ToHeart if.「月は、太陽に」第14話 投稿者: ARM(1475)
14.邂逅

 ゆえが浩之に過去を告白したその日の夕方、部活が休みの雅史は、大きなスポーツバックを抱え、姉が入院している私立西音寺女子大学医学部付属病院へ足を向けていた。
 雅史が病院の玄関をすり抜けると、その横を、左腕を三角帯で吊った厳つい顔をした金髪頭の大男が横切った。外人というわけではなく、単純に染めているだけらしい。もっとも、雅史はそんな男に興味などあるわけもなく病院の中へ進み、そして大男のほうも雅史など眼中にないように外へ出ていった。
 金髪頭の大男が病院の玄関を出た時、向かいの道路に止めていたバイクに乗っていた暴走族ふうの男数名が、大男の姿を見つけてわらわらと近づいてきた。

「「「――九重さん、退院おめでとうございまス!!」」」

 大男の前にやってきた暴走族ふうの男たちが一斉に頭を下げた。どうやらこの九重と呼ばれた大男が、彼らのリーダー格らしい。

「九重さん、大変でしたね、階段から転げ落ちて鎖骨折るなんて」

 九重は、うむ、と頷づくと、

「……ここではなんだ、そこの喫茶店でな」

 九重が指した喫茶店は、病院の直ぐ隣にあった。九重は男たちを引き連れて喫茶店に入っていった。
 客の少なかった喫茶店店内は静まり返っていた。九重たちはそんな静寂に気を配るつもりもなく、入り口近くにあるコーナー席を二つ、陣取って騒ぎ始めた。
 カウンターの中で困った風な顔をする店員に、はやく注文取りに来いっ!と睨み付けた九重の隣の男は、そこで、奥の席に座っている二人の女性に気付いた。

「……九重さん、あれあれ」
「ん?」

 隣の男に促されて、その二人を見た九重の顔が、一瞬、険しくなった。

「あれ、寺女の制服ですよね。そういやぁ、この近くでしたっけ寺女。呼びます?」
「……ほっとけ」

 珍しく消極的なリーダーの発言に男は当惑するも、それ以上、あの寺女の制服組のことを持ち出すことはあきらめた。

「……それよか、ゆえの件だ。――見つかったんだって?」
「ええ」

 九重の向かいに座っていたサングラスの男が頷いた。

「滝沢たちがへんなジジィたちにボロクソにされた話はご存じですよね?隣町の新しく出来たコンビニで、ゆえのヤツを見かけたって」
「……ほう」

 九重は頷いた。

「……警官だったあいつの叔父が死んでから、すっかり音信不通になってたからなぁ。ふっ、丁度いい。呼び出せねぇか?」
「うーん。滝沢たち、あいつらにやられてからすっかりビビッちまって、もう近寄りたくないっていってましたし……」
「なぁにいってんだよ、ばかやろうがっ!たかだがジジィひとりに――」
「いえ、そのジジィ、どうもその筋の連中を従えているみたいです。後から黒服の男たちが出てきて脅したとか。もしかするとゆえのやつ、どこかの組のエライさんをたらし込んだかも……」
「あのアマにそんな甲斐性なんかねぇよ。かまうこたぁねぇ。なんとか引っさらってこい。――あン時の落とし前、なんとしてもつけさせてやる!」


「…………ゆえ、という人がどうのこうの、と言っています。――かなり物騒な内容です」
「ふぅん」

 と、九重たちが先ほど注目した、寺女の制服を着た二人組の片方が頷いた。

「……懲りないヤツ。セリオ、あいつらがここ出るまで、連中の会話を記録して置いて」
「了解しました」

 来栖川電工製試作型メイドロボット、HMX−13型セリオが頷くと、その正面に座っていた来栖川綾香は、憮然とした面もちで、手前に置いてあるアイスカプチーノをストローで吸って喉を潤した。


「――雅史、ごくろうさま」

 雅史の姉、千絵美は、ベッドの上で新生児にお乳を与えながら、替えの衣類をもってきた雅史に笑顔を見せた。流石は美少年の雅史の姉と言うべきか、産後間もないため少しやつれているが、それでもそこいらのモデルが裸足で逃げ出すほどの美貌である。

「どう、雅人くんは?」
「母子ともに至って健康。先生のお墨付きよ」

 雅人とは、千絵美が抱きかかえている彼女の息子のコトである。自他共に認めるブラコンの千絵美がごり押しで名付けたと周囲から思われているが、意外にも千絵美の夫が先に思いついた名であった。

「本当、ごめんね、色々頼んじゃって」
「ううん。義兄さん、隆山の仕事が大変だからね」
「本当、刑事、って仕事は休むヒマも無いんだから。――あ、そうそう、電話であったアレ。ハムスターの虎の巻」
「――――」

 雅史は一瞬、身体が硬直し、

「あ――ああ、南雲さん、ありがとうって」
「よかった。威張れたシロモノじゃないから、ちょっと恥ずかしかったんだ。――でね」
「ん?なに、姉さん?」

 雅史がもってきたバックの中身である着替えを、ベッドの隣にある戸棚にしまっていたとき、千絵美がどこかもどかしげな面もちで天井を見ながら言った。

「……南雲さん、だっけ?」
「……う、うん」
「――もしかして、その南雲さんのお母さん……あたしの担当の看護婦さんかも」
「え゛」

 そう聞いた途端、雅史はまた硬直した。

「……なに?なんか気まずそうな顔ね」
「え、え――だ、だって」

 狼狽する雅史を見て、千絵美は苦笑した。

「……そうよねぇ。あれが必要な人が、まさかあたしの担当の看護婦さんだったなんて、ちょっと世間狭すぎるわよね」
「そ――そうだよね、ははは」

 雅史は、そんな安直な話があってたまるか、と当惑した。
 もっとも雅史も、ゆえのことをもっと詳しく知ろうと考えていたが、実のところ、アテはなかった。思えば、ゆえの過去が判ったのは、浩之の牽引があったからこそである。つくづく、他人(浩之)任せであったと雅史は痛感していた。
 思えば、今までずうっとそうだった、と雅史は今回の件で思うようになっていた。
 サッカーを始めたのも浩之が教えてくれたから。
 動物が好きになったのも、姉の影響より、実のところ、浩之が昔、犬を可愛がっていた姿を見て、それに憧れたから。
 ――そして、今回。
 雅史は、そんな自分が嫌になっていた。だからこそ、ゆえの件だけは、自分で何とかしたいと考えていたのだ。
 しかし、アテもコネもない。人望や人脈があるといわれているが、雅史はそれを活用出来た試しがない。
 でも、浩之なら、例え無くても自分で何とかする男である。
 雅史は、今もそんな浩之に憧れていた。端から見てやる気のない男にみえるが、本当は万能過ぎるその才能を持て余しているだけなのだ。
 正直、男として、浩之のような存在は羨ましかった。もしかすると、自分の気付かないところで嫉妬心さえ抱いているかも知れない。雅史はそんな気持ちを否定しきれなかった。
 だからこそ、ゆえのことを自分の力で何とかしてやりたいと思った。傷ついているゆえを慰めてやることで、自分は浩之を超えられ――――

 手前ぇみたいな中途半端なヤツに、南雲さんが受けた傷を癒せるワケがないんだっ!もう、南雲さんのコトは忘れちまえっ!!

(…………そんな気持ちで南雲さんに接したら、今度こそ浩之に殴られるかな)
「――雅史、なに、ニヤついているの?彼女のコトでも考えてたの?」
「え――あ、な、なんでもないよっ!」

 流石は、雅史のおしめを換えたコトもある女性。雅史の心中などお見通しであった。見透かされて慌てふためく雅史を見て、千絵美はくすくす笑った。
 そんな時だった。

「――梁川さん、検温の時間ですよ」

 りんとした声が、雅史の鼓膜を打った。声がするほうへ慌てて振り向いたのは、雅史にも理由がよく判らなかった。
 ただ、その声の主には絶対、逢わなければならないと思ったからだった。

「――あ、南雲さん」

 姉がそう言うまでもなく、雅史は、やっぱり、と思った。ベテランと思しき白衣の天使の笑顔は、そこはかとなくあのゆえに似ていた。
 その南雲が、千絵美の隣にいた雅史を見て、あっ、と驚き、

「――あなたが、雅史君ね」
「え?」

 雅史は驚いた。

「――お姉さんから聞いているわよ。ふぅん、なかなかの男前ね」

 南雲がにこりと微笑む。もし本当にゆえの母親だとしても、この美貌は若すぎる。どうみても30代前半だ。

「こんな可愛い子なら、さぞ学校でモテモテでしょう?」
「あ、はぁ」

 雅史は、またか、と心の中で困った。

「さて、梁川さん。計って――うちにもあなたくらいの歳の娘が居てね。隣町の学校。もしかして同じ学校かしら?」
「…………?」

 そこで雅史は、違和感を覚えた。

「……もしかして、都立の?」
「うん、そうよ――あ、もしかして本当に同じ学校?」

 その言葉に、雅史はこの南雲という看護婦がゆえの母親であるコトを確信した。そして、ゆえは自分のことを母親に告げていないのではないか、というコトに気付いた。

「……もしかして、ゆえさん、っていいません?」
「――え?そうよ、良く知って――あ」

 南雲は目を丸めて思わず口元を両手で押さえた。

「――――ああっ!ゆえが言っていた佐藤君、って、もしかしてあなたのこと?」

 雅史が恐る恐る頷くと、南雲はあらやだ、と笑いだし、

「いやねぇ、お姉さんが梁川さんって名字だから――そうよね、結婚したんだからお姉さんの名字変わってて当たり前か。佐藤なんて在り来たりの名前だから――あ、ごめんなさいね」
「い、いや、別に気にしては……」

 そう、と聞き返すと、南雲はけらけら笑い出した。なんとも、井戸端会議などで嬌笑を上げるおばさんみたいな笑い方だった。かなり若く見えるのだが、案外若作りなだけなのかも知れない。

「そうだったんだ……。ごめんなさいね、あたしんちで飼っているハムスターのコトで色々面倒かけちゃって」
「いえ、僕も姉さんもハムスターは好きですから」
「そう言ってくれると助かるわ」

 南雲は頬に手を当て、ふう、と溜息を吐いた。

「……娘が少し情緒不安定なところがあって、精神安定に小動物を飼ってみると良い、なんて心療科の久品仏先生から教えてもらって買ったんだけど、慣れていない上に、あたしがこういう仕事しているからね、どうもゆえに余計な負担がかからないかと心配していたの。あなた達に会えたのは、何かの縁かしらね」

 雅史にしてみれば、今や縁どころの騒ぎではないのだが、そのコトには触れる気はなかった。

「……情緒……不安定……南雲さんが?」
「あたしはいたって健康よ、アハハ――判っているわよ、ゆえのほうでしょう?」

 はぁ、と応える雅史は、少し困憊気味だった。正直、こういう気さくすぎるタイプは苦手らしい。
 頷く雅史を見て、今まで笑っていた南雲の顔が、不意に曇った。

「…………まぁ……色々あって精神的にノイローゼになっちゃった時期があってね」
「ノイローゼ……?」

 雅史はきょとんとなる。大人しそうなゆえがノイローゼだったとは意外――いや、言われてみれば、あの他人を拒絶する頑なさは、その辺りから来ているのかも知れない。

「おかげで二年生に進級しても一学期はほとんど学校に行けなくてね。でも、ダブっているからって変な目で見ないでよね。学校に行かなかった分、家や学習塾でみっちり勉強してたから、頭は良いんだから」
「いや、別に僕は」
「アハハ、判ってるわよ、冗談、冗談」

 本気で雅史は疲れた。
 その一方で、雅史は、ゆえの母親に興味を示し始めていた。
 こんな豪快な母親をもつゆえ。彼女ほどの器の持ち主なら、ゆえが昔、酷い目にあった事実さえも、優しく受け止めてくれるだろう。
 それにしても、なんて若くて綺麗な人なのだろう。

「…………あのぅ。失礼ですが、おいくつですか?」
「あら、レディに失礼な質問ね(笑)――――まだ29よ」
「――――」

 南雲は笑ってそう答えると、雅史は当惑した。
 そんな雅史の変化の理由を南雲は直ぐに理解した。

「……うん。ゆえは、養女。死んだ旦那さんのお兄さんの娘よ」
「………………」

 黙り込む雅史は、ゆえの父親と、その弟の間にあった確執と悲劇を思い出していた。だが雅史は、あの兄弟の悲劇の真相をまだ知らない。

          つづく

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