【承前】
あかりは、マルマイマーの管制コンソールのモニタに表示されているパラメータグラフを前に、狼狽していた。しかしそれは、操作が追いつかないからではない。
マルマイマーからフィードバックされる、あらゆる数値がMAXにまで高まっていたからである。
「……そんな…………出力がどんどんあがっていく…………制御――制御できないよ!浩之ちゃん、どうしたの!?」
だが、そんなあかりの声を、浩之はまったく聞いていなかった。
黙示と美紅の消滅。それを目の当たりにしたマルチと浩之は激高というベクトルで完全にシンクロしていたからであった。データの数値として表示できる限界は256パーセント。マルマイマーが絶叫した瞬間にMAX値をマークしていた。おそらく、今の二人のシンクロ率は、その倍以上はあるのだろう。
マルチの哀しみは浩之の哀しみ。
浩之の怒りは、マルチの怒り。
揺るぎない感情が、二人を一つにしていた。
「「「――――なっ?!」」」
新宿駅駅舎の屋根の上にいた、鬼界四天王の三人は、突然、精神に直接届いた凄まじいプレッシャーに激しく動揺していた。
「…………い、いまのは……エルクゥ波動?!」
アズエルは球のように浮かび上がる汗を拭いながら、今のプレッシャーの発生源である、新都庁舎を見つめていた。エディフェルも青い顔をして同じ方向を見ていた。
「…………リズエル姉さま……いや………………ダリエリか?」
「恐らく」
応えたのは、ワイズマンだった。
「………やつめ。感情に突き動かされたか。――まだ、早すぎる…………このプレッシャーは!」
「ハツネ!?大丈夫?」
初音が突然、腰が抜けたようにその場にへたり込んだのを見て、真っ先に声をかけたのは、AIのメイフィアであった。TH四号の艦橋にいたルミラ達は、へたり込んだ初音と同様に青い顔をして呆然となっていたからである。
やがて初音は、歯をがちがちさせて身を縮め、怯え始めた。
「…………やだよ…………やだよ…………なに…………今の…………今の声は…………」
初音の怯える声を耳にして、ようやくルミラが我に返った。
「――いけない!タマ、TH四号、転艦!――保科作戦参謀!初音がエルクゥ波動の凄まじいプレッシャーを受けて人事不省になった!一時離脱する!」
『初音が?』
ルミラからの突然の報告に目を丸めた智子は、しかし、はっ、と何か大切なことを思いだしたかのように驚き、わかった、と返答した。
「……エクストラヨークに呼応したのか――いや」
それは、智子やミスタばかりか、遠く離れたバリアリーフ基地にいる綾香たちも含め、東京周辺にいた人間たちもすべて、戦慄を覚えていた。
恐怖。圧倒的な存在を前にした、生命体が必ず抱く生存本能が一斉に励起していた。
地球上の生態系の頂点に立つと思い上がる人類が、真実を知る瞬間。
人類の神、人類原種エルクゥの、いのちの波動が、人類たちを圧倒していた。
それは、エルクゥ鬼界四天王であるワイズマン、アズエルそしてエディフェルさえも圧倒していた。
神さえも超越する、いのちの波動。
それを、黙示と美紅の死に激高するマスターマルマイマーが発しているのだ。
その直下にいる志保と柳川は、エメラルド色で燃えさかるように輝くマルマイマーを、唖然とした貌で見つめていた。
マルマイマーの背部にあるステルスマルー2の八基内蔵されている放熱口から、凄まじい量の放熱が発せられていた。それはまるで天使のごとく光の翼を持ったかのように大きくはためき、周囲の空間に存在する粒子に干渉しているらしく、すべて光粒子に変換して散らしていた。
「……なんて、プレッシャーよ。こんなことって…………」
「しかし、暴走しているわけではない」
柳川は、マルマイマーが、THライドが正常に発動している証拠として、エメラルド色に輝いているコトを指した。
「…………これが、〈リズエルの遺産〉の真の力なのか」
柳川は、自分の肌が泡立っているコトに気付いていた。柳川をして、戦慄を禁じ得ないマルマイマーの発動。だがそれは、柳川のDNAに刻まれている、次郎衛門の記憶がそうさせているコトに柳川は気付いていなかった。
かつて、リズエルがその身を捨てて新たに纏った鋼の身体が手にした金色の大槌は、地球に到着後、エディフェルの裏切りを大義名分としてクーデターを起こし、皇女たちを力でねじ伏せ陵辱していった下層階級のエルクゥ――鬼たちを、そのひと振りですべて光に分解した。
次郎衛門は、鬼たちが群れなす平野に出現した巨大なクレーターを前に、戦慄していた。
「…………しかし、このままにしておくわけにはいかない」
まだ蒼白する志保は、気力を振り絞って、頭上のマルマイマーにラウドネスVVを差し向けた。
「志保!何をする気だ?」
「――これが、〈神狩り〉の一族の仕事なのよ」
志保は、青白い貌で、ふっ、とほくそ笑んで見せた。
「…………人類に脅威となる存在は、排除しなければならない。それがあたしたちの〈神祖〉から与えられた使命!このまま発動を許していたら、人類はこの恐怖に永遠に付きまとわれることになるのよ。――リズエルは、余りにも危険なモノを作ってしまった」
「今、マルマイマーを破壊するコトは、完全にシンクロしている藤田浩之の精神を破壊するコトにもなる。――それでもやれるのか?」
「何を今更。ヒューマニズムにふかれたの?」
志保は嫌味のように言うが、それは、マルマイマーの圧倒的なプレッシャーから耐えようとの空元気から来ていたものであった。
なにより、そう言う志保の瞳の色を見れば判る。
愛する男を手にかける覚悟は出来ている。
友が愛する大切な人を奪える覚悟が出来ている。そして――――。
「――志保」
「うるさい!気が散る――――」
柳川の制止を振り切り、志保がマルマイマーへ狙いを定めた、その時だった。
マルマイマーが放つ光が、さらに拡がり、志保と柳川の全身をエメラルド色に染め変えした。
その瞬間、志保の身体が思わず硬直した。
恐怖に圧倒されたからではない。
何か信じられないものを目の当たりにしたときの、呆気にとられた、そんなぽかんとした貌をマルマイマーに向けていた。
「…………うそ?………………〈神祖〉……さま?」
「どうした、志保」
光に眩む柳川は、奇妙なことを口走る志保のおかしい様子に気づきた。そして、目を細めて光を堪えながら、志保が見つめているマルマイマーのほうを見た。
「――――なに?」
柳川は、光り輝くマルマイマーの手前に、半透明の奇妙な人影があることに気付いた。ぼんやりだが、女性のように見える。志保が言う〈神祖〉とは、この女性のことなのか。
志保が子供の頃、一度だけあったという謎の存在、〈神祖〉。
人類原種が「ある目的」の為に創り出した存在、人類。だがその生命体に秘められた力は、創造主たちにも計り知れない何かがあった。
それが、〈次代〉とよばれる、人類という種の次なる進化形態の予測であった。それはただの予測には終わらず、あらゆるデータが近い将来、現実になるという数多くのデータが揃ってしまった。
そこに理由があったのか、人類原種は突然、この地球を去っていった。その際、人類原種の王は、人類の暴走を懸念し、今後人類が歩むであろう〈次代〉への進化を見守らせる人類、〈扉を護る者〉、ゲートキーパーを創り出したのだ。〈次代〉のデータを元にDNAレベルの調整を施し、他の人類より卓越した能力が備えられた人類。長岡一族や柳川一族、そして来栖川一族は、その末裔であった。
〈扉を護る者〉の初代であり、直接人類原種によって調整を施された人類、つまり〈神祖〉と呼ばれる存在が今もなお生きているハズはありえない。柳川は京香から〈扉を護る者〉について説明されたとき、志保が〈神祖〉と出会ったことがあるという話を聞かされたのだが、それはただの幻覚だろうと思っていた。
その幻覚が、目の前にいるこの幻なのか。
やがて志保は、マルマイマーに向けていたラウドネスVVを降ろし、肩に掛けて、ふっ、と笑いながら肩を竦めた。
「…………やめたのか」
「心配しないで、だって」
「…………」
柳川は再び、マルマイマーのほうを見た。
いつの間にか、〈神祖〉の姿は消えていた。
そして、新たなる変化が起きていた。
「――あのオレンジ色の光はっ!?」
アズエルが、新都庁舎のほうで突然輝きだしたオレンジ色の光に気付いて驚嘆する。
「――ワイズマン!あれは、まさか」
「〈滅びの力〉――〈The・Power〉の光だ」
奇しくも、TH壱式の艦橋から新都庁舎の発光現象に気付いた長瀬が、ワイズマンと同じタイミングで応えていた。
「…………マルチが発現元であることは容易に判るが、しかし、――いまは――まだ早い――」
そういって歯噛みすると、長瀬は、艦橋の奥で燃えさかるようにオレンジ色に輝くTHコネクターを睨み付けた。
「――主査!藤田の心拍数、完全にゼロです!」
THコネクターのコントロールサポートを行っていた宮沢隊員が悲鳴を上げるように言った。
「――なのに――――脳波のアルファ波、ベータ波は依然活発――マルマイマーとのシンクロ率は最大値の256パーセントを維持、――血圧まで安定しているなんて!」
「おそらく、マルマイマーの急激な出力向上によるフラッシュバック・プレッシャーが原因だ。藤田の身体が反応しきれずに心臓が停止した――いや、仮死状態にあるのだろう。藤田の〈オゾムパルス〉が彼の生体活動を辛うじて制御しているのだ」
「そんな――」
宮沢隊員ばかりか、艦橋にいたMMM隊員達全員が長瀬の言葉に唖然となった。
「精神が肉体を凌駕する。――〈オゾムパルス〉の特徴ではないか」
「しかし――」
「判っている。しかし、現実に藤田の〈オゾムパルス〉は我々に何ら影響を与えていない。――これこそが、真なる〈オゾムパルス〉の発動なのだよ」
長瀬にそういわれても、全員、釈然としないものがあった。
だが、誰一人として、それを否定は出来なかった。
宮沢は、次元崩落のショックで右側の肋骨を二本折っていた。局所麻酔を打ちコルセットをつけて固定しても、呼吸するたびに走るしびれるような痛みは取れていなかった。なのに先ほど、浩之が入っているTHコネクターから発せられるオレンジ色の光を浴びた途端、その痛みがまったく無くなっていたのである。おそらく、いや、きっと後でレントゲンを撮れば、骨折の痕など跡形も無いだろう、そんな確証が宮沢隊員ばかりか、他にも怪我を負っていた隊員たちも同様に考えていた。全員、この光を浴びたコトで怪我が一瞬にして治癒している事実に気付いていたが、誰もそのコトを口にしようとはしなかった。
別に科学に盲信しているわけでも、奇蹟を信じていないわけではない。ただ、奇蹟というものをいざ目の当たりにした時、それが理解の範疇外の仕業であると理解出来れば理解出来るほど、感動よりも先に恐怖感が起きるのが人間の心情である。
だが、そんな恐怖心さえもわき上がろうとしない、この茫洋とした安心感はどう説明すればいいのか。隊員たちは、光を浴びて怪我が治癒したコトに対する、自らのあやふやな安堵感に戸惑っていたのだ。
「これが、ヒトを『こころあるひと』へ進化させた〈The・Power〉の力なのか………」
オレンジ色の安堵感に包まれる観月は、表現できない自らの気持ちに戸惑いながら、THコネクター内の浩之を見つめていた。
「…………まるで…………人の心までを癒してくれる……そんな…………」
そう呟いた観月は、妻の沙織のコトを想い出した。
身も心も傷つけられた忌まわしい過去を〈力〉によって忘れさせられている妻のコトを。
その瞬間、観月は右手を強く握りしめていた。強く、強く。
オレンジ色に染め変えされた世界に佇む志保と柳川は、〈The・Power〉を発現させているマルマイマーを見上げて呆然としていた。
「…………〈The・Power〉の発現?何故、こんな時に?」
「〈神祖〉さまの出現と何か関係あるのかしら?」
「いや。マルマイマーの〈エルクゥ波動〉発現のほうに起因すると考えるべきだ」
「へ?」
「人類の〈オゾムパルス〉。人類原種エルクゥの〈エルクゥ波動〉。いづれも、その種の魂の力の発露だ。では、〈The・Power〉とはなにか?」
「発露、って――――!?」
志保はあることに気付いて、はっ、となる。
「……これは〈進化〉なのだよ」
柳川は、にやり、と笑う。どこか嬉しそうで、それでいて、苦々しそうに。
「こんな〈進化〉って――――」
「ああ」
狼狽する志保に、柳川は頷いた。
「――怒りがマルチの〈オゾムパルス〉を進化させている。だが、このままではマルチは」
「死ぬ」
「それが〈滅びの力〉なのですか、ワイズマン?」
「ああ。――だが、今はまだ早すぎる」
「止める方法は無いのですか?」
「力を消耗させるしかない。――なんとかなるだろうがな」
「はぁ?」
アズエルとエディフェルがきょとんとなる。二人とも、そう答えたワイズマンが見ているものが、エクストラヨークであるコトには気付いていない。
「マルマイマーが動いた!」
はっとする志保の瞳の中で、今まで光を放つだけで動こうとはしなかったマルマイマーが、右手を水平に挙げていた。
「『――――ゴルディオン・フライパーンっ!来いっ!!」』
Bパート(その3)へつづく