ToHeart if.『月は、太陽に』第30話  投稿者:ARM


「行ってきます」
「気を付けていってね」
「うん、お母さん」

 ゆえはテーブルに向かってまだのんびりと食事をとっていた義母の六実にそう返事すると、慌ただしく登校していった。
 夜勤明けの六実は、しばらく溜まっていた洗濯物を片づけてから一眠りしようと思っていたが、どうやらゆえが、学校を休んでいた間に全部片づけてくれたらしく、そんなに量もなかったので、このまま昼過ぎまで寝るコトに決めた。食器を自動洗浄機に入れてタイマー洗いにすると、寝室へ足を向けた。自分が飼い始めたハズのハムスターは、すっかりゆえが世話をするようになっていた。
 六実はゆえと違い、布団派であった。襖を開け、布団を引っぱり出して敷くと、眩しい朝日をカーテンで遮り、ふう、と一息ついた。
 そんな時、ふと、医療介護の資料書籍が山積みになっている自分の机の上に置いてある、死んだ夫である俊夫と、新婚旅行先のグァムで撮った記念写真が視界に入った。
 幸せそうな笑顔で居る自分の隣で、優しそうに微笑んでいる俊夫。子供が出来ない身体とは判って結婚したが、後悔はなかった。
 今は、ゆえが居る。俊夫が残した、俊夫が守った、俊夫が愛した子供だ。
 だからゆえは、六実のコトを「お母さん」と呼んでくれる。

「…………俊夫さん。ゆえ、ね、ようやく幸せになれそうなの。あの娘を好きになってくれた、良い男の子が居てね。あたしたちに負けずとも劣らない、良いカップルになりそうよ…………あとはあの娘が、あなたを、お父さん、って呼んでくれれば良いんだけど…………まぁ、焦らなくてもいいよね?」


30.最終章  月は、太陽に  = お父さん =


 ゆえが昨日からまた学校に登校するようになって、浩之たちは今まで苛立っていた雅史の顔から険がとれるものと思っていた。
 確かに、雅史の顔からは険がとれた。ギスギスした言動がなくなり、みんなと普通に、いつものように雅史スマイルで会話するようになったので、機嫌がようやく直ったものと思っていた。
 だがそれは、ゆえを除いて、であった。

「浩之ちゃん、なんか雅史ちゃん、ぎこちないよね」

 2時限目の美術が終わって直ぐ、あかりが隣の席で道具を無造作に片づけていた浩之に声をかけてきた。

「ああ」

 浩之もそのコトに気付いていたらしい。あかりが指しているのは、美術室へ来る途中にゆえとすれちがった雅史の様子だった。
 二人はすれ違ったとき、挨拶したが、妙に他人行儀だったのを、あかりと浩之はずうっと気にかけていた。

「せっかく騒動が収まったのに、これじゃ骨折り損のくたびれもうけだ」
「本当に折っちゃったけどね」
「……山田君。あかりの座布団、全部とっちまえ」
「くすん(泣)」
「まぁそれはそれとして、だ。…………なんかあの事件のコト、引きずっているのかなぁ、二人とも」
「うーん…………。ねえ、雅史ちゃんの書道の授業も終わっている頃だろうだから、教室に戻ろうよ」
「ああ」

 浩之は頷いて立ち上がった。どこか気怠そうだった。

 ――父親に、レイプされた。

(あの人の性分なら、きっとあの時、自分で雅史にしゃべっちまったんだろうなぁ……)

 浩之の気が重い理由はそこにあった。ゆえを取り戻した雅史がまだこんな調子なのは、そこに原因があるのは明白だろう。あかりがそこまでゆえのコトを知っているとは思えなかった。いくら志保でもそんな酷いコトまでは話すハズはない。だからこのコトはうかつには口に出来なかった。
 雅史はゆえを迎え入れ、ゆえは雅史を受け入れた。だが、ゆえが抱えているその忌まわしい過去が、今の状況を作っているのだろう。
 雅史はその事実を知らない方が良かったのか。雅史がゆえの告白に耳を塞いでいれば済んだコトではなかったのか。
 だが、いずれ判るコトだ。

「……正直、恨みたくなるぜ」
「?」
「なんでもない」

   *   *   *   *   *   *   *

 昼休みになった。

「おーい、雅史」

 浩之は四時限目の終礼とともに、雅史に声をかけた。

「昼食おうぜ、昼」

 呼ばれて、ぼうっと窓の外を見ていた雅史は、浩之の声に驚いた。

「あ――ああ、うん……ゴメン、今日は母さんがお弁当用意してくれたんだ」
「え?……まいったなぁ」
「?」
「なんでもない」

 浩之は数時間前に口にした言葉をもう一度舌に乗せ、

「――仕方ない、食堂につき合え。あかりも弁当作れなかったっていうから」

 そういうと浩之は雅史に弁当を持たせるとその首根っこを掴まえ、教室から引きずり出すように連れ出した。

「ちょっとちょっと浩之」
「今日は南雲さんもいっしょに食堂だ」
「え?!――――」

 思わず抵抗する雅史が硬直した。

「さっき志保に手配させた。嫌でもつれて行くぞ」
「ちょっとちょっと浩之……困ったなぁ」

 雅史は強引な浩之に困り果て、その後ろを済まなそうに苦笑いしてついてくるあかりに肩を竦めてみせた。そのあかりが、急に目を丸めた。

「……あ、志保」

 最初に教室から出てきた志保を見つけたのはあかりだった。

「あ、あかりぃぃ、ごめぇぇぇん、ゆーちゃん、終礼のチャイムが鳴った途端、にげちゃったぁ」
「え?ばかやろう!それじゃ折角の計画が――」
「誰がバカですって?」
「なんだとぉ?」

 キレた浩之は、雅史から手を離して、やってきた志保に食ってかかる。

「もう、かなわないなぁ……あかりちゃん、あと、よろしく」
「え?」

 驚くあかりの横を、解放された雅史が駆け抜けていた。

「「ああっ!!こらまて、雅史!」」

 雅史の逃走に気付き、志保と浩之が声を揃えた。しかし雅史は、とてもそんな気分ではないと、必死になって逃げていった。

 なんとか浩之たちの目を眩ませた雅史は、屋上への階段を上がっていた。
 浩之たちの心遣いは確かに有り難かった。ぎこちない自分たちの力になってくれるのだろう。
 雅史は確かに、ゆえにまた学校へ来て欲しいとずうっと考えて落ち着かなかったのだが、登校するようになっても、未だに心が落ち着かないのはどういうワケか。
 そんな調子だから、ゆえに面と向かい合うと、雅史は何をどうして良いのか判らなくなってしまう。解決すると思っていたのに、かえって悪化したきらいさえあった。
 もしかして無意識に、ゆえの過去を知った自分は、ゆえを軽蔑していないか。
 それが怖かった。だから今、自分の気持ちがはっきりと分かるまで、ゆえとは極力会うコトを避けたかった。
 そんなコトを考えているうち、雅史はいつの間にかその手で屋上への扉を開けていた。

「――佐藤君?」
「――――なーぜぇぇぇぇぇ?!」

 屋上に来た途端、よもやそこにあるベンチにゆえが腰を下ろしていたとは思いもしなかったようで、雅史は素っ頓狂な声を上げて驚いた。そんな雅史を見て、驚いたゆえも、ぷっ、と吹き出した。

「……佐藤君も、ここでお昼?」
「――あ?う………………うん」

 流石にこの時間、布で包まれた弁当箱を手に持っていて違うとは言えまい。雅史はこの場から逃げる理由が浮かばず、入り口で躊躇した。

「……どうしたの?空いているよ、ベンチ――誰もいないけどね」
「そ、そう?」

 動揺する雅史は、仕方なく屋上の扉を潜り、ベンチに座った。
 ゆえが座るベンチの、隣のベンチを選んで座っていた。

「………………」

 妙に仰々しい雅史に、ゆえは首を傾げた。

「……佐藤君。こっち、空いているよ。せっかくだから一緒に食べようよ」

 それを避けたくてここまで逃げてきたのに、とは流石に言えなかった。雅史は困惑しながらゆえの隣に腰を下ろした。
 瞬く間に沈黙。ゆえも、雅史の様子がおかしいコトに気付き、声をかけ辛くなっていた。二人の箸の音と咀嚼音、そして校庭から聞こえる学生たちの声が辺りを支配していた。
 良い天気だった。大陸から南下してきた高気圧が秋雨前線を押しのけ、日本を覆い尽くしていた。気温は暑くも寒くもない。湿気もない心地よい正午である。
 そんな中で、男女二人、会話もなく弁当を食べ続ける。なんとなく間抜けな光景である。

「「ふう、ごちそうさま」」

 思わず二人して声がそろってしまった。吹き出すかと思ったが、余計に気まずくなっただけであった。

「…………あ」

 雅史は慌てて弁当箱を片づけ始め、立ち上がろうとする。

「あ――佐藤、……くん」

 そんな雅史に、ようやくゆえが声をかけた。

「え――あ――その――――」

 ゆえに声をかけられ、雅史はまたもやおろおろする。
 そんな雅史の上着の裾を、俯き加減のゆえの右手が掴んだ。

「――――相談したいコト…………あるんだ」
「――相談?」

 いわれて、おろおろしていた雅史の身体がピタリ、と止まる。

「……時間、いい?」
「……あ、ああ。……まだ昼休みだし」

 不思議と、ゆえに相談事を持ちかれられた途端、いままでもやもやしていた戸惑いが晴れてしまった。ゆえの件ですっかり、困っている人を放っておけない体質にでもなったのだろうか。だが雅史は不思議に落ち着いている自分に気付いていなかった。雅史が再びベンチに腰を下ろすと、ゆえはゆっくりと口を開いた。

「相談、っといっても…………俊夫さんのコトなんだけど」
「俊夫――――」
「……あ、佐藤君、お母さん、いえ、六実さんの旦那さんのコト、知らなかったっけ?」
「あ?い、いや、そうじゃなくって――し、知っているよ。六実さんから聞いているよ」

 この時雅史は、ゆえが自分の過去のコトを持ち出して来たのかと思ったのだが、別件であったのでほっとした。無論、雅史はゆえのコトを調べていた時に、ゆえの実の父親に刺殺された俊夫の存在を知っていたし、俊夫の人となりは六実と会った時に聞いていた。

「……あたし、ね」
「?」
「あたし――――佐藤君たちに逢えて嬉しかった。佐藤君たちが居なかったら、あたしは九重に縛り付けられたままだったかも知れないし――――それに、悩んでいたコトから解放されていくんじゃないかな、って思えてきたの」

 ゆえはどこか照れくさそうに言った。そして頬を赤らめ、

「特に、佐藤君が、さ……あの時……安心していい、って言ってくれた時から、……なんか、心の中にあったトゲみたいなものが次々と消えていくような感じがして……だからあの時、安心して泣いちゃったンだと思う」
「そ、そう」

 雅史がどもったのは、ゆえを救い出した時のゆえの裸体を思い出したからである。

「だから、さ。六実さんをお母さんと呼んでいるように、俊夫さんのコト、素直に、お父さん、って呼べるようになるのかな、って思ったんだけど…………やっぱりダメだった」
「――どうして?」

 訊くと、ゆえは暫し俯いて黙り込み、やがてゆっくりと面を上げた。
 笑みを失っていたその横顔は、雅史にはどこか痛々しく見えた。

「……あたしの昔の友達に、祐子って同い年の娘が居てね。……その娘、あたしが不良していた頃、良く一緒に遊び回ったんだけど、九重に目を付けられた時、あたしをかばって、俊夫さんにあたしを託して……九重に薬漬けにされて…………」

 雅史は唇を噛みしめた。あんなヤツ、死んじゃえば良かったんだ――そこで雅史は、いつもの自分らしからぬ感情的な頭になっているコトに気付き、頭を振った。幸い、そんな雅史の様子にゆえは気付いていなかったらしい。ゆえは話を続けていた。

「……佐藤君。あたしの、ゆえ、って名前の意味、知っている?」
「ゆえ?――――珍しい名前だとは思っていたけど、ごめん、意味までは……」
「ううん、いいのよ。――ゆえ、って中国では『月』を指しているの。本当のお母さんがつけてくれたんだ」
「そうなんだ――月、か。――月、ね。素敵な名前だと思うよ」

 雅史が笑顔で言うと、しかしゆえは顔を曇らせてしまった。思わず雅史は何か悪いコトをいってしまったかと戸惑うが、ゆえはそのコトを気にしていたわけではなかった。

「月の光が、人を狂わせる、って話、聞いたコトある?」
「月の光?………………そういえば、そんなコトを書いた新聞記事を読んだコトが。たしか米国の学者が、統計を取って、満月の夜が一番犯罪件数が急増しやすい、って学説を唱えたって記憶が」

 雅史がそう答えると、ゆえはどこか自嘲気味に微笑んで頷き、

「……それと同じ」
「え?」
「あたしは、月、なの。そんな月の光。あたしに関わる人たちがみんな、今まで幸せだった生活を狂わされ、不幸になっている。死んだ俊夫さん、俊夫さんに先立たれた六実さん、ボロボロにされた祐子、――そして佐藤君」
「――――そんな」

 雅史は困惑する眼差しをゆえに向ける。
 ゆえは、くたびれたような顔で話を続けていた。

「だって――だってよ。あたしに関わったばかりに、死んだり怪我したり…………どう見たって、あたしが疫病神としか考えられないのよ」
「だから、そんなコトはないって――」
「…………六実さんも、佐藤君みたいに否定してくれた」
「――――?」
「だから、あたし、六実さんには素直に心を開けたんだと思う。でもそれは、俊夫さんも同じハズ、いえ、それ以上だった。…………いったい、どうしてなんだろうね」

 そこでようやく雅史は、ゆえが抱えている問題を理解した。
 俊夫を、お父さん、と呼びたいのだ。

「――なら」
「?」
「なら、呼べばいいじゃない。――俊夫さんを、お父さん、って」
「呼んだコト、あるのよ」

 雅史はゆえの返答にきょとんとした。

「でもね、その一言は、俊夫さんを死に至らしめた。――あたしか俊夫さんを、あの男の目の前で、お父さん、って呼んだから、あの男、逆上して俊夫さんを刺したのよ」

 目に涙を溜めて告白するゆえに、雅史は絶句するばかりであった。そして、ゆえの心を縛り付けている核心に触れたコトを、雅史は理解した。
 実の父親よりも父親らしかった人物を、父と呼びたくとも呼べないゆえの心情。己が心を今なおも縛り付けているその一言の重みとそして痛さを、雅史は、自分には到底理解出来ないだろう、と思った。そしてそんな枷に引きずられ、がっくりとうなだれているゆえが、堪らなく不憫に感じてしまった。
 だがその一方で、ふと湧いたある疑問の雫が一滴、雅史の昏い心の水面を打った。

「…………うん。――――ゆえさん、そこまで思い詰める必要はないよ」

 しかしゆえは俯いたまま、何も応えない。

「ほら、少なくとも、さ、僕は頭殴られたけどこうして無事だし、決して不幸を呼ぶようなことはないよ――少なくとも僕は今、ゆえさんと一緒にいられてとても幸せだし……って、あわわわ」

 そこまで言って雅史は顔を真っ赤にしてうろたえた。項垂れていたゆえも流石に今の雅史の台詞に、つい吹き出してしまった。場の流れなど気にもせず、素で臆面もなく恥ずかしい台詞を吐く雅史ちゃんギャグに、落ち込んでいたゆえのブルーな気持ちが少し晴れた。晴れたが、ちょっと恥ずかしかった。

「そ……そう?」
「……ぼ、僕はそう思っていたんだけど…………やっぱり、ずうずうしいかなぁ、なんて思ったり――――」

 照れくさそうに応える雅史の左手を、ゆえが包み込むように両手で掴んだ。

「……ありがとう」

 ゆえは雅史に微笑んでみせるが、それでもまだ陰りは残っていた。恐らく、ゆえの心を縛り付けている枷を外さなければ、これ以上の笑みは望めないだろう。
 ゆうべきだろうか。今気付いた、その理由を。雅史は迷った。
 だが、それは誰かが指摘しなければ、きっとゆえはその事実から目を背けたまま、本当の笑顔を取り戻せないまま一生を過ごさなければならない。
 やがて昼休みの終わりを告げる、午後の予鈴がなった。
 結局、雅史は、その事実をゆえに突きつけるコトが出来なかった。


 その日の放課後。
 雅史は今日、部活を休んだ。今度の日曜、全国大会の地区予選があるため、部員が一丸となって練習に励んでいたのだが、千絵美が赤ん坊を連れて退院するコトになったからでであった。以前より、退院するとき、病院に置いてある荷物を運ぶ約束をしていたためである。両親は共働きで手が放せず、義兄は隆山で起きた連続猟奇殺人事件の捜査でどうしても来られないのだ。そこで代わりに雅史と、話を聞いて手伝うと言った浩之とあかりと一緒に荷物運びをするコトになった。
 浩之たちと一緒に校舎の玄関をくぐり抜け、校門へ進んでいた時、雅史は近くにある校庭のベンチに腰を下ろしている見覚えのある人物を見つけた。

「セバスチャンさん」
「ああ、佐藤殿に神岸様、藤田殿、お帰りですかな。佐藤殿、もう傷のほうは宜しいのですかな?」
「ええ、後遺症も無い、って――来栖川先輩のお迎えですか?」
「はい。芹香お嬢様が教室に忘れ物をされたと言うことで待っておりました。――おや?」

 突然、セバスは雅史の顔をじっと見つめた。

「……?何か、ついています?」
「浮かない顔をされてますな。なにかお悩みでも?」

 いわれて雅史は、思わず頬に手を当てて、はっ、とした。

「どうしたんだい、雅史」
「い、いや…………」

 戸惑う雅史を見て、セバスは好々爺の笑みを浮かべた。

「ゆえさんのコト、ですかな」

 その指摘に、雅史ばかりか浩之とあかりも驚いた。

「さっき、ここへ来る途中の車内から、長岡様と一緒に帰られたゆえさんを見かけましてな。…………あまり元気の無い貌だったもので、少し気にしておりました」
「そうなんだ……」

 雅史は、自分に相談していた時の、ゆえの昏い貌を思い出した。

「どうもゆえさんは、思い詰める傾向にあるようですな。……佐藤殿、出来る限りゆえさんの相談相手になって下さいませんかな?」
「……相談相手、ですか」
「ん?なにか問題でもございますか?」

 セバスは戸惑う雅史を見て、不安そうに聞き返した。
 すると雅史は、あっ、と言って頭を振り、

「い、いえ、そうじゃなくって…………いや、そうなんだよなぁ」
「?何、言ってンだ、雅史?」

 雅史の様子がおかしいので、浩之も怪訝そうに訊く。目つきの悪い男二人に睨まれるように見つめられ、雅史は少し居心地が悪い気がした。その所為で何となく、ゆえに相談されたコトを言い辛い気分になった。
 しかし、別に浩之たちに隠しておくような内容でもなかった。言い辛かったのは、雅史が自分で何とかしたいと思っていたからだった。だから雅史は、うん、と笑みを浮かべて頷き、

「…………判りました。ゆえさんのコトは任せて下さい」
「ふっ、ゆうねぇ雅史、余裕じゃん」
「もう、浩之ちゃん」

 冷やかす浩之を、後ろから呆れ顔のあかりが手を引いてたしなめようとする。そのくせ、怒っていないように見えるのは、なんとなく嬉しかったからであった。
 そんな雅史を見て、セバスは目を瞑って口元をゆるめた。

「ありがとうございます。佐藤様、ゆうさんの太陽になってやって下さい」
「太陽……ですか?」
「ん?何か?」
「いえ……、いや、ゆえさんが自分のコトを、月だ、なんて言っていたものだから」
「月、ですか」
「ゆえさんの名前、中国での月の呼び方なんですよね」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
「何だあかり、意味を知っているのか?」
「志保から聞いていたの。ムードのある名前だよねぇ」
「……ゆえさん、嫌がっているみたい」
「へ?どうして?」

 あかりが訊くと、雅史は少し気が重そうな面持ちになり、

「月の光が、人を狂わせるから――ゆえさん、自分のコト、疫病神かなんかだと思っているんだ」
「そんな…………」

 浩之とあかりが困惑すると、向かいにいるセバスが、やはり、と呟いた。

「セバスチャンさん、気付いていたんですか?」
「六実から、ですがな。…………だからこそ、佐藤殿に、ゆえさんの陰りを払う太陽のような陽射しになって欲しいと思っておるのです」
「太陽、ですか…………」
「何で太陽なんだ?」

 浩之が聞き返すと、セバスは咳払いをして見せた。

「太陽の陽射しは、古来より闇を打ち払うものとされております。まぁ、太陽はちと仰々しかったですかな」
「そう言うわけではないんです――――そう言うわけでは」

 妙に口を濁す雅史に、浩之は首を傾げた。

「……雅史。なんかお前、隠していない?」
「隠す?――いや、なにも」
「いーや。なんかお前、ゆえさんのコトで隠しているコト、無いか?」

 無い、と言えば嘘になる。雅史は浩之が、ゆえが実の父親から性的暴行を受けた事実を知っているとは思っていなかった。それに起因して、ゆえが俊夫をお父さんとどうしても呼べずに苦しんでいるコトを、浩之たちには教えられなかった。
 雅史は、返答を迷った。嘘を平気で言える性分でなかった。
 だがそれは、直ぐに顔に出る、というコトも含んでいた。今回は、浩之たちがそんな雅史と付き合いが長いのが幸いした。

「……わかった。無理に言わなくてもいいぜ」

 浩之が、にぃ、と笑ったのを見て、戸惑っていた雅史は呆けてしまった。

「……お前なりに南雲さんのコト気遣っているコトだけでもわかったでも充分だ。まったく、隠すの、昔からヘタだよなぁ雅史は」
「浩之………………」
「だがな」

 そう言って浩之は、雅史の鼻先を指した。

「お前が他人を頼らないと決めたんだ。最後まで責任もって解決するんだぞ」
「…………ああ、わかった。約束する」

 雅史は、浩之がこういう男で良かったと、心から感謝した。
 自分は、こんな男を目指していたんだ。
 そして、彼は、僕の力を信じた。
 僕にも、彼のようなコトが出来るんだ。
 太陽になってみよう。
 優しい月を暖かく、そして美しく光らせる、太陽の光に。

 雅史は、自分の直感に賭けてみるコトを決意した。それがたとえ、イバラのような痛みを伴おうとも。
 それを告げた結果、ゆえに嫌われても構わない、とも思った。
 それが、ゆえを闇の中から解放する、唯一の道ならば。


                  つづく

【予告】

 ゆえを縛り付ける闇。その根底にある、ゆえがその目を背けている本心を、雅史は突きつけた。
 ゆえは自分の本心に気付く。月は、誰よりも優しかった。
 気付かせたのは、雅史。雅史は、ゆえの太陽になった。

 月夜の下、太陽は優しく月を包み込む。

 次回、「月は、太陽に」、

 「最終章 月は、太陽に  = 雅史 =」
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