ToHeart if.「月は、太陽に」第15話(改訂版) 投稿者:ARM(1475)
15.とらないでよ。

 あかりは独りで昼食を摂った後、教室の自分の席で、ぼう、っとしていた。
 あかりは、浩之が、今朝から自分を避けている理由に気付いていなかった。浩之はあれから一度も口をきいてくれず、昼休みも、四時限目の終礼のチャイムが鳴った途端、ひとりで出て行ってしまった。
 あかりは、浩之を怒らせたとは思っていなかった。今朝、機嫌が悪かったのは、雅史の不甲斐なさに我慢できなくなった為である事は判っていた。
 では、他に何が?――南雲ゆえのコト以外、思い当たるフシはなかった。

「……浩之ちゃん、優しいから……南雲さんの身の上を知っちゃったから…………。きっと、ああ言ってみたが、浩之ちゃんのことだ、ゆえさんを何とかしてやりたいと考えているんだな――――?」

 そう呟いたあかりの胸が、何故か、不安感で一杯になりつつあった。
 今まで――同じように浩之が、琴音や智子の問題に関わった時には覚えなかった、理解出来ない不安感であった。
 苛立ちにも似た、感覚だった。いや、苛立つとはこういうコトなのかも知れない。あかりは初めて、苛立ちを覚えていたのだ。――浩之に対する、苛立ちを。

「………………ふぅ」

 あかりは、困憊しきったような溜息を吐くと、気を紛らわすつもりで席を立った。
 屋上へ行こうか。それとも、もしかすると毎日のように校庭のベンチで日向ぼっこしている芹香の隣にいるかも知れない。
 あかりは少し考えた末、一階へ足を向けた。

 あかりが教室を出てから数分後に目撃したそれは、まだ少し気怠さをもたらす残暑の陽炎だと思いたかった。
 偶然、校舎の影からその光景を目撃したあかりは、それが幻であって欲しいと信じた。
 校庭の一角で、浩之とゆえが抱き合っていた。
 それを見たあかりは、慌てて目を背け、校舎の陰に隠れるように戻ってしまった。
 高鳴る鼓動。
 次第に沸き上がる苛立ち、焦り。
 そして、

「…………うそ…………だよね」

 あかりはもう一度、恐る恐る校舎の影から顔を少し出して。浩之たちを見た。
 何一つ、変わっていなかった。
 確かめたのは、ホンの一瞬。また直ぐにあかりは、現実から目を背けた。
 高鳴る鼓動を押さえるために、深呼吸をした。
 小降りの胸が小さく膨れて萎んだ時、あかりの頬を、涙が伝いおちていた。


「……まぁ色々あってね。あの娘の家庭の事情から、死んだうちの人が引き取ってね。暗い娘に見られがちだけど、本当は芯のしっかりした、明るい佳い娘なのよ。――どう?」
「どう?」
「佳い娘でしょう?」

 ゆえの養母である南雲看護婦が何を言いたいのか、雅史はさっぱり判らないでぽかんとなる。ベッドの上にいる千絵美は、そんな二人のやりとりを見てくすくす笑っていた。

「……雅史。せっかくだから南雲さんのお嬢さんと付き合いなさいよ」
「え゛?」

 堪らず、雅史の顔が硬直する。相変わらずの雅史スマイルだが、千絵美相手では少々調子が狂うらしい。

「――ンとにニブイやつ(笑)。保護者のお墨付きなのよ」
「え?あの、その…………でも、南雲さんの気持ちを無視するワケには……」
「何、顔を真っ赤にしてんのよ」

 狼狽する弟の仕草がツボに入ったらしく、千絵美は雅人を抱きかかえながら腹をよじらせていた。雅人も、そんな母親の笑顔が気に入ったらしく、きゃっ、きゃっ、とつられるように笑い始めた。

「……親子揃って意地悪だなぁ」
「いいのよ。雅史はあたしたちのオモチャなんだからねぇ」

 雅史の背後に、ガーン、という描き文字が浮かぶ。漫画的表現でその時、雅史が受けたショックを現すのならそうであろう。

「――姉さん」
「あら、怒った?――って、あんた昔から本気で怒ったコト無いから怖くないけど」
「ねぇぇぇぇさぁぁぁぁんんんんんんんっっっっ――――あ」

 雅史が唸りだした途端、千絵美が抱いていた雅人がいきなり火が点いたように泣き出し始めた。
 それを見た雅史は慌てて雅人をなだめようとした。ところが、そんな困惑する雅史の顔を見た途端、雅人はピタリと泣き止み、機嫌良さそうに笑い出したのである。そんな甥の反応に、雅史は困憊しきってその場にへたり込んでしまった。

「ううううううう――二人して酷いや」
「下手な漫才みているより楽しいわね」
「南雲さんのおかあさんまで、そんなコトいいますかぁ」

 途方に暮れる雅史がそう言うと、南雲もとうとう笑い出した。

「……ああ、もう。…………千絵美姉さん、僕、もう帰る」
「あ、帰るなら、そこにある洗濯物、持って帰って」
「はいはい」

 やれやれ、と雅史は立ち上がり、千絵美が指した棚にあった洗濯物をバックに収めると、まだ笑っている南雲にペコリ、と挨拶してから、ふらふらと病室を出て行った。
 雅史が出て行ったあと、千絵美は、ふぅ、と溜息を吐いた。

「…………まったく、実の弟ながら不器用なんだから」
「でも、いい子じゃない?」

 南雲は雅史の背を見送りながら、嬉しそうに言った。

「いいえ。あんなンじゃまだ不甲斐ないわ。雅史の幼なじみで、浩之君っていう賢い男の子がいてね。昔からその子を目標にしているンですけど、ああ言う性分だからいつまでもお子様で。南雲さんのお嬢さんには釣り合わないかも知れないわ」
「そうでもないわよ」

 千絵美から計った体温計を受け取りながら、南雲はゆっくりと面を横に振った。

「……良い意味で不器用な子じゃない。ああ言う子、好みよ」
「いくら南雲さんでも、あんなウブな子供に手を出したら犯罪者よ」
「失礼ね(笑)。……それにしても…………ゆえの気持ち……って」

 南雲は、そう言ったときの雅史の顔の微妙な変化に気付いた。

「――そう。彼、ゆえのコト、知っているのね」
「?」

 きょとんとなる千絵美に、南雲は体温計の数値をカルテに書き写しながら、くすっ、と笑った。

   *   *   *   *   *   *   *

 放課後。ゆえが校門を出て行こうとした時だった。ゆえは、校門の前で、校門に背もたれして、ぽつん、と立っているあかりを見つけた。
 ゆえは気付かない振りをしてその横をすり抜けようとした。

「――南雲さん」

 あかりに呼び止められ、ゆえは、びくっ、となった。

「――ごめんなさい。急いでいたので、無視したわけじゃ……」
「ううん。――いいの。待ってたの」

 神妙な面もちをするあかりに、ゆえは戸惑った。

「…………途中まで、いい?」
「――ええ」

 ゆえは、何かイヤな予感を感じたが、断れそうになかった。
 それから肩を並べて歩くこと、5分19秒。二人の間にはまったく会話はなかった。

「――か、神岸さん」

 堪りかねて、ゆえが先に口を開いた。

「――浩之ちゃんのコト、好きなの?」

 言おうとして、先にあかりがようやく口にした言葉がそれを制した。

「――――」

 ゆえは、自分の顔を恨みがましく見るあかりの泣き顔に激しく動揺した。

「――え?どうして?」
「昼間――校庭で抱き合ってたの、見たよ」
「あ、あれは――違うの」
「――何で言い訳するの?」

 心なし、あかりの口調が高ぶっていた。

「言い訳って――何を言って」
「――取らないでよ」
「――――?」
「いくら辛いコトがあったからって、慰めて欲しいからって、――あたしから浩之ちゃんを取ろうとしないでよ!」
「お、落ち着いてよ、神岸さん――」

 パン。平手打ちの乾いた音が、黄昏の空に届いた。
 突然のコトに呆然となるゆえは、頬の痛みさえ判らなかった。
 そして、思わず平手打ちした当のあかりでさえ、自分が何をしでかしたのか理解しきれず、平手打ちのポーズを取った姿勢で硬直していた。

「――――気が済んだ?」

 ゆえは怒りもせず、むしろ安心したような顔をして溜息を吐いた。そんなゆえをみて、あかりは挙げていた手を下ろし、その場でおろおろと狼狽した。

「――誤解させてしまったみたいだけど、あれは私が勝手に藤田君に泣きついただけ。藤田君は私の話を聞いてくれただけで、決して神岸さんから大切な人を取る気はないわ」
「――あ――あの――――」
「――だから私には関わってはいけない、っていたのよ」
「――――――」
「…………ほとほと、私は、誰かの大切なモノを奪うか壊してしまう星の許にいるみたい」
「…………え?」

 ようやくあかりは、自嘲するゆえも涙ぐんでいるコトに気付いた。

「おかあさんから……俊夫おじさんを奪ってしまった時も……私があいつにあんなコトさえ……いわなければ…………だから…………だから…………!」

 そう言ってゆえはその場にしゃがみ込んで泣き崩れた。
 そんなゆえを見て、あかりはようやく冷静さを取り戻した。

「……南雲さん」
「ほっといてよっ!もう、私に関わらないでよっ!」

 ゆえはしゃがみ込んだままヒステリックに泣きわめく。その脇を、下校途中の同窓生たちが、不思議そうに二人を見ながら通り過ぎていく。あかりが泣かしたんだ酷いな、などと言って無責任に笑い去る者さえ居た。あかりは周囲の声におろおろして途方に暮れた。
 そんな時だった。

「あかり。何やってんだお前」

 振り向くと、そこには、憮然とした面もちの浩之が立っていた。

「浩之……ちゃん…………ごめん…………あたし…………あたし…………」

 あかりは、浩之の顔を見た途端、ボロボロに泣き始めた。そして駆け出して浩之の胸に飛び込んだ。

「…………あたし…………南雲さんのコト……叩いちゃった…………叩いちゃった!」

 あかりにとって、浩之の胸の中はどんな時でも安息の地であり、罪を告白出来る贖罪の場でもあった。状況から大体のことを察した浩之は、ばかやろう、と小声であかりを叱り、その頭を優しく撫でた。
 泣きじゃくっていたゆえは、そんな二人を見ているうち、泣くことをやめて当惑した。
 そんなゆえに気付いた浩之は、あかりをなだめすかしながら、ゆえのほうを向いて、ごめんな、と頭を下げた。
 ゆえはそんな浩之の言動が理解出来ず、ぽかん、となった。そして、ふふっ、とまた自嘲気味に笑い出した。

「許せるの?」
「?」
「神岸さん、私のこと誤解して叩いたのよ?藤田君が浮気していると思いこんで私を叩いたのよ?!」

 ヒステリックに叫ぶゆえの言葉を聞くたび、罪への呵責か、あかりは浩之の胸の中で呼応して、びくっ、と身体をふるわせた。

「――感情的で自分勝手な想いで、他人を酷い目に遭わせたコトを、簡単に許せるの、藤田君は?」
「仕方あんめぇ」

 浩之は苦笑混じりにいう。

「……俺、好きだからな。こいつのコト。あかりが謝って許してもらえないなら、俺が土下座してやっても良い」

 そういうと、浩之はあかりの両ほっぺたを摘んで伸ばした。弾力のある頬はいくらでも拡がった。あかりは頬をもてあそばれながら、どこか嬉しそうな顔で困って見せた。
 そんな浩之の言動を、ゆえはどうしても理解出来なかった。
 そんな時、ゆえの脳裏でフラッシュバックが起きた。

 ……あの人があなたのこと、大切な人だって言ったからね。
 ――それに、あなた、あの人を、おとうさん、て呼んでくれた。
 ――だから、あなたは私たちの娘。
 ――それでいいじゃない?

 ゆえは、軽いめまいを覚えた。そして、その場に倒れ込んで気絶してしまった。

            つづく

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