ToHeart if「Alive」第7話  投稿者:ARM


【警告】
○このSSはPC版&PS版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを混在して使用しています。
○このSSはPC版&PS版『To Heart』神岸あかりシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、性描写もある18禁作品となっております。
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 ピンポーン。
 不意に、玄関のチャイムが鳴った。居間で浩之と二人で裸のまま川の字になって眠っていたひかりは、チャイムの音に気付いて目を覚ました。

「……誰……かしら……」

 ひかりは、ぼうっ、とした頭で身体を起こした。その動きに、浩之が気付いて目を覚ました。

「……何、ひかりさん?」
「誰か、来たみたい……」
「ほっておこう」
「でも…………」

 困ったふうに首を傾げるひかりの手を、浩之が引っ張った。

「今日はずうっと俺と一緒にいよう」
「…………もう」

 ひかりは苦笑するが、どのみちこんな裸のままでは直ぐに出られるはずもなく、結局居留守を決め込むことにして、浩之にほうへ顔を近づけた。

 もう一度、玄関のチャイムが鳴る。
 また、鳴った。鳴る。鳴る。鳴る。くどいように鳴る。まるであの高橋名人よろしく16連射でもしているように。あまりにもしつこいので、ひかりは玄関のほうを困惑気味に見た。
 そして、そこからチャイム以外の音も聞こえてくるコトに、ようやく気付いた。
 それは、女の声だった。

「――――ひかりっ!ひかり、居るんでしょ!居るコトは判っているんだからっ!――――浩之も居るんでしょ!?開けなさいっ!」

 それは、浩之の母、藤田玉緒の悲鳴のような呼び声であった。


 第7幕 戸惑い


 服を着たひかりは、居間で、憮然とする玉緒と向かい合っていた。ひかりの横には、学生服を着た浩之も座っている。
 玉緒は黙り込んだままであった。黙り込んだまま、手前のちゃぶ台の上を、人差し指でコンコンコンと叩いていた。こういう様子の玉緒は酷く苛立っているのを、ひかりも浩之も良く知っていた。

「……で」

 ようやく、玉緒が口を開いた。

「…………あなたたち…………いつから……そんな…………関係になったの?」

 玉緒は気まずそうに顔をしかめて訊いたが、ひかりも浩之も直ぐには応えなかった。二分ほどの気まずい静寂の後、浩之が、昨日から、とようやく答えた。それを聞いて玉緒は、はあ、と困憊しきった溜息を吐いた。
 正直、気付くのが遅かった。こんなコトになる可能性を予期しておきながら何も手を打てなかったのか。玉緒は自分の甘さをつくづく後悔した。

「……浩之」
「?」
「あんたは先に家に帰ってなさい」
「――――」

 玉緒に言われ、浩之は言い返そうと腰を上げるが、ひかりが浩之の袖を引っ張ってそれを引き留めた。

「……ひかりさん」
「……今は、お母さんの言うとおりにして。お願いだから」

 ひかりは俯いたまま、そう言った。ひかりは自分が今、どんな顔をしているのか、酷く恐れた。
 醜い、色香に溺れて親子ほども離れた子供を誘惑して肌を重ねた、淫売な女。見たコトは無いがしかしそんな酷い顔をしているのではないのか。ひかりはそんな顔を、浩之には見せたくなかった。

「…………判った」

 浩之は悔しそうな顔で返答すると、一人、居間を出て家へ帰っていった。
 浩之が抜けたその空間は、ひかりにも玉緒にも、酷く重苦しかった。

「……ひかり」

 玉緒が先に口を開いた。

「…………寂しかったのは、あたしにもわかるよ。……ウチのバカ息子がそこにつけ込んで――」
「違うわ、タマお姉ちゃん」

 ようやくひかりが顔を上げ、首をブンブン横に振り乱した。
 そんなひかりを見て、玉緒は、ぷっ、と吹き出した。

「……久しぶりよね、ひかりがあたしを、タマお姉ちゃん、って呼んでくれたのは」
「…………そうだったかしら」

 再びひかりは俯いた。とにかく、玉緒とは目を合わせたくなかった。
 そんなひかりをみて、玉緒はまた、はぁ、と困憊の息を吐いた。

「…………合意の上のコトとは言え……もう少し物事は考えた方がいいわよ。浩之とあんたは親子ほども離れた、…………しかも浩之が子供の頃から実の息子のように可愛がってくれた子じゃない。……事情が事情だけに、同情はするわよ。――――でもねっ!いくら寂しかったからって、大人にはやって良いコトと悪いコトがあるコトぐらい、ちゃんと判断しなさいよっ!!」

 ついにヒステリックに怒鳴る玉緒に、終始ひかりは何も反論できなかった。玉緒の言うとおりだったからだ。玉緒がここまで怒る理由は、何より母親であった自分にも痛いほど判るモノである。あかりがもし、自分と同じようなコトをしたら、きっと目の前にいる母親は自分であっただろう。
 判っていながら、押さえきれなかった。
 たとえようのない喪失感。
 そしてそれを埋めてくれた彼。
 かくも女というモノは、こんなに脆い生き物なのか。ひかりは母親であった頃の自分がまるで別人であったかのような錯覚さえ抱いた。

 もう、この一夜のコトは忘れよう。それが、浩之にも自分にも一番いいコトなのだ。
 自分を慰め、優しく愛してくれた、あの男のコトは忘れよう。明日から彼は、実の子供のように可愛がっていた近所のただの素直な子供に戻るのだ。

 あのころに戻さなければいけない。

 ひかりがそう思った途端、涙がボロボロあふれ出た。

「……ひかり?」
「……何で?」
「?」
「…………何で、いけないの?」
「――――ひかり」

 唖然とする玉緒の前で、ひかりはゆっくりと顔を上げた。
 泣き濡れて悔しがる女の顔だった。玉緒は、こんなひかりを見たコトがなかった。
 ――いや、一度だけ。

「…………何でタマお姉ちゃん、わたしが人を好きになるコトに文句を言うの?」
「ひ、ひかり……?」
「……タマお姉ちゃん、浩司お兄ちゃんだけじゃなく、わたしから浩之ちゃんまで奪う気なの?!」
「――――」

 玉緒は絶句した。
 そしてようやく思い出した。
 浩司と自分の結婚式で突然ひかりが泣き出したあの光景を。
 あの日それとなく抱いた疑念が今、時を隔てて蘇り、そして玉緒に真実をもたらした。

「…………ひかり。……あんた、浩司さんのコト……?」
「――大好きだったのよ!ずうっと想っていたわよ!」

 ひかりはヒステリックに声を荒げて答えた。

「――だけどね、わたしが浩司お兄ちゃんと知り合った時には、もうタマお姉ちゃんと付き合っていた…………だからわたし、諦めたのよっ!――なのに、今度は浩之ちゃんまで奪うの?タマお姉ちゃんにはもう浩司お兄ちゃんがいるじゃないのっ!タマお姉ちゃん、わたしに恨みでもあるのっ?――――」

 パシン。平手打ちの乾いた音が、居間一杯に拡がった。
 玉緒にいきなり平手打ちをされたひかりは、憑き物が落ちたように呆然とした顔で玉緒を見つめていた。
 玉緒は悔しそうに泣いていた。

「じゃあ、何?浩之はうちの人の代用品なの?――――ひかり、あんた、最低よ!」

 その一言で、ひかりはようやく我に返った。
 かつての想い人の面影を持つ親友の子供と――実の子供の恋人と寝た母親。これほど最低な女は居まい。

 ひかりは、そんな平手打ちは初めてではなかった。

 最初は、風邪で寝込んでいた灯志を見舞いに行ったあの日。
 灯志に初めて抱かれたあの日。
 結婚式で泣いた理由のコトで灯志と会話しているうち、話がこじれて、玉緒が浩司を奪ったと感情的になって言ってしまったあの時、熱で赤い顔の灯志が、ひかりを睨んで平手打ちした。
 被害者意識はやめろ、と。
 恋愛は、想いの通りにはならない場合のほうが多いのだ、と。
 弱い心の持ち主は、他人を愛しちゃいけない。それこそ迷惑だ、と。

 灯志は、ひかりの心の内をすべて見抜き、あえてそれを指摘した。
 だから、ひかりは灯志を愛したのだ。

「…………ごめ……ん……なさい」
「――――」

 感情的になっていた玉緒は、その震えるようなひかりの声に気付いて我を取り戻した。

「……ごめん…………ごめんなさい…………あたし……あたし…………!」

 ひかりは玉緒に謝りながら泣き崩れた。もしかするとそれは、玉緒以外に向けられた謝罪なのかも知れない。玉緒はそんなひかりを見て、やりきれなくなって仰いだ。


 翌日。浩之は登校した。
 その日は浩之は朝から、妙に頭が重かった。しかし風邪を引いた様子もなく、鎮痛剤を飲んで痛みを和らげた。
 結局、家に疲れたような顔で戻ってきた母親とは一度も口をきかず、朝になっても起きてこないので心配して母親の寝室を覗くと、今日は熱があるから会社は休む、とだけ言った。
 浩之は、まっすぐ学校に向かった。母親に釘を刺されたワケでもなく、自分が帰った後の修羅場を想像すると、なんとなくひかりの前に顔を出さないほうがいいと思ったからだ。もっとも、放課後に寄って見るつもりではあったが。
 浩之は最初に職員室に向かい、担任の木林に熱を出して起きあがれなかった、と嘘の報告をしてとりあえず納得させ、教室へ向かった。
 自分の席に座ると、隣にいる保科智子が浩之に声をかけてきた。

「風邪?」
「ああ」

 頷く浩之を、智子は怪訝そうに見つめた。浩之はそんな智子の様子に直ぐに気付いた。

「……何?」

 尋ねると、智子は黒板のほうへ向いて、

「……無理はしぃな」

 とだけ言った。それだけだった。浩之は何となく風邪で休んでいないコトを見透かされたような気分でシャクだった。
 そうこうしているうちに、一時限目の授業が始まった。

 昼休みになった。
 得体の知れない頭痛は、まだ続いていた。

「……ヒロ」

 浩之が購買部へ向かおうとしたその時、志保がやってきて声をかけた。


「ちょっと用が有るんだけど」

 不断の浩之なら、志保の頼みなどうざったいだけで聞く耳も持たないのだが、今日は違っていた。
 いつもの元気は何処へやら。浩之はこんな昏い貌の志保は初めてであった。
 なにより、胸騒ぎがした。

 浩之と志保は、屋上にやってきた。
 志保は、金網越しに街のほうをじっと見つめたまま、寂しげに黙り込んでいた。
 いつもなら、用がないなら帰るぞ、とあしらうところであったが、しかし浩之はそんな気分になれなかった。

「……話が有るんじゃないのか?」

 浩之は訊いてみた。
 すると志保は、はぁ、と溜息を吐いた。そして浩之のほうへ振り向きもせず、こう訊いた。

「……昨日、何で学校休んだの?」

 浩之は返答をためらい、

「……風邪で寝込んでいたんだよ」
「どこに居たの?」

 ドキッ。浩之は動揺した。

「……じ、自分ん家だよ」
「嘘」

 ビクッ。浩之は思わず身じろいだ。

「あかりン家に居たんでしょ」

 浩之の頭の中が真っ白になった。同時に、ズキッ、と後頭部を鈍器で叩かれたような頭痛に見舞われ、思わず顔をしかめた。

「…………見たの」
「……な、なにを」
「…………あかりのお母さんとあんたがしているところ」

 浩之は絶句した。
 そして、母親が何故、あの場に踏み込めたのか、その理由にようやく気付いた。母親は黙っていたが、志保が自分たちのコトを密告したのだ。
 そう思うと、浩之は怒りが湧いてきた。
 同時に、哀しさも湧いてきた。志保に知られてしまったコトに。

「…………志保、お前…………」
「あかりのコト、もう忘れたの?」
「――――」

 志保はようやく浩之のほうへ振り向き、とがめるような眼差しを注いだ。

「…………あかりのコト、そんなに簡単に忘れられるの、あんた?」

 浩之は何も応えられなかった。唇を噛みしめ、俯くしかなかった。
 そんな浩之をみて、志保は余計に苛立った。

「……そんなに…………そんなに、好きになった人を簡単に忘れられるの?」
「志――――」

 浩之が堪りかねて言い返そうとしたその時であった。志保が浩之に飛びついてきたのは。

「……志保」
「…………簡単に諦められるなら、あの人じゃなく、あたしを愛してよ」

 浩之の胸の何で、志保は爆発しそうな想いを堪えつつ、ついに告白した。

「……待てよ、おい」
「……あたし、昨日、あんたを慰めるつもりであんたの家に行ったのよ」
「――――」
「…………でも居なかった。……嫌な予感がした。…………だから、あかりン家に行ったら、あんたが居た」
「……そう……だったのか」

 浩之は、志保に抱いていた怒りが薄らいでいく自分に気付いていた。

「…………済まねぇ」
「……何、謝っているのよ。…………あんたが謝らなきゃいけないのは、あかりだけでしょ?」
「…………ああ」

 浩之は志保の肩を両手で抱いて頷いた。その通りだった。

「…………あたしだって、あかりが居なくなるまで気付かなかった――ううん、誤魔化していたんだから、あんたへの想い。…………だって、あんたにはあかりが居たんだから」「…………」
「だからあたしは黙っていた。…………だから悔しいのよ。――何でよりにもよってあたしじゃなくってあの人なの?」

 志保は泣いていた。悔しそうに泣いていた。

「――ヒロ。あんただって判っているんでしょ?あんた、あの人だけは愛しちゃいけない。――だってあの人、あかりのお母さんなのよ!――黙っていないで何とか言ったらどうなの?」

 しかし浩之は何も応えられなかった。
 そんな煮え切らない態度の浩之に、志保は余計に苛立った。

「……許さないから。…………あんな人と一緒になるなんて…………!」
「……志保」
「忘れなさいよ!あかりのために、あんたはあの人は忘れなきゃいけないの!」
「…………」

 浩之は堪えきれず志保から顔を背けた。
 志保は浩之の顔を見ず、唇をきゅっ、と一回噛んだ。

「……それでも忘れられないのなら……あたしが忘れさせて上げる」
「志保――――」
「――あたしを滅茶苦茶にしてもいいよ!抱いてよあたしを!ここで今すぐでも構わないから!好きなだけやらせてあげるから、あたしをあげるから、あの人だけはもう忘れて――――」
「――――それだけは、出来ない」
「何でぇ?」
「志保より先に、あの人が俺を慰めてくれた。――あかりの仮面を付けて」

 志保は絶句した。
 浩之は仰いで、ふう、と吐息を漏らした。

「…………そう言う人なんだよ」
「……バカ……言ってンじゃ……ないわよ!」
「志保……」

 浩之が仰いだのは、志保の泣き顔をこれ以上見ているのが辛かったからだった。

「……あんた……それじゃまるであかりのお母さん、あんたのあかりの代用品みたいじゃないの?あんた、そんな恥知らずな目であの人を見ていたワケ?」

 言われて、浩之はまた頭痛を覚えた。
 そして、その源にようやく気付いた。

 自分は、ひかりをあかりの代用品代わりにしていないか。そんな不安が、浩之を知らず知らず追い詰めていた。そしてそこから生じる迷いが、頭痛となって浩之を責め立てていたのだと言うコトに。

 志保は、見る見るうちに蒼白する浩之をみて、はっ、とした。浩之がそのコトに迷っていたのだと気付き、そして今その迷いが浩之を激しく追い詰めているコトに気付いた。
 志保は堪えきれず、浩之の身体から離れた。そして困惑するその貌で、浩之を見つめた。

「ヒ、ヒロ…………!」

 同時にそれは、浩之ばかりのコトではなかった。
 志保も、そうではないのか。あかりが抜けた穴を、自分があかりになりすましてズケズケと入り込んで居座ろうとしている浅ましい女は、自分もそうではないのか、と。
 そしてそれで満足しようと思っていた自分の浅はかさに、志保はめまいを覚えた。だから志保は、もうその場にはいたたまれなくなり、逃げるように駆け出して校舎の中へ入って行った。
 一人取り残された浩之はしばしその場に佇み、やがてそばの金網にもたれかかった。
 浩之は空を仰ぐ。
 夏の空は蒼かったが、そこに見失ったモノは見えるハズもなかった。

                  つづく
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