雫異聞・顎(中編)  投稿者:ARM


【承前】

「……どうして校舎の中を通らなかったの?」

 渡り廊下についた祐介は、その後をついて歩かず、わざわざ大回りして校舎の裏を通ってゃってきたコート姿の男の行動を不思議がった。

「雨は良いねぇ」
「?」

 コート姿の男の返答に、祐介は怪訝そうな顔をした。

「雨は何でも洗い流してくれる。この世の汚れたものや血の色、そして血の色さえも」

 どこか悦に入った顔で語るコート姿の男をみて、祐介は校門のほうを指した。そこには、無数の人だかりと、遠くから近づいてくるパトカーの音があった。

「……あんたの仕業か?」
「煩かったんでね」

 コート姿の男は、雨にうたれながら肩を竦めて見せた。

「もっとも、警察には、あそこで何が起こったのか、判るハズもなかろう。だって俺は、何も手を出していなかったからな」

 確かに手は出していなかった。体育教師は、この男を掴まえようとして、しかし見えざる獣の顎にその身を食い散らかされてしまったのだから。しかし祐介はその事実を知らない。

「ところで君、月島拓也、って男、知っているんだろ?」
「――――ああ」

 祐介はためらいがちに答えた。

「そいつ、君が壊したんだ」

 祐介は答えなかった。

「……答えづらいか」

 コート姿の男は、にやり、と笑った。

「同類を壊した呵責とか?」
「……何が言いたい?」

 そう訊く祐介の声には怒気が孕んでいた。
 そんな祐介をみて、コート姿の男は一層笑った。

「……安心しろ、俺も同類さ。――同じ〈毒電波〉使いさ」
「――――?!」
「何、鳩が豆鉄砲食らったような顔してんのさ。毒電波を使えるのは君たちだけの特権じゃねぇよ。――そして俺は、そんな連中を代表してやってきた。――本題に移ろう」
「本題……?」
「真の人類として、仲間に加われ」

 また祐介は唖然とした。

「……冗談だと思っているのか?」
「…………いや、今どき、手垢まみれの超能力マンガみたいなことをいう人、居ると思わなかったので」
「それは所詮は絵空事。――この力ならそれを実現できる」
「……そんなコトをして、どうするの?」
「旧人類を支配する」
「…………」

 祐介は黙り込んだが、呆れているようにも見える。

「…………悪いけど、僕は遠慮しておくよ。そう言う大それた話にはついていけない」
「怖いのか?」

 コート姿の男は、にやり、と笑った。まるで祐介の心の中を見抜いたかのように。

「…………僕は、今の日常だけで充分だ。月島さんと関わったコトで、この平穏がどれだけ素晴らしいことか判ったからね」
「心にもないことを」

 コート姿の男は、また、心を見透かしたかのようにニヤリとする。

「……俺には判る。退屈なだけの毎日、変わり映えのしない生活。――刺激が足りない」

 コート姿の男がそう言った途端、祐介の背後で、がしん、ともの凄い音が聞こえてきた。驚いて祐介が振り向くと、背後にあった樹木がなんと抉れているではないか。
 その欠損部はまるで…………

「…………喰った、のさ」

 コート姿の男が、樹木を見つめる祐介の背に声を浴びせた。

「――喰い千切った、というイメージを樹木に送った。それを受けた樹木が、喰われたと思って自らの身体を削ったのさ」
「何だと…………」
「驚くことはない」

 肩を竦めて見せたコート姿の男はゆっくりと祐介のほうに近づき、

「〈毒電波〉はその力を高めれば、生命体に対する物理的破壊を可能なのだよ。もっとも、〈毒電波〉そのものが破壊するのではないがな。――催眠術で、火傷を負われされた、という暗示をかけられた者の身体に、火膨れが生じたという実例がある。それと同じさ」

 つまりこの男は、相手をそう思いこませるコトで具現化を果たせるというのである。しかも催眠術など足元にも及ばぬ効力を持つ〈毒電波〉を用いて。
 身体の自由を奪う〈毒電波〉をもってかける暗示とは、いかなものか。

「出来ないと思うか?――いいや。物言わぬ樹木とて我々と同じく、いのちを持った生命体だ。ましてや――そう。君も〈毒電波〉の正体は判っているだろう?」
「――――」
「〈毒電波〉つまりオゾムパルスは魂と同質の存在である」

 まさしくそれは、祐介が日頃、〈毒電波〉について考えていた時に出てくる仮説であった。〈毒電波〉が人間の意志を支配できるほどの影響力を持ったものと理解したならば、必然的に行き着く結果である。

 そもそも、人の心とは何か。
 人の心は、機械ではない。人間の思考と同等の働きが出来るAIを作り上げる場合、現代の科学力ではとても人間の脳と同サイズのものを作り上げることは出来ない。なにより天文学的な大容量の記憶回路、複雑過ぎる論理回路を限界まで模写しても、脳を模写し切れないのである。
 何より、人間の論理回路は、現存する論理プログラムを駆使しても同等のものは作り出せないとさえ言われている。人は子を産むように、自らのコピーを作り出せないのである。
 だが、人は人を育てることで「人」を作り上げることが出来る。生まれたばかりの子供に、周囲の文明や環境を教育していくことで、人として生きるための論理を自らの手で築くのである。
 それを、ある学者はこんな表現をしたことがある。

 人は生まれもって、神の手によって完成された、「本能」というロジックで組み上げられたOS(オペレーションシステム)を持っている。
 その名は、「魂(SOUL)」。
 その肉身は、魂というOSの器であり、根本的に次元の異なる魂が、肉体を制御している、と。
 だから、魂の根元を解明しない限り、人は人を作ることは出来ない。

 生命体とは、細胞の集合体に過ぎない。有機か無機かの違いだけで、機械となんら遜色のない存在なのだ。個体として突き詰めればそれは、魂しかない。
 もはやそれは科学ではなく、形而上学の問題であった。――いや本質を突き詰めれば、科学ですら、形而上学の弁証法に使われるツールに過ぎない。科学は遅かれ早かれ、そのベクトルを「魂の探求」に向かう運命に有るだろう。
 〈毒電波〉に目覚めた、〈毒電波使い〉たちは、既にその領域に踏み込んでいた。〈毒電波〉とはなにか?――その力を行使するにあたり、最初に考えることがそれであるからだ。何故なら人という生き物は、理解出来ない「ちから」を理解しようとするロジックで動いているからだ。
 それでは――「魂」はどこから来るのか?そして肉身を失った魂はどこへ行くのか?

 かつて、彼方へ向かう聖人に、道に迷いし弟子がこうのたもうた。

「どこへ行かれるのか(クォ・ヴァディス)?」

 聖人は応えなかった。
 征く道の末は、聖人ですら知らなかった。

 どこから来て、どこへ行くのか。――無から有へ、そして有から無へ。その繰り返し。

 しかし人は「魂」であって、無から有を作り出せる「全能の神」ではない。

 そこにあるのだ。

 そう、そこに。

 ――魂は、〈毒電波〉つまり「オゾムパルス」そのものである。突き詰めた結論であった。

 その結果、自らを「新人類」と確信し、〈毒電波〉を制御できない「旧人類」の支配を目論む者のひとりが今、祐介の目の前にいた。

「魂と〈毒電波〉が同質のものであるコトは、当然の結論だ。――人の意志とは何なのだ?自我とは、心とは?」
「……『我、想う。故に、我、有り』」
「その通り」

 コート姿の男は、嬉しそうに笑った。

「――故に、我、魂なり。…………だが、命として帰結すべき末を観ることも叶わず、浅知恵で共食いを繰り返してきた今の人間どもを観て、行き詰まりを覚える者も少なくない。――――人は文明を手にしたことで成長をしてきたが、しかしそれは所詮、骨を石に換えただけのレベルにすぎん!人は、クロマニヨン人よりの進化以来、生命体的レベルでの革新など果たしていないのだ!生命体は滅ぶために生まれているのではない、成長するために生まれてきているのだ!」

 コート姿の男は、自分の講釈に酔いしれ、高揚していた。

「しかし!〈毒電波〉つまり魂の核心に触れた我々は違う!魂を支配したコトで、人から先の道を切り拓いたのであるっ!しかしこれで進化は終わりではないが、我々は今の無能な人間たちに先んじて進む高度な生命体へと進化しているのだ!もはや迷うことはない、我々新人類が、旧人類を、この生命の場という名のエデンから放逐するべく――」
「立ち上がれ、と誰かに言われたの?」
「――――」

 コート姿の男は、信じられないものを見るような目で祐介を見た。
 祐介は、このコート姿の男の様子から、今の言葉とまるっきり同じコトを言った、恐らくこのコート姿が崇拝しているのであろうリーダー格の存在を即座に理解した。

「……賢しいな。流石、あの月島を壊しただけのことはある」

 祐介は、困憊気味に、はぁ、と溜息を吐いた。

「……まさか月島さんは、あんたたちの仲間だったのか?」
「接触を図った矢先に、君に壊された」

 祐介はもう一度溜息を吐いた。

「……君は月島以上に優れているようだ。喜んで迎え――」
「言ったでしょ?僕は、遠慮する」

 コート姿の男は、先ほど以上に、信じられないものを見るかのような目で祐介を見た。その目には怒りの光さえあった。

「…………何故だ?」
「さっきも言いました。僕は今の生活を壊したくない」

 ばきぃん!また、祐介の背後にある樹木が”喰われた”。今度は祐介は動じなかった。

「…………本気か?」
「僕を、そうっ、としておいて欲しい。今の生活に満足している。…………そうすればあんたたちたちが何をやろううとも文句は言わない。約束するよ」

 その返答をきいて、コート姿の男の顔は一層複雑なものとなった。呆れ、怒り、唖然それらすべてが入り交じっていた。きっと普通に生活していれば、人はこんな貌とは無縁に暮らせるだろうに。

「……んなコト、出来るわけねぇだろう?」

 コート姿の男の精神の勝者は憤怒だった。

「俺たちは今の社会を破壊するんだ!お前が望む平穏な生活を、だっ!――お前の論理が通るなら、お前は俺たちの敵になるしかないっっ!!」

 その通りであった。しかし祐介はそのつもりで応えたのか。コート姿の男が怒鳴り出した途端、祐介はコート姿の男のほうへ駆け出し、体当たりを食らわそうとした。
 コート姿の男は慌ててそれをかわそうとしたが、突然、身体が動かなくなり、敢えなく祐介の体当たりを食らって倒れた。

「悪いけど、あんたは危険だから心を壊す――――うわっ!」

 祐介は接近して確実にコート姿の男の精神を破壊しようとした。距離が長ければ長いほど〈毒電波〉が散乱し、威力が薄れてしまうからだ。しかし動きを〈毒電波〉で封じたはずのコート姿の男が突然暴れだし、祐介を押し飛ばしてしまった。

「――ばかな?!」
「はははっ、そんな未熟な〈毒電波〉で、〈七大罪〉がひとり、〈大食〉を司る俺の動きを押さえきれると思ったか?」
「〈七大罪〉――〈大食〉?!」

 〈大食〉。祐介の脳裏に、先ほど頭に聞こえたあの声が蘇っていた。

「……そうとも。我々は旧人類の七つある大罪を、その罪をもって裁く者!人が背負いし業は、同じ業をもって裁くのが正しき道!」

 七つの大罪。キリスト教における、人間の業を示したものである。

 第1の大罪・大食の罪〈 GLUTTONY 〉。

 第2の大罪・強欲の罪〈 GREED 〉。

 第3の大罪・怠惰の罪〈 SLOTH 〉。

 第4の大罪・肉欲の罪〈 LUST 〉。

 第5の大罪・高慢の罪〈 PRIDE 〉。

 第6の大罪・嫉妬の罪〈 ENVY 〉。

 第7の大罪・憤怒の罪〈 WRATH 〉。

 祐介は別にキリスト教信者ではないが、以前、この大罪をテーマにした映画を観ていて――実に後味の悪い内容だったので憶えていた――、それがどう言ったものか知っていた。今、祐介の目の前にいる男は、この大罪の第1の大罪、〈大食〉を司っているという。つまりこの男には少なくとも、7人の仲間がいると言うことになる。
 そしてもうひとつ、祐介が理解したものがあった。

「……〈毒電波〉のパワーが違う!」

       後編へ つづく