは藤田浩之を幼い頃から慕っており、藤田浩之自身もそれとなく気があり、色々なことがあって急接近しつつあったそんな時だったのだ。そんな二人の間にズケズケと入ってきた自分がすっかりマヌケであった事にようやく気付くと、矢島はしばらく落ち込んでスランプ状態にあった。

「……まぁ、人生、色々あるわけだが、人として、人の道を踏み外す行為はやっぱりイケナイと思うんだよな、ボクとしては」

 放課後、体育館で部活動のバスケでシュートを続けていた矢島は、近寄ってきた同じバスケ部員の平光がからかうように言ってきたので、困った顔をした。

「スランプだなんてえらそうなコト言って。余所様の恋人を横取りしようだなんて考えするからバチが当たるんだよ」
「うるさいなぁ……。もうその話はよしてくれよ。賞味期限切れたネタだぜ」
「いやいや。寿と子供の頃からの腐れ縁があるボクとしては、カッコつけ寿の滅多にないへっぽこ話は一生モンの笑い話だよ。墓の中までもっていって来世にまで語り継ぎたいくらいさ」
「……お……お前なぁ」

 矢島は歯噛みしながら平光を睨み付けた。

「いくら幼なじみでも、そこまでゆうと許さんぞ」
「へっへーだ」

 矢島に睨まれても、平光は平気な顔で笑ってみせた。

「悔しかったら、得意の3P(スリーポイント)の一本でも決めてみな。――あ、スランプだったんだっけねぇ、ごめぇん」
「……わざとらしいコト言いやがって」

 むかつく矢島は、しかし平光を小突きたい衝動を堪え、中学生の頃から名シューターとして市内で名を馳せたほどの得意技であった、3Pライン外からのシュートを決めるべく、リングめがけてバスケットボールを放った。
 しかし、ボールはリングの外側に当たり、弾かれてしまった。

「やーい、下手くそ」
「うるせぇ!えらそうな口をききやがって!お前なら出来るっていうのか?」
「簡単♪」

 平光は、矢島が練習のために置いていたのであろう、ちょうど足許にあったボールを拾い上げ、リングのほうに狙いを定めた。
 間を置かず、放った。
 ボールは綺麗な放物線を描き、まるでそこにリングという障害が存在しないかのように、ピッタリとリングの中をすり抜けていった。
 怒っていた矢島が、思わず見惚れるほど綺麗な平光のシュートフォームであった。
 しかしそれは中学一年の頃、平光が矢島に感化されてバスケットを始めたとき、矢島から教わった美麗なシュートフォームであり、矢島はいつもこんなふうに3Pシュートを決めて観客を湧かせていた。
 それが、あかりに振られてから、さっぱり決まらなくなってしまった。
 矢島には判っていた。文武両道、ルックスも長身のスタイルも充分イケてて、中学の頃からモテていたそんな順風満帆な人生に、初めてついたケチであった。そのショックが、得意な3Pシュートをダメにしているのだと言うことに。
 そう思いたかった。そう思うコトで、このスランプから何とか脱出したいと考えていたのだ。

(……俺だってバカじゃねぇ。藤田や神岸さんの所為になんかしたくねぇし……でもなぁ……)
「何、黄昏てるの?」

 悩んで考えていたそこへ、いつの間にか平光が昏い矢島の顔を覗き込んできた。

「――お、おいっ、ビックリさせるなよ!」
「いやぁ、天下の矢島寿が悩んでいる光景なんて、二度と見られないかも知れないから」
「お前なぁ…………」

 矢島は顔を赤くして平光を睨んだ。

「いい加減、お前、自分の部活に戻れよ!先輩にどやされるぞ!」
「いーじゃないか。同じバスケ部なんだし」
「俺は男子バスケで、お前は女子バスケだろうがっ!」

 そう言って矢島は、目の前で意地悪そうに笑う、ショートカットの栗毛の髪を冠するボーイッシュな少女に怒鳴りつけた。

「それにその、男言葉もやめれっ!由那(ゆな)、お前もう高校生なんだから、ボクゆうのはやめぃ!」
「いーじゃんか、別に」

 先ほどから幼なじみの矢島をからかっていた平光由那は、ぷいっ、とわざとらしくふててそっぽを向いた。とことん矢島をからかう気らしい。
 そんな由那の性分を、矢島はいたいほど良く知っていたので、こりゃダメだ、と呟いて困憊しきった溜息を吐いた。

「ボクは昔からボクってゆってたんだから、そんな簡単には直せないさ。それにさ、最近、ウケが良くって、同じ女のコからラブレターなんかもらったり」
「……由那。お前がレズだとは思わなかったな」
「あーあ、何でボク、男の子に生まれてこなかったんだろうなぁ。寿、こういうの、性同一性障害ってゆうの知っている?」
「知るかっ!」

 皮肉を言ったのに平気でやりこめる由那に、矢島は怒鳴りつつたとえようもない敗北感を感じた。矢島の性格をこの幼なじみは熟知しているのである。勝てるわけがなかった。

「えーい!気が散るから、あっち行けっ!」
「へいへい」

 由那は矢島にあかんべえをして、反対側のコートでシュートの練習をしているバスケット女子部員たちのほうへ戻った。
 そこへ由那と入れ替わるように、向こう側でドリブルの練習をしていた、男子バスケット部の先輩である3年生の赤星が、ドリブルをしながら近寄ってきた。

「また、彼女にやられてたな」
「赤星さぁん、見ていないで助けて下さいよぉ」
「いやぁ、ああゆう面白い光景は放っておくのが一番見てて楽しい」
「……鬼。エルクゥ。月島兄」
「あ、酷い言われようだなぁ。せっかく俺たちが気ぃ利かせていたのに」
「気……って」

 矢島は心底嫌そうな顔をして見せた。

「誤解です。俺は、由那とは何でもありません」
「そぉっかぁ?にしては会話が弾んでいたじゃないか」
「ああいうのは、一般常識では、邪魔する、っていうんです」
「そうか?ウチのバスケ部の常識では、ああいうのは、夫婦喧嘩は猫も喰わない、っていうんだ」
「誰が夫婦ですか、誰がっ!」

 心底嫌そうな顔で本気で怒る矢島に、あちゃぁ、と赤星はもらして苦笑した。

「いや、さ。矢島と女子の平光って幼なじみだってゆうからさ」
「幼なじみならみんなカップルにならなきゃイケナイってゆうんですかっ!?」
「……なんかもの凄く忌々しそうにいうんだな」
「変ですかっ!?」

 思わず苦笑する赤星は、矢島が振られたいきさつを、既に長岡志保の口から聞いていた。赤星は「志保ちゃんネットワーク」の視聴者の一人であった。

「……まぁ、俺も男だ。振られたショックが精神的に大ダメージを与えるのは判る。……でもなぁ、そろそろ立ち直ってくれないと、夏のインターハイ予選に響くからな。お前の3Pシュート、当てにしているんだぜ」
「……判っていますよ。…………そんなコト、判っているんですが、由那が、あいつがっ!俺を苛立たせるんですよっ!」

 由那が矢島をからかい出したのは、修学旅行後、志保ちゃん情報にゴールデンウィーク前に矢島があかりに交際を申し込んで玉砕した、という話が流れ出した頃からであった。志保にしては情報を流すのが遅かったのは、べったりしている浩之とあかりを遠巻きにしかも悔しそうに見ていた矢島の様子に気付き、後追いでその裏付けを取ったためであった。お陰で要らぬ道化役を、矢島は不本意ながら受けるコトとなった。これには流石に人の出来た矢島でも、志保は浩之以上に許し難い存在となっていた。

「まぁ、不断から彼女を邪険にしていた為のバチが当たったと思って諦めるしかないな」
「そんなぁ……とほほ」

 すっかりしょぼくれる矢島。しかしこんな情けない姿を見せてもなお、矢島は同学年の女生徒から人気があった。矢島に惚れられたあかりは、矢島のファンからしてみれば憎悪対象になりうる存在であったが、不思議と皆、あかりに対して悪い印象を抱いていなかった。人当たりの良いあかりを元から悪く言うものは皆無であったし、単純に、矢島をあかりに取られず、しかも彼氏が要るのだから大丈夫だろう、と思って安心しているのであろう。

「……もう勘弁してやったら?」

 矢島のほうから戻ってきた由那に、ドリブルの練習を続けていた、同じ二年の女子バスケ部員である郷田瑞穂が苦笑しながら迎えた。三つ編みをしておっとりとした顔の瑞穂は、何故かむっとして歩いてくる由那に当惑していた。

「……あれ以上は、ちょっと同情しちゃうなぁ」
「いーのよ、あんなアホ。何でもかんでも自分の思い通りになると思っているほうが悪い」
「そう……かなぁ」
「何?何か言いたい?」

 反論して、しかし由那にギロリ、と横目で睨まれた瑞穂は、ひぇぇ、とビビってしまった。

「ともかく、寿はあたしのオモチャなんだから、放っておいて」

 由那は頬を膨らませ、ドリブルをしていた瑞穂の手からボールを颯爽と奪い取ると、それをリングに綺麗にシュートしてみせた。

「…………ふん」

 困った顔をする瑞穂を置き去りにして、由那はリングにシュートしたボールを取りに、リングのほうへ走っていった。

「……もう、由那、素直じゃないんだから」

 瑞穂は、由那が矢島に執拗に絡み始めたのは、例の、神岸あかりに振られたという話を聞いて、それを由那に教えて以来であった。その為に瑞穂は、矢島に済まない事をしてしまったような気がしてならなかった。瑞穂はこの学校に入学してまもなく、矢島に想いを寄せるようになり、特筆できるほど秀でていない運動神経を何とか頑張らせて、矢島と接する機会が増えると思った女子バスケ部で今まで頑張ってきた。
 そしてそんな近しい第三者の目から、あこがれの矢島の幼なじみもである、中学生の時に通っていた学習塾で知り合って以来の友人である由那の本当の気持ちが判ってしまっているから、瑞穂はその複雑な心境に困却していた。

             つづく
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