『羅刹鬼譚 天魔獄』 第1話 投稿者:ARM(1475)
【警告!】この創作小説は『痕』『雫』(Leaf製品)の世界及びキャラクターを使用しており、ネタバレ要素のある作品となっております。

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 じめんのなかで、なにかがあばれている。
 くるしんでいるみたい。
 でたい。
 はやく、でたいと、ないている。
 こわい。ものすごくこわい。
 夢なら、はやくさめてほしい。

 でも、だしてあげたい。

 だって、それ、いきているんだもん。


「朝ー、朝だよー、朝ご飯食べて学校行くよー!」

 がばっ!今年九歳になる、柏木耕一の娘である千歳は、目覚ましの気の抜けた声に起こされた。耕一が東京へ出張に行ったときに買ってきてくれた「たれなゆき」とかいう奇妙なぬいぐるみに内蔵された目覚まし時計である。

「うー、なつやすみなのに、がっこういくよー、なんてやっぱ、やだなぁ」

 朝には強い千歳は、目を擦りながらぼやいて目覚ましを止めた。
 そしてようやく、千歳は酷い寝汗で寝間着がびしょぬれになっているコトに気付いた。

「……いっぽまちがうと、おねしょあつかいされそう。うー、きょうも腹がたつくらい天気がイイし、さっさとほすしかないなぁ。ラジオたいそうにはそれからね」

 そう言って千歳は床を出た。
 つい先ほどまでうなされていた奇怪な夢のコトは、もう忘れていた。


 第1章 謎の幾何学模様

 夏。
 日本海側はフェーン現象により、ここ数日真夏日となっていた。
 隆山にある旅館・鶴来屋の全館は、このうだるような日中に、冷房機をガンガン効かせて不快からは免れていたのだが、そのオーナーが住む柏木邸では、地獄のような暑さが続いていた。

「……済みませんねぇ。いやぁ、……クーラーが壊れちゃってねぇ」

 柏木梓は、止めどなく流れる汗をタオルで拭きながら、ちゃぶ台をはさんで座っている来客に苦笑してみせた。

「なにせ、この暑さでしょう?他の家でもクーラーを酷使している所為か、市内でも故障が多発してて電気屋が引っ張りだこで……いえ、あたしたちだけならこれくらいの暑さは大丈夫なんですけど…………本当に暑くありません?」
「なんとかネ」

 梳くと光が散りそうなプラチナブロンドを冠する美貌が縦に動いた。もっとも、そんな返答に関係なく、この美しい柏木家への来訪者は汗ひとつかいていない。

「昔、エジプトにしばらくいたコトがありまシてね。暑さには強いんでス」

 昔、と聞いて、梓はいつの頃かと想像した。
 この来訪者に関しては、見かけの歳以上の頃まで遡る必要がある。一見、梓と同い年ぐらいに見えても、本当の歳はその十倍以上なのだから。
 〈不死なる一族〉の長、ブランカ・D・サンジェルマン。本当は不死身ではないのだが数千年以上の永き寿命を持つがゆえに不死と呼ばれる一族の中では、300歳程度ではまだ若輩者ではある。しかし、一族の歴史史上、最強と呼ばれた先代の『不死王』サンジェルマン伯爵の実子であるブランカの魔力は、父に匹敵する、と一族の内外からその秘めたる実力を畏怖されていた。

「ところで……アズサのコトでスが」

 ブランカはすこし困ったふうな顔をして、梓を指した。

「汗で透け透けデス……」
「どうしようもないわ、これは」

 苦笑する梓は、汗でびっしょりになった白いシャツを、胸の上でつまんで見せた。この暑さでは流石に蒸れるブラジャーをつける気にはなれないらしい。

「うちには二人ほど、獣を飼っていますけど、まぁあんまし気にならないというか」
「そうなのか」

 その声に、梓はぎょっとした。そして声の聞こえてきた、開かれていた襖の間に立つ、作務衣姿の柳川を見つけた。

「あら、みてたのね。いやーん」

 そう言っても胸を隠そうとしないのは、柳川をからかっているからである。祖父の息子であるこの仏頂面の男と同居するようになって10年になる。おおらかな性分もある所為か、梓は柳川を異性というより兄妹のようなものだと思っているフシがあった。

「似合わん」

 そういって柳川は、流しのほうへとっとと言ってしまった。
 柳川に一蹴された梓、堪らず赤面する。無論、恥ずかしさからではない。

「おのれ、このムッツリっ!バカにしよったなっ!!」
「ダメダメ、梓お姉ちゃん。ゆーちゃんにそんな色じかけはムダだって」
「あら、チトセ。お久しぶり」
「ブランカお姉ちゃん、いらっしゃい」

 柳川と入れ違いに現れたのは、耕一と千鶴の娘である千歳であった。千歳はお盆に氷が入ったコップに注がれた二人分の麦茶を載せてやってきた。今年、九歳になる少女は、柏木家の家事全般を司る梓の英才教育の甲斐あって、立派に家の手伝いをしていた。十年前のある事件で瀕死の重傷を負い、未だ意識の回復しない母親。そして鶴来屋の会長職などで不在がちな父親より、事実上柏木家をまとめ上げている梓に懐くのは当然のコトなのかも知れない。ちゃぶ台に丁寧にコップを置いた千鶴は、梓に、えらいえらい、と頭を撫でられ、嬉しそうに笑った。

「きょうはなんのよう?かんこうなら、あとで海にいっしょにいこうよ!」
「あー、ダメダメ。ブランカ、今日は仕事で来ているのだから」
「良いのよ、アズサ。――半分はソのつもりだったから、水着持ってきてあるのよ」
「待ってよ。そうじゃなくって――」
「……あ」

 ブランカはあるコトを思い出し、大きく開けた口の前に思わず手を当てた。

 隆山海岸は今朝から立入禁止になっていたのだ。


 二日前に遡る。
 夜。
 隆山海岸の東側にある岩礁の近くで、一組の男女が裸で抱き合っていた。こういう行為は人目に付かぬよう注意がけるものだが、最近の若者は、人目に付く方が燃えるたちなのか、平然と行為を続けていた。
 不意に、岩陰から、音楽が流れてきた。岩陰には男女の衣類が置かれ、その隙間にあった携帯電話から流れてきた、着メロだった。
 持ち主は男のほうだった。先物のディーラーである男は、職場から夜、市場の動向の件で連絡が来ると聞いていたのだが、快楽に溺れるほうを選び、そのまま無視した。
 いつしか女のほうが男の上にまたがり、いよいよ高みに達したのか、女は堪らず声を上げて上を向いていた。突き上げる快楽に、女の視界は頭上の闇しかなかったが、耐えきれず涙がボロボロこぼれるその瞳には、頭上遙かにある月の影が落ちていたが、その光さえさえも見えていなかった。
 女は獣のような声を上げて月に吼えた。その見開かれた瞳から、不意に、月が消えたコトには気付いていなかった。

「――――!!!」

 人とも獣ともつかぬ声が闇夜に拡がった。二人して一緒に達したか、紅潮したその肌がぶるぶる震えていた。
 男は痙攣しながら女の乳房を包んでいたその手を外し、女の手を握った。男にとってこの女は妻になったばかりの大切な存在だった。涼を求めて海岸に出て、勢いで夫婦の営みを始めた男は、新妻のか細い手をぎゅっ、と掴み、快楽を共有した新妻の恥じらう顔を見ようと、顔を妻のほうに戻した。
 次の瞬間、パンッ!と男の正面で閃光が炸裂した。突然のコトに男は目が眩み、仰け反って呻いた。
 だが光量自体はストロボを焚かれたようなそんなに強いものではなかった。てっきり新妻が、悪戯で手元に置いていた使い捨てカメラのストロボを焚いたものと思った。
 だが、その考えは直ぐに否定された。男の両手には、新妻の両手が重なっていたからだ。まもなく男は視力を取り戻し、顔を戻した。

「お、おい――」
 
 取り戻した男の視界には、闇しかなかった。

「――――?」

 正確には、新妻の胸から上が消滅していた。握りしめている新妻の手が、ぱたり、と左右に拡がった。夫が掴んでいる新妻の両腕は、消滅した肩から外れていた。

「――――!?」

 夫は、突然の新妻の死に混乱し、悲鳴を上げた。――ハズが、それは誰の耳にも届かなかった。
 男が絶叫した瞬間、ストロボのような閃光が夜の海岸の闇を穿ち、ばしゅっ、と砂を叩く音が海岸に鳴り響いた。
 閃光が消えた後、男も、女の遺体も消滅していた。
 代わりに、二人がいた砂浜の上には、入れ替わるように、奇妙な溝が出来ていた。
 その形を知る者が見たら、こう言うだろう。
 「謎の幾何学模様=ミステリーサークル」と。

 この一週間、隆山海岸で奇妙な行方不明が続出していた。消滅したこの新婚カップルは、6組目、8、9人目となった。そしてその行方不明者が出るたびに出現する、このミステリーサークルの謎に、管轄の隆山署は首を捻るばかりであった。


第2章 天魔

「……エジプトの時と同じね」

 ブランカは、現場保護用に貼られた進入禁止テープで囲まれた隆山海岸前の道路から、海岸に昨夜新たに出現したミステリーサークルを間近に見て、溜息を吐いた。

「いつぐらい?」
「1799年。季節は今ぐらいかシら」

 隣にいる梓の問いに、ブランカはそう答え、

「あの時は村がひとつ、一晩のうちにミステリーサークルと入れ替わってシまったわ。砂に出来た痕だから、風で全部消えてシまって記録にも残らなかったけど」

 それを聞いて、梓は、はぁ、と困憊しきった溜息を吐いた。

「ふうっ、と幽霊のように出るのよネ」

 そういってブランカは仰いだ。つられるように梓も仰いだ。
 夏の青空が拡がっていた。こんないい天気は海水浴日和だというのに、警察によって海岸が閉鎖され、鶴来屋の客は不承不承、鶴来屋の屋内プールで涼をとっていた。

「……信じられない。ほんとうにそんなのが居るの?――――空に?」
「天に棲むモノ――〈魔界〉では奴らを、天魔、と呼んでいまス」
「月に影を落とした常識ハズレのサイズのヤツもいるそうじゃないか」

 二人の手前でしゃがみ、砂浜に描かれた、幾何学模様の溝の縁を指先でなぞっていた柳川は、憮然とした顔で言った。

「アポロ計画が行われていた頃にも、何度も宇宙飛行士たちに目撃され、UFO扱い――未確認飛行物体という意味では正解だけど、いろいろ騒がせたコトがありまシた。有史以前から大気圏外に生息スる、クラゲに似た珪素生命体。〈人界〉ばかりが〈魔界〉にも出没シて、土壌から化学分解して抽出したシリコンを喰らうバケモノでス」
「そんなのが何故、この隆山に?」

 柳川が不思議そうに訊くと、しかしブランカは首を横に振ってみせ、

「隆山ばかりではありません。ここ数年、都市部でも同様な事件が増えていまス。今までの研究で、天魔は強い電波に反応スるという生態が判っていまス。それから察するに、携帯電話や電子機器などの電磁波に引き寄せられているのではないかと」
「電波ねぇ……」

 柳川はおもむろに、作務衣の腰ひもにかけていた携帯電話を掴んだ。

「今回も現場の傍に、溶けた携帯電話が残っていたが、隆山で携帯電話がまともに使えるようになったのは最近だが、それと関係でもあるのか?」
「携帯電話の電波に誘われて飛来シたのだとは思いまスが、直接的な理由では無いと思いまス。この辺りで都市部並に電波が行き交っているようには見えまセん。もシ、携帯電話に原因があるというのなら、隆山ではなく、大都市のほうにもっと出現スるはずでス。隆山での出現件数が異常なので、わたしか本部の依頼で調査に来たのでス」
「ブランカもイイ貧乏くじ引いたもんよねぇ。たまたま休暇で隆山に遊びに来る予定だったのに、行き先が同じだからって調査の仕事押しつけられて」
「適材適所、ってやつでスね」
「違うって」

 横で柳川が、ぼそり、とツッコミを入れていたが、ブランカも梓も気付いていなかった。

「しかし本当、何故、隆山にこんなに出現するようになったのかしら。…………まさか、この上空に天魔とやらの巣があるとか?」
「ソれは心配ないわ、アズサ。天魔は成層圏内には棲まないの。主としてラグランジェポイントに生息スるコトが判ってまス」
「では何故、ここに?」

 梓は訊いたが、ブランカは肩を竦めた。

「……1999年7の月にでも現れていれば、『恐怖の大王』としてチヤホヤされたところなんだがな」

 柳川は呆れるように言う。そんな柳川を見て、二人は思わず吹き出す。柳川が珍しくジョークを口にしたコトがツボに入ったらしい。それをみて柳川は見る見るうちに不機嫌になるが、二人は笑いを止められなかった。

「……ふん。…………しかし、電波、か」
「……ソ、……ソうね。普通に考えれば、携帯電話のそれよりももっと何か強い電波――電磁波につられて飛来シてきたと見るべきなのでシょうけど……」

 ブランカはあたりを見回した。

「……ソんな強い電磁波を発スるようなアンテナや発信器なんて、見あたりまセんね」
「とりあえず、警察はその線から当たってみよう。もしかすると天魔の生態を調べていて、操ろうなんて考えているバカが居るやもしれん」
「天魔が地上で摂取行為を行う時に、土壌に化合物とシて含まれている珪素を化学分解スる時に小規模のプラズマを発生サせるのでスが、不思議なことに、理由はよくわからないのでスが、必ずミステリーサークルを描くのでス。あスこのミステリーサークルの規模なら、セいぜい20メートル、ソんなサイズなら見つけて叩けまス。シかシ、どんどん珪素を吸収して、この隆山全体を飲み込めるほどのサイズにまで成長シたら、もう〈守護者〉の手には負えまセん」

〈守護者〉。「ガーディアンズ」と呼ばれるそれは、〈人界〉、〈魔界〉そして〈神界〉三界の均衡を維持する為に各界の代表者たちが締結した〈不可侵条約〉を護るべく、監視そして実力行使する超法規機関の総称である。鬼神の血を引く柏木一族もその機関によって今まで監視されていたのだが、ここに来て、二人の柏木の男がその鬼神の力の制御に成功し、機関の顧問である〈三賢者〉がひとり、〈神羅〉ラプラス・ソートの推薦もあって、柏木一家と柳川祐也は〈守護者〉のメンバーに加わっていた。現在、一家の長たる耕一は、ロンドンで発生している、妖物が関係していると思われる無差別連続殺人事件の調査にかり出されて隆山には不在であった。

「そんな怪獣相手ではちょっとした戦争になるか。――ご免だな」
「耕一、呼び戻す?」
「コーイチはいま、ロンドンの妖霧事件に出て貰っていまスから、今スぐは呼び戻せまセないでシょう。確かに彼を所有者と認めた、次郎衛門の〈封じの鞘〉なら何とかなるかも知れまセんが、最悪、ロランの〈神殺しの槍〉の力を借りなければならないかもシれまセん」
「どこに居るともつかぬ〈神狩り〉の力を借りるくらいなら、自衛隊を呼んだほうが早い。……さて、俺は署に行くが」

 すると梓は驚いた顔をして、

「作務衣姿で?」
「一昨日から署のクーラーも壊れてて、暑いんだよ。うちの課長なんか、昨日からおしゃれにアロハだ」
「あの長瀬課長は別格でしょう」

 梓は、柳川の上司である、アロハを着込んだ馬面の課長を想起して吹き出した。隆山市内でここ数年多発していた奇怪な事件を次々と解決してきたという評判から想起する英雄像とは裏腹に、ひょうひょうとしてつかみ所のない男であったために、長瀬は隆山市内ではちょっとした有名人であった。

「……なんか、あの人に感化されていない?」
「否定はしないさ。――熱射病に気をつけて戻れよ」

 そういって作務衣姿の、隆山警察署防犯課の警部、柳川は、職場に向かっていった。そのひょうひょうとした後ろ姿を見送って、だいぶ悪影響を受けているなぁ、と梓はぼやいてみせ、ブランカを笑わせた。

「ところで、さ」
「?」
「電波だけ?その、天魔が喜びそうなヤツ」

 梓が訊くと、ブランカは頷き、

「喜ぶというか、ある意味、この地球上の生態系維持に一役買っているんでスけど」
「?」
「植物が二酸化炭素を吸って酸素を造り出す光合成と同じく、天魔が珪素を摂取した時に、大量の酸素を造り出シているのが確認サれているわ。天魔が地球上で珪素を摂取し、上空で酸素を吐き出しているおかげで、オゾンホールの急速な拡大が防がれているなんて、信じられまス?天魔が居なければ、二十一世紀を迎える前に地球は死の星になっていた、なんて研究報告もありまシた。おかげで人類も我々魔族、そして神族さえも、天魔のせん滅には二の足を踏んでいまス」

 それを聞いた梓は、みるみるうちに神妙な顔をした。

「………まさか今回のヤツ、斃さずに追い払う気?」

 するとブランカは肩を竦めてみせ、

「巻き添えで死なれた方には気の毒でスが、摂取行為は、彼らの生存の権利を守るために容認スるべきものでス」

 つまり、人が死んでも仕方のないコトだ、とブランカは言っているのである。梓はこの言葉に、むかっ、となり、ブランカを睨んだ。
 しかしブランカはひとつも臆さず、むしろ逆に梓を諫めるような眼差しをくれた。

「ひとは決シて地球上に住む生命体の支配者ではありまセん。生きる権利は、誰にでも等しくあるのです。ソシて同じように持っている、生き残る、と言う権利が持つ意味を、ひとはもっと考えるべきでス」

 いわれて、梓は黙り込んだ。ブランカの言うとおりである。弱肉強食は決して不平等ではない。裸のサルは、知恵を武器にするコトで、生き残れているのだから。

「ソれにしても、不自然でス」
「?」
「サっきもユーヤがいってましたコトでス。どうシてこの隆山に出没シたのか」
「……え?」
「つまり、でス。――この隆山に、天魔を呼び寄セる要因が存在するに他なりまセん」
「……でも、さっきも言ったけど、そんな、強い電波を発するものなんか、思い当たらないよ」
「本当、謎が多スぎまス」

 ブランカは肩を竦めてみせた。

「天魔の生態には色々謎が残っていまス。生息地である成層圏外でどうやって繁殖シているのか、酸素のない極寒の世界で生息出来るソの生命力の秘密も未解明のままでス。急な呼び出シでろくに資料を集めていないので私にもはっきりシたことは言えないのでスが、今回の件は、ソこに理由があると思うのでス」

      第2話へ つづく