○この創作小説は『ToHeart』(Leaf作品)の世界及びキャラクターを使用しています。
26.無明長夜 = 対峙 =
「もうすぐですぞ」
外苑西通りに入ると、セバスが言った。
「そう。ところで、そこの電話番号って判る?」
「はい」
といってセバスは綾香に一枚のメモを手渡した。
「よくわかったな」
「こういうコトに得意な者が部下におりまして」
綾香はそれが、黙示という防衛大の学生であるコトを知っていた。母の知り合いだと言うコトは聞いていたが、しかし面と向かって会ったコトはまだなかった。
「えーと」
綾香は暗い車内に苦労しながら、携帯電話のバックライトをつかってメモを読み、電話を掛けた。
「……ちっ。なんだよ」
ベットに腰をかけて煙草を吹かしていた九重は、突然、テーブルの上に置いていた携帯電話が鳴ったコトに舌打ちし、それをとった。
「……なんだ――――」
『あ・た・し』
「………………ああ?」
『いやぁねぇ、ダンさん、あたしよあたし』
そのふざけた、馴れ馴れしい声に何となく聞き覚えのあった九重は、いったい誰なのか思い出そうとしていた。
『――あんたの後輩よ』
『――――来栖川綾香か!?』
「あったりー」
呆気にとられる浩之と雅史をよそに、綾香は能天気に笑って見せた。
「いやだわー、ついこのあいだ会ったばかりでしょう――あー、切っちゃ駄目切っちゃ駄目!」
慌てる綾香をみて、浩之は何となく見知らぬ相手の呆れ顔が目に浮かんだ。
「単刀直入にゆうわね。――居るでしょう、南雲ゆえさん、そこに」
ゆえの名を耳にした途端、雅史の顔に緊張が走った。
「…………」
九重は苦々しい顔で、自分に背を向けて寝ているゆえのほうを見た。
「…………知らねぇなぁ、そんな女」
『しらばっくれても駄目。――あんたの携帯電話の番号をあたしが知っているその事実から、――わかるでしょう?』
眉をひそめた九重だったが、しかし、不意に何かを思いだしたかのように、にやり、と笑った。
「……はん。やっぱりお前も、俺と同じじゃねぇか」
『――生憎ね』
そう言った綾香の貌の微妙な変化は、雅史にも判った。
「――あんたは、自分の手を汚さず、相手を選ばず傷つけてきた。同じ穴のムジナでも、あたしはこうしてあんたに電話を掛けてきた。いい?これから、あんたンとこに行くから。ちゃんと待ってなさいよ」
『面白ぇ。コーヒーの一杯でも出してやるぜ』
「ありがと。なら、ブルマンお願いね」
そう吐き捨てるように言うと、綾香は携帯電話を切った。
「綾香様……」
「なに?」
セバスはバックミラー越しに、綾香の様子を見ていたのだが、少し冷静さを欠いているように見えたことを告げようとして、しかし止めた。
「焦りすぎだぜ、綾香」
代わりに、浩之がそれを指摘してみせた。
「冷静よ」
「いーや。――なぁ、おっさん、そこ――そう、あそこのケーキ屋が見えるだろ?ちょっと止めてくんないか」
「ケーキ屋?」
「ああ。おみやげのひとつでも買っていこう」
「浩之……」
当惑する雅史は、口元を少しつり上げている浩之が何か企んでいるコトに気付いた。
「――わかりました」
それが浩之の腹積もりを理解した返答ではなかったが、少なくとも、頭に血が上っている綾香に冷静さを取り戻させる良い時間稼ぎであるコトを理解したセバスは、浩之が指したケーキ屋の前にリムジンを止めた。
「直ぐそこです」
浩之にいわれてショートケーキを1ホール分買ったセバスは、リムジンの外で待っていた浩之たちに、もう目の前にある目的地のマンションを指した。
「もう歩いても行ける距離だね」
「生憎、ここには駐車メーターはありませんので、直接マンションの駐車場に入られたほうが色々と無難かと。――綾香お嬢様」
セバスはリムジンの中で一人すねていた綾香に尋ねた。
「……うん。リムジンはあそこね。――大丈夫、もうイライラしていないわよ」
綾香は、観念したようなそんな笑顔で応えてみせた。セパスは冷静を取り戻した綾香にホッとした。
「ところでさ、浩之」
「なんだよ、綾香」
「ケーキ、どうするつもり?」
「話し合いのダシに使う」
「「話し合い――――」」
これには流石にセバスも綾香も、呆気にとられた。
「つーか、さ。ああいう相手には、セオリーとは正反対のコトをすると結構ビビらせるコトが出来るしさ。俺としては、どんな形にせよ、一泡吹かせたいのが正直な気持ちだし」
そういって浩之は、にぃ、と笑う。まさにイタズラ小僧がする、それである。
そんな笑顔をみて、雅史が、まったく、と最初に吹き出した。終いには二人してゲラゲラ笑い出すモノだから、ますますセバスと綾香は唖然となった。
「あんたたち…………ぷっ」
綾香はこんな二人に何か一言言いたい気分だったが、しかし二人の笑いっぷりをみているうち、つられるように吹き出してしまった。
「……まったく。でもまぁ、いっか。あたしもそれで良いような気がしてきた――そうね、なら、そういう手もありか」
綾香は浩之の策に賛同し、さらに次の一手を思いついたようで、小悪魔のような笑顔を浮かべた。セリオはともかく、セバスは蚊帳の外におかれた気分だったが、このまま様子を見ていた方が面白いような気がして、あえて何も言わなかった。この3人の笑顔が、それだけこの老紳士には魅力的に見えて仕方がなかったのだ。
まもなく、リムジンは発車し、二分ほどで九重のマンションの地下駐車場に入った。念のため、セリオに内蔵してある多角センサーで入り口から駐車場内部を隅々までチェックしたが、九重の配下が潜んでいるような形跡は全くなかった。
「なめてんのかしら」
「からかってんだろ。それか、無駄なコトはしない主義か」
「両方よ。――セリオ、あなたは佐藤君と一緒にリムジンに残って」
「え――」
驚く雅史の右肩を、浩之が、ポン、と叩き、
「お前ぇ、そもそも怪我人だろぅが。ここまで付いてくるのは認めたが、後はここで大人しく待て」
「でも、浩之――」
反論しようとして、しかし浩之に睨まれた雅史は何もいえなくなった。
かといって、ここまで来て浩之に恐れを成したわけではない。単に、浩之が何か手を考えているようなので、様子を見てもいいのでは、と考えたからである。
「…………セリオ、判った?――セバス、浩之。行くわよ」
セリオに何か耳打ちで指示をした綾香は、浩之とセバスを従えてリムジンを降り、エレベーターのほうへ歩いていった。ぽつんとリムジン内に残された雅史は、無表情に3人を見送ったセリオを暫し見つめ、はぁ、と溜息を吐いた。
「……本当にコーヒー出して待っててくれるなんて、予想外だったわね」
綾香はテーブルの上に置かれたコーヒーカップを見て苦笑した。
「それはこっちのセリフだ。お土産付きだったとはな」
左腕を三角帯で吊った九重が指しているのは、浩之がセバスに買わせたショートケーキのコトではなかった。
「そいつが、お前の彼氏か?」
「念のため。どっち?」
「はははっ。ジジィが趣味か?」
ジジィ呼ばわりされて、綾香が腰を下ろしているソファの背後に立っていたセバスは、思わず、むっとした。普通ならここで、例の「喝ぁぁぁぁぁっっっっっ!!」が飛び出てきてもおかしくないが、綾香から黙ってみてて、と念を押されていた為に、不承不承沈黙を維持していた。
ホンの五分ほど前に、綾香たちは九重の部屋に入った。角部屋で、エレベーターからは遠い部屋であった。浩之は綾香の隣に座っていた。エレベーターを降り、九重の部屋の扉を開けてこのソファに腰を下ろすまで、浩之はずうっと警戒していたが、そんな二人の会話を端で聞いていると、なにか悪い冗談に付き合わされているような気分で仕方がなかった。それでも、九重の後ろに立つ、ガタイの良い、浩之と同い年くらいの少年たちが、絶えることなく浩之たちを睨んでいるので、緊張が緩むコトはなかった。室内には、九重の後ろに立つ三人の他に、セバスを挟んた背後に五人いる。多勢に無勢なハズなのに、しかし浩之には、自分たちを相手にするのには不相応な数にしか見えなかった。少なくとも背後の五人は、セバスを相手にするには余りにも足りないだろう。
「生憎だけど、浩之には立派な彼女が居るの。――だから、ここに来た。わかる?」
早速、綾香が挑発に出た。しかし、先ほどと違い、その貌も口調も冷静さは維持している。
「…………知っているよ。なぁ藤田浩之」
敵もさる者である。既に浩之の面は割れていた。となれば、ヘタをすれば今頃、あかりが襲われている危険もある。だが、既にセバスの手はずによって、浩之に関わりのある主立った人物は皆、来栖川警備保障の機動部隊によって、本人たちに悟られぬよう警護されていたコトを知っているので、浩之はひとつも動じなかった。
「なら、話は早ぇよな」
にぃ、としたり顔の浩之に、九重は眉をひそめた。
「色々と俺のダチにくだらねぇコトしてくれたンので、正直、あんたをぶちのめさねぇと気が済まねぇ。…………だが、素直に南雲さんを解放して、二度と彼女に関わらなければ、この場は手を打っても良いが」
すると九重は、くくくっ、と笑い出し、
「だから、言ってるだろぅ?知らねぇ、ってよぉ」
「俺の名を知ってて、南雲さんのコトは知らねぇ、ってか?――バカにするなよな」
浩之は九重を睨み付けた。それでも九重のペースには乗らないよう、冷静に努めた。
浩之たちと九重が対峙する中、雅史はリムジンの中で苛立っていた。綾香は何かあったらセリオに連絡を入れると言っていたが、一向に連絡はない。もっとも、綾香たちを見送ってからまだ十分も経っていないのであるから、当然であろう。一度は納得しても、やはり我慢できないのだ。
やがて雅史は、窓の外をきょろきょろ見始め、
「――よし」
「お待ち下さい、佐藤さん」
扉を開けようとして、それを目の前に座っていたセリオに止められた。
「ご免。――でも、僕も行きたいんだ、南雲さんのところへ」
「今の佐藤さんの心拍数は異常です」
「接触しなくても感知できるの?」
「今の私はVIP警護用にチューンナップされています。――佐藤さんの体内アドレナリン反応も多角センサーで検知可能です。――しかしこれは、平均的な苛立ちの反応ではありません」
「――――?」
「むしろこれは」
そう言ってセリオは雅史の顔を見据えた。
「――何を、怖がっていらっしゃるのですか?」
雅史は、一瞬、心臓を鷲掴みにされた気がした。
「……この地下駐車場と上の階に、人体の反応は佐藤さんを除いて皆無です。敵対する存在が三分以内に襲撃する可能性は5パーセントにも満たない、極めて安全な状態です。にもかかわらず、どうしてそんなに怯えていらっしゃるのですか?」
「…………僕が傷つくのが怖いんじゃないんだ」
「?」
「…………彼女がこれ以上傷つくのが、怖いんだ」
雅史は悔しそうな貌で応えた。
するとセリオは不思議そうな貌を――感情のないハズのセリオがどうしてそんなふうに見えたのか、雅史にはよくわからなかったが、そんな不思議な貌を雅史に向け、
「他人のために恐怖するのですか?」
セリオの指摘に、雅史は一瞬、困惑し、そしてすぐに理解した。
「…………キミには理解出来ないか。――いや、人でも理解出来ないよな、そう言うの」「曖昧すぎて理解不能です」
急に、セリオがらしい返答をしたモノだから、雅史は思わず吹き出した。
「――ごめん。自分でもよく判らないモノを、キミに理解してほしいなんて思っていないから」
「…………そうなのですか」
ふと、そのセリオの返事に、雅史は言葉を詰まらせた。今度ははっきりと、セリオの寂しげな貌が見えたからだ。
「セリオ……」
「ひとは、他人と共有しあえない『感情』を、こうも簡単に肯定出来るのですか?」
後編へ つづく