『羅刹鬼譚 天魔獄』 第2話 投稿者:ARM(1475)
 第3章 ピチピチ娘とシリアルキラー

 千歳は、先にブランカたちと家を出た梓から夕飯の買い物を頼まれ、町の商店街に出ていた。

「おう、千歳ちゃん、今日もお使いかい?エライねぇ。よし、プリンスメロン一個ご褒美にオマケしちゃおう!」
「ありがとうございます!」

 ニコニコ笑って感心する八百屋の主人に、千歳も満面の笑顔で礼を言った。母親似の器量良さに、商店街の人々は誰もが将来を楽しみにしていた。

「気をつけて帰るんだよ」
「はーい」

 と八百屋の主人に元気良く返答した途端、千歳は前から歩いてきた身なりの良い若い女性とぶつかってしまった。こういったあたりも、実に母親に良く似ている。勢いはなかったので千歳もぶつかった女性も転ぶコトはなかったが、千歳は慌てて飛び退いた。

「ご――ごめんなさい、ごめんなさい!」

 慌ててお辞儀する千歳に、女性はか細い声で、平気よ、と答えた。

「……あたしも……よそ見していたから」
「あ……でも」

 戸惑う千歳だったが、女性が微笑んで首を横に振ったので、照れくさそうに、はい、とお辞儀した。

「ところで……ここ、どこ」
「?どこって――」

 そこで千歳は、この女性の服装から、観光客であるコトに気付いた。

「ああ、ここは南隆山にあるしょうてんがいです。……道にまよったの」
「多分」

 苦笑する女性に、千歳は、彼女の優しい人柄を察した。

「旅館、どこです?」
「?」
「かんこうでこられたのでしょう?旅館のばしょならぜんぶ、しってます。――こうみえてもかんこうきょうかいのかいちょうのむすめですから」

 耕一がこの場にいたらさぞ感動したことだろう。もっとも居たら居たで、「やくたたずのおとーちゃんよりモノしっていますから」と毒づいていただろうが。

「あ……そうなんだ。じゃあ、鶴来屋の新館、ってどこらへん?」
「鶴来屋?ああ、うちね」
「……うち?」
「ここからだとちょっとあるくけど、この道を海にむかってあるけばつきます。……ん。どうせ、うちまでおなじ道いくんだし、おつかいもすんだから、あんないします」
「大丈夫?」
「うん!」

 そういって千歳は女性の手を引いた。いきなり手を引かれて、女性は当惑した。

「……ちょ、ちょっとねぇ、お嬢ちゃん」
「あたし、柏木千歳!ぴちぴちの9歳!」
「ぴ――って、ぷっ」
「笑った、笑った」

 すっかり千歳のペースにはまった女性は、仕方ないなぁ、といって一緒に歩き出した。

「ねぇ、おねえちゃんの名前、おしえて」
「私?」
「うん!」

 屈託のない千歳の言動に、女性は警戒心を抱くヒマもなかった。女性は綺麗な亜麻色をするショートヘアーの前髪をたくし上げ、くすっ、と微笑んだ。

「……私は、月島瑠璃子。ぴちぴちの、22歳」

 油断していた千歳は、思わず、ぷっ、と吹き出した。

   *   *   *   *   *

 柳川が隆山署に出勤すると、課長席でアロハシャツがうんうんと唸っていた。

「なんですか、課長。珍しく資料とにらめっこなんて」
「珍しいとは失敬な。俺はね、お前の見ていないところでちゃんと仕事しているんだよ」

 長瀬課長がそう反論すると、周りの署員たちが一斉に、おいおい、と小声で突っ込んだ。それを耳にした柳川は、長瀬の不断の仕事ぶりに一抹の不安を覚えた。

「その資料、県警本部から来た手配書ですね」
「うむ」

 頷くと長瀬は、両手で持っていたバインダーを机の上に放り捨てるように置いた。

「……指名手配犯ですか…………ほう、五人も」
「大脳生理学を専攻する女医の卵が、探求心に燃えた結果さ。献体で我慢できなかったのかねぇ」

 手配書には、五人の人間を自宅に拉致し、生きたままその頭蓋を外して脳の働きを研究した――無論、全員その「若い学者の情熱にあふれる研究」の最中に死んでしまったので、犯人は満足に調べることが出来なかったらしいのだが、そんな凶行に奔った犯人の屈託のない笑顔がプリントされていた。

「もう少しまともな写真が無かったんですかね。なにもVサインしている写真を」
「その女、子供の頃から写真を撮られるのが嫌いだったらしい。学校の卒業写真を撮る時も仮病を使ったそうだ。唯一、運転免許を申請したときの写真がそれだ」
「そんなヤツが何故Vサイン?」
「その日の前日は、生まれて初めて人体解剖の研修があった日だったらしくてな、翌日までテンションが高かったそうだ」
「なるほど。とんだシリアルキラーだ」

 柳川も長瀬も、酷い嫌悪感より呆れた感を露わにしたのは、こういった猟期殺人犯が年々増加していて、いまさら珍しくも無い為であった。今年の初めなど、東京湾に停泊した豪華客船に無数の爆弾を仕掛けて180人も殺した、理工学を専攻する大学院の学生がいたが、その理由は、太陽が眩しかったから、だそうである。その犯人も、公判のために留置所から出てきたところを、快傑ズバットの格好をした正義の味方マニア(犯人はそう名乗っていたのだが、後日、それを見出しに載せた大手新聞社のホームページのトップページがハッキングされたコトがあり、犯人の出で立ちが、体色がピンク色で頭に黄色いボンボンをぶら下げていたところから、あれはパチモノだ、ズバットに謝れ、と犯人に謝罪要求したウェブページに乗っ取られ、しばらく話題になったコトがあった)にトカレフで額を撃ち抜かれ、死亡している。世紀末はとうに過ぎたのに、人の心はまだ世紀末を終えていないのであろうか。

「で、そいつが来ているんですか、隆山に?」

 柳川が長瀬にそう訊いたのは、長瀬の「勘」を考慮してのコトである。ブランカをして一種の予知能力とまで言わしめる長瀬の「勘」は、本人にもよくわからないうちに発動する。つまり、今のように。

「何となく、だよ、何となく」
「課長の何となく、という言葉がいったいどれだけの事件の発生を予知していたコトか、判っていますか?」
「さぁ?」

 長瀬は肩を竦めて見せた。案外、この力を長瀬ははた迷惑なものだと思っているのかも知れない。

「……仕方ない。これから先に片づけるか。とりあえずこのふざけた犯人の顔写真、コピーさせて貰います」
「出るの?暑いよ、外」
「ここだって似たようなものです」
「そりゃそうだ。なんなら付き合うよ」
「アロハと作務衣を着た刑事の聞き込みなんて、いい笑いものですよ。鶴来屋の足立社長に頼んで、こんな客が来ていないか従業員に訊いてきます」
「あ、鶴来屋?やっぱ、俺もいく、俺も」

 ニコニコ笑う長瀬に、柳川の顔は見る見るうちに困惑し、はぁ、と溜息を吐いた。無論、柳川は、長瀬が鶴来屋で涼みたいという下心には気付いていたが、後でどうして長瀬がそんなコトを言い出したのか、早く気付くべきであった、と後悔するコトになる。


 第4章 招かれざる「客」

「やぁ、千歳ちゃん」

 鶴来屋新館ロビーに居た足立が、瑠璃子を伴って現れた千歳に気付き、笑顔で声をかけた。

「足立おじちゃん、お客さんよ」
「お客?」

 足立は、それが千歳と一緒にやってきたこの美人を指しているコトに直ぐに気付き、これはどうも、と瑠璃子にお辞儀した。足立はお辞儀してから、凄い美人だなぁ、と心の中で感心した。
 とにかく不思議な客であった。神秘的な美しさ、という陳腐過ぎる表現が、初めて的を射た、そんな感覚であった。汗でしっとりとした短めの亜麻色の髪が、強い陽射しを受けて煌めいていた。

「?足立おじさん、なに、ぼうっ、としているの?」

 千歳の声で、足立はこの美人に見惚れていたコトに気付き、はっ、と我に返る。

「あ、いや、暑さでちょっとぼうっとしてしまったらしい。――済みませんでした、どうぞこちらへ」

 足立はこの猛暑に初めて感謝した。足立にフロントへ案内された瑠璃子は、先に宅配で送っていたトランクを受け取ると、部屋の鍵を受け取った。そして、トランクを引っ張りながら、足立と話していた千歳のほうへ戻ってきた。

「千歳ちゃん、どうもありがとうね」
「どういたしまして」

 にっこり笑う千歳の頭に、瑠璃子は掌を乗せて撫でた。それから瑠璃子はまたトランクを引っ張りながら部屋に入るためにエレベーターへと向かっていった。

「あー、誰かお客様の荷物を部屋まで持って行ってやりなさい――ん?千歳ちゃん」

 不意に、足立は千歳の様子が変なコトに気付いた。

「……なんだい、そんな怖い顔をして」
「……いまのひと」
「ん?」

 千歳は瑠璃子のほうを見据えたまま、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「……あのひとになでられたら…………なんか、せすじがゾクゾクしたの…………」

 足立は、千歳が頭を撫でられるのが好きな事を知っていたのだが、撫でられて嫌悪感を抱いたなどと、初めて聞いたコトであった。前々から千歳が勘の鋭い娘だとは思っていたが、しかしあの美人がなにかのトラブルを引き起こすのか、とそのまま鵜呑みにする気にはならなかった。
 それでも、あの柏木一族の娘。耕一と千鶴の娘である。次第にわき上がる言いしれぬ不安感に、足立はフロントのほうへ向かい、フロント係の男性従業員に月島瑠璃子という客の情報を調べるよう言った。
 やがて千歳のほうへ向いた時、千歳の姿が消えていたコトに足立は慄然となった。

「――足立さん」

 そこへ、足立を呼ぶ声が。声が聞こえてきた方へ振り向くと、作務衣姿の柳川とアロハシャツを着た長瀬が、ロビーの自動ドアを潜ってきたところであった。狼狽していた足立がこの二人の出で立ちを見て、正直呆れたのだが、その所為で少し冷静を取り戻していた。

「警察の制服、変わったんですか」
「ああ、昨日っからね。……どうしたんですか、足立社長。そんな青い顔して」

 とても警官とは思えぬ格好でひょうひょうとする長瀬に訊かれ、足立は、はっ、となる。

「――そうだ!裕也君、千歳ちゃんを見かけなかったかね?」
「?ちー坊がどうかしたんですか?」
「ああ、いや、さっきまでそこにいたんだが…………まさか、ね」

 そういって足立は、エレベーターのほうへ向いた。

「あー、ところでなんですけど、いいですか?」
「は?なんですか、長瀬さん」
「これ」

 と言って長瀬は、県警本部から回付された手配書のコピーを足立に見せた。
 フォームだけでは署内の文書であるためにそれとは判らないが、こういった客商売をしていると、それがなんであるか直ぐ判るらしく、足立は長瀬が手にするコピー紙を指して手配書ですか、と訊いた。
 訊いてから、足立は、はっ、と驚いた。

「――――このお客!さ、さっきの!」
「え?本当?」

 そう言って長瀬は、フロント係の男性従業員にも見せた。するとその従業員も、これ、さっきのお客さんです!と思わず声を上げてしまった。

「いやぁ、俺たち、運がいいねぇ。そう思わない、柳川?」
「運がいいのも程々にして欲しいが――でも丸腰で?」
「いいや」

 呆れ気味の柳川に、長瀬はズボンのポケットから携帯警棒を取り出した。スタンガン式の最新型である。

「ずるい」
「柳川は別に要らんだろうが」
「……はいはい。ついていきますよ」
「あ、柳川が先導してくれ。相手は五人も殺した凶悪犯だから」

 何も知らない者なら、凶悪犯逮捕に素手の人間を先導させる長瀬のその神経を疑うところだが、鶴来屋の従業員は皆、その理由を知っていた。中には、犯人の身を心配する者もいるかも知れない。
 この穏やかそうな面持ちの青年には、もう一つの恐ろしい顔があるのだ。

「で、その人物は?」
「1418号室です」
「一番上の角部屋か。14階に他の客は?」

 長瀬が訊くと、フロント係の従業員は、預かっている鍵をチェックした。

「運がいい。皆さん、外出されています。下の階も誰もいません」
「よし。マスターキーを貸してくれ」

 柳川に言われたとおりにフロント係がマスターキーを差し出すと、それを長瀬が受け取り、二人ともエレベーターに向かって真っ直ぐ走っていった。

     第3話へ つづく

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