ToHeart if「Alive」第5話  投稿者:ARM


【警告】
○このSSはPC版&PS版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを混在して使用しています。
○このSSはPC版&PS版『To Heart』神岸あかりシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、「今回は」性描写「が」ある18禁作品となっております。
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 旧姓、浅見ひかり。
 藤田浩之の母親である藤田玉緒(旧姓・生田)とは年の離れた幼なじみである。
 ひかりは幼い頃から姉のように慕っていた玉緒といつもどこへ行くのにも一緒で、玉緒もまた、ひかりを実の妹のように可愛がって面倒を見た。二人の両親は両方とも共働きで、特にひかりに至っては、親と一緒にいる時間より玉緒と一緒にいる時間のほうが長かった。

 そんなひかりが、初恋をした。

 相手は、近所にいる年上の男の子であった。
 その男の子は、玉緒と同い年で、同じクラスメートであった。
 そして、その男の子は、玉緒と付き合っていた。
 男の子の名は、藤田浩司。後に玉緒は浩司と結婚し、浩之をもうけるコトになる。
 藤田夫妻が結婚したのは、ともに二十歳、大学生の時で、いわゆる学生結婚である。

 ひかりはずうっと、浩司を慕っていた。しかし玉緒の存在が、その想いを口にするコトを許さなかった。
 そして長く、そして若いつきあいの末に結婚した二人に、玉緒は心から祝福した。

 そんな玉緒の心に気付いていた男が居た。
 神岸灯志。藤田夫妻が通う大学での同期で、同じサークルに居た旅行好きの青年である。
 灯志は中学生の時に、資産家だった両親を事故でなくし、身寄りもなく、以来、遺産を頼りに一人で生活してきた。子供の時より旅行が好きで、小学生の時には春休みに一人で北海道を自転車で一周してきたほどのバイタリティの持ち主で、高校生の時、一年休学して世界を出来る限り金を使わずに旅行したコトもあった。
 ひかりと知り合ったのは、浩司と玉緒が大学に入学してきた時、入学式典で二人の直ぐ隣に座ったコトがきっかけであった。そして三人が、同じサークル(ワンダーフォーゲルである)に入ったコトで、交流が始まったのだが、そんな灯志がひかりの夕食会に浩司と一緒に招かれた時、玉緒の手伝いをしていたひかりと出会った。
 ひかりは、二人よりひとつ年上の灯志と初対面の時、あまり良い印象を抱かなかった。そのコトに関して後にひかりは不思議がった灯志に訊かれ、二人より年上なのが落第した所為だと勝手に思いこんだり、何より当時、二週間にも渡るオーストラリア放浪から戻ってきたばかりで伸ばし放題のヒゲがとてもイヤだったらしい。それを聞いて以来、灯志はヒゲを毎日剃るようになった。
 だがひかりは、浩司と玉緒を引き連れて一緒にハイキングに行ったり、子供の頃から回っていった旅先の面白い話などを楽しそうに語る灯志を見ているうち、浩司とはまた異なった魅力を灯志に見出していた。浩司と違い、その旅行好きを活かしてすでにプロの気候ライターとして活躍していた灯志に、浩司には足りなかった「大人の男」を感じていたのだ。

 それでも、ひかりは、浩司のコトを慕い続けていた。

 二人のささやかな結婚式当日、いきなり泣き出したひかりを灯志がなだめすかした。

「……ひかりちゃん」
「……御免なさい。玉緒ちゃんや浩司お兄ちゃんたちを見てたら…………つい……御免なさい」
「……別に謝らなくてもいいよ」

 灯志は、もの哀しげに、ふう、と溜息を吐き、

「……藤田が、好きだったんだな」

 ひかりは、頷いた。灯志の前で、ひかりは正直に頷いた。そしてまた泣いた。
 失恋を認めたくないばかりに、それを恋だと認めない、哀れな恋心。
 灯志は、泣き続けるひかりを抱きしめてなだめた。

 浩司と玉緒が結婚しても、灯志とひかりは二人の親友のままで居た。
 ただ、灯志とあかりは、その件をきっかけに急接近し始め、傍目でも単なる友達の間柄とは思えないくらい親密になっていた。灯志に懐くひかりを見て、浩司は今まで自分に靡いていたのに、と洩らしては玉緒に頬をつねられたものである。

 灯志とひかりが一線を越えたのは、浩司と玉緒の結婚式から一ヶ月後。風邪を引いて寝込んでいた灯志を見舞いに来たひかりが、どういう経緯か当人たちにしか判らぬが、どうやら場の成り行きで、灯志に抱かれた。


「……そういえばさ」
「?」

 つくば市にある来栖川電工新技術開発研究所施設内の休憩所で、藤田玉緒は横に座って煙草を吹かしている夫に話しかけた。

「ひかり」
「?」
「ひかりが結婚したときのコト、何となくさっき思い出してね」
「ひかりさんが結婚した時……ああ、神岸のアレか」
「アレはないでしょう、アレは。あんな唐突でも神岸君の立派なプロポーズなんだから。浩司なんか夢のないセリフだったわよね、『一緒に飯喰うか?』」
「うるせぇ。あれでも俺なりに考え抜いたセリフだ。……だいたいだなぁ、俺から、みそ汁作ってくれ、だなんてベタベタなヤツなんか聞きたかったのか?」

 むくれる浩司に、玉緒は面白がってくすくす笑った。
 その妻の笑顔が、ゆっくりと寂しさを帯びてきたの、浩司は直ぐに気付いた。

「……豪放磊落なところがあっても、結構真面目な人だったから……責任とります、だったっけ。ひかりと寝たその翌日に、抱えきれないバラの花束持ってひかりの家にやってきたんだよ」
「本当、あいつらしいよ」

 浩司は、二度と逢えぬ親友の姿を脳裏に思い浮かべ、肺に溜めた煙草の煙を溜息に混ぜて吐いた。

「あたしたちは出来ちゃった結婚だったけど、神岸君の場合、やっちゃった結婚、ってゆうのかな。凄いよねぇ、まだ高校生だったひかりと結婚しちゃったんだから」
「お前なぁ(苦笑)そんなコト言うと本当、オバサン化が進むばかりだぞ」
「いーの。親に内緒で幼なじみと寝ちゃう年頃のガキを持つと、もう、どーんとこい、って気分だから」
「…………え?」

 思わず浩司の顔が硬直する。そんな浩司から火の点いた煙草を奪い取り、玉緒はそれを口にくわえた。

「おいおい、お前、煙草なんて吸えるのかよ」
「知ンない。浩司が吸ってたから、吸ってみたくなっただけ――げふげふっ」

 途端に咽ぶ玉緒から煙草を取り返した浩司は、ぜえぜえ言う玉緒の背中をさすった。

「……おい」

 浩司は、涙を浮かべる玉緒の横顔が、煙草に咽いでいるのではないコトに直ぐに気付いた。昔からこういう女なのだ。

「…………浩之……立ち直ってくれればいいね」
「ああ」

 浩司は頷いた。

 その一方で、玉緒は苛立つ自分に気付いていた。
 何か、嫌な予感がする。それは母親の直感であった。


 第5幕 ひかり


 決定的だった。

「…………………………やっぱりあなたは、ひかりおばさんだ」

 静寂。

「……え?」

 ひかりはきょとんとした。

「……な、なに、いってるの、浩之ちゃん?」
「記憶の混乱」
「――――え?」
「…………馬面みたいなひかりおばさんの担当医が、言ってた。これは、一時的な記憶の混乱が原因なんだ、って。家族を一片に失ったんだ、そのショックで、ある種の現実逃避から、自分があかりだと思いこんでいるだけなんだよ」
「え………………?」
「だからさ」

 そう言って浩之は立ち上がり、

「ひかりおばさんは、俺を騙していたんだ」

 ひかりは絶句した。
 自分を見据える浩之の顔が怒りに満ちていた。

「ひ……浩之ちゃん…………?」
「……俺だって、バカじゃない――わかってたさ。そんなんじゃないかって。――――でもよぉ、それでも俺は、あかりが死んだ、なんてコトは認めたくなかったんだっ!」

 ひかりは唖然としたまま立ちつくしていた。

「……だから…………俺は…………おばさんの嘘に付き合っていたんだ」
「浩之ちゃん…………」

 ひかりは首を横に振り、

「……嘘じゃないよ!本当にわたし、あかりだよ」
「それ以上言うなっ!」

 浩之のもの凄い怒鳴り声が、居間に轟く。この剣幕にひかりは堪らず身を竦めてしまった。

「やめろよ…………それ以上嘘つかれたら、俺が惨めになるだけじゃないかっ!」
「だ……だって……」
「死んだ恋人の影を母親に見出す男?はん、まるで道化じゃないか――そんなに俺をバカにしたいのか、あんたはっ!」

 怒鳴り散らす浩之は、唖然として立ちつくすひかりの元へ詰め寄り、いきなりひかりの右手首を掴んだ。

「……やめろよな…………それ以上俺をバカにする気なら…………こっちだって考えがある」
「ひ……浩之ちゃん…………お願い、落ち着いて…………」
「――――あくまでも――――自分は、あかり、だと言い張る気か?」

 キレた浩之に睨み付けられるひかりはぶるぶる震えていた。
 そんなひかりを見て、浩之の口元が、にぃ、とつり上がった。

「――――だったら、やらせろよ」
「え?」

 ひかりの身体の震えが止まった。

「……お前があかりなら、俺はまだあの夜だけしかお前とセックスしていないんだぜ?――恋人なんだろ、やらせろよっ!」
「ひ――」

 浩之は怯えて青ざめるひかりを床に押し倒した。そしていきなりひかりに自分の唇を押し当てると、浩之はひかりの胸を荒々しくまさぐりだした。

「ん――、ん――」

 ひかりは激しく抵抗する。しかし口は塞がれて声も出せない。浩之は舌を入れ、自分のヨダレをひかりの口の中へそそぎ込んだ。
 胸をまさぐる浩之は、両手でひかりの着ていたブラウスの裾を掴むと、一気に引き剥がした。ボタンが床に散り、ひかりの白いブラジャーに隠された、まだきめ細かい若く綺麗な胸の肌が露わになった。

「――はぁっっ!」

 浩之はようやく唇を放すと、ひかりはようやく息が出来た。浩之が流した唾液で咽んだらしく、顔を赤らめてはぁはぁ吐息を荒げる。
 ひかりの唇を塞いでいた浩之の唇は、今度はブラジャーを上へ引き剥がして剥き出しになったひかりの右乳房に押し当てられる。浩之の舌がひかりの乳首をなめ回し、ひかりはせつない声を上げた。

「いやぁ…………やだ、やめて……浩之ちゃぁん……!」

 嫌がるひかりの声など無視し、浩之は空いているひかりの左乳房を右手掴み、指先でその乳首を摘み弄んだ。途端にひかりは、ひゃあぁっ、と啼いた。
 やがて浩之は、涎まみれの右乳房から顔を離し、右手を左乳房から外して、ふう、と吐息した。浩之に組み伏せられているひかりは、はぁぁぁぁっ、と欲情した声を出して深呼吸した。
 浩之はそんなひかりを見て、にぃ、と澱んだ笑みを浮かべた。

「……別にあんたがあかりじゃなくったって良いんだ。…………むしろ、そっちのほうが都合がいい。――――あかりをもう一度妊娠してよ、おばさん。俺がセックスで一杯中に出して上げるからさ、………………あかりをもう一度産み直してよっ、あはははっ!」

 浩之は壊れてしまったようであった。ひかりはさざ波のような快感の中でなお、恐怖を感じていた。左乳房から外した浩之の右手は、直ぐにひかりのスカートに差し込まれ、その奥にある秘所へと延ばしていた。
 浩之の右手が、パンティ越しにひかりの秘所に押し当てられた。浩之はそれを人差し指で撫でる。ひかりは、ああっ、とせつなげに悲鳴を上げた。

「ダメ………ダメッ……!」

 ひかりは両手で浩之の頭を押し返そうとする。しかし浩之はその手を振り解き、秘所を撫でながら姿勢を90度変え、顔を伸ばしてひかりの唇を再びキスで塞いだ。
 虚空を掴まんと藻掻き振るえるひかりの両腕が、やがて痙攣するように振るえ、やがて力尽きたように床に落ちた。ひかりは浩之の陵辱にもはや抵抗する力もなくなっていた。
 それコトに気付いたように、浩之はぐしょぐしょになったひかりのパンティを引き下ろす。ひかりの両脚はなんの抵抗もせず、パンティは外され、床に放り捨てられた。
 再び浩之はひかりから唇を放し、そしてひかりのスカートをめくった。そして剥き出しになっているひかりの秘所へ、顔を押し当てた。

「あ…………ああ…………あああっ」

 ひかりは声を上げるぐらいし出来なかった。浩之は執拗にひかりの秘所を、ワザとひかりに聞こえるように大きな音を立ててなめ回す。意に反し快楽に負けて膨れ出たクリトリスを浩之が思いっきり吸うと、ひかりの背筋に凄まじい快感が駆け抜けた。
 浩之のクンニが三分ほど続くと、やがて浩之はひかりの両脚の間に割って入ってきた。浩之は既に裸になり、びくびくと脈打つそれをひかりに差し向けていた。

「…………いくよ」

 高揚のない浩之の声が、快楽におぼれかけていたひかりの耳に届き、ひかりは思わず目を瞑った。
 その瞬間、ひかりの脳裏に、灯志の顔が過ぎった。

「………………あな……た…………」

 静寂。
 ひかりはこのまま、浩之に貫かれるものだと諦めていた。
 やがて、下の方から嗚咽が聞こえ、ゆっくりと目を見開いた。
 浩之は、ひかりの両脚を脇に抱える状態で、俯いて啼いていた。あれほど逞しくそそり立っていた浩之のものは、すっかり縮んでいた。

「…………浩之……ちゃん?」
「…………やっぱり…………ひかりおばさん……なんだよね」

 浩之はそう言って、抱え込んでいたひかりの両脚を降ろした。慌ててひかりが足を引き戻し、散らばっていた服で身体を隠すが、浩之はその場にうずくまり、嗚咽し続けていた。

「…………よかった…………もとに…………戻ったんだ…………」

 ひかりは呆然としたまま、嗚咽する浩之を見つめていた。
 やがてひかりの頭の中に、今までのコトが甦ってきた。あの事故の後、車内であかりと向き合って倒れていた時のコトが最初に浮かんだ。

               *

「……あ……かり……しっかり……して……」

 ひかりがあかりに呼びかけた。かすれつつある意識のなか、必死に娘を励ます姿から、あかりは今の自分の様子が、傍目でも危険な状態であるコトが判るほど酷いのだと理解した。
 不意に、浩之の突っ慳貪な顔が頭に浮かんだ。

「……やだ……よ」

 あかりはかすれた声でその名を呼んだ。

「……あたし……まだ…………浩之ちゃんと幸せに……なっていないんだよ……」
「あかり……しっかり……」

 娘を励ますひかりの顔が苦痛に歪む。母親の本能が気力の源になっているらしい。

「もうすぐ……助けがくるから……だから……!」
「お母さん……やだよ……あたし…………浩之ちゃんと……」
「あかり……しっかりして!」
「……浩之ちゃんとやっと結ばれたのに…………幸せになれると……思ったのに……」
「ダメよ……あなたが弱気になったら、浩之ちゃんが……悲しんじゃう……!」
「……やだよ……こんなの……もっともっと……浩之ちゃんといっしょに……いたいのに…………ずうっと………………ずうっといるって……言ったのに」
「ダメ……ダメよ…………!」

 微かに残る頬の感覚が、落ちてきた冷たい物を覚えた。
 涙。悲しむひかりのまなじりからこぼれてきた雫であった。

「……怖いよぉ……寒いよぉ……ごめんね…………ごめんね……浩之ちゃぁん……」
「あか…………り……」

 そう洩らしてひかりはがっくりと首を落とした。

               *

 その次は、病院のベットで目覚めた時。そこには、浩之がいた。

「…………浩之…………ちゃん?」

 浩之の顔を視界に捉えた時、ひかりは痛がった。とても痛かった。
 物理的な痛みではない。

 …………浩之ちゃん。…………あかりは…………どうしたの?

 死んだのよ。

 どこかで、自分と同じ声色の主が囁いた。

 浩之ちゃんの大切なあかりは死んでしまったのよ。

 嘘。――それは嘘。
 だって、あかりはやっとあの浩之ちゃんと結ばれたのよ。あの娘が、せっかく幸せを手に掴んだのよ。
 なのに、なんでそんなコトを言うの?

 だって。
 わかるでしょ?
 死んじゃったんだから。

「……怖いよぉ……寒いよぉ……ごめんね…………ごめんね……浩之ちゃぁん……」

 ひかりは、あかりの泣き声を耳にした。

「……ごめ……んね…………浩之ちゃ……ん…………」

 微かに耳に残る、あかりの最期の言葉。

               *

 ほら。
 死んじゃった。
 可哀想に。

 ――――違う!死んでいないわ!あかりは死んでいないっ!こんなところで死んじゃいけないのよ!

 駄目。
 無駄よ。
 死んだのは事実。
 現実を素直に受け止めなさい。

 ――――そんなコトはない!――――あかりは死なせないっ!死神、あなたにわたしの命をあげるから、あかりの命だけは持っていかないでっ!

 駄目。
 無駄よ。
 死んだのは事実。
 現実を素直に受け止めなさい。

 ――――許さない。それだけは、わたしは絶対認めない
 ――――そう。わたしが認めなければいいのよ。あかりが死んだなんて。
 それを認めたら、この子が哀しんでしまう。

               *

 ……おばさん、ごめんなさい。また、あかりちゃん、いじめちゃった。

 些細なことであかりをいじめてしまっても、わたしに必ず謝ってくれる。
 あかりが好きな男の子。わたしだけには素直になってくれる、優しい男の子。
 笑顔が、懐かしいあの人のそれと同じなのが、わたしはとてもお気に入りだった。

 ――――そう。あの浩司さんによく似た、わたしに懐いてくれる、可愛いあの坊やが哀しんでしまう。
 それだけは、絶対許さない。たとえ、あなたが神様だとしても。

               *

 認めない。
 あかりが。
 死んだなんて。

 あの子を哀しませる事実なんて。
 みんな、嘘よ。

 そう。
 あかりは。

 生きている。

 わたしはあかりの最期なんて見なかった。
 否定しよう。
 それですべて良い。
 わたしの心の内にすべてしまい込めば、きっとあかりは生き続けてくれる。

 そう。
 あかりは。

 わたしの中で、生き続ける。

 わたしの代わりに、生き続ける。

 わたしは、死んだ。

 だけど、あかりは。

 生きている。――――

               *

「…………どうしたの?」
「あ――――いや、大丈夫だよ、おばさん」
「………………」

 するとひかりは、きょとんとした顔で浩之を見つめたではないか。

「……おばさん?どうか」
「…………やだ……浩之ちゃん、何、変なコト言ってるの?……なんであたしのコト、”お母さん”みたいに呼ぶの?」

 事故の翌朝、ベットに寝ていたひかりが、浩之の姿を見て人工呼吸器越しにそう言った。
 浩之は絶句した。
 つづいてひかりは、不安げにこう言った。

「…………浩之ちゃん。あたしだよ、あたし……あかりだよ」

               *

「――――っ!?」

 すべてを思い出したひかりは、思わず頭を抱え込んだ。

 そうなのだ。
 わたしは、あかりが死んだとは思いたくなかった一心で――――あかりを無意識に演じていたのだ。

 そして。
 そのコトが。
 大好きなあの男の子の心を乱し、蝕んでいたのだ。
 汚してしまったのだ。
 自分勝手な想いが。
 あの男の子に良かれと思っていたコトが。
 浩之の心をズタズタに傷つけてしまったのだ。

 浩之はひかりの目の前でまだ、床にうずくまったまま嗚咽を続けていた。

 それでも。
 この少年は。
 わたしを元に戻したい一心で。
 敢えて騙されていた。
 自分を傷つけてしまうコトを覚悟で。
 わたしの心を守ってくれたのだ。

 それは衝動的だった。
 そう理解した瞬間、ひかりは浩之の身体に飛びつき、泣き震えるその身体を抱きしめた。

「…………浩之ちゃん…………ごめん…………ごめんね…………おばさん、あなたを傷つけてしまった…………わたしの心を癒してくれたあなたを傷つけてしまった…………!」

 ひかりは涙を流しながら、抱きしめる浩之に必死に詫びた。ひかりの行動に驚いた浩之は、ゆっくりと身を起こすが、ひかりは身体を離されるとしつこく抱きつき直し、泣いて詫び続けていた。
 わあわあ泣くひかりを見ているうち、浩之はようやく泣き止んだ。そしてようやく自分の心を取り戻したひかりに、安堵の笑みを浮かべた。

「……もう……いいよ、おばさん。…………やっと…………いつものひかりおばさんに戻ってくれただけで俺はもう、嬉しいんだ」

 浩之はひかりを宥めるが、ひかりは泣き続けたままだった。浩之は泣き震えるひかりの肌が剥き出しになった背中を優しく撫でた。
 いい匂いのする女性だった。日向のような笑顔がよく似合う女性だった。
 あかりの母親。愛したあかりが自らのすべての手本にした偉大なる女性。
 それだから、浩之は、この女性の前では、何も偽るコトなど出来なかった。
 だから、あかりの仮面をつけていたあの時間が、堪らなく嫌だった。

 ――嫌だった?
 ――そんなコトは無い。
 ――この女性と一緒にいた時間は…………。


「……落ち着いた?」

 浩之が優しく訊くと、ようやく泣き止んだひかりが、浩之に抱きついたまま、こくん、と頷いた。

「……良かった。……俺、謝らなきゃ。…………こんな無茶してまで、おばさんの正気を取り戻そうとしたコトを…………」

 そう言って浩之は唇を噛みしめる。

 それは嘘だった。
 本気で、ひかりとセックスしたかった。尊敬する女性、そしてあかりの母親であることなど忘れ、滅茶苦茶にしたかった。
 あの時。
 ひかりが夫を呼ぶ声を漏らさなければ、最後まで行ってしまっただろう。

 浩之は本気で怖がった。
 あれが、藤田浩之の本心なのだ、と。
 大切なモノを、平気で汚す、薄汚い男。

 あかりを最初に抱こうとした時、そのコトに気付いていたハズではなかったのか?

 結局、同じコトを繰り返してしまった。
 浩之の頭の中はそんな自己嫌悪で一杯だった。
 だがそんな歪んだ想いなど、ひかりには見せてはならない。だから浩之は微笑んで見せた。

「……落ち着いた?」
「…………うん」

 ひかりは浩之に抱きついたまま頷いた。

「……じゃあ、服着て……あ、ごめん、俺、破っちゃったんだけ……本当にゴメン」
「…………いいよ、別に」
「………そう言うわけにはいかない。弁償するから…………え、何?」

 浩之は、抱きついているひかりが耳元で囁いた言葉に、笑顔を硬直させた。そして自分の耳を疑った。

「…………浩之ちゃん…………おばさんと、しよ」

                  つづく


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