ToHeart if「Alive」第8話  投稿者:ARM


【警告】
○このSSはPC版&PS版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを混在して使用しています。
○このSSはPC版&PS版『To Heart』神岸あかりシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、性描写もある18禁作品となっております。
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 浩之との一夜が浩之の母親である玉緒に知られた翌日。ひかりは昼過ぎに起きた。
 とにかく、頭と身体が重かった。浩之と肌を重ねたあの熱さにすべて持って行かれたような気がした。

 じゃあ、何?浩之はうちの人の代用品なの?――――ひかり、あんた、最低よ!

 ひかりはめまいを覚えた。
 浩之を、浩司の代用品だと言われたこと。
 そして、それを否定できない自分の卑怯さ。
 何もかもが嫌になった。

 いっそ、わたしもみんなの後を追おうか――――。

 そう思った途端、ひかりは激しい動悸に見舞われ、どす黒い心の泥沼に沈みかけていた自分を取り戻した。
 死ねるはずがない。もし自殺したら、あの世で灯志やあかりに会わす顔さえない。
 生きなければならなかった。

 不意に、浩之の笑顔が浮かんだ。
 死ねるはずがない。もし自殺したら、浩之を余計に苦しめてしまうだけだ。
 生きなければならなかった。

 たとえようもなく浩之に逢いたかった。
 逢えるわけがない。もう、逢ってはならないのだ。浩之は浩司の代用品ではないのだ。

 それでひかりは、今は浩之の温もりがたとえようもなく恋しかった。


 第8幕 待っているよ。


 志保の告白を訊いてから、浩之は呆然としたままだった。放課後、下校途中の浩之に呼びかけた垣本と雅史は、まったく無反応の浩之を面白がった垣本が投げたサッカーボールがその頭にぶつかっても気付かないでいる浩之をみて唖然となった。

 浩之は自分の家の前に着いた時、迷った。
 このまま道を真っ直ぐ進めば、ひかりの家に着く。

 たとえようもなく、ひかりに逢いたかった。
 逢えるはずもない。もう、逢ってはならないのだ。ひかりはあかりの代用品ではないのだ。

 それでも浩之は、今はひかりの温もりがたとえようもなく恋しかった。

「……なんだ、浩之」

 そんな時だった。突然、玄関が開き、中から浩之の父親、浩司が顔を出してきたのだ。

「父さん?あれ、会社は?」
「玉緒が、体調が悪い、っていうもんだからさっき帰ってきたんだ。ほら、突っ立っていないで上がれ」
「……うん」

 浩之は迷いつつ、頷いた。

 浩之の母親である玉緒は、自室で寝込んでいた。浩之は心配して声をかけたが、相変わらず何も応えようとはしなかった。
 夕食は、店屋物をとることになった。浩之の薦めで、駅前商店街のカツ丼屋から出前を取った。

「……ふぅ。美味いな、ここのカツ丼」

 浩司は息子のお薦めにすっかり満足していた。浩司と浩之、二人して満腹になったお腹で居間のソファに反っくり返る姿はまさしくそっくりな親子である。

「本当は毎日でも食っても飽きないンだけど、食費のコトもあるから」
「そっか」

 浩司は素っ気なくそういうと、

「……色々、お前には迷惑かけているよな」
「父さんらしくないな」
「いや、さ。最近、放任主義も色々考え物だと思うようになってな」

 浩司のその言葉に、浩之は少し顔を険しくして黙り込んだ。恐らく浩司は、玉緒から今回の騒動のコトを告げられているのだろう。

「…………父さん。ゴメン」
「何が、だ?」

 浩司は浩之に一瞥もくれず聞き返す。

「……ひかりさんのコト」
「ひかりおばさんじゃなくって、さん付けか」

 浩司は意地悪そうに笑った。そんな父親を見て、浩之は酷く当惑した。

「……まぁ、ひかりちゃんのことを誰がどう呼ぼうとも、俺の知ったこっちゃないね。呼びたいように呼べばいい。――問題は、だ」

 そういうと、浩司は着ていたシャツの胸ポケットに入れていたセブンスターと百円ライターを取り出し、一本くわえて火を灯した。

「どうだ、一本?」
「親が未成年の子供に煙草勧めてどうする?」
「冗談だよ」

 浩司は煙草をくわえたまま、ニィ、と笑って見せた。子供の頃から見慣れた、やんちゃな子供みたいな笑顔であった。
 こんな笑顔を、ひかりは子供の頃から見続けてきたのだろうか。

「……なんだ、浩之、そんな神妙な顔で俺を見て。おっと、俺に惚れちゃいけないぜ」
「おいおい」

 実に軽い男である。自分もこんなつかみ所のない男の血を半分受け継いでいるのだろうか。浩之は呆れ半分、しかし嬉しいとも思った。

「さて……」

 浩司はそう言うと、肺に溜めていた煙を鼻から吐き出し、

「ひかりちゃんのコトで、俺は親として、訊かなきゃならないことがある」

 それを聞いて浩之は、びくっ、となった。

「……浩之。ひかりちゃんのコト、本気で好きか?」

 愛しているか、と訊かない辺り、父さんらしい、と浩之は思った。幼なじみである母親以外の女性には目もくれなかった男にとって、好き、も、愛している、も同じコトなのだ。
 浩之は、父親の問いかけに迷った。
 まだ、志保に指摘されたコトが、頭に引っかかっていたからだ。

 ひかりをあかりの代用品と思っていないか、と。

「……おい。黙ってないで何とか答えろよ」

 急かされたが、しかし浩之はまだ迷っていた。
 そんな息子の様子に呆れたか、浩司は、はぁ、と溜息を吐いた。そしてくわえていた煙草の火を消そうと思ったが、テーブルの上に灰皿がないコトにようやく気付き、ソファから腰を上げて向かいにある戸棚に向かった。
 戸棚の引き出しから灰皿を取り出した浩司は、またソファに戻った。

「…………で、どうなんだ?」
「…………はっきりしたコトがまだ言えない」
「はっきり?」

 浩司は顔をしかめた。

「……お前、何も考えないでひかりちゃんとネンゴロになったのか?」
「そういうわけじゃないよ……」

 浩之は浩司のほうへ顔を向けずに言った。向けづらいのだ。そんな浩之の心情を理解してか、難しい顔の浩司は何も言わない。
 沈黙。
 浩司の煙草は三本目になっていた。不断はこんなに吸う男でないコトは、浩之が良く知っていた。

 自分を求めるひかりの顔を思い出すたび、浩之は戸惑った。
 今のひかりには、自分しか居ない。支えになれるのは自分だけだ。浩之はそれだけは確信していた。
 だが、それはひかりの心の透き間を手玉に取ってしまった結果ではないのか。浩之は、自分の心のどこかに潜む、卑怯者の自分の存在を肌で覚え、苛立った。
 人を好きになるのに理由はない。子供の頃から一緒だったあかりが自分の大切な人だとわかった時も、それが自分には当たり前なんだと判っていた。
 だから、自分がひかりを想う気持ちには、偽りなどあるわけがないと信じたかった。
 信じ切れないのは、自分がまだ、恋愛に未熟なところがあるからだろう。
 恋愛をする心は、必ずしも素直なものばかりだけではない。ずるがしこい心の一面さえも剥き出しにする時もある。そんな想いのすべてをさらけ出して、愛し合うのだ。
 浩之とひかりには、そんな余裕さえなかった。寂しかった。ただ、寂しかったから、求め合ってしまっただけなのだ。
 そう思うと、浩之は自然に想いを口にした。

「……父さん。…………俺、…………俺、な」
「何だ?」
「……ひかりさんの寂しさにつけ込んでいただけの、ずる賢い男なのかも知れない」

 浩之がようやく口にした返答を聞いて、浩司は、ふぅ、と煙を吐いた。

「…………だから……ひかりさんにはもう逢わないほうがいい」
「本気か?」

 ドキッ。浩之は動揺した。

「二度と会わないつもりなのか?」
「……いや、もう……昔に戻る。男と女とじゃなく、家族ぐるみで付き合っていたあの頃へ」
「それで良いのか?」

 浩之は思わず瞠った。そして呆然とする面を、息子の顔など見ずに横で煙草を吹かしている父親に向けた。

「…………正直、な。お前が、愛している、とか、好きだ、とか答えたら、この場で遠慮なく血が出るまで殴り続けていたところだった」
「え――――?」
「だってよ。……自分で自分のケツをろくにふけねぇ餓鬼が、さ。そんな大層なコトを臆面もなく言えるほど偉い、なんてお笑い種だぜ。…………俺もタマも、仕事のほうが面白かったから、お前に関してはすっかり放任主義だったがな、それでもお前をそんな浅はかな男に育てた覚えはない」

 そこまで言うと、浩司はくわえていた煙草を灰皿に押しつけて消した。

「…………今回の件では、俺自身、お前には色々同情したい面もある。…………それでも、ゆずれないモノがひとつだけある」
「……ひとつ?」

 すると浩司は浩之のほうを向き、

「……もう一度、訊く。そして、正直な気持ちで答えろ。――浩之。ひかりちゃんを本気で愛しているのか?」

 どうして二度も同じコトを聞くのか?浩之は戸惑った。――戸惑ったが、浩司が何を訊きたいのか、何となく判った。

 さっきの問いは、好きか、だった。

 そして今度は、愛しているか。

 浩之は考えた。不思議と、先ほどの迷いが嘘のように、今度は素直に答えが出た。

「愛している」

 たとえ殴られても。たとえ殺されても。
 今度ばかりは、言わずにはいられなかった。

「…………そっか」

 息子のその返答に、浩司は嬉しそうに笑った。

「判った。それで充分だ。――しかし、お前では、ひかりちゃんにはつりあわん。役者不足だ」
「役者不足……?」
「ああ。――――少なくとも今のお前では、灯志の足許にもおよばん」
「あ――――」

 浩之は浩司が何をいわんとしているのか、直ぐに理解した。

「……少なくとも、大学までは卒業しろ。学歴だけは灯志と並ぶんだ。…………そこからの道はお前が自分で考えろ」
「父さん………………」
「俺は親として、お前の選んだ道には正直賛成できない。…………しかし、ひとりの対等な男として、神岸灯志の親友として、そして、ひかりちゃんの気持ちに気づいていながら、結局答えられなかったぶざまな男として、お前を応援するつもりだがな」

 浩司は気付いていたのだ。ひかりが秘めていた自分に対する気持ちに。

 そしてそれが、浩之に、ひかりが自分のコトを浩司の代用品として接していた可能性を気付かせるきっかけとなった。
 自分の迷いは、きっとひかりも同じように迷っているかも知れない、と。何故なら、二人とも同じような境遇にあるからである。
 自分がこれだけ苦しんでいるコトを、きっとひかりも同じように苦しんでいるのかも知れない。そう思うと浩之はいてもたってもいられなくなった。
 しかし、浩之はひかりの元へ向かおうとはしなかった。
 積み重なる課題。今の浩之には、これらを乗り越えているだけの力が必要だった。
 ひかりを心から愛するために。

「…………何、泣いてンだ?」

 浩司に言われて、浩之は自分の頬を伝い落ちる涙に気付いた。
 顔は、嬉しそうに笑っていたのに。


 翌日の朝。
 ひかりは早く起きて、玄関の前をホウキで掃いていた。玄関は掃く必要がないくらい綺麗だったが、日の出前くらいに目が覚めてしまい、何もやる気が起きないのに、しかし何かをして気を紛らわせたかった。
 呆然としていた、そんな時だった。

「ひかりさん」

 その声に、ひかりは、はっ、とした。
 慌てて声の聞こえてきたほうを向くと、朝靄の立ちこめるそこには、学生服姿の浩之が、ひかりを見つめて立っていた。

「ひ……浩之ちゃん」
「……ずうっと泣いていたんだ」

 浩之が済まなそうに言う。ひかりの目は泣き腫れた痕があった。

「ち、違う――」
「ひとつ、訊きたいんだ」
「え――」
「俺、父さんの代用品だったの?」

 その問いかけに、ひかりは動揺のあまり思わず手にしていたホウキを手放してしまう。

「…………そ……そんなコトは…………」

 ひかりは狼狽しながら否定した。しかしその狼狽こそが正直に肯定しているものであった。

「……いや。多分迷ったハズ。……だって俺も迷ったんだ」
「え…………?」
「ひかりさんのコト、あかりの身代わりだと思っていなかったか、って」
「――――」

 狼狽していたひかりは、浩之の言葉に戸惑った。

「…………それでも」
「?」
「俺は、ひかりさんのコト、愛している。あかりはあかり。ひかりさんはひかりさん。両方とも、俺は本気で愛していた。…………ひかりさんと一緒にいた時間が楽しかったのは、決して嘘じゃない」
「……ひ……ろゆき…………ちゃ……ん」

 ひかりの声が震えていた。ひかりは浩之を涙を湛えた瞳で見つめていた。感極まった、そんな面差しだった。

「…………だけど」
「え?」
「父さんが言ってた。今のままの俺じゃあ、まだ、灯志おじさんの足許にも及ばないって。……だから俺、ひかりさんに見合うだけの男になる。ひかりさんが愛した灯志さんに負けない男になる」
「――――」
「だから、それまで、待ってて欲しい。…………いい?」

 ひかりはこくこくと頷いた。そして嬉し涙を流しながら浩之に飛びつくように抱きついた。

「……判ったよ…………待ってるから…………わたし、待っているから」

 浩之はひかりの答えに、満足げに頷いた。


                次回、最終幕へつづく
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