ToHeart if.『月は、太陽に』第19話 投稿者:ARM(1475)
19.無明長夜 = 跳梁 =

「それじゃあねー」

 志保はゆえに手を振りながら改札口を通り抜けていった。志保を見送ったゆえは、その姿が見えなくなると、よし、と嬉しそうに呟いて踵を返した。
 その途端、ゆえの全身が硬直した。
 凍り付いたゆえの視線の果て、駅前にあるロータリーの向こうに、アイドリングしているRX−7に背もたれして、左腕を三角帯で吊っている、金髪頭の大男がいた。

「よう、ゆえ。久しぶりだなぁ」
「――――九重」

 その名を口にした途端、ゆえの顔にみるみるうちに嫌悪の色が拡がっていた。

「探したぜぇ。――世話、焼かせやがって」

 苦々しい口調だが、九重と呼ばれた大男はニヤニヤと嫌らしそうに笑っていた。
 堪りかねてゆえはそっぽを向き、右側へ歩き始めた。すると、脇から革ジャンを着た男が二人、その行く手を立ち塞いだ。

「――そこ、どいてよ」

 ゆえはそう言って二人の男を睨み付けたが、男たちはニヤニヤと笑って退こうとしない。
 しかたなくゆえは背後へ振り返るが、そこにも既に、この九重の仲間らしい男が三人立ちはばかっていた。
 行く手を塞がれ、ゆえは忌々しそうに歯噛みすると、再び九重がいる方へ振り向き、

「――なんのつもりよ!もう、あんたたちとは関係ないでしょうが?!」
「勝手に俺らのチームから抜けておいて、その言いぐさは無ぇだろう?あーあ、怖ぇ怖ぇ」

 そう言って九重は仰ぎ、右手を顔に当てて、ケラケラと笑い始めた。
 自分をからかっている九重たちを見て、ゆえは完全に切れた。

「――抜けるも何も、元々あたしは、あんたたちなんか仲間だなんて思っていなかったんだから!」
「じゃあ、なんで俺らのチームに入っていたんだ?」
「あんたたちが勝手に、祐子たちがいたレディースにちょっかい出してきて付きまとっていただけでしようが!」
「祐子かぁ。懐かしい名前だなぁ。今頃どうしているのかなぁ、へへっ」
「――――ふざけないでよ!祐子をボロボロにしたのはあんたたちだってコト、知っているんだからね!」
「ボロボロ――ああ、そうだった、俺たちがやめとけ、って言ったのに、ヤクに手ぇ出して病院送りになっちまったんだっけなぁ」

 そう言って九重はへらへら笑った。それを見たゆえの顔が閃き、半ば衝動的に、九重目指して早足で進んで行った。
 そして九重を平手打ちしようと右手を振り上げたその時、そのゆえの腕を掴んだ者が居た。

「なに、やってんの、南雲さん?」
「――黙示さん?」
「なんだ、手前ぇ?」

 突然現れて、振りかぶるゆえの右手を掴み取った長身の男に、九重は睨みをきかせた。

「通りすがりの、この娘のバイトの同僚です」

 そういって黙示は、にぃ、と笑い、ずれたロイドメガネを指先で押し戻した。

「あまりにも険悪なムードだったので、見かねて仲裁に入りました。南雲君、彼らは放っておいて、もう帰りましょう」

 ゆえは、バイト先の同僚が突然出現したコトに酷く驚いたが、直ぐに我に返った。九重への怒りの方が勝っていたらしい。

「も、黙示さんには関係ない――――」
「これ以上放っておくと、長瀬の爺様がうるさいんです、はい」

 長瀬の爺様といわれて、ゆえは思わず瞠った。まさかこの黙示がセバス長瀬と知り合いだったとは夢にも思っていなかったらしい。

「まさか、黙示さん、あなた、私のコトを監視――」
「おい、待てや」

 ゆえが黙示に質問していたところを、近寄ってきた九重の仲間の一人が遮った。その男は、ゆえの手を掴む黙示の右腕をいきなり強い力で掴んだ。

「ええかっこしぃもそこまでに――――あ?」

 黙示の腕を掴んだ男の顔に、見る見るうちに驚愕の色が拡がっていく。だが、その男が何を驚いているのか、そばに居るゆえにはさっぱり判らないでいた。直ぐ近くにいる九重も、その奇妙な様子に気付いていたが、何が起きているのか判らなかった。
 無理もない。まさか、その男が黙示の腕を掴んだ瞬間、いつの間にか男の四肢をからめ取っていた500ミクロンの極細糸が締まり、骨の髄まで走り抜ける激痛によって金縛り状態になっているなどと、当人以外誰が判ろうか。男は黙示の腕を掴んだ姿勢で悶絶し、気絶していたのだ。

「……はいはい、この手は離して」

 黙示はニヤニヤ笑いながら、自分の腕を掴んでいる男の手を離した。同時に、男はその場に、バタリ、と倒れてしまった。

「「「や、野郎?!何しやがった?!!」」」

 九重の仲間たちが色めくが、それを九重が睨みを利かせて制した。九重は、黙示が得体の知れない奇怪な方法で仲間の男を倒したコトを悟ったのだ。

「わかった、わかった。俺がゆえチャンの都合も考えずに会いに来たのが悪かった」

 九重はそう言って肩を竦めてみせ、

「なぁ、ゆえチャン。もし、考え直してくれるんだったら、昔馴染みのあの店に来てくれや。――待っているぜ、へへっ」
「考え直す、って――誰がそんな気になんかなるもんですか!」

 ゆえは九重に、吐き捨てるように怒鳴ると、まだ自分の手を掴んでいる黙示の腕を力任せに振り解き、九重の横をすり抜けて歩いていった。

「やれやれ。――じゃあ、そう言うわけで」

 と黙示は九重にひょうひょうとした顔で挨拶すると、ゆえの後を追っていった。九重の仲間がその後を追おうとしたが、それを九重が、待て、と引き留めた。
 そして九重は、ゆえたちの背中を見送りながら、ニヤリ、と不敵に笑って見せた。

「…………焦らなくてもいい。どうせ、ゆえは俺のところにやってくる。――明日、例のヤツ、やっちまえ」


「ちょっとちょっと、待って待って、南雲さん」

 早足で進むゆえを追いかける黙示は、ゆえを呼び止めた。
 すると足を止めたゆえは黙示のほうへ振り向き、

「…………あの長瀬さんとはどういう関係なんですか?」

 ゆえに睨まれながら訊かれ、黙示は思わず返答をためらった。

「えーと、ちょっとした知り合いで、……そのぉ、南雲さんのコトで色々頼まれて…………」
「何でそんなコトするの?」
「えーと、えーと、えーと」

 すっかり返答に窮して狼狽する黙示をみて、今まで強張っていたゆえの顔が笑みに崩れた。

「……いいわよ、もう」
「すいません」
「まったく――って、あれ?」

 いつの間にか、手を合わせて頭を下げていた黙示の姿はその場からかき消えていた。

「…………忍者か、あのひとわ(汗)」

 恐らくまた、長瀬に頼まれた通り、見えないところで自分をボディガードしてくれているのであろう。ゆえはそう考え、ぞっとしたが、やがて想い出したように安心感が湧いてくると、ふぅ、と吐息を吐いた。


 翌日。登校準備をしていたゆえは、昨夜の一件に少し気が滅入っていたが、それを吹き飛ばしてくれるような突き抜ける秋空を自室の窓から見て、うん、と嬉しそうに頷いた。
 ゆえは自宅のあるマンションを出て行き、学校へ向かっていった。
 そのゆえを、マンションの影から遠巻きに見ていた男がいた。男はゆえが学校のほうへ向かうと、その後を追うようマンションの影から出てきた。
 その途端、男は突然足許に延びてきた何者かの足に蹴つまづき、道路の上に転んだ。

「な、なにをしやがる――――手前は?!」
「お久しぶりーぃ」

 そう答えると、黙示は屈み込み、面を上げた男のその顔面に拳を見舞い、気絶させた。

「ふう。払っても払っても出てきやがる。まったく、金持ちってやつはどうしてこう、無茶苦茶なコトが好きなんだろうかね」
「そうぼやくでない」

 と言ったのは、ぼやく黙示の回想の中にいたセバス長瀬であった。黙示は昨夜、ゆえを自宅までガードした後、来栖川邸に向かい、執務室に居たセバス長瀬に報告をしていた。セバスは窓の外を見ながら、黙示の報告を聞いていた。

「……九重健一。22歳。都内の有名私立大学生。大手電機メーカー九重グループの会長の孫。典型的なドラ息子で、渋谷を根城とするチーマー『クラウド』のリーダー格。空手二段の腕前で、金と力にあかせてやりたい放題のようです。ちなみに、南雲ゆえとの関係は、南雲嬢が中学時代入っていた、渋谷の不良少女グループとクラウドが交流していたコトがあり、それで知り合いになったようです。この件で少々、気になる事件が」
「事件?」
「はい。件の不良少女グループのリーダー格で、大谷祐子という南雲嬢と同い年の少女がいました。話では、大谷嬢と南雲嬢は中学時代の同級生で、それが縁で南雲嬢は大谷嬢のグループと付き合うようになったようです。そして、その大谷嬢ですが…………」

 そこまでいうと、黙示は言葉を濁した。

「なにかね?」
「……はい。現在、大谷嬢は精神病院に収監されております」
「何故?」
「薬物中毒です」
「――――」

 セバス長瀬は、はぁ、と困憊し切った溜息を吐いて仰いだ。

「コカインの大量接種によるものです。警察の資料も調べましたが、本人の意思ではありません。――――警察が大谷嬢を発見した時、性的暴行を受けていた痕跡を確認しています。犯人は九重が通う同じ大学の生徒でしたが、クラウドのメンバーではありません」
「……多分、何らかの事情でその大谷嬢が九重に逆らい、九重が陥れたのであろう。そう言う男ではないのかね」
「裏は取れていませんが、その犯人たちに九重が大谷嬢を紹介したという情報があります」
「…………ふむ」

 セバス長瀬はやりきれない貌をして肩を竦めた。

「……黙示よ。南雲嬢をもうしばらく警護してくれるかな?」
「構いませんが…………バイト料、弾んで下さいね」
「お主にしては珍しく金にうるさいな」
「ちょっと、ありまして」

 そういって黙示は右小指を立てた。
 するとセバス長瀬は暫し沈黙した後、

「……こういったバイトしていて、デートの時間などあるのか?」

 3秒後。黙示は、ああっ!と肝心なコトにようやく気付いたらしく悲鳴を上げた。セバス長瀬は、やれやれ、とまた肩を竦めた。


 放課後になった。今日は雅史はサッカー部の部活動があり、浩之たちと一緒にいたゆえに教室の前の廊下で挨拶した。

「今日はあかりと一緒に、芹香先輩のオカ研の文化祭の準備に付き合うから、一緒に帰ろうぜ。南雲さんもどう?」
「ごめんなさい。今日、バイトなの」
「そうなんだ。……雅史、残念だったな」
「浩之ぃ」

 浩之に冷やかされ、ゆえと雅史は赤面した。それじゃあ、と志保と一緒に帰るゆえにまた挨拶すると、雅史は校外の土手の下にある球技用グランドへ向かって行った。

「よう、佐藤。昨夜はすっかりラブラブでしたなぁ」

 運動場へ到着するなり、昨夜のコトで少し浮かれ気味だった雅史を、二木も冷やかした。雅史は少し照れて、あのねえ、と言い返すだけで、怒るコトはしなかった。
 そんな雅史たちを、土手の上から伺うように並んで見ていた、二人の派手な服装の男が居た。やがてそのうちの一人がもう一人に耳打ちすると、向こうに止めていたバイクに乗ってどこかへ行ってしまった。バイクが行った後、残った男は、足許に置いていた、長い物が仕舞える長筒型の布ケースを取り上げるとそれを抱え、どこかへ行ってしまった。

 夕陽が西の彼方へ消える頃、雅史たちのサッカー部の練習が終わった。

「おーい、佐藤、先生呼んできてくれ」
「あ、はい」

 橋本に言われ、雅史は返事して土手を駆け上がって行った。土手を駆け上がり、校舎のほうを見ると、校舎の向かい手前にあるクラブハウスにまだ灯りがある部屋に気付いた。

「あれはオカ研だな。戻るとき、ちょっと寄ってみよう」

 雅史はそう言いながら道路を渡り、校門に近づいた。
 雅史が校門にさしかかった時、その背後で影が動いた。薄暗い夕方で校門の影に何者かが隠れていたコトに、雅史は気付けなかった。
 その人影は、先ほど長筒型の布ケースを抱えていた男であった。男は、布ケースのジッパーを開い、その中から金属バットを取り出して大きく振りかぶった。
 そして――

 雅史は何が起こったのか判らなかった。突然の衝撃を後頭部に受け、痛みを憶える前に、すとん、と意識が落ちてしまったからである。

 雅史の背後から忍び寄ってきた男は、振りかぶった金属バットを雅史の後頭部に振り下ろした。
 ゴン、という鈍い音が、秋の薄暗い静かな黄昏の中に鳴り響いた。

              つづく

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