ToHeart if.『月は、太陽に』第23話 投稿者:ARM(1475)
23.無明長夜 = 錯綜 =

「――あ、そうだ。浩之ちゃん、これ」

 雅史の両親がセバスたちと話している隣で、あかりが浩之の腕を引っ張った。

「あ、物理の課題のプリントか。あの先生、休んでいるヤツまで課題出させるから無茶だよなぁ。……しゃあない、雅史に渡してくる」

 そういうと浩之は雅史の母親に挨拶し、雅史の家の玄関に入っていった。

「…………んぁ?どうしたんだ、雅史?」

 玄関に入った浩之は、受話器を落として呆然となっている雅史を見つけた。浩之に呼ばれた雅史は、しかしその場に凍り付いたように立ちつくしていた。

「……おい?具合でも悪いのか?」

 当惑する浩之は玄関を上がり、凍り付いている雅史の肩を、ぽん、と叩いてみせた。
 すると雅史は、はっ、とようやく我に返り、浩之のほうを見た。
 浩之は、振り返った雅史が、まさかこんな顔をするのかと、正直驚いた。
 まるで、あらゆるモノに絶望した、そんな昏い顔だった。そして、今までこんな雅史の顔を、浩之は見たコトがなかった。

「…………雅史。…………その電話」

 浩之が恐る恐る訊く。すると雅史は、はっ、として、いつものように笑い出し、慌てて受話器を拾い上げた。

「い、いや、ちょっと、変な間違い電話で驚いちゃって」
「……ハアハア電話?」
「そ、そう、奥さん、下着の色、何色?って。思わず、ふんどしです、って言ったらいきなり切られちゃって」
「……………………」
「い、いやだなぁ、そんな怖い顔して。本当だって」

 冷や汗をかいて笑い続ける雅史に、浩之は、はぁ、と困憊し切った溜息を吐いた。そして、玄関の外の方に一瞥をくれ、一寸来い、と雅史の首根っこを掴まえて家の奥へ雅史を引っ張っていった。そして、雅史の部屋に入っていった。

「乱暴だなぁ、浩之」
「今の電話、南雲さんだろ」

 途端に、雅史の笑顔が硬直した。
 それをみて、浩之はまた溜息を吐き、

「…………お前、嘘つくのヘタだからなぁ」
「…………」
「まぁ、そんな正直なところが、俺と違ってみんなに好かれているところなんだけどな」

 そう言って浩之は、ふっ、と微笑んで肩を竦めた。そんな浩之をみて、雅史は俯き、自分のベットの上に腰を下ろした。

「おおかた、さよなら、とでも言わ――?」

 浩之は、雅史の肩が、ビクッ、と震えたのを見て、図星か、と心の中で思った。
 暫しの静寂。
 やがて浩之は、黙り続ける雅史を見下ろして、しゃあねぇな、と言った。その言葉に、雅史は怪訝そうな顔を上げて見せた。

「……言いたくなければそれでもいい。どうせ、どこに南雲さんが居るか、までは訊いていないんだろう?」

 少し間をおいて、雅史はためらいがちに頷いた。そして、がっくりと項垂れた。
 そんな、酷く落ち込む雅史を見て、浩之は雅史の机の上に課題のプリントを置いてから、自分の頭を右手で掻きむしった。

「……とりあえず、物理の課題が出ていたんでな、ここに置いとくよ。…………明日、学校来いよ。あかりたちも心配しているからな、いいな?

 雅史は頷くのみだった。浩之は肩を竦め、雅史の部屋から出て行った。


 翌日、雅史が浮かぬ顔で登校し、教室の扉を潜ると、クラスメートたちが心配そうな顔をして雅史を取り囲んだ。雅史は相変わらずの笑顔で、とんだ災難だったよ、と応えた。
 そして、教室内を見渡し、窓際に一人ぽつんと居たあかりを見つけて声をかけた。

「あかりちゃん、浩之は?」
「うん……」

 呼ばれたあかりは、どこか物憂げな顔で振り向き、

「さっき、志保に呼ばれて……」
「そう……」

 それが、ゆえの件であるコトは、雅史には直ぐに判った。


「……そういうわけだ。だから、雅史には南雲さんのコト言うなよな」
「判っているわよ」

 クラブハウスのオカルト研究会部室前で、浩之に念を押された志保は、憮然とした面もちで肩を竦めた。

「こう見えてもあたしはヒロと違って繊細なハートの持ち主なんですからね」
「はいはい」
「あー、信じていないなぁ?」
「はいはい」

 浩之におざなりに返事され、志保はムカっ、となるが、事情が事情だけに怒鳴り返すコトは押さえた。そして、はぁ、と忌々しそうに溜息を吐くと、クラブハウスの廊下の窓から、一昨日、雅史が襲われた校門の方を見やった。

「……ンで。やっぱり、その九重ってヤツが張本人?」
「警察だけには任せられないって、セバスもその筋の情報網を使って調べるそうだ。まだ、証拠はないが、この状況からして、恐らくそいつの仕業だろうと思う。…………しっかし、本当、その場に綾香が居なかったら、お前、どんな目に遭わされていたか」
「大丈夫よ。――むしろ、そっちのほうが手間が省けて良かったのかも」
「おい――」

 志保は、浩之に睨まれて驚いた。そして、くすっ、と小悪魔のような笑みを浮かべて、

「…………ふぅん。ヒロ、あたしのコト、心配してくれてんだ」
「……って、あ、あかりが哀しむだろ?――それに、お前は友達だろう?」
「…………友達、ねぇ」

 志保はそう呟いて、ふっ、とどこか自嘲気味に笑い、やがてその顔を曇らせた。

「…………なのに、ゆえちゃん、あたしにはさよならを言ってくれなかった」
「志保……」
「あの時、雅史ン家の電話番号をあたしに聞いても、あたしには雅史みたいにさよならは言ってくれなかった…………」

 志保はそう言って、悔しそうに唇を噛みしめた。
 浩之は部室側の壁に背もたれして暫し俯き、かもな、と呟いた。

「え?」
「……そういうワケではないと思うぜ。南雲さんにとって志保は親友のハズだ。――ただ、雅史は、あの人にとって、もっと特別な存在なんだろう」
「特別――――」
「……雅史に、似ているところ、あるんだよな、南雲さん」
「似ている?」

 浩之は、笑みを浮かべたまま頷いた。

「雅史のヤツ、いつもニコニコ笑っているだろ?そのくせ、不快になるコトは無ぇ」
「天然の持ち味ってヤツかしら」

 志保が思わず苦笑いすると、浩之はゆっくりと首を横に振った。

「…………あいつは屈託なく笑うコトで、他人を傷つけまいと気を使っているんだ。だから、いつも自分が傷つく」
「…………」
「優しすぎるんだよ。――そして、傷つくコトを恐れない、強いこころを持っている」
「強いこころ…………」
「ああ」

 浩之は身を起こし、大きく背伸びした。

「俺は、あの二人が惹かれ合っているのは、その辺りに理由があると考えているんだ。…………好きになる、ってこころの働きはな、自分を良く理解してくれる相手を見つけた時に初めて働くモノだと思うんだ」
「ふぅん……なるほど、道理であんたとは気が合わないわけだ」
「やっと気付いたか」
「なによ」

 志保はまた、むっ、となってふくれっ面になるが、しかし直ぐに吹き出した。

「……まぁ、志保チャン的にもそう言うコトにしておくわ。さて、そろそろHRの時間ね。戻ろ」
「放課後、セバスのおっさんが来るから、そん時また今後の対策を考えよう。もういっぺん言うが、雅史には九重のコトやお前も襲われたコト、内緒だからな」
「はいはい」
「……それにしても」
「?」

 志保がきょとんとした顔で浩之をみると、浩之は、ふっ、と笑みをこぼした。

「……いや、な。志保のコトだから、この件でキレで暴走しやしないかと内心ヒヤヒヤしていたんだが、思ったより冷静で助かる」
「冷静?――本当にそう思う?」

 志保が、にぃ、と意味深そうに笑った。それを見て浩之が不安そうな顔をすると、志保は、ぷっ、と吹き出した。

「……大丈夫、大丈夫。そんな物騒な連中相手に徒手空拳で立ち向かって、誰かさんを悲しませるようなそんな愚かな女じゃないわよ。志保ちゃん、か弱い女のコだモンねー」

 そう言って志保は浩之の顔をまじまじと見つめた。笑っていたハズのその貌は、どこか物憂げな印象を抱かずにはいられないような、昏い貌をしていた。
 志保の、非常に珍しい昏い表情に浩之は当惑すると、志保はここぞとばかりに浩之に、にっ、と笑ってからあかんべえをしてみせ、校舎と繋がっている渡り廊下のほうへさっさと歩いて行った。
 浩之はそんな志保の背を呆れつつ見送った。そんな志保が、終始どこか寂しげに見えたので、浩之はいつもの調子を狂わされしまった気がした。

「まったく。…………無茶して、あかりを泣かせたら承知しねぇからな」

 浩之は、志保が指している人物を間違えていたのだが、そんなコトは露も知らなかった。

 放課後まであっという間であった。雅史が浩之たちを気遣ってゆえのコトを口にしなかった為に、平凡な学園生活のありふれた一日に終わった。
 学生服姿の雅史が部活に顔を出すと、それに気付いた橋本が慌てて駆け寄ってきた。

「どうしたんだよ、今週は部活休むって昼休み言ってたじゃないか」
「挨拶だけでもと思って」
「そうか。でも無理はするなよ、全国大会の地区予選が近いから、それまでに、うちのエースには復帰して貰いたいしな」
「わかっていますって」
「おーい、佐藤」

 橋本と雅史が話している姿を見つけた二木が、慌てて駆け寄ってきた。

「なんだ、二木?」
「さっき、ここへ来る前にな、藤田と神岸さんが、クラブハウスに入っていったが、お前、一緒じゃなかったんだ」
「え?あの二人、用があるから先に帰った、って志保から聞いていた――」

 途端に、雅史の顔が閃いた。

「――あ、そうか。……二木、サンキュー」

 そう言って雅史は土手を駆け上がり、校門の向こうにあるクラブハウスへ向かった。
 校門を潜ったところで、雅史はふと、校舎のほうを見た。芹香が登下校に使っているリムジンが駐車場に停められているコトに気付いたからである。セバスが来ているのであろう。これで、浩之たちがクラブハウスに向かった理由ははっきりした。
 オカルト研究会は、クラブハウスの二階にある。雅史はクラブハウスの階段を駆け上がり、二階廊下を見渡すと、オカ研の扉が開いているコトに気付いた。


「……以上が、九重という男の身上です」

 そういってセバスは、来栖川家の情報網によって集めた、九重に関する資料が記載されているバインダーを閉じた。浩之たちの苦渋の表情は、九重という男のひととなりを聞いて呆れ、そして腹が立った結果であった。

「あとは、これね」

 そう言って綾香は二枚の写真を、全員が囲んでいたテーブルの上に置いた。

「右っ側は、この間、退院してきた九重を迎えに来た男たちの写真。その下が、一昨日、隣街で出会した男の写真。まさか、長瀬さんがせっかくだから、って言ってVIP警護用に装備してくれたビジュアル・ライブラリーシステムがさっそく役に立つとはね」

 それは、綾香と一緒にいたHMX−13型メイドロボ、セリオのカメラアイが記録していた映像データから抽出し、プリントアウトしたものであった。来栖川電工の技術主任である長瀬源五郎が、来栖川財団が現在進めているある計画の一端として、テスト期間が終了し、綾香の専用マシンとなったセリオにチューンナップを施し、スタンガンとともに搭載されたVIP警護用システムのひとつであった。現在このセリオは、新世代ジェネレーターを搭載するメイドロボットが利用する新型ネットワークシステム、人工衛星と気球船を利用した「クルスガワサテライトネットワーク」のテスト端末として機能しており、セリオが見聞したものはリアルタイムに、来栖川財団に用意されたサーバーにフィードバックされるようになっていた。綾香はその膨大なデータから、九重の一味に関するデータの引き出したのである。

「同じ男か。これで証拠は揃った」
「警察に訴えますかな」
「それで懲りるヤツかな」

 浩之が揶揄するようにいうと、綾香は、そうね、と呟いて肩を竦めた。

「でも……わたしたちでゆえさんを助けるなんて、危険よ!」

 あかりが当惑しながらいうと、その横で芹香も、こくこく、と頷いた。

「あかりや芹香先輩の言う通りかもな。――どっちにしても早く手を打たないと」
「そして、二度とゆえさんやあたしたちに手を出させないように、効果的に。――来栖川警備保障の特務課を動かす?」

 無論、浩之たちはその特務課と呼ばれる面々のコトは知る由もない。来栖川警備保障の特務課は、来栖川一族の警護を選任とする特務警備部隊のコトである。その手の業界の間では、来栖川の私兵と恐れられ、元傭兵がゴロゴロいるという噂まで流れているくらい、物騒な部隊らしい。
 当然ながら、扉の隙間から浩之たちの様子を伺い見ていた雅史も知る由もない。

「小僧ども相手に、それは少々大人げないというモノ。我が輩めひとりで充分です……え?芹香お嬢様?……我が輩めが強くても、それでも危険です、と?くぅぅっ!お嬢様に至らぬご心配をお掛けしてしまった!」
「セバスだけが無理するコト無いわよ。あたしとセリオ、そして」

 綾香はそう言って浩之をみた。浩之は、ふっ、と笑って応えて見せた。

「浩之ちゃん!」
「怒るなよ、あかり。こう見えても俺は、セバスや綾香、葵ちゃんたちに散々鍛えられたんだ。それなりに腕っ節には自信、あるんだぜ。――それにもう、雅史や南雲さんだけの問題じゃない。志保も襲われた以上――いつお前まで狙われるか、判らないんだ」
「――――」

 そう言って厳しい貌をする浩之は、青い顔で困惑するあかりの背後を、ちらり、横目で見た。そして突然、扉に飛びつき、勢い良く開けた。
 すると、扉の影で浩之たちの話を聞いていた雅史が、突然扉を開けられてバランスを崩し、部室内に転がり込んできた。浩之は、志保の名を口にした時、僅かに動いた扉に気付いていたのだ。

「や、やぁ、みんな、こんな暗いところで何やっているの?」

 そういって笑う雅史の第一声に、浩之は思わず呆れ顔を仰いでみせた。

               つづく

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