羅刹鬼譚・機怪  投稿者:ARM


○この創作小説は『痕』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しております。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「…………はて?」

 柳川祐也は隆山署から柏木邸へ帰宅する途中、どうしてこんなところで立ち止まったのか良くわからなかった。

 ただ、なんとなく。

 その「ただ、なんとなく」というのは、柳川にとって、いつもろくなコトが起こらない前触れであった。
 鬼神の末裔が持つ、魔の刻の予兆とでもいうのか。
 だが、こんな何もない路上で――いや、少し先に缶ジュースの自販機が並んで居るぐらいの、何の変哲もない通り慣れた道に何が待ち受けているというのであろうか。


 柳川がその路上生活者と知り合ったのは、先々週、長瀬とともに研修で一週間の予定でールで東京へ出張していた最終日前日の夜だった。

「おっと」

 梓たちへの土産を買おうと思って池袋のデパートへ長瀬と一緒に行った時である。長瀬は路上自販機で缶ジュースを買おうとしたとき、落とした500円玉を、隣でしゃがんでいた彼が拾い上げてくれたのがきっかけだった。

「お、すまんね、どうだい一本」
「旦那、すんませんねぇ」

 相変わらずのほほんとする長瀬が、なにげにこの男に煙草を上げて、大変だなぁ、と世間話を始めると、この路上生活者は自分の身の上話を口にした。

「秋田からビル建設工事の出稼ぎで東京に来たんですけどねぇ。……ええ、例の〈新宿〉の神狩り騒動の巻き添えで滅茶苦茶になった銀座に新しくビルを建設するってコトで人手が要るって聞いて来たんですがね、その募集していた建設会社が、あたしが働き始めて丁度一週間後に倒産してしまいましてねぇ……結局、日払いと聞いていた給料もろくに出ないまま、この灰色の寒い街にアテもなく放り出されてしまったんですよ。……へ、あまり訛らない?ええ、昔、学生の頃、東京にいましてね、いわゆるUターン組ってヤツで」

 彼は仕方が無く、次の仕事を見つける為、池袋駅近辺を根城ととする路上生活者となった。家族のいる故郷へ戻る金はなくても、連絡するだけの電話代ぐらいは持っていたとは思うが、と長瀬が聞くと、男は急に黙り込んでしまった。そのあっけない失業もさることながら、そこから新しい仕事を見つけられない自分が情けないとでも思っているのだろう。
 あるいは、この都会の魔性に魅入られたのであろうか、結局彼は、故郷に戻らない理由は語ろうとしなかった。
 彼は、不断は、段ボールの回収によって日銭を稼ぎ、それでも足りないときは、柳川たちと知り合ったときのように、自販機の釣り銭口に忘れられている小銭を漁ってなんとかしのいでいるそうである。
 意外だが、釣り銭の取り忘れは多いらしい。釣り銭口の奥の壁に張り付くように落ちてきた小銭が残りやすいそうだ。その話を聞いて、長瀬が、自分はマメと言うよりせこい性分でなので、釣り銭口は覗いて確かめるから、彼にむざむざ渡すようなコトはしていない。私の勝ちですな、などとバカなコトを言うものだから、柳川は呆れて見せた。
 そんな時だった。柳川が、路上生活者が自分の顔をまじまじと見つめていたコトに気付いたのは。

「……あんたたち、自販機には気をつけた方がいいぜ」


 そんなコトを思い出していた柳川は、急に喉が乾いた。しかし幸いにも、丁度そこに缶ジュースの自販機があるではないか。

「……メッコール?おでん缶?(汗)……どこでこんなものを仕入れて来るんだ」

 柳川は呆れつつ、左上にある動物のサイが描かれているサイダーを選んだ。珍しく110円で買えるらしい。柳川は硬貨投入口に百円玉を二つ入れた。
 サイダーのボタンを押す。ガコン。取り出し口にサイダーの缶が出てきた。柳川は取り出し口から缶を取り出しながら、お釣り口に手を伸ばした。


「……やつらの中には本物の化け物がいるからね」

 いきなり、何を言うのかと柳川は思った。てっきりクスリでもキメているのかと当惑したのだが、日銭に苦労している男が、そんなクスリなど買えるハズもない。

「いや、本当だよ。タマに、さ。指を釣り銭口に突っ込むと、その奥に変な感触があったりするんだ。ぬるっ、とさ、まるで母ちゃんのナニに指突っ込んだみたいな、ってそんなんじゃねぇな、――口か。口の中に指を突っ込んだときのそれだよ。ねばっとしてさ、臭くってさぁ、気持ち悪いッたらありゃしねぇ」


 柳川は釣り銭口に指を差し入れた途端、一気に腕を振り上げた。その腕は鬼神のものとなっていた。
 鬼の剛腕は釣り銭口から自販機の天板までを引き裂いた。
 断末魔。それはこの世ならぬ声であった。
 自販機は引き裂かれた傷からおびただしい血を吹き上げ、鼻を突くような異臭を放つ内臓を路上にぶちまけ、ばったりと倒れた。

 柳川が気付いたのは、釣り銭口に指を入れた瞬間、あの路上生活者の言っていた異様な感触を体感したからであった。
 いや、それ以前から。この自販機に気を取られた瞬間から。狩猟者としての本能が、擬態によって捕食を行う異形の存在を察知したのであろう。


「…………あれはさ、きっと、自販機に化けたバケモンなんだよ。あんたも、釣り銭取るときは気ぃつけたほうがいいぜ」

 酒臭い笑い声だった。アルコールの幻覚ではないかと、柳川は苦笑しつつ、気になって仕方ないことがあった。
 柳川は長瀬が落とした五百円玉を拾い上げたとき、右手で持っていた。煙草も右手で持っていることから、この路上生活者は右利きなのだろう。
 しかし、二人と話しながら近くの自販機に近寄っては釣り銭を漁っていた時は、左手で掴んでいた。
 無理もないことであった。
 路上生活者の右手の中指と人差し指が第一関節から欠けて無くなっていた。切断されたと言うより、まるで何かに喰われたような、そんな欠け方だった。


 しゅうしゅう、と音を立てて風化している異形の狩猟者を見下ろしながら、彼が左手の指で釣り銭口を漁るようになったのはいつの頃なのか、柳川は何となく気になっていた。

                   了

http://www.kt.rim.or.jp/~arm/