ToHeart if「Alive」第2話  投稿者:ARM


○このSSはPC版&PS版『ToHeart』(Leaf・AQUAPLUS製品)の世界及びキャラクターを混在して使用しています。
○このSSはPC版&PS版『To Heart』神岸あかりシナリオのネタバレ要素がある話になっており、話の進行上、性描写もある18禁作品となっております。
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【承前】

「おかあさん、本当心配性なんだから」

 神岸あかりは、自分の右側に座った母親が、狭い中を難儀してシートベルトを装着する姿を見て苦笑した。

「そうは言うけど、わたし、車って昔から苦手で……」
「ひかりは加速がダメなんだよな」

 あかりを挟んで座るあかりの父、神岸灯志は、心配性な妻に意地悪そうに言って見せた。

「昔、海外旅行に行った時も、離陸の時に怖がって足をバタつかせていたっけ」
「うー。あなた、意地悪すぎます」

 ふくれる神岸ひかりを見て、灯志とあかりは面白がって笑った。

 丁度その時であった。

 それは唐突すぎる出来事であった。
 タクシーの後部座席に座った神岸一家は、もうじき席を予約したホテルに到着する頃にさしかかった交差点で、信号を無視して入ってきたタンクローリーにぶつかってしまった。


 突然の喪失の後、次にあかりが意識を取り戻したとき、周囲は赤く染まっていた。
 どこか遠くで、人々の喧噪が聞こえていた。
 熱かった。近くで何かが燃えているのか。あかりは自分が火事現場に巻き込まれたのかと思った。
 そして、ようやく、タクシーにタンクローリーがぶつかったコトを思い出した。
 呻き声。
 ようやくあかりは、自分の顔の目の前に、血塗れの母親の顔があるコトに気付いた。

「……あか……り」

 ひかりは既に意識を取り戻していたらしい。しかし相当酷いダメージを受けたようで、今にも気絶しそうな状態にあるようだった。
 そしてあかり自身も、自分の頭以外の感覚が全くないコトにも気付いた。そればかりか、顔の感覚さえも次第に深い闇に吸い込まれていくような喪失感があった。
 事故にあった。身体が動かせない。動けない。
 あかりは、死を意識した。

「……あ……かり……しっかり……して……」

 ひかりがあかりに呼びかけた。かすれつつある意識のなか、必死に娘を励ます姿から、あかりは今の自分の様子が、傍目でも危険な状態であるコトが判るほど酷いのだと理解した。
 不意に、浩之の突っ慳貪な顔が頭に浮かんだ。

「……やだ……よ」

 あかりはかすれた声でその名を呼んだ。

「……あたし……まだ…………浩之ちゃんと幸せに……なっていないんだよ……」
「あかり……しっかり……」

 娘を励ますひかりの顔が苦痛に歪む。母親の本能が気力の源になっているらしい。

「もうすぐ……助けがくるから……だから……!」
「お母さん……やだよ……あたし…………浩之ちゃんと……」
「あかり……しっかりして!」
「……浩之ちゃんとやっと結ばれたのに…………幸せになれると……思ったのに……」
「ダメよ……あなたが弱気になったら、浩之ちゃんが……悲しんじゃう……!」
「……やだよ……こんなの……もっともっと……浩之ちゃんといっしょに……いたいのに…………ずうっと………………ずうっといるって……言ったのに」
「ダメ……ダメよ…………!」

 微かに残る頬の感覚が、落ちてきた冷たい物を覚えた。
 涙。悲しむひかりのまなじりからこぼれてきた雫であった。

「……怖いよぉ……寒いよぉ……ごめんね…………ごめんね……浩之ちゃぁん……」
「あか…………り……」

 そう洩らしてひかりはがっくりと首を落とした。
 あかりは気絶したひかりの泣き濡れた顔を、次第に遠くなっていく意識の中で覚えていた。

「……ごめ……んね…………浩之ちゃ……ん…………」

 それがあかりが口にした最期の言葉となった。


 第2幕 混乱


「……なんであたしのコト、”お母さん”みたいに呼ぶの?」

 事故の翌朝、ベットに寝ていたひかりが、浩之の姿を見て人工呼吸器越しにそう言った。
 浩之は絶句した。
 つづいてひかりは、不安げにこう言った。

「…………浩之ちゃん。あたしだよ、あたし……あかりだよ」
「――――な、なにを言っているんだよ、おばさん?」

 浩之は当惑しながらひかりに近づいた。

「……悪い冗談はよしてくれよ」
「……え?」

 あかりと名乗るひかりは、まだ麻酔が抜け切れていないその顔できょとんとした。

「やだ……意地悪しないで……」

 そんなひかりに、浩之はやりきれなさそうに、はぁ、と溜息を吐いた。

「じき、先生が来るから、もう少し寝てて」
「あ……う、うん」

 ひかりは困ったふうな顔で頷くと、また眠ってしまった。
 ひかりが眠りに落ちた後、浩之は壁のほうに振り向き、そのやりきれなさを拳に込めて壁を叩いた。
 これで三度目だった。
 三度目はないと思っていたのに。
 そして、四度目さえも二度と無いコトを理解すると、浩之は壁に向かってわあわあ泣いた。


 あかりが死んだ翌日、浩之はようやく学校に出てきた。遅刻だった。
 ホームルーム中に遅れてやってきた浩之を見て、担任の木林教員は浩之を叱ろうと口を開きかけたが、しかしあるコトを思い出し、はぁ、とやりきれなさそうに溜息を吐いて、席に着け、とだけ言った。
 浩之は無言で自分の席に着いた。
 隣に座る保科智子が、ときおり浩之の顔を沈痛そうな面持ちで見やるが、どうしても声をかけることが出来なかった。
 あかりの席は、浩之の席から丁度右斜め後ろ、智子の直ぐ後ろだった。智子は昨日の授業中、左側と背後に言いしれぬ寒さを覚えていたが、左側がようやく埋まってもその哀しさだけは埋めるコトが出来なかった。

 浩之は昼休みになると、屋上にいた。志保と雅史は浩之に声をかけてみたが、聞こえていないようだった。無視していたのかも知れない。
 晴天だった。夏の青さがフライングして、突き抜けるように拡がっていた。
 浩之は空をずうっと見上げていた。
 やがて、昼休みの終わりを告げるチャイムを耳にすると、何の感慨もない顔で校舎の中へ入っていった。

 放課後。雅史と志保が一緒に帰ろうとまた声をかけてきたが、浩之は、じゃあな、と言って一人で帰っていった。
 学校を出た浩之が向かった先は、ひかりが入院している病院であった。浩之の母親がひかりの当座の世話を引き受けるコトになり、今頃もいるはずである。
 浩之はひかりがいる個室の病室にやってくると、そこには人工呼吸器を外されてベットに横たわっていたひかりだけしかいなかった。

「……入りますよ……ってあれ、お袋は?」
「……おばさんはちょっと用があって」

 ひかりは起きていたらしい。浩之が入室してきたコトに気付き、少し身を起こして返答した。

「え――、あ、ああ、そう?」

 浩之はひかりの様子に戸惑いつつ、少し困ったふうに頭を掻いた。

「……その……ね……なんだ………………ちょっと……いい?」
「?」

 ひかりが不安げに首を傾げると、浩之は苛立って髪を掻きむしった。

「………………今日、ずうっと考えていたんだ。……その……ね、俺はおばさんの性格は判っているつもりだし、その………いくらお茶目な人でも常識はわきまえているだろうから、悪質なコトは言うハズもないし………」

 そして浩之は大きく深呼吸して、

「…………本当に、あかりなのか?」

 酷く困惑する浩之がそう訊いた。
 途端に、ひかりはボロボロと泣き出し始めた。

「……わかんない…………わかんないよぉ…………浩之ちゃんのお母さんにもそのコト言ったら変な顔するから鏡みたら、あたし、お母さんになっているんだもん…………!もう、何がなんだかわからない…………一体何がどうなっているのか、浩之ちゃん教えてよぉ……!」

 自分はあかりだというひかりを前に、浩之の困惑はますます深まった。

「…………聞きたいのはこっちのほうだよ!本当に、本当にあかりなの?おばさん、からかっているんじゃないの?」
「――――ひっく!」

 浩之に怒鳴られて、泣き顔のひかりは、びくっ、となる。そんな仕草はまさしく浩之が見慣れたあかりであった。
 その反応を見て、浩之は余計に苛立った。学校にいたとき、来栖川芹香に相談しようかと思ったのだが、ひかりが動転している可能性も捨てきれず、まずもう一度ひかりに会って様子を見ようと思っていたのだが、先走っても良かったと舌打ちした。

「……えーと。悪い。まだ、本当にあかりかどうか、俺にも確証が得られないんだ。だから、ちょっと質問してもいいか?」
「質問?」
「ああ。ひかりおばさんなら知らないコトを、ちょっとな」
「…………うん」

 ひかりが頷くと、浩之は自分の襟元に触れた。浩之は緊張しているせいか暑苦しさを感じたらしいが、最初から襟は外していたので、神経質になっている自分に苛立った。

「…………5月3日。あの日の夜、志保の家に泊まったんだよな?」

 浩之がそう訊くと、ひかりは少し考えて首を振った。

「……ううん。浩之ちゃん家」

 恥ずかしげに俯き答えるひかりを見て、しかし浩之は釈然としない面持ちで肩を竦めた。

「……じゃあ、あの朝、お前、起きた時、俺になんて言った?」

 第二の質問に、ひかりはまた少し考えてから、

「……ずうっといっしょだね、って」

 この答えに、浩之は困憊しきった溜息を吐いた。

「……そうだったよな。…………ああ、そうだよ、お前はそう言ったよな、”あかり”」

 浩之がその名を呼んだ。目の前にいる神岸ひかりを、浩之はあかりと認めたのだ。
 肉体が死んだあかりの魂が、母親のひかりの中に入っている。浩之はそれを認めたのであった。

「…………なんだよ一体これは……?何か神様、あかりとおばさんが何か悪いコトでもしたって言うのかよっ!」

 そう言って悔しげに歯噛みする浩之を見て、ひかり――母親の顔をしたあかりは途方に暮れた。

「――とにかく、だ。俺にも理由は判らないし信じられないが、あかりがおばさんの中で生きている以上、何とかして霊安室にあるあかりの身体に魂を戻さなきゃならない。このコト、先生に言ってくる」


「何を莫迦なコトを」

 そういって、ひかりの担当医である長瀬源六郎医師は呆れ返った。

「そんな非科学的なコトを言われてもダメだよ。確かに神岸ひかりさんは自分が娘の神岸あかりだと言い張っていましたが、あれは事故のショックによる混乱が引き起こしているものです」
「しかし、あかりは、あかりと俺だけしか知らないコトを知っていた!それが証拠だよ!」

 詰め寄る浩之に、長瀬医師は、はぁ、と溜息を吐いて肩を竦めた。

「人間の記憶というものは、本人の意志に関係なく、いつの間にか記憶される場合もあります。キミとあかりさんだけしか知らないという事実も、どこかであかりさんがひかりさんに洩らしていた可能性だってある」
「それはつい最近のコトなんですよ」
「つい最近?」
「この間、俺があかりとセックスした時の――」

 浩之は勢いでそこまで口にして、あっ、と絶句する。ひかりの病室の前の廊下で、隣で二人のやりとりを呆れ気味に聞いていた浩之の母親も、流石に今の息子の発言には狼狽を隠しきれなかった。
 長瀬医師は、こほん、と場の雰囲気を誤魔化すようにワザとらしげに咳払いをして、

「……しかし、だね。わたしはそう言うロマンチックな話は嫌いではないが、医師の立場から言わせてもらえば、そんな非科学的なコトはありえない、としか言えないのだよ。それに――」
「それに?」
「神岸あかり嬢の身体は既に壊死が始まっている。今からどんなアテがあってその入り込んだ魂とやらを戻すにせよ――残念ながら彼女の肉体は既に、生物学的にも二度とよみがえるコトが出来ない」
「――――」

 絶句する浩之の顔が見る見るうちに青ざめていく。防腐剤を投与してまだかつての少女の姿を維持しているが、生物学的な崩壊はくい止めようがないのだ。
 なにより、浩之には今すぐ、ひかりの中にいるあかりの魂を戻す術など知らなかった。

「――――そんなコトぐらい、俺にもわかってんだよっ!」

 浩之は長瀬医師の胸先でそう怒鳴ると、浩之はその場から逃げ出すように駆け出していった。浩之の母親が浩之を呼び止めようとするが、今の浩之には何も聞こえていなかった。

 もう、何がなんだか判らない。
 何をどうすれば、今の自分を惑わすモノを晴らすコトが出来るのか。
 浩之は自分の無力さを改めて痛感した。

                  つづく
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