12. いうなれば、月。
「南雲様は、芹香お嬢様のお友達ですから」
セバスはさらっと言って見せた。
ゆえは、暫し呆けた。そして複雑そうな顔をして、首を横に振った。
「…………よして下さい。お気持ちは有り難いのですが、――私みたいな女では、来栖川さんにかえって迷惑になります」
「そう自分を卑しめることはないと思いますぞ」
「卑しい女だから、遠慮して居るんです」
淡々とそう答えると、ゆえはレジカウンターのほうへ向かった。セバスはそんなゆえの背中を見て、はぁ、と溜息を吐いた。
「……ゆえちゃん、どうかしたの?」
レジカウンターにやってきたゆえをみて、店長が心配そうな顔で訊いた。そんな店長をゆえは不思議がった。
「……?べ、べつに」
「でも」
店長は奥のセバスに一瞥をくれ、
「…………怖い顔しているわよ」
ゆえはその時、自分がどんな顔をしていたか、だいたい想像がついていた。
バイトの勤務終了時間になり、ゆえは店長に挨拶して控え室に入り、着替えて店から出ていった。
そんなゆえを、セバスが店の前で待ち受けていた。
「こんな時間ですから、私めが家までお送りいたしましょう」
「け――結構です」
憮然とするゆえは、セバスの横をすり抜け、早足で進んだ。
するとセバスは踵を返し、お待ち下され、と、ゆえの後をついていく。
セバスの呼び声に、ゆえは少し苛立ち、足を早めた。だが体格の差もあり、距離をとっても直ぐに追いつかれてしまった。ゆえはとうとうあきらめ、歩みを遅くしながら、はあ、と溜息を吐いた。
「…………判りました。ついてくる分には構いません」
「かたじけないであります」
ゆえはその声から、セバスが嬉しそうな顔で答えたコトに気付いていた。振り向かなかったのは、その笑顔に負けて全部許してしまいそうだったからだ。
これ以上は、他人に心を許してはいけない。
許してしまったから、佐藤君が私に関わってきたのだ。
釣り合うはずもない。
素敵な友達に囲まれている、幸せな彼と。
大切な人を殺してしまった、自分など――。
「――お待ちなさい!」
いきなり背後からセバスに両肩を掴まれ、ゆえは思わず悲鳴を上げそうになった。
「…………赤信号ですぞ」
僥倖にも声を出さなかったのは、直ぐに、考え込んでいたためにうっかり赤信号を渡りかけていた自分に気付いたからだ。
「……あ、ありがとうございます」
ゆえは、ふう、と軽く深呼吸した。
何故だろう、――とゆえはその時思った。
セバスが自分の両肩を掴んだままだった。
その手から、とても暖かく、そして懐かしい温もりが感じられる。
その不思議な感覚を、ゆえは、ああ、と直ぐに理解した。
「…………南雲様?」
ふと、セバスはゆえの様子に気付き、声をかけた。
「…………もしかして……泣いておられるのですか?」
セバスは、掴んでいるゆえの肩がわなないていたコトに気付いていた。そして、呆然としているその面の中から、ぽろぽろと雫があふれ出しているコトに、ひどく驚いた。
「…………あったかい」
「は?」
「……手が……あったかい」
「…………」
嗚咽するゆえに、セバスは戸惑い、辺りを見回す。端からはまるで若い女を泣かせて困っている老紳士という、なんとも頂けない構図であったが、セバスが見回したのは、後ろからセバスたちをつけているハズの、来栖川グループの警備部門会社、「来栖川警備保障株式会社」の特別警備部の車両を探していた為である。まもなく、セバスたちが立ち止まっている横断歩道に、一台のリムジンが停まった。セバスはゆえの肩を、ポンポンと優しく叩くと、車の中で気を静めなさい、と言った。ゆえは素直に従った。
ゆえとセバスを載せたリムジンは、直ぐにゆえの家には向かわず、しばらく街中を流した。ゆえがそうしたい、と言ったからだ。
「……済みません」
ほどなく、ゆえは泣きやんだが、その昏い顔は晴れずにいた。
セバスはゆえがどうして泣きだしたのか、その理由を訊こうとはしなかった。哀しそうに沈むゆえを黙って見つめるセバスの面もちはとても複雑そうだった。まるで、ゆえがどうしてこうまで頑なに他人を拒絶するのか、その理由を知っているかのように。
セバスはそんなゆえをみているうち、芹香の友人で後輩に、超能力者の少女がいたことを思いだした。その娘もまた、自分でも制御の出来ない無意識の力に恐怖し、周囲を頑なに拒絶していたという。
しかし、浩之たちの優しい想いが、その重い扉を開かせた。その話を聞いたセバスは、浩之ならてでは、と思った。あれほど内気で人見知りの激しかった芹香が、今や誰隔てと無く会話出来るようになった――声は相変わらず蚊の鳴くような小声ではあるが。幼少の頃から芹香を見守っていたセバスですら叶わなかった精神的成長を、あの少年が僅かな間に成し遂げたのだ。悔しいとさえ思ったが、それ以上に、うらやましいとさえ思った。
「――儂にも、藤田殿ほどの行動力があれば、あのようなことには……」
そんなセバスの呟きを、ゆえは聞き逃さなかった。
「あの……ような……?」
「あ――いや、なんでもありませぬ」
そう答えて、セバスは咳払いして誤魔化した。
視線を逸らすセバスを見つめるゆえは、何かを思い出しているかのようにしばらく俯き、そしてゆっくりと視線をセバスに戻した。
「…………長瀬さん。失礼ですが、藤田君って、2−Bの、あ、うちの学校の2年生の藤田君のことですか?」
「?――――ええ」
セバスが頷くと、ゆえは、へえ、と感心し、
「そういえば、来栖川さんと親しいと友達から聞いていたんですが。――どんな方なんですか?」
「藤田殿……ですか?」
訊かれて、セバスは、うーん、と唸り、
「――こ憎らしい小僧です」
その返答に、ゆえは吹き出した。
んなコト、嘘でもゆぅんじゃないよっ!
ゆえは、浩之が自分の過去のことを知っているらしいコトに気付いていた。それを承知で、自分に想いを寄せているらしい友人、雅史を煽っていた。
――雅史!お前もいい加減、はっきりいってやれよっ!
ゆえの、雅史に対する第一印象は、誠実だが、いざ決断となるとどこか煮え切らないところがあると思っていた。なのに、
――信じるものか。
あの一言が、ゆえの心を激しく揺さぶった。あの場で、あのような言葉を口に出来る少年とは思っていなかったのだ。
ゆえ自身は、本当のところ、あの場でのやりとりでは行動派の浩之のほうに惹かれていた。それは佐藤雅史という少年のひととなりが、今ひとつよくわからないからであった。
いったい、あの佐藤雅史という少年はどんな人間なのか。
いつも周囲に流されているようで、しかし確固たる自分を保持している。悪く言えば、何を考えているのかよくわからない、得体の知れないところもある。悪人タイプには良くいる性分だ。
だがゆえは、どう見ても、雅史が悪人タイプには見えなかった。誠実な人間であるのは間違いない。しかし、毒にも薬にもならない、普通の少年とは言い切れない気がする。
なにか、こう、うちに秘めたる何かを、いつも押さえているような――ゆえにはそんな気がした。
――信じるものか。
あの一言こそ、ゆえは、その「何か」の片鱗であるような気がしてならなかった。
だから、どうしてもゆえには、あの時の雅史の顔が頭から離れられなかった。――見ていないのにも関わらず、ゆえは想像がついていた。
「…………長瀬さん」
「はい?」
「…………佐藤君のこと、ご存じ?」
「はい。存じ上げております。藤田殿の親友でございましょう」
「うん。…………どんな人か、ご存じですか?」
訊かれて、セバスは返答に窮したかのように、うーん、と唸った。
「…………まぁ、普通の、好青年というところですか」
「正直なところは?」
「はぁ?」
「……長瀬さんほどの方なら、だいたいその人を見ただけでどんなひととなりか、容易にわかるんじゃないんですか?」
「いや……。私め如きでは、そこまで人を見る目を持っているなどと――」
そう言ってみたが、セバスはまたも、うーん、と首を傾げて唸って見せた。
「…………控えめな方、でしような」
「控えめ」
その辺りは、ゆえとセバスの見解は一致していた。
「じゃあ、何に遠慮しているのか、わかります?」
「……さぁ。私めも、何となく、そう思えるだけです」
「ふーん…………」
何か釈然としないゆえは、おもむろに車の窓へ視線を移し、車の後方へ流れていく街の光の筋を見つめ始めた。
そんなゆえの横顔をセバスは無言で見つめ、やがて、ふっ、と笑みをこぼした。
「…………佐藤殿が気になりますかな?」
「え?――――」
ゆえは、どきっ、と驚いた。心なし、頬も紅潮を覚えている。そんなゆえに、セバスは意地悪そうに笑って見せた。
「…………悪い方ではありませんな、彼は。何故なら彼は、あの藤田殿の旧知の親友であらせられますからな」
そう誉められても、ゆえにはあまり実感は湧かなかった。そもそも雅史にしろ浩之にしろ、知り合って日が浅い。
「それゆえに、あの方は自分の持つ魅力というものを殺しておいでです」
「魅力を、殺す…………?」
「はい。――いうなれば、あの方は、月」
「…………月?」
「自ら光るコト無く、常に太陽の光を受けて青白く光り輝くのです。それが佐藤殿にとって不幸であった」
「不幸――――?」
ゆえは、セバスがいきなり物騒なことを言い出したので驚いてしまった。
「はい。佐藤殿の不幸とは、子供の頃から、藤田殿のような、他人を輝かせる力を持った者の間近にいたコトです。彼らはそのコトに気付かないまま、今に至っておいでです。もし、互いがあんなに間近でなかったら、私めの見立てになりますが――佐藤殿は太陽にもなれたハズ」
「…………」
ゆえは雅史をそう評価するセバスの顔をまじまじと見つめた。
そして、そのセバスの評価に、ゆえは求めていた「何か」の解答を見出せたような気がした。
「…………ありがとう」
ゆえは、その言葉を自然と口に出来た。もしかすると嬉しかったのかも知れない。
それから20分後、リムジンはゆえの自宅のマンションの前に停まった。リムジンから降りたゆえは、セバスに深々とお辞儀した。
「…………長瀬さん、お世話になりました」
「なんの。――芹香お嬢様も、南雲様のコトを気にかけておいでです。もし何かお困りのことがありましたら、遠慮なく私めにでもお申し出て下さいませ」
「……わかりました」
ゆえはにっこり微笑むと、マンションの中へ消えていった。
そんなゆえの背を見送ったセバスは、おもむろに懐から携帯電話を取り出し、どこかへ電話を掛けた。
「――――おう、祐介か。久しぶりだのぅ。どうだ、この間の彼女とは――はは、照れるでない。祐介の女性を見る目は、お前の父親そっくりで、なかなかのモンだぞ。…………はは。ああ、それより夜分遅く済まぬが、母さんを出してくれぬか?――――――――うむ、二葉か。こんな時間に済まぬな。先日話してくれた、六実(むつみ)のところのお嬢さんの件だがのぅ。――ああ、今、会ってみたところだ。……なかなか佳い娘さんではないか。……それだけに、可哀想なコトをしたと思っておる。…………ああ、後は儂に任せておけ。……いや、来栖川の家には迷惑などかけておらんよ。だから安心して――――」
つづく