ToHeart if.『月は、太陽に』第32話(最終回)  投稿者:ARM


○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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「今日、って確か、佐藤君の試合の日じゃなかったの?」
「午後からだ、って言ってたし、それに予選試合会場はよみうりランドで行われるから、大丈夫」

 いつもより少し早い日曜の朝。朝食を摂り終えたゆえは、先に食器を洗っていたところをまだ食事中の六実に訊かれ、振り向かずに答えた。
 そんなゆえの背を、何故か六実は不安げな面持ちで見ていた。

「…………本当にいいの?」
「うん」

 ゆえはためらいもなく答えた。

「……気持ちのけじめ、つけなきゃ」
「……そう」

 六実ははにかむような貌で頷いた。

「そろそろ行かないと間に合わなくなるから――」
「あー、どたどたしないの」
「ごめーん」

 六実に叱られながらゆえは駆け足で自分の部屋に戻り、机の上に置いてあるカバンを手に取って部屋から出てきた。そして、キッチンにいる六実に向かって、

「じゃあ六実お母さん、俊夫お父さん、行ってきます!」
「ん。いってらっしゃい」

 ゆえは、最近テーブルの上に置くようになった、俊夫と六実とゆえとで一緒に撮った写真台に挨拶すると、六実が応えた。
 ゆえが俊夫を、俊夫お父さん、と自然に呼ぶようになったのは一昨日ぐらいからである。六実が夜勤から帰ってきた時に、俊夫の写真にお父さんと呼んだのを見て、六実はつい嬉し泣きをしていた。
 ゆえが玄関から出て行ったのを見送ると、六実は嬉しそうに写真の中の俊夫を見た。

「……俊夫さん。やっとゆえがお父さん、って呼んでくれるようになったわね」

 そういって六実は目を瞑り、嬉しそうに微笑んだ。
 そして、小さく、ありがとう、と呟いた。


 最終話  大団円


 同じ頃、浩之とあかりと志保そしてレミィと智子たちは、サッカー部の全国高校サッカー大会予選第一試合が行われるよみうりランドのサッカー場へ向かうため、駅の前に集まっていた。雅史たちサッカー部はチャーターしたバスで先に学校から会場へ向かったばかりで、それを見送ってから電車に乗って応援に行くコトになっていた。

「アタシ、こういう大会の応援初めてデス!」
「いくら初めてでも、最初からチアガールの格好してくるコトはないんじゃあ」
「備えあれば憂い無し、ネ!」
「いや、そうじゃなくって……スカートが……その……」
「don't worry!ちゃんとアンダースコート履いてマス」

 そう言う問題じゃないのに、と言いたかったあかりだが、それを口にする気力を萎えさせたのは、そのレミィの隣にいる智子の格好に原因があった。

「……智子、あたしたち、サッカーの応援に行くんだよね?」
「あかり、ナニ眠たいコトゆぅてん?」
「だって、その」

 そういってあかりは、コテコテの阪神タイガース応援グッズで完全武装している智子を指した。

「なんやあかり、文句ある?応援ゆーたらこれがデフォやで、デフォ」
「……お願いだから風船だけは飛ばさないでね」
「ちぃ」
「ちぃ、って智子ぉぉぉぉぉぉぉ(笑)」

 智子に絡まれて困っているあかりを見て、浩之と、先ほど合流した志保が申し合わせたように溜息を吐く。

「あー、もうとっとと行こう」
「あれ、南雲さんは?」
「ゆーちゃんは用があって、あとから直接会場へ行くって」
「用?」
「色々あるのよ。さぁ行く行く。千絵美さんたちも先に行っちゃったんだから」

 志保は浩之の腕を引っ張って改札のほうへ連れていく。あかりたちもその後をついていったが、両脇に派手な人間を引き連れて、あかりはとても気恥ずかしさで肩身が狭い想いをしていた。

 先に会場へ到着していた雅史たちサッカー部の面々は、会場の外でウォーミングアップしていた。そんな彼らを取り巻くように、サッカー部のおっかけをしている女子生徒たちがきゃあきゃあ騒いでいた。

「お、佐藤、いつもの連中が居るぜ」

 雅史と組んで柔軟体操をしていた二木が、追っかけの女子生徒たちに手を振って見せた。

「こんな朝早くから本当元気だよなぁ。…………うーん、南雲さんは居ないな」
「ゆえさんは用があって、遅くなる、って言ってた」
「へぇ。まぁ試合は午後イチだからな。――寂しいか」
「大丈夫」
「…………」
「どうした?」

 屈伸運動をしていた雅史は、二木が黙り込んだのを不思議がった。

「……いや、さ。なんかさ、佐藤、変わったなぁ、って思って」
「変わった?別に僕はどこも変わっていないさ。次は僕が押すよ」
「あ?ああ、――イヤ、変わった変わった」
「どこが?」
「イタタ……もっとお手柔らかに。……雰囲気がさ。佳い」
「ふぅん」
「南雲さんと何かあったかなぁ」

 べき。

「…………い……ぐ……ひひひ……ッてぇなぁ!何、力一杯押しやがる?!」
「ご、ごめん、ちょっと驚いた」

 そう言って笑って誤魔化そうとする笑顔はいつもの雅史である。
 だが確かに、二木が指摘するように雅史の雰囲気がいつもと変わっていた。今までの中性的なイメージが払拭され、より男っぽく見えるのである。その変化は二木ばかりか、橋本も、そしておっかけの女子生徒も気づいていた。

「ねえねえ、佐藤君、何か急に凛々しくなってない?」
「前は中性的、っていうか女の子っぽいイメージがあったんだけどね。やっぱり大会当日ともなると緊張するのかしら?」

 おっかけの女子生徒たちの誰一人として、ゆえという要因には気づいていないらしい。

「まぁ、副部長になったからじゃない?――こうしてみると佐藤君って結構イケてる」
「あー、あんた、二木君命だったんじゃないのぉ?!佐藤君はあたしが先に目ぇつけてたのよっ!」
「いーじゃん!」

「……佐藤、なんかあちらさん大変そうだぜ(笑)」
「大変なのは試合だけで充分だよ、二木新部長。負けたら橋本先輩にナニされるか」
「そりゃそうだ(冷や汗)――――痛っ!だから力入れすぎだって」

   *   *   *   *   *   *   *   *

 二木が呻いた丁度その頃、ゆえは京王線府中駅を降りて、府中街道を北へ歩いていた。
 やがてゆえは、目的地の前に立った。
 府中刑務所。
 実の弟を刺殺したゆえの実父、南雲芳信が刑に服している場所である。
 六実は、ゆえが芳信に会いに行くと言いだした時、自分の耳を疑った。ゆえを汚し、俊夫を殺めたあの男に、何故ゆえが会う気になったのか、どうしても理解出来なかった。
 ゆえは真意の多くを語ろうとはしなかった。
 ただ、今、会わなければならない。会って言わなければならないコトがある。
 そう答えるゆえを、六実は引き留めるわけにはいかなかった。
 芳信が俊夫を刺殺した時、かなりの心神喪失状態にあった。その為、当初は府中刑務所ではなく、精神鑑定の結果に基づき医療刑務所への拘置が適切と思われていた。
 しかし芳信は、俊夫を殺害した時、自分は正常であったと主張し、果たして一般刑務所へ送監されるコトとなった。
 未成年と言うコトもあり裁判にも出廷しなかったゆえは、事件当日以来、一度も実父と顔を合わせていなかった。まだ1年しか経っていないのに、ゆえは実父ともう何十年も会っていないような気分だった。
 刑務所の受付で面会手続きを済ませた後、ゆえは刑務官に案内されて面会室にやってきた。
 ゆえは不思議と、こころが落ち着いていた。
 あの事件以来、二度と会うなどと考えもしなかった、あの男と再会するのだ。普通なら、こんなに落ち着いていられるわけがない。
 ましてや、自分を力づくで汚し、自分の運命を狂わせたあの男と会うだなんて――たとえそれが実の父親であったとしても。

「お父さんは模範囚でね――――」

 黙り込んでいたゆえを、緊張しているものと思った係官が和ませるつもりで言った。だが係官は、ゆえと父の間にあったコトを知っていたらしく、即座に笑顔が凍った。

「そうですか」

 係官は予想していたそれと逆の反応をするゆえに少し驚いた。ゆえはそう答えただけで後は黙っていた。もしかすると本当に緊張していたのかもしれない。そんなゆえの静まり返った顔は、係官には却って不気味であった。
 10分後、仕切りの向こう、受刑者側の面会室の扉が開かれた。
 開かれた扉の向こうから顔を出した男を見たとき、これが本当にあの父親なのかと自分の目を疑った。
 一番最後に覚えている父親の顔は、これほどやつれた顔はしていなかった。しかし病的なやつれ方というものではなく、そうあの時は目の下の隈が酷く、いつも不機嫌そうな顔をしていたのだが、余分な肉がそげたというやせ方である。規則厳守である受刑生活の賜物というのは皮肉と言うべきか。
 ゆえの父親である芳信は、面会人が誰であるかは知らされていない。規範で面会するまで受刑者は知らされないコトになっているのだが、芳信はまさかゆえが面会に来たとは考えもしなかったらしい。娘の顔を久しぶりに見た父は、みるみるうちに顔を青ざめた。そして立ち会ってついてきた係官を押しのけるように扉の奥へ慌てて戻ろうとした。

「――お父さん」

 そのゆえの一言が、その場から逃げ出そうとする芳信を引き留めた。

「……待って」
「……………」
「今日、会いに来たのは、伝えたいコトがあるからなの」
「……そんなの」

 ようやく芳信が応えた。ゆえに背を向けたまま、苦しそうな声であった。

「弁護士を通じて言えば――」
「そうじゃないの!――恨み辛みを言いに来たんじゃないのよ」
「――――」

 芳信は扉の中でしばし沈黙する。不安がる係官が芳信を伺い見ると、大丈夫です、と応えてからようやくゆえのほうへ振り向き、面会席に着いた。
 父と娘。刑務所内の面会室の特殊ガラスを挟み合う、ほぼ一年ぶりの再会。
 ゆえは、ようやく席に着いた父親の顔を真っ直ぐ見つめた。
 こんな顔だっただろうか。自分を汚したあの男は。まるで別人である。
 別人であってほしかった。

「……用件はなんだ?」

 芳信が訊いてきた。ゆえはなんだか途方もない時間、父の顔を見つめていてような気がした。

「好きな人が出来たの」

 ゆえは、ためらわず言った。
 ゆえは、それを伝えるためだけに、二度と会うハズのなかった父親に会いに来たのだ。
 芳信はそれを聞いたとき、胸が痛んだ。
 好きな人が出来た。――自分たちの間にあった、あの忌まわしい過去に振り回されているゆえを、芳信は想像した。

 好きな人が出来た。
 しかし自分は、父親に汚された。父の子を孕みもした。
 そして、大切な人を、自分の一言がきっかけで失っていた。
 だからその人を愛するコトは出来ない。
 どうしてくれるの。
 責任とってくれるの。

 苦悩。芳信の脳裏をかすめたのは一瞬なのに、宇宙が開びゃくし、消滅するまでぐらいの長い時間のように感じた。それだけ芳信を支配していた狂気と業は深かく、そしてそれを正気を取り戻した後、後悔していたのである。
 血を分けた娘を汚し、実の弟を殺めた業。死を持ってしても贖いきれる罪ではないのだ。その深さと重さが、逆に芳信を正気に戻させたのだと言えよう。
 だが、そんな芳信にそれを一瞬と認識させたのは、それを告げたゆえの表情にあった。

 ゆえは、嬉しそうに微笑んでいた。

「……佐藤雅史君、っていうの。…………とてもいい人」
「………………そう、か」

 芳信もつられて微笑んでいたが、そのコトに芳信は気づいていなかった。
 芳信はすべてを悟った。
 ゆえが嬉しそうに口にした、見知らぬ佐藤雅史という男は、ゆえのすべてを受け入れるだけの器の持ち主であるコトに。
 そしてゆえが今、幸せでいるコトを。

「……よかったな」
「……うん」

 何気ない、しかし暖かい親子の会話。
 こんな面会室の仕切りさえなければ、恋心を親に告白する素敵な光景だというのに。二人を面会室に連れてきた係官たちは、無意識に唇を噛みしめていた。自分たちは、この親子の談話する場に相応しくない存在なのだ。やがて二人の係官は、この親子が微笑みをかわしながら涙ぐんでいるコトに気づいた。どうしてこんなコトになってしまったのだろうか。係官たちはこの親子を見舞った不幸な運命を心から呪った。

 結局、ゆえも芳信も、それきり言葉を交わさなかった。ただ、面会時間が終了し、先に立ち上がった芳信が一言、呟くように洩らしただけであった。

 もう、俺たちは会わない方がいいな。

 ゆえは芳信が立った後も、席に座って泣き濡れた顔で俯いていた。
 さよなら、は、二人とも言わなかった。


 結局、この親子はこの日を最後に、二度と顔を合わすコトはなかった。数年後、模範囚として早期出所した芳信は、ゆえを避けるようにどこかの街へ行ってしまった。刑期だけでは償いきれない罪を、死ぬまで贖罪しようとする強い意志が、親子の情を上回っていたのだろう。いや、血の通った親子だから、なのかも知れない。


   *   *   *   *   *   *


 雅史たちのサッカー部は、予選第一試合において、対戦する隣町の公立高校サッカー部に苦戦していた。
 先ほど、相手チームの選手が負傷し、タイムがかかって中断されている。残り時間、7分。得点は、2対2。先ほど二木が入れた一点で同点に追いついたのだが、まだ押され気味であった。まだ新体制になったばかりの雅史たちのサッカー部がうまく機能していないのが原因であった。
 しかし雅史は、それが理由とは思っていなかった。

「……二木、済まない」
「ああ?」

 顔が泥だらけの二木が、妙に消沈している雅史を不思議がった。

「さっきのシュートが決まっていれば……」

 それは、1対1の同点で始まった後半戦開始直後、二木と組んで一気に相手ゴールまで突き進んだのは良いが、肝心の雅史のシュートが決まらず、逆にボールを取られて2点目を許してしまったコトである。雅史がサッカー部内で高く評価されているのは、雅史の得意とするドライブシュートの切れにあった。ペナルティエリア内からのシュート成功率が100パーセントを誇るそれが、今日の試合ではまだ一度も決まっていないのである。
 二木は、雅史が緊張している為と思った。二木自身も、このサッカー部を任されてまもなく、キャプテンとしてのプレッシャーを隠し切れていない。だからこそ、常に戦況を冷静に分析・判断できるナンバー2であると橋本が見抜き、副部長に任命された雅史になんとか頑張って欲しかったのだが、やはり雅史も副キャプテンとしての立場に戸惑っているのか、と困却していた。

「……やっぱり、ゆーちゃんがまだ来ていないのを気にしているのかしら、雅史のヤツ?」

 志保は、自校のサッカー部の苦戦振りを歯がゆく見ていた。

「いいや、雅史はそんなぶざまなコトをするような男じゃねぇよ」

 浩之は雅史を弁護した。

「むしろ、さ。あいつがあんなふうにいる時は、何かに迷っている時さ」
「迷っている?」

 浩之の後ろに座っていた綾香が不思議そうに訊いた。

「恐らくは」

 綾香の隣に座る芹香を挟むように座るセバスチャンが頷いた。

「チーム内の戦力的バランスの乱れを気にされているのでしょう。今日の試合から、三年生の選手が抜け、一、二年生がそれを埋めている。確か、3人抜けられたのですよね」
「全員オフェンスだったからなぁ。さっきの攻撃も二木と雅史任せで、オフェンスの動きがちぐはぐだったようにみえた」
「浩之ちゃん、良くわかるね?」
「サッカーはやめたが、観るのはやめちゃいないさ」

 感心したふうに訊くあかりに、浩之は肩を竦めて応えた。

「だが最大の問題は、二木が雅史任せで全体の動きを見ちゃいないコトだ。雅史はそれを理解しながら指摘しない。あがっている二木を気遣ってのコトだろうけど、あんにゃろう、まだそう言う肝心なコトを言うか言うまいか迷っていやがるな」
「なら、ヒロユキが言ってくればいいのに」
「レミィ、部外者がそんな偉そうなコト言えるわけないだろう?」
「かといって、佐藤君がそないなコトをズケズケ言える人間やぁないしな」

 そういって智子はメガホンをポン、と叩いた。

「こんな状況やさかいな、そないなコトゆって要らン緊張招くだけや。気づくのが遅かったな」
「ああ。――だから雅史は、一人で何とかしようとする」
「アホな。まるっきりドツボやな」
「しかし、この危機は切り抜けられないワケではない。少なくとも戦力バランス面は対戦チームと拮抗している。相手チームも似たようなものらしいからな、お互いそこを付け入る機会を伺っているようなものだ。だからこそ、雅史の決めシュートが決まれば、一気に勢いがついて攻勢に出られる」
「……つくづく雅史、って不器用なのよねぇ。せめて一度に二つのコトが考えられれば良いのに、まったく」

 志保が呆れたように言った。

「まぁあれが雅史の持ち味なんだがな。――おや?」

 そんな時だった。浩之は、グラウンドに出ている雅史が、いつしか観客席のほうを向いているコトに気づいた。つられて、雅史が見ている方向へ目をやると、そこは観客席の出入り口であった。
 そしてそこに、息を切らせたゆえが立っていた。

「あ、ゆーちゃん!ヤッホー!」

 浩之に続いて気づいた志保が、喜びながらゆえに手を振って見せた。ゆえは志保の声に気づき、ちょっとだけ顔をそちらへ向けるが、しかしすぐに視線をグラウンドに居る雅史のほうへ戻した。
 しばし雅史とゆえは無言で見つめ合う。
 やがてゆえが笑顔で頷いた。

 会ってきたよ。伝えてきたよ。

 ゆえは何も言わなかった。しかし雅史は、ゆえがこころの中でそう言っているコトを理解した。

「――――よぉぉぉぉぉっしぃっ!!」

 突然の雅史の絶叫。ガッツポーズさえとっている。これにはチームメイトたちばかりか、相手チームの選手も驚かされた。

「さ、佐藤?」

 二木は雅史の突然の絶叫に呆気にとられていた。
 しかし二木は、ガッツポーズをとる雅史の横顔を見て、何かが変わった、と思った。
 雅史の貌に落とされていた陰りがすっかり消えていた。そして二木のほうへ振り向いた雅史の顔が、とても頼もしいくらいに凛々しい顔に変わっているのを見て、二木はずうっと感じていた不安が一気に払拭された。

「……ヒロ。やっぱり雅史、ゆーちゃんのコトを気にしていただけじゃないの?」
「う、うるせい」

 困惑する浩之の後ろで、セバスが気恥ずかしそうに咳払いした。

「く、くそぉ……こらぁっ、雅史っ!絶対勝たないと酷い目にあわせるぞっ!」
「たとえばメイドさんの服を着させるとか」
「そうだっ!負けたらメイド服でもウェディングドレスでも無理矢理着させるぞっ!――――って千絵美さんっ!!」

 あかりのすぐ隣に座っていた千絵美に乗せられてトンでもないコトを口走ってしまった浩之に、瞠る他の観客たちの視線が一斉に注がれた。浩之は顔を真っ赤にして千絵美を怒鳴りつけるが、千絵美はわざとらしく無視して雅史に声援を送った。
 一方の、グラウンドにいる雅史は、タイムが終了したばかりで、相手チームのフリースローを待って二木と並んで構えていた。

「二木」
「?なんだ?」
「――――今度こそ、決めてみせる」
「OK」

 二木は嬉しそうに頷いた。
 ボールが投げ入れられた。相手選手がそれをキャッチすると、すかさず二木が仕掛けてきた。二木の迅速な動きに驚かされた相手選手は、向いにいた自分のチームメイトにパスを与えた。
 それを、雅史が素早くカットした。そこはうまい具合に相手チームのペナルティアークの手前であった。
 今の雅史には、カットしたボールと相手ゴールしか見えていない。あとは、すぐそこのペナルティエリアまで進み、相手ゴールへシュートを叩き込むだけ。
 対戦チームの選手が一斉に雅史からボールを奪わんとやってきた。しかし、いつもの雅史なら苦もなくシュートを決められる。
 雅史は、何の心配も抱えていない、いつもの雅史であった。
 そして、今は大切な人がいる。大切な人が一人増えた。
 これからずうっと一緒にいるかも知れない、大切な人。
 その名の由来となった月のように、傷付いたその身で闇を照らす、そんな高潔さを持った、愛しいひと。
 そんな人が、見守っている。実際、ゆえは、雅史がボールをカットしてから、なりふり構わず大声で雅史に声援を送っていた。今の彼女には陰りなど見えなかった。
 相手ゴールが見えた。いつものように、ペナルティエリア内なら100パーセントシュートを決める自信がある。
 今は、もっとシュート成功確率が上がっているだろう。そんな気がした。

 僕は、太陽になれたかな。

 雅史は、ボールを無心で蹴った。

(画面フェードアウト。ED「あたらしい予感」が流れ出す)

                    完


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