○この創作小説は『ToHeart』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しています。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 太陽は、暗闇を照らし、昼をもたらす。生き物は、その暖かい陽射しがあったから、安心して生きていられた。 月は、そんな太陽が好きだった。だから、太陽が力及ばぬ暗闇を代わりに照らそうと、その身に太陽の光を受けて僅かながら闇を照らした。 太陽は、そんな月が好きだった。だから、太陽は月を追い掛けていった。 でも、月は、そんな太陽から逃げていた。 月は太陽に、醜い傷だらけの本当の自分を見られたくなかったからである。半月や三日月といった、月の顔が毎日変わるのは、そんな戸惑いからであった。 だから、太陽と月は、未だに一緒に居られないままだった。 29.最終章 月は、太陽に = 迷い = 九重によるゆえ拉致事件は、浩之の奮戦の甲斐あって、ゆえを取り戻すことが出来た。 あれから一週間経った。 あの夜、有段者の九重との一戦で肋骨を折った浩之は、雅史に連れられてきたゆえとともに、ゆえの母親が勤める病院にかつぎ込まれた。来栖川財団が出資する病院だけあって、医師は細かいことは聞かず、二人を精密検査して入院させた。ゆえは翌日退院したが、浩之は大事をとって三日間入院することになった。 浩之は入院している間、横暴な九重が、またゆえや雅史たちに絡んでくると心配したが、退院して、ゆえを奪還してから一週間たった現在も、九重は浩之たちの前に現れるコトはなかった。 恐らくは来栖川の後ろ盾があると考えて手を引いたものだと思ったのだが、浩之が退院した時に、思いもしない反応があった。肋骨を折った浩之の入院費を、九重が払ってきたのた。無論、代理人の弁護士を通してだが、浩之はこれ以上九重とは関わりたくなかったので、九重を傷害で訴える気はないと答え、和解という形で入院費を肩代わりして貰った。雅史もゆえが無事戻ってきたコトと、浩之が一矢報いてくれたコトを知って、同じように訴えないコトを約束した。志保の話ではゆえは、九重が二度と関わってこないコトを条件に訴えないコトを約束したという。 「プライドの高そうな男だったからな。ああ言うタイプは鼻っ柱を屈辱的に折っちまえば一発だと思ってたんだ」 放課後、浩之はオカルト研究部の部室で、芹香と志保、そして遊びに来ていた綾香に言った。 「でもね」 「いたたたっ……!あかり、もう少しやさしくやってくれよ」 「人に心配させた罰です」 そう言ってあかりは、九重との対戦で傷つけていた額の傷に、消毒液をたっぷり染み込ませた脱脂綿を押しつけた。ひいひい痛がる浩之を見て、志保たちは苦笑した。浩之が怪我をしたと聞いて慌てて病院に駆け込んできた時、綾香たちの説明もろくに聞かず、死なないで、死なないでと大泣きした姿を思い出すと、これはまだ怒っているようである。浩之はどうやって詫びを入れようかと未だ悩んでいた。 「まぁ、これで九重はちょっかい出してこなくなるとは思うけど……あとは、ねぇ」 綾香は、久しぶりにカーテンを開けている部室の窓から、道路を挟んだ向こうにある球技用グラウンドを見やった。 グラウンドでは、雅史たちのサッカー部が部活を行っていた。その中には、雅史の姿もあった。 「佐藤君、結構冷たいところもあるんだね」 「そういうわけじゃないさ」 浩之は、あかりに額の絆創膏を貼られながら答えた。 「一番傷付いたのは、南雲さんなんだ。本当だったらあいつだって彼女のそばに居てやりたいと思っているに決まっている。――だけど、彼女の受けた傷は深すぎた。今はむしろ、そうっとしておいて上げる時期だろう」 「そうよね」 志保が頷いた。 「とりあえず、ゆーちゃんのおばさんは、転校させる気もないし、ゆーちゃん自身も無いって聞いてる。……他へ行くより、ここのほうがずうっと温かいから、って、おばさんがゆってた」 そう言う志保は、どこか照れくさそうであった。 「とりあえず、さ」 立ち上がった浩之は、窓に近寄ってグラウンドにいる雅史を見た。 「あとはあいつ次第だが…………なんかなぁ」 グラウンドにいる雅史は既に頭の包帯もとれ、泥だらけになって走り回っていた。 そんな雅史を見て、綾香は、ふう、と洩らし、 「なんか、佐藤君、無理していない?」 「お、判る?…………ああ、力みすぎっていうか、ぎこちないっていうか…………なんか、あいつらしくねぇなぁ」 雅史は、部活に専念するしかなかった。 心に深い傷を負っているゆえを、何とかして癒してやりたかった。 だが、雅史はその術を知らない。 抱いてやればいいのか。しかし雅史は女を知らない。むしろ、それは傷を広げてしまうだけではないのか。雅史はそれが怖かった。 雅史は、ゆえに想いを告げた。 しかし、ゆえはそれに対して雅史に明確な返事をしていない。いや、それは今さらだろうか。だが雅史は、確証のない、思い込みだけの行動はしたくなかった。 ゆえはあの事件以来、登校していない。ゆえの母親は学校側には不登校の理由を、家庭の事情だと連絡していた。無論、今までのこともあったから学校側が納得するハズもなかったが、来栖川の家から何らかの説明があったらしく、一応承諾しているそうである。志保の話では、転校や退学をする意志はない、と聞いていたので、その辺りは雅史は安心していた。 結局、自分は無力なのだ。浩之や綾香たちが居なければゆえを救い出せなかったではないか。そう思うたび、雅史の苛立ちは募るのであった。 「――よし、休憩!――佐藤、こっち来いっ」 キャプテンの橋本が、険しそうな顔をして雅史を呼びつけた。その後を、二木も追い掛ける。 「佐藤。お前、何、焦ってンだよ」 先に雅史に訊いたのは、ついてきた二木だった。 「二木の言うとおりだ。佐藤、――ここしばらく苛立ってばかりじゃないか。南雲の件で何かややこしいコトにでもなっているのか?」 雅史の焦りを、橋本や二木は既に気付いていた。しかし二人は、ゆえとの一件を詳しくは知らない。というより、志保が流した、親子喧嘩でしばらく志保の家に居たというカムフラージュの噂しか知らなかった。もっとも二木は、雅史が暴漢に襲われた理由がゆえにあることはとうに気付いていたが、そのコトは誰にも教えていない。 「ゆえさんは関係ありません」 「へえ、いつの間にか名前で呼んでるよ」 「二木――」 雅史は赤い顔で二木を睨み付けるが、二木は惚けた顔でそっぽを向き、口笛を吹いてみせた。 「なんだ、南雲と喧嘩でもしているのか?」 「だから彼女は関係ありませんって!」 雅史はそう怒鳴って橋本を睨み付けた。雅史の剣幕に橋本は驚いてしまった。 「……そ、そうか。それなら別に良いんだが」 「もう、放っておいて下さいっ!」 そう怒鳴ると、雅史はその場から離れていった。 「まぁ、色々あるんですよ、あいつにも」 「……二木。お前、なんか知っているのか?」 「詳しいことは知りませんが、まぁ佐藤も男ですからね、色恋沙汰で色々ややこしいコトもあるんですよ」 「……ふん。女にうつつを抜かすとこれか。男はやはり男同士でなければ」 「それはそれで問題大ありな気が(^_^;」 そんな橋本と二木の会話など、その場から離れた雅史の耳に届くわけもなく、やりきれなさがもたらす苛立ちを、今はサッカーボールにぶつけて発散するしかなかった。 「南雲さんが登校してこないのは、別に、彼女が雅史を避けているわけではないんだよな」 「だと良いんだけど」 サッカー部の部活動をクラブハウスの窓から見ていた浩之は、志保の意味ありげな返答に当惑した。 「どういう意味だよ?南雲さん、転校はしない、って言って居るんだろ?」 「逃げているのかもね、また」 「また?――――」 訝る浩之は、ふと、ゆえの過去にあったことを思い出した。 「……そういえば南雲さん、今年の春まで休学していたんだよなぁ」 その理由を、浩之はゆえ自身から聞かされていた。自殺まで図ったほどの、あまりにも酷すぎる運命の仕打ちがもたらした精神的ショックから立ち直るために、青春の大切な時間を犠牲にしたのだ。それを知っているのは、この場では恐らくは志保と、浩之の言葉に反応して顔を曇らせたあかりも大まかなことは志保から聞いているのだろう。事情を全く知らされていない来栖川姉妹も、それとなく察しているか、黙っていた。 「あたしは別に逃げることが悪いとは思っちゃいないわ。でもずうっと逃げ続けられるものでもないけどね。いつかは逃避の限界に気付き、帰ってくる。ゆーちゃんは一度帰ってきた。あたしはそれを信じるわ」 「そうだよな……」 浩之はそう言って溜息を吐いた。そんな浩之を見て、あかりはゆっくり頷いた。 「少なくとも、南雲さんには帰る場所、待っている人が居るもの。あんなコトまでしてあたしたちを守ろうとした人だから、きっと帰ってきてくれるよ」 「ああ。――雅史もそこんところが判れば、ああも苛立つことはないんだが…………さてはて」 「あたし、思うんだけど」 「なんだ、あかり」 「雅史ちゃん、怖がっているんじゃないかな?」 「怖い?――九重のことを警戒しているとか」 「そうじゃなくって――南雲さんに自分の気持ち、ちゃんと伝えられたのかしら?」 「さあ」 浩之は首を傾げたが、しかし、何となくだが、雅史がゆえを救いに行った時、ゆえの性分からしてきっと駄々をこねたであろうその時に雅史は自分の気持ちをゆえに伝えていた、と考えていた。もっとも雅史がゆえを説得できる材料はそれぐらいしかないが。 「それでさ、もしかして南雲さん、まだ雅史ちゃんに何も応えていないから、あんなふうに苛立っているのかも知れない。もしかして、嫌われたと思いこんでいるんじゃ」 「どうしてそんなコトが言えるんだ、あかり?」 「うーん、何となく、なんだけど」 「それは女の感よねー」 志保がちゃちゃを入れるように話に割って入ってきた。 「雅史ってさ、普通の人とどこか考え方が一歩ずれているところがあるからさ、変に勘ぐってさ、それをそうだと思いこんじゃっているのかも」 「そこまで浅はかなヤツじゃないと思うんだが」 「甘い甘い、ヒーロ。男ってヤツは昔からこういうコトには鈍感でオバカな生き物なんだから」 「あ、それ、あたしも納得できる」 志保の言葉に、綾香は笑って賛同する。芹香は相変わらず沈黙を保っているが、案外澄まし顔で、心の中で、うんうん、とか言ってそうである。 「お前らなぁ――――?」 思わず苦笑する浩之の顔が凍り付いた。その目はグラウンドのほうにあった。 「――雅史っ!?」 ゆえは、自分の部屋にあるベットの上に横たわり、呆然と天井を見上げていた。母親は病院に行って、ひとり留守番をしていた。 どうして自分は学校に行かないのだろう。ゆえはそのコトを朝からずうっと考えていた。 雅史に、すべてを知られてしまったのが、そんなに怖いのだろうか。 僕はね、今のゆえさんが好きになったんだよ。 雅史のあの言葉を思い出すたび、ゆえは赤面した。 だから、僕を信じて。 その言葉ばかりは、どうしてもゆえの頭の中では、雅史の顔が浮かばなかった。同じ台詞を、先に言った者が居たからだ。 そんなコトを考えていると、俊夫と雅史の顔が次第に重なり始めた。ひとつも似ていないのに、どうしてこうも同じなのだろう、と。 そして、俊夫のコトを考えるたび、ゆえの心に影が差す。 俊夫は、自分が殺してしまったようなものだ。 あんなコトさえ言わなければ―――― ゆえは堪らず寝返りを打った。 自分は、大切な人たちを殺し、傷つけて生きてきた。だから自分は、生き続けなければならない。もうこれ以上、誰にも愛されないように。 「…………なのに、どうしてこうなっちゃうんだろうね」 もしも――いや、既に雅史を傷つけてしまったではないか。自分は不幸を呼ぶ女。あの決意はもう二度と破ってはならない。 キミが居てくれなければ困る。 また、ゆえの頭に雅史の優しい笑顔が思い浮かぶ。こんな苦しい思いをいつまで続けなければならないんだろう。ゆえは頭にしていた枕を両腕で抱き、顔をそこに埋めた。 電話が鳴ったのは、そんな時だった。 「お母さんかしら」 ゆえはベットから起きあがり、電話のベルが聞こえる玄関のほうへ向かった。 「はい、南雲…………あ、しーちゃん。どうしたの…………?!」 電話の主は志保だった。ゆえはその報を耳にした途端、見る見るうちに蒼白した。そして電話の向こうから、もしもし、もしもし、と大声で言っている志保を無視して電話を切り、真っ青のまま自分の部屋に駆け込んだ。まもなく、ゆえは外出着に着替え、飛び出すように家から出ていった。 ゆえの目的地は、自分の通う学校であった。志保は学校からPHSでかけてきたのだ。 雅史が大怪我を負った、と。 ゆえは学校までずうっと駆け足だった。久しぶりの校門をくぐり抜け、下履きのまま玄関から校舎に駆け込み、保健室へと向かう。 「――――佐藤君っ!」 血相を変えたゆえが、保健室の扉を開けた瞬間、ゆえの顔が硬直した。 そこには、保険医によって右スネに包帯を巻かれたばかりの、五体満足の雅史が居た。 雅史は、突然のゆえの出現に、ひとり呆気にとられていた。 「…………あれ?佐藤……く、ん…………」 「…………ゆえさん。どうしたの?」 唖然としていた雅史の顔は、自分を見て呆然としているゆえを見て、次第に綻んだ。 「ど……どうした、って、ちょっと練習中に後輩とぶつかって、スパイクでスネを肉まで切っちゃってただけなんだけど、たいしたコトないって」 それを聞いた途端、ゆえは保健室の扉に手をかけたまま、その場に脱力したように腰砕けになった。 「…………志ぃぃ保ぉぉぉめぇぇぇぇぇぇ!」 ゆえの呻き声を聞いて、雅史の顔はいっそう綻んだ。 「志保のヤツ、ここへ来る途中、浩之たちと一緒に校庭にいたのを見かけたけど、そうか、その時、また大げさに言ったんだな。まったく………………でも、よかった」 「え?」 そう言って雅史は、ほっ、と安堵の息を吐いた。ゆえは、目の前にある笑顔が、自分が現れるまでずうっと苛立ち曇っていたなどとは露も知らなかった。 「ゆえさん、ずうっと休んでいたから心配だったんだけど、元気みたいだね」 「――――あ――そ、その」 言われて、途端に赤面してしどろもどろになるゆえ。そこでようやく自分が今まで学校を休んでいたことを思い出したのだ。 「それなら、明日から来られるよね?」 「――――」 笑顔で訊く雅史を前に、ゆえは、ようやく志保の策略にはまったのだと気付いた。裏切られたハズなのに、どうしてこう、心が晴れやかなんだろうか。 「…………結局、簡単なコトだったのかも知れない」 「ん?何が」 「う、ううん、何でもない」 そう答えて、ゆえは、ふう、と吐息をつき、 「…………うん。明日から、来られるよ」 ゆえは、自分の中で何かが変わりつつあるコトを予感した。 つづく 【予告】 再び学園生活に戻ったゆえ。 しかし、その心は未だ晴れない。ゆえの心には、乗り越えなければならない壁がまだあったのだ。 そんなゆえの迷いに気付いた雅史。そこで雅史は、自分は、ゆえの太陽になるんだ、と確信する。 次回、「月は、太陽に」、 「最終章 月は、太陽に = お父さん =」 http://www.kt.rim.or.jp/~arm/