ToHeart if.『月は、太陽に』第26話(後編) 投稿者:ARM(1475)
【承前】

「共有――」

 そこで雅史は、セリオやマルチと言ったメイドロボットのアイディンティティが、デジタルデータ化され、コピーされているコトを思い出した。様々な環境において取得した経験が、ネットワークを通じて直ぐに展開される彼女たちにとって、集団は「個」なのである。メイドロボットたちにとって、「異なる他人」はあり得ない存在なのだ。
 その件で以前、雅史は浩之から、あのマルチの「こころ」が、メイドロボットたちにとって本当に必要なモノかどうか質問されたことがあった。マルチの運用試験が終わって一週間ぐらい経った頃だろうか。最終日、浩之とあかりは懐いてくれたマルチを夜通しでその別れを惜しんだコトを思い出していた。
 たったひとつのパーソナル。集団さえも「個」となるメイドロボに、果たして必要なモノかどうか。
 人ですら、自分というモノを理解出来ない存在のクセに、その是非を問うに値するいきものなのか。
 雅史には、浩之が何を戸惑っていたのか、その時はよくわからなかったが、今ならその理由が、わかるような気がした。

「…………多分、ね」
「はい?」
「共有できないから、あえて肯定するんじゃないかな」
「曖昧すぎて理解不能です」

 堪らず雅史は苦笑する。

「…………ごめん。つまり、さ。共有するに値しないが、しかし必要なモノがこの世にはある、っていうコトなんだよ」
「――それはいったい、どんなモノなのですか?」

 それはまるでセリオが探求心に目覚めたような、そんな勢いを感じる口調であった。理解出来ないモノを理解しようとするその向上心は、人ももっと見習うべきだな、と雅史は感じた。

「つまり、共有化したら台無しになってしまうモノ、さ。たとえば、パーソナリティ、個性というヤツ」
「個性の確立には様々な要素を必要とします。私たちのような実時間さえも必要としないモノにとって、パーソナリティは不要なモノである、と認識されています」
「データをセーブすれば、その時点からいくらでもやり直しが効く、っていうんだろ?人から見ればうらやましい限りだけどね」
「人は、やり直しが出来ないコトに不便を感じますか?」
「そりゃ、ね。――でも、失敗するコトにも意義はあるから。失敗するコトで、経験が作られるんだし」
「以前、マルチさんもそうおっしゃってました」
「マルチが?」
「失敗は、正しい選択肢を見つけるために必要だから、怖がる必要はない、と」
「――――」
「佐藤さん、どうかされましたか?」

 セリオは、急に黙り込んだ雅史の貌を見つめた。雅史の貌はあっ、と驚きかけた状態で凍り付いていた。

 浩之、相変わらずだな。

「――佐藤さん?」
「あ――い、いや、ちょっと懐かしいコトを思い出してね。――そう、そうだよ。……失敗を、傷つくコトを怖がっちゃ、いけないんだよ」

 そういうと、雅史は扉を開けて車から降りようとする。

「佐藤さん、駄目です」
「悪いけど、僕は彼女を助けに行かなきゃならないんだ」
「必然性がありません」
「でも、ゼロでは無い」
「――――」

 セリオは返答に窮した。
 確かに、ゼロではないのだ。

「…………確かに、完全なゼロではありません」
「うん。ひとは、ね、単純に数値だけで割り切れるコトはしないんだ。――出来ない、と言った方がいいのかも知れない」
「曖昧すぎて理解不能です」
「僕もそう思う」

 そういって雅史は微笑んで見せた。
 するとセリオは暫し黙り込み、

「…………それは」
「?」
「たとえば、です。他人が傷つくのが嫌だから、安易に迎合する人や、逆に、頑なに拒絶する人もいる、というコトなのでしょうか」
「――――!」

 思わず雅史は絶句した。

「先ほど、綾香様がそうおっしゃられていました」
「あ…………そ、そう。あー、びっくりした」
「…………そこまで驚かれるコトですか」
「え?ま、まぁ。――そうか、そうなんだ」

 綾香は気付いているのだ。あるいは、浩之がそれとなく綾香に告げていたのかも知れない。雅史が、ゆえにこだわるその理由を。
 雅史の複雑そうな貌をまじまじと見つめていたセリオはやがて、

「佐藤さん」
「ん?」
「南雲さんのコトが好きなのですか」
「――――」

 雅史は見る見るうちに赤面し、

「あ、あの、その」
「同情ではなく、好きだから、助けたいのですか?」
「――――」

 雅史は絶句した。そして、セリオを介して問われたのであろう、その質問の主の真意を考えた。
 彼女が好きだから、助けたいのか。
 彼女が可哀想だから、助けたいのか。
 それとも――――

「マルチさんが、おっしゃっていました」
「――?」
「マルチさんは、人が好きだから、人の笑顔が嬉しいから、働けるのだ、と」
「………………!」

 雅史は、その正体がやっと判った。

「……セリオ」
「はい」
「セリオは、どう思う?――やっぱり判らない?」
「いえ」

 雅史はセリオが即答したコトに驚かされた。

「人が好きなら、良いのではないのでしょうか」

 雅史は、セリオのメモリー内に、そう答えた時のマルチの笑顔がよみがえっていたコトを知る良しもなかった。だが、その笑顔は、自然と浮かんだセリオの微笑の中に何となく見えていた。

「……ありがとう、セリオ」

 そう言って雅史は、セリオの頭を優しく撫でた。浩之がマルチにそうしてやったように。

「解除コードを認識しました」

 突然セリオは、小声でそう呟いて受信モードに入った。

「え?」
「…………サテライトシステム、障害発生、受信不能」

 セリオはそういうと今度は外を見た。その視線の先には、携帯電話用の内設アンテナがあった。もっと明るければ、来栖川電工のマークが描かれているのがわかるだろう。

「サテライトネットワークシステム・ベータネット臨時作動……コードMMM…………コネクト……ブレイブ・コードキー、ダウンロード完了」

 どうやらセリオは、何らかのデータを来栖川電工のデータベースからダウンロードしたらしい。セリオが使用したKNSベータネットは、後に各地に点在するメイドロボットを中継ターミナルとして利用できる最新システムであるが、現時点においてこのネットを利用できるのは、VIP警護用にチューンナップされたセリオだけである。データを受信すると、セリオは反対側の扉からリムジンを降りた。

「セリオ…………」
「VIP警護用データのセーフティデバイスを受信し、アーカイブを展開しました。…………行きましょう」
「――――」

 雅史は、試されたんだ、とようやく理解した。それでいて、ひとつも悔しくなかった。

「……ありがとう」

 雅史はそう言ってリムジンを降りた。

                 つづく

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