羅刹奇譚・第5話(改稿版) 投稿者:ARM(1475)
 第8章 鬼 
 
 ごん、ごん、という音だけが、室内に鳴り響いていた。
 ストリップ小屋の室内天井にある大型扇風機がゆっくりと、重々しく回転している音だった。しかし冷房は、左右に配置されている業務用エアコンが正常に可動している。地方の温泉街にあるストリップ小屋のものにしては少し違和感さえおぼえる、無音を限りなく追求した新型のエアコンで、空調音はほとんど聞こえない。ステージに合わせたタダの飾りらしい。
 その下には、呆然とした顔で座っている――催眠術をかけられて正体を無くしている観客たちと、その彼らに見守られるように、殺気立っている耕一と、その妖艶な全裸を包み隠さずにいる妖女、鈴苗まちるが対峙していた。
 その足許には、血の海に沈んでいる一重がいた。まちるにやられたのではない。ボケ過ぎて耕一にいたぶられた所為である。

「……図らずも戦力減、ってとこね」
「ほっとけ」
「でも、あたしは容赦しないわよ――残酷な女なの」

 まちるは、くすっ、とはにかむように笑うと、ゆっくりと右腕をかざした。
 ちりん。涼しげな鈴の音が、扇風機の回転音に重なった。いつの間にかまちるの右手首には、金色の鈴が二つ付いたブレスレッドがはめられていた。
 刹那。耕一は全身が沸騰するかのような得も知れぬ奇怪な気を覚え、ほとんど無意識にその場から飛び退いた。
 間を置かず、耕一がさっきまで立っていた床が迸った。垂直方向から強烈な圧力が降り、床を粉砕したようである。
 迸りの中に、朱色が混ざっていた。やがて、ぼとぼとと天井から血と肉塊が降り注いだ。

「まず、ひとり」
「一重っ!」

 ステージの端まで飛び退いていた耕一は、一緒に一重の身体を持って飛べなかったコトを後悔した。床に散らばった肉塊の山は、一重という男が原形さえとどめないほど無惨に砕け散ったなれの果てであった。

「次は、そこっ!」

 ちりん。また、まちるのブレスレッドの鈴が鳴る。耕一は即座にその場から飛び退くと、入れ替わるように床が粉砕された。今度は、直ぐ後ろにいた観客が3名ほど巻き込まれた。一番奥の中年男は、瞬時に上半身をもって行かれたらしく、血柱を上げ始めた腰より下だけが大人しそうに席に着いていた。

「?!手前ぇっ!!」

 宙を舞う耕一は、その無惨な光景に激昂し、着地するや、咆吼しながら、ステージの上にいるまちるを睨み付けた。
 どくん。耕一は、限界を確信した。人として居られる限界を。
 どくん。耕一の中にいる鬼が、激昂した。

 オレヲ カイホウ シロ

 どくん。
 どくん。――どくん、どくん、どくん。
 鼓動が激しく高鳴る。全身に、凄まじい力がみなぎり始める。

 オレヲ メザメ サセロ

「るぁぁぁぁああああああああああああっっっっっっっっっっっっっっっっ!!」

 オレヲ――俺が――オレガ、メザメル――カクゴ シロ。

 室内の温度が一気に四度下がった。だが、エアコンの仕業ではない。
 そう。人類を超越する「いきもの」の覚醒に、世界が戦慄したからだ。

「……ん……ぅ……あ?」

 突然、催眠術に掛かっていた観客たちが、一斉に我を取り戻した。
 まちるが催眠術を解いたのではない。
 人としての防衛本能が、危険、を感知した為である。
 原始的で純粋な本能――恐怖が、全員を強力な催眠術から目覚めさせた。
 そして、観客たちはそれを目撃することになった。
 地上最凶の生命体――ステージの前に出現している、鬼を。

「「「ばっ――化け物だぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!」」」

 催眠状態にあった彼らは、誰一人としてそれが耕一が変化した姿だとは知らない。身の丈3メートル近くはあろう、伝承として知られている巨大な鬼を目の当たりにした観客たちは、一斉に立ち上がって逃げ出し始め、ストリップ小屋の出口に殺到した。

「……シニタクナケレバ、トットトニゲロ」

 耕一だった鬼は、まだ入り口でもたついている観客たちをひと睨みした。

「……ははっ。鬼になっても、甘いね、ハンサムさん」

 揶揄するように嗤うまちるだったが、ステージを灯すピンク色のスポットライトを押し分けるように出現した赤黒い巨人を目の当たりにして、数歩、後ずさりしている自分には気づいていなかった。
 魔の者さえも戦慄する。それが、鬼、なのだ。

「――いけっ!」

 三度、まちるは耕一だった鬼を狙うように右手を突き出して鈴を鳴らした。
 途端に、耕一だった鬼の頭上へ、凄まじい圧力が降りかかってきた。
 それを、耕一だった鬼は苦もなく、大木のような右の剛腕を振って弾き飛ばした。耕一だった鬼の右の足許に叩き落とされた見えざる奇怪な圧力は、その足許の床を勢いよく粉砕するが、直ぐ脇にいる鬼はそれに驚く気配さえなかった。

「……キカネェ」
「ば――化け物めっ!」

 人間をまとめて粉砕する不可視の鎚を操る妖女が、たまらず化け物と呼んでしまう存在。
 それが、鬼、なのだ。

「耕一。上の扇風機だ」

 慄然とするまちるの鼓膜を、聞き覚えの新しい声が叩いた。驚いて声のするほうへ振り向いたまちるは、それを目撃した途端、一層顔を青ざめた。

「――貴様ぁっ?潰されたハズではないのか?!――まさかレイシェル様と同じ
『不死なる一族』の者――いや、聞いたコトがある……そうか、お前があの―――」

 狼狽するまちるの、カッ、と見開かれた両目に、ステージの端でのほほんと胡座をかいてガラムを吸っていた一重の姿があった。あろうことか、血塗れになっていたハズの着ている服さえ、まったく損傷のない、汚れひとつない新品のような状態であった。
 一方の、耕一だった鬼は、一重の復活にさして驚いた様子もなく、むしろそれが当然のように、一重に言われたとおり仰ぎ、天井で回り続けている扇風機を睨み付けた。

「――――そいつが、正体だ」
「ルゥゥゥゥゥゥゥゥゥラァァァァァァァァァァッッッッッッッッッッ!!!」

 この世ならぬ咆吼をあげた鬼は、身をよじり、その反動を利用して扇風機を天井ごと粉砕した。当然のコトながらその衝撃で天井は一斉に崩れ落ち、まちるや一重たちの頭上へ瓦礫が降り注いでいった。


 元の姿に戻った耕一が、おぶさっている瓦礫を押し退けてようやく顔を出すと、直ぐ脇でうんこ座りしながら頭上の月を見上げ、ガラムを銜えている一重が居た。
今夜は満月だった。

「……あのストリッパー、巧く逃げおうせたようだ」

 一重がそう呟くと、耕一は、手許にあったコンクリ片を鷲掴みにし、力任せに握りつぶした。

「――三人も死なせてしまった。――絶対、落とし前をつけてやる!」
「……どうやら、ここは罠だったようだな」
「罠?」

 耕一が聞き返すと、一重は懐から携帯灰皿を取り出してフタを開け、その中へ銜えていたガラムを押し付けるように消して仕舞う。そして、ふぅ、と溜息を吐いた。

「……考えても見ろ。伊勢の行動があまりにも外連味過ぎる。まるで誘っているかのようだ。それに、普通に捜査して、ここへ行き当たるようなっていた――行き当たるようにし向けていたと考えるべきだろう」
「あ…………!」
「て、コトは、だ。……今、この隆山の別の場所で、奴らが暗躍していると考えてみるべきだろうな。ここは、それに気づいた連中の気を引きつけて誘い込む場だったらしい」

 それを聞いて、耕一は、困憊しきった溜息を吐く。そしてこの有様に、まだパトカーのサイレンが近づいてこない不思議に少し首を傾げて見せた。
 その時点では耕一も一重も、所轄の隆山署が、怪物と化した伊勢によってパニックに陥っていたコトは知らなかった。

         第9章へつづく

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