ToHeart if「meiosis」(1/4)  投稿者:ARM


○このSSはPC版『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。
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【警告】このSSはPC版『To Heart』姫川琴音シナリオのネタバレ要素がある話になっております。
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 海へ行こう、と言いだしたのは浩之だった。

「今度の連休、にさ」
「連休…………ですか?」

 日曜の少し遅い朝食後、流しで食器を洗っていた琴音は、キッチンのテーブルでお茶を飲んでいた浩之に訊かれて振り返った。

「ああ。このあいだの連休は当番だったからろ?確か職場、誕生日は無条件で休ませてくれるんだろう?うちの研究所も休みだから、体育の日も併せて三連休で、さ」

 琴音は、でも……、と言いかけて口をつぐんだ。拒む理由はなかったし、最近、何となく疲れを感じているのも事実であった。
 そしてもうひとつ。

「…………何となく、なんですけど」
「?」
「…………無性に海が恋しくて。…………やっぱり、変ですか」

 浩之は微笑みながら首を横に振った。

「やっぱり夫婦だよ、俺たち。……俺も、青い海が恋しくなって、な」


 琴音が浩之と結婚して今年の9月で3年になる。国立海洋資源研究所に勤めていた浩之と結婚した。琴音が浩之の高校に入学してまもなく浩之と知り合い、琴音を心身共に縛り付けていた超能力の問題を浩之が親身になって解決したのがきっかけでつき合うようになった。
 やがて琴音のイルカ好きが高じて、浩之は水産大学に進学して海洋生物学を専攻して博士号をとった。琴音は高校卒業後、浩之とデートで良く足を向けた公営水族館のバイトに公募して、2年後に地方公共団体の採用試験を合格して正式に水族館の飼育係として採用され、その翌年に結婚した。
 二人が結婚後も共働きで居るのは、生活面の理由ではなく、二人の間に子供が恵まれていない所為であった。
 おそらく人類初の、半数染色体。琴音が子供が作れない身体であるコトは、結婚の時、琴音の両親から散々聞かされていた。浩之の両親はその事情を理解していたのかも知れないが、二人の結婚には反対しなかった。説得の末、琴音の両親が浩之たちの誠意を理解し、二人の結婚を認めた。
 確かに子供には恵まれなかった。それでも二人の間には愛があり、まわりはそれを理解する優しさがあった。
 そんな中で最近、琴音の顔に陰りがあるコトを、浩之は気づいていた。
 恐らくは、この間、双子の子供を産んだばかりのあかりを二人して見舞いに行った時からだろう。あかりは、進学した大学で知り合った友永という一歳年下の若者と昨年ゴールインした。あかりの気持ちにはそれとなく気づいていたコトもあり、琴音と結婚してからは少し疎遠となっていたあかりと久しぶりに再会した浩之は、幸せそうなあかりを見てホッとした。
 その横で、琴音が、あかりが産んだ子供を嬉しそうに抱きかかえていた。本当に嬉しそうな顔をしていたが、その横顔がどこか寂しげであったコトを、浩之は気にしていた。
 無理と判っていても、浩之と自分の子供が欲しいのだろう。そして浩之に、子供を残せない後ろめたさも、少なからずあるのかもしれない。
 浩之はそんなコトにはこだわっていなかった。だから琴音に、そんな寂しさを紛らわせたいつもりで旅行を提案したのだ。

 連休初日。その日は琴音の誕生日であった。
 浩之と琴音は、研究所所有のクルーザーを借り、神津島沖合までクルージングを楽しんだ。もう少し時間的な余裕があれば小笠原諸島まで出てホエールウォッチングを楽しめだろうが、しかし職場の機材を借りている手前、贅沢は言えない。もっとも神津島ぐらいまで来れば、イルカの群れと遭遇する確率は高い。それを期待してやってきたのだが、どうやら時期が悪かったらしく、さっぱり見かけなかった。
 しかし体育の日は晴れの特異日というお陰か、天候には恵まれ、夕方まで二人して水着のままでもひとつも寒くなかった。
 琴音は船首のほうに腰を下ろし、先ほどまでスキューバで濡れた身体を乾かすかてら日光浴を楽しんでいた。
 浩之はと言うと、クルーザーを借りる際、どこかで見たような馬面の主任との交換条件で、この辺りの海水と、先ほどスキューバで採取した海底の土や砂といった堆積物を入れたビーカーに日付と位置そしてラベルを貼り、蓋をしていった。他愛のない条件は、主任が気を利かせてくれたためであろう。一通り作業を終えると、浩之は船首のほうへ出た。
 琴音は、船首の端から足を降ろし、ぽけぇ、と水平線のほうを見つめていた。同じ水着姿でも、マリンガールとして水族館の巨大水槽の中に潜り、回遊する魚たちに餌を与えている時はもっと活き活きしている。以前、マスコミに「大水槽に舞う美しき水の妖精」として紹介され、今もなおファンレターが届くほどであるが、そんなファンたちが、このぼうっとしている妻の姿を見たら何と思うか。少なくとも浩之は、これはこれでまた可愛いと思っている。

「琴音」

 浩之が呼びかけると、琴音は、はっ、と驚いて振り返る。どうやら考え事をしていたらしい。

「な、何?」
「いや、さ――ぼーっとしていたモンだから、本当に疲れていたんだなぁ、なんて思って」
「そ、そう?」
「…………?」

 妙にそわそわする琴音の様子に、浩之は小首を傾げた。

「どうかしたの?なにか悩み事でも?」
「う、うん…………」

 琴音は頷くが、何か言い辛そうであった。
 そこで浩之は、やはり子供のコトで悩んでいるのだろう、と思った。ところが、

「……昨日、ね。変な夢を見たの」
「変な夢?」
「うん…………。予知みたいな……そんなの」

 予知。その言葉に、浩之は、ドキッ、とした。琴音の超能力は、当初、予知能力と思われていたのだが、浩之の命がけの実験によって無自覚の念動力であるコトが判明していた。正体さえ分かれば、超能力といえどもそれに適した対応策をとるコトで多くの問題は解決する。琴音の暴走する念動力は、琴音が意識を集中するコトによって暴走を押さえるコトが可能になり、今ではまったく暴走しなくなっていた。

「予知なんて出来ないんだろう?見える、っていうのはそう思いこんでしまっているだけで、実際には見えていないハズだったんじゃあ……」
「予知なのかどうか、わたしにも判らないんだけど……ただ、ね、わたしが海の上に立っているそんな変な夢なの」
「海の上?」
「……うん。わたしが夜の海の上にいて、そう、立っているの水面に。で、海の向こうから光が来て、わたしを取り囲むようにわたしのまわりをぐるぐる飛んでいるの」
「ふぅん。……もしかして、その海って」
「うん…………」

 琴音は複雑そうな顔をして頷くと、島のほうを指した。

「……そっくり、と言うワケじゃないんだけど、何か似ているの、あの辺りなんか」
「ふうん。もしかして以前、この辺りを写した写真なんかを観てて、それがフィードバックしたような可能性は?」
「そう言われるとちょっと自信ないです」

 琴音は苦笑して答えた。琴音も只の思い過ごしと思っているのであろう。

「まぁ、気の所為だろう。さ、そろそろ陽も傾き始めたコトだし、着替えな」
「はい」


 夕陽が水平線に沈む姿など、都会のど真ん中に居ては観ることなど叶わない光景であろう。浩之と琴音は、沈み行く夕陽を観ながら、二人で協力して作ったシーフードカレーに舌鼓を打っていた。少し辛口に作りすぎたらしく、琴音は汗をかきながらしかし美味しそうに食べていた。食べ終わった頃には陽は完全に水平線の果てに沈み、見上げればあまねく星々の海がパノラマのごとく拡がっていた。

「綺麗…………!都会じゃこんな光景観られませんよね」

 食器を洗う水を海から汲み上げていた琴音は、拍子で見上げた夜空の余りにも美しさに、うっとりと見惚れていた。

「一応ここも、東京都なんだけどな(笑)。まぁこんなスモッグとは無縁の世界ならでは、だな………………ん?」

 つられてキャビンの窓から夜空を見上げていた浩之は、ふと、琴音がいつのまにか水平方向を見つめているコトに気づいた。

「どうした?」
「……あすこ」

 浩之は水平方向を指す琴音のその仕草を、夕方前にも見ていたので、思わずデジャ・ビューかと思ってしまった。

「…………これ……これです、夢で見た光景」
「本当?」

 浩之はキャビンから出てきて琴音の傍に寄った。

「怖いくらいそっくりなの。夢で見たのは夜だったから、昼間だと違和感を感じたんだけど…………夜になってみて、本当にそっくりな光景だって……!」
「ふむ。でももし予知夢だとしても、何の意味があるのかな?」
「さあ」
「さあ、って(笑)…………その夢に何か、悪い出来事でもあった?」
「…………さっきも言ったけど、わたしが水面の上に立って、そのまわりを蛍のような小さな光が飛び回るくらいで、とくになにも……」

 その返答に、浩之はつい吹き出した。

「浩之さぁん、酷い」
「ゴメンゴメン。……いや、さ、昔、あれだけ悪い予知だって大騒ぎしたからさ、何も起きない予知だっていうもんだから、つい」

 そう言って浩之は笑い出す。琴音は莫迦にされたようで頬を膨らますが、やがてつられるように破顔した。

「じゃあ、さ、飛んでみる?」
「え?」
「水面の上。自分の身体を浮かせるコト、出来るだろう?」
「え?…………ええ、一応」

 すると浩之は辺りを見回した。クルーザーが停泊している位置は神津島から少し離れた海上で、視界には一隻も他の船は見あたらなかった。

「まぁ見られたときは、トリックです、って誤魔化せば良いんだし。…………気になっているんだろう?」

 言われて、戸惑っていた琴音はゆっくりと頷いた。

「なにかあるのかも知れない。もしかしたら海中にある海賊の隠し財宝とか見つけたりして」
「そんな(笑)。昼間、散々この辺り潜ったじゃないですか」
「まあまあ、やってみよう」

 浩之はすっかり面白がって勧める。琴音は困ったふうな顔をするが、しかし自分から言いだしたコトなので迷ってしまったが、結局、余興のつもりで海面の上に念動力で浮いてみるコトにした。
 琴音は船首に座って足を降ろし、足から飛び込む要領で船首から飛んだ。普通ならこのまま水の中へ沈むものだが、念動力を制御できるようになった琴音は、支えもなく水面の上につま先を立てて浮くコトが出来た。水の妖精とはよく言ったもので、これで背中から光る羽が羽ばたいていたら、まさに絵本や小説に出てくる妖精の絵のそれであった。

「…………何も起きないね」
「だから、夢だって…………?」

 そう言って振り返った琴音は、船首の上であぐらをかいて、嬉しそうに微笑みながら自分を見つめている浩之に気づいた。

「どうしたの?」
「いや、さ。…………こんな光景、写真に撮ったら綺麗だろうなぁ、って思ったらさ…………俺だけの記憶に留めたいなぁ、って思っちゃって、つい、可愛い奥さん見惚れていた」

 嬉しそうに語る浩之を見て、琴音は頬を赤らめ照れる。
 その途端、水に沈んでしまった。精神の集中が緩んでしまい、念動力を維持できなかったためである。それを見て浩之は驚き、船首から海に飛び込んだ。
 まもなく浩之は琴音を抱き上げて船の上に上がってきた。

「……もう」
「ゴメンゴメン、うちの奥さん、照れ屋だってコト忘れてた」
「浩之さんっ!」
「アー、もうゴメンゴメンよ…………ははは」

 恥ずかしがって膨れる琴音がまた可愛かったらしく、浩之は笑いが止まらなかった。
 そのうち浩之は、ずぶ濡れの琴音を見て、ああ、と感心したふうに言った。

「ん?何?」
「いや、さ」

 そう言って浩之は、濡れた琴音の髪を指で優しくすくい、

「もしかしたらさ、海面に浮く琴音のまわりを飛ぶ小さな光、って、海に落ちた時のしぶきが月の光に照り返ったものじゃないかなぁ、って思ったんだ」

 浩之がそう言うと、琴音はしばし黙り込み、

「……と言うコトは、わたしが見た夢、って、不幸の予知、ってコトになりますよ」
「あ」

 思わず絶句する浩之を見て、琴音は吹き出した。

「酷いです、浩之さん」
「ははは、やっべぇやっべぇ…………ゴメン」
「ダメです、許しません」
「ううっ、おっかなぁ」

 浩之はわざとらしく怖がってみせる。無論、琴音も怒ってなどおらず、ずうっと笑って言っている。

「奥さんの誕生日なのに、奥さんを酷い目に遭わせる旦那さんには罰を与えます」
「むー、皿洗い?それとも洗濯?」

 そう言って浩之は琴音の腰に手を当ててゆっくりと引き寄せた。

「あとひとつ」

 そう言って琴音は浩之のアゴの上に右人差し指を載せた。

「……愛している、って言うコト」
「喜んで」

 そう言って浩之は琴音の身体をぐいっ、と引き寄せ、愛する妻に唇を重ねながら、ずぶ濡れになってラインが浮かんでいるその胸を優しくその手で包んだ。

              2/4へ つづく