ToHeart if.「雅史の事情」第11話 投稿者: ARM(1475)
11. お友達ですから。

 志保は無言でしばらく芹香を見つめると、やがて、ふう、と溜息をもらした。

「…………来栖川先輩。あたし、おしゃべりかしら?」

 その場に浩之が居たら、どの口がゆうか?と突っ込んできそうなセリフを志保が口にすると、しかし芹香は、優雅な動きで面を横に振った。

「…………え?私や藤田さんだから話したんでしょう?――何でヒロが?別にあたし、ヒロになんか話しちゃあ――」

 志保は、ははっ、と鼻で笑う。
 だが、まじまじと芹香に見つめられ、次第に志保の嘲笑がかすれ出し、やがてその面はどこか諦めたような表情と入れ替わった。

「…………ヒロが知ったのは偶然ですよ、偶然。あかりにしゃべっちゃったあたしの計算ミス」

 そう言い訳する志保を見て、芹香は少し嬉しそうに口元をつり上げた。

「……そんなコトより。なんで、先輩がゆえちゃんのコトに…………へ?お友達ですから?」

 それを聞いて、志保は即座に、詭弁だ、と思った。もっともこの芹香が、常人とは多少、思考の次元が異なるお嬢様であるコトを考慮して、のコトだが。本当に友達意識で動いているにしても、そんな一日二日で積極的に行動をとろうハズもない。
 つまり、この来栖川芹香は、以前より、ゆえと接触を取ろうとしていた、と考えた方が自然なのだ。確かにそこに友達という意識が働いていてもおかしくないのだが、それでももっと他に理由がありそうだった。しかし志保には、来栖川芹香との接点がどうしても思い当たらなかった。
 志保の推理が混迷を来したのは、無理もなかった。何故ならその推理には、芹香と浩之以外の存在という要素がなかったからである。――――


「…………ゆえちゃん。あの人、まだ居るね」

 レジカウンターの中で店長はゆえに耳打ちした。店長が指している人物こそ、店内をうろつくセバス長瀬であった。
 ゆえの危機を救ってからもう二時間は経つか。買い物の用は済んだハズなのに、セバスはまだ店内に居座っていたのだ。あと一時間でゆえはバイトを上がるのだが、店長は先ほどの一件を知りつつ、しかしこの老齢の偉丈夫をひどく警戒していた。

「……うーん。どこかで見覚えのある人なんだけど」
「常連の方でしょうか?」
「いえ…………そういう人でなかったような……うーん」

 悪い人には見えないのだが、こうも長居されては気になって仕方がないのだろう。かといってゆえの、トータル的に見ればこの店の恩人でもあるセバス長瀬に、どういって丁重に帰ってもらえるか、店長はいい言葉が思いつかず、途方に暮れていた。
 そんな時だった。

「――店長さん」
「きゃあっ!!?」

 ゆえに耳打ちしていた店長は、いつのまにか直ぐ真横に、セバスの厳つい顔のアップが迫っていたコトに気付いて思わず悲鳴を上げた。

「――失礼。ちと、店内の品物の並び方が少し乱雑なようで」
「……あ、は、はぁ」

 飛び上がって驚いた店長はゆえの背中に隠れながら頷いた。

「なにやら人手でお困りの様子と見受けますが」
「あ…………え、ええ、まぁ」
「これも何かの縁。私めがお手伝いいたしましょう」
「え?で、でも」
「――いえ、これは来栖川の家に仕える者として当然のコト」
「へ?」

 店長はきょとんとなった。

「…………来栖川、って」
「――あ」

 そこでゆえはようやく気付いた。このコンビニのフランチャイズ本部は、来栖川グループの系列会社であったのだ。

「私、こういう者でして」

 とセバスは、きょとんとする童顔の店長に、懐から取り出した来栖川財閥執務長職を明記した名刺を取り出し、それを差し出した。店長はぽかんとなったままその名刺を受け取るが、やがて役職の下に追記されているもう一つの役職に気付くなり、はっ、と我に返った。そして、着ている制服をはたきだして自分の名刺を探し始めたのである。

「いえ、どうぞお構いなしに」
「ととと――と、いわれましても、はい!」
「店長?どうかされたのですか?」
「あああ――こ、これっ!」

 そう言って店長は、持っていた名刺をゆえに見せた。
 それを見たゆえも、思わず目を丸めた。来栖川財閥執務長の下に書かれていた会社名と役職。会社名は、このコンビニのフランチャイズ本部、そして役職は、非常勤専務となっていたからである。

「――長瀬専務でいらっしゃいましたか!だ、だから私、見覚えがあったんです!――って、あ、あ、し、失礼致しました!」

 狼狽してセバスにぺこぺこお辞儀する店長に、セバスは苦笑した。

「いやいや。専務といっても今や名ばかりです。かといって責任者のひとりとして、現場の危機を黙って見逃すわけにも行きませんから。幸いというか、外はまた降り始めた雨で、お客様も先ほどより来店されておりません。今のうちにやられる方が宜しいかと。――宜しいですかな?」
「で、でも――」

 酷く迷ったが、結局店長は、セバスの押しに負けて了承した。するとセバスは嬉しそうに腕まくりして、鼻歌混じりに店内の陳列物の整理を始めたのである。ゆえはまだ動揺している店長に声をかけ、レジを彼女に任せてセパスの手伝いにまわった。
 そこへ、搬入の整理が終わったヘルプの大学生が店内に戻ってきた。大学生の姿を見かけた店長は、彼にも陳列物の整理にまわってもらうよう頼んだ。
 ゆえは、セバスの手際の良さに感心していた。だが、ただ、専務という役職だけで店を手伝っている理由を酷く不審がり、三列並ぶ棚のうち、セパスが作業する一番店の奥の棚ではなく、間の棚ひとつ挟んだ道路側の棚を整理しながら、セバスの様子を伺っていた。
 そんな疑心の監視の中、作業しているセバスの横に、例の本部からヘルプでやってきた大学生が近づいてきた。

「…………執務長。ここは自分の仕事ではなかったのですか?」
「ちょっとしたワケありでな」

 セバスはゆえに気取られぬよう注意しながら、小声で声をかけてきた大学生に返答した。

「……また、芹香お嬢様がらみですか?」
「お主に命じたこの件は、芹香お嬢様はまったく関係ない。それよりも黙示、無駄口叩かずに、ホレ、真ん中の棚の整理をせい」
「判りました」

 黙示と呼ばれた大学生は、リムレスの丸眼鏡の縁を中指で少し押し上げて苦笑すると、言われたとおりに真ん中の棚へ移動して整理し始めた。これまた手際のいい仕事ぶりをする。黙示というヘルプの大学生が防衛大のエリートで、来栖川家の執務官のひとり、つまりセバスの部下であるコトを知らない店長は、二人の仕事ぶりをレジカウンターの中からひどく感心していた。
 十数分後、セバスは奥の棚の整理を終えると、立ち上がって背伸びをした。そこへ、どうしても気になって仕方のなかったゆえが近づき、恐る恐る声をかけてきた。

「…………あのぅ、いいですか?」
「?何ですかな?」

 好々爺の笑みに、ゆえは少し躊躇し、

「…………来栖川さんに頼まれたのですか?」

 するとセバスは、ふむ、と小首を傾げ、

「…………いえ」

 と答えた。

「役員としての当然の行為――というより、これは、私め一個人の所存であります」
「?」

 当惑するゆえに、セバスは頷いてみせた。

「南雲様は、芹香お嬢様のお友達ですから」

           つづく

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