6. うわさ
「――私、人殺しだから」
そんなコトを言われたとき、人はどんな顔をすればいいのだろうか。雅史たちはその時、自分たちがどんな顔をしていたのか知らなかった。
「――ヒロっ!雅史っ!――もう、ほっといてよっ!」
志保がヒステリックな声を上げて、ゆえを押しのけて浩之たちの前に出てくると、ゆえを教室に押し込めてしまった。
志保は教室のドアを閉めてしまった。雅史たちは、予鈴のチャイムが鳴っているコトも気付かず、ただ、呆然とそれを見送っていた。
釈然としない思いを抱えたまま、浩之たちは1時限目を終了した。浩之の隣に座る智子は、浩之の横顔がとても険しいことに気付いていたが、結局、授業が終わるまで聞けずにいた。
「……いったい、どないしたん?そないに怖い顔して……」
終鈴と同時に、智子は浩之に呼びかけた。浩之は、名前を三回呼ばれたところでようやく智子に気付いた。
「……なに?」
「なにやなぃ――」
「……智子」
キレかかっていた智子の肩を、近づいてきたあかりがなだめるように叩いて見せた。智子はあかりの不安そうな顔を見ると、ひそめていた眉を開き、溜息を吐いた。
「…………ふぅ。藤田クン、何、そない怖い顔してんの?」
「色々と、な」
ぶっきらぼうに答えると、浩之は、雅史のほうを目で見た。雅史の斜め向かいには二木の席がある。二人とも、当惑した面もちで居た。
「浩之ちゃん、なんか朝、雅史ちゃんたちと隣のクラスに行ってからずうっと機嫌悪いみたい。……どうしたの?」
「色々と、な」
「また、長岡さんと何かあったんか?」
「色々と、な」
「真面目に答えぃ」
ふくれる智子をよそに、浩之は机の上に俯せになった。訳が分からない智子とあかりは肩を竦めた。
「……なぁ、藤田クン。もしかして、南雲さんのコト?」
智子がそう言うと、浩之は俯せのまま首を横に振った。
だが、呆れる智子とあかりの視線が注がれる浩之の後頭部が、突然止まる。そして、憮然とする浩之の顔が噴き上がり、智子の顔に突きつけられた。
「――おい、委員長。南雲さんのことで――志保以上の問題児、って言ってたよな?」
「あ?――あ、ああ、そや」
「それは不登校なだけか?」
「あ?」
「学校に出てこない――それだけで問題児呼ばわりなのか?」
「あ――――」
浩之に気圧された智子は、しばし絶句した。
「……い、いや、それだけじゃあ……」
「他にも、あるのか?例えば、人を――――」
そこまで言って、浩之は、はっ、と我に返った。
「ひと?」
「――い、いや、なんでもない、あかり。――昔、不祥事でも起こしたのか?」
少し冷静を取り戻した口調で浩之に聞かれた智子は、小首を傾げ、うーん、と唸った。
「…………犯罪めいたコトは、ない。ただ――――」
「夜の繁華街をうろついていたってヤツだ」
「「二木…………?!」」
いつの間にか二木と雅史が、あかりの隣に立っていた。
浩之の詰問を聞きつけてやってきた二人だったが、雅史は二木の口から出た意外な話に驚いて、二木の顔を見たまま目を丸めていた。
「二年の時からの噂だ。夜遅く、繁華街をうろついていたのを目撃されている。――ホテル街でどっかのおっさんと一緒に歩いていたとか、派手な化粧して街角に立っていたとか、――エンコーで補導されたとか」
「「「二木っ!!」」」
突然怒鳴られ、二木は目を丸めた。浩之と雅史が怒鳴ったのは判るが、まさか智子にまで怒鳴られるとは思わなかったらしい。
「二木クン!あんた、そないな下世話な話、よぉベラベラしゃべれるモンやなっ!」
智子は声を荒げて二木を睨み付けて怒鳴った。怒り心頭の智子に気付いて、遠巻きで見ていたに岡田たち三人組が、やぁねぇ、関西女のヒステリックは、とこそこそ小声で言ったが、しっかり智子の耳に届いていたらしく、「なんやあんたっ!なんどゆぅたらわかるんかっ、うちは神戸やっ!!」と噛みついた。そのあまりの剣幕に、さしもの岡田たちもビビって萎縮してしまった。
「……二木。お前、そんな話、どこで聞いた?」
キレた智子を見て冷静さを少し取り戻した浩之は、苦虫を噛み潰したような顔で、呆気にとられていた二木を睨んだ。
「話……って…………、う、噂、だよ」
「噂ぁ?」
「委員長、ちょっと黙ってて。――二木、お前、そんな噂信じているのか?」
噛みつこうとする智子を、憮然とする雅史は右手で制止しながら、二木をじろり、と睨み付けて訊いた。
「お、おい、佐藤……」
「信じているのか?」
雅史に睨まれ、初めはおろおろしていた二木だったが、何度も聞き返す雅史に次第に苛立ちし、ついに溜まりかねて怒鳴り返した。
「バカヤロウ!信じるわけねぇだろっがっ!」
「二木――」
「佐藤!俺はなぁ、お前とコンビ組んでFWやっているだろ?チームメイトを信頼しなきゃ、FWなんかやってらんねぇよ!お前が信じているもの、俺も信じなきゃ、ゴールもキメらンねぇよっ!」
「………………」
辛そうに言う二木を見て、溜まらず雅史は唇をかみしめた。
「噂は、あくまでも噂だ。それを信じようが信じまいが個人の勝手だがな、――俺は佐藤のダチとして、佐藤のコトなら、佐藤の目で正しいと思ったコトだけを信じればいい。それだけなんだよ!」
逆ギレして雅史を睨み付けた二木は、いつのまにか浩之たちがポカンとしているコトに気付いた。
「……なんだよ、お前ら」
「……くっさぁ」
と、智子が鼻をつまんで手を仰いだ。同時に、浩之たちは吹き出した。
「――お、おまえらなぁっ!!勝手に素面に戻ってンじゃねぇよっ!」
「い、いやぁ、悪い悪い、あんまし、クッさいセリフ聞かされたモンだからどうしようかと途方にくれちまったよ、なぁ雅史」
「浩之、それ、悪いよぉ」
「さ――佐藤ぉっ!」
溜まらず赤面する二木は雅史の頭を抱きかかえ、このやろ、このやろ、と軽く拳でその後頭部を小突き始めた。
すっかりじゃれ合っている二木たちを見て、智子は自分の席に腰を下ろし、アホクサ、と机の上に頬杖を突いて溜息をもらした。そのぼやく口元が、嬉しそうにつり上がっていたのを、浩之とあかりは見逃していなかった。
「……佐藤クン。私も、南雲さんのそんなイヤな噂、聞いてた。無論、餓鬼じみたアホくさい話やったんで、信じる気にもなれんかったけどな。――私も、ペットショップであの人が佐藤クンと話し込ンどったのをみて、とても悪い人には見えんかったよ」
この場にもし、一年の時同じクラスだった留学生、ことわざオタクのレミィが居たら、「百聞は一見にしかず、ネ」とツッコミを入れていたところだろう。
「――でもな」
そこまで言って、智子の顔が翳った。
「――目撃した、っちゅう話がある以上、何らかの事情で繁華街にいたんやろうな。理由を知りたくば、本人に聞くのが一番なんやけど…………流石にできんわな」
「うーん……」
浩之は腕を持て余して唸った。
「……なんか、志保が事情を知ってそうなんだが、あの様子だととても教えそうにないしなぁ……。あとは……他に詳しい人が…………って、あれ?――委員長、そういえば」
「ん?」
「――芹香先輩!あの時、南雲さんと同じクラスメートだ、っていわなかったか?」
「……あ。――ああ、そうや、うん」
智子が頷くと、雅史は、うん、と頷いた。
「――――決めた」
「雅史ちゃん……?」
「来栖川先輩に少し話を聞きに行ってくる」
「え?今すぐ?」
「善は急げ、だよな、雅史」
追うように席を立った浩之も、うんうん、と頷いて見せた。
「でも…………」
と、あかりは天井を指し、二時限目の始まりを報せるチャイムが鳴っているコトを教えた。
結局、その後、物理の講義で教室を移動移動したりとで、浩之たちが芹香ら3年生のいる教室へ向かったのは、昼食時であった。
昼休みは、芹香は教室か校庭で昼食を摂る。今日は、教室に居た。浩之は、ちょうど席を立った芹香を廊下から呼びかけた。
浩之に声をかけられ、ぴくっ、とまるで名前を呼ばれた猫のような反応をする芹香は、教室の入り口に立つ浩之を見つけ、嬉しそうにひょこひょこと近づいてきた。
「何のようだ、毎日違う女のコをはべらかすばかりか、俺のハニーまで食い物にしている外道の藤田ぁ〜〜?」
「黙れ、衆道の橋本ぉ〜〜」
浩之と芹香の間に、頭を坊主ばりにつるつるに丸めた偉丈夫がいきなり割って入ってきた。浩之の後ろで二木と雅史が呆れつつ、坊主頭に会釈していた。この坊主頭こそ、サッカー部の主将、橋本であった。
「ところで何のようだ」
「あんたにゃ用はない。芹香先輩の邪魔だから、そこどいて」
「お前こそ、俺のハニーの前に立つな」
そう言って橋本は、雅史のほうへ嬉しそうに手を振って見せた。雅史が苦笑しながら、内心渋々、手を振ると、橋本は身もだえした。
「ああっ!仏様、何故に我らの熱き愛に、こんなうっとおしい試練を与えるのかっ!こんな外道には天罰をっ!!」
「黙れ、非生産的愛の権化。そっちこそ罰当たりじゃ」
橋本は、近くにある大きなお寺の跡取りであった。高校へ通う傍ら、中学の頃から実家で僧侶の修行を勉めている。とても部活動などやっている暇などなさそうだが、ちゃんと両立させているあたり、性格に多少、難はあるが、浩之も一応敬服していた。とはいえこのように顔をつきあわせると、雅史がらみでたちまちこのようににらみ合って罵詈雑言の応酬劇になるのも珍しくない。端から見るととても険悪なムードに見えるが、二人とも冗談で言い合っているコトは承知している。もっとも、橋本の雅史へラブコールは困ったことに本気らしいが。
「スミマセン、部長。ちょっと急ぎの用なんで」
雅史がすまなそうに言うと、橋本は雅史の物欲しそうな目で、えー、と言った。
「……はぁ。まぁアレはほっといて、……芹香先輩、南雲ゆえ、って人、ご存じ?」
「南雲?――去年、同じクラスだったあの娘か?」
「え?部長、知り合いですか?」
「同じクラスだったからな。来栖川も覚えているだろう」
芹香は、こくこく、と頷いた。
「……ふーん。芹香先輩、南雲さんの隣の席だったんだ。じゃあ話は早い、実は……」
「何だよ、お前らも南雲の噂話を聞きつけたのか?」
「「「へっ?」」」
驚く浩之たちに、橋本は憮然とした表情で肩を竦めた。
「どんな無責任な噂話を聞きつけたんだかしらねぇが、あんまし関わらねぇほうがいいぜ」
「それ、どういう意味ですか……?」
雅史が不安そうに聞くと、橋本は溜息混じりに、
「……おそらくダブった理由を知りたいんだろうが…………南雲のやつ、また、人を殺した、なんて言ったんだな」
「「「――――どうしてそのコトを?」」」
「本当のことだからな」
雅史たちはたちまち絶句した。――
丁度その頃、2−Aの教室からこそこそ周囲を伺いながら出てきた志保は、ほっ、と溜息を吐いたところで後ろから背中をつつかれ、驚いた。
「な、なに――って、あかり?」
志保の背後に、てへへ、と照れ笑いするあかりと、憮然としている智子が立っていた。
「…………長岡サン。ちょっとアンタに、南雲さんのコトで聞きたいことがあるンや」
智子がそう言うと、志保は嫌そうな顔をしてその場から駆け出そうとした。しかし哀しそうな面もちをするあかりがそれを呼び止めた。
「……志保。いったいそんなにどうして隠そうとするの?」
「――あたしだって、言いたくないコト、いくらでもあるのよ。いい加減、あきらめてよ」
「そんなことない。――志保、南雲さんのコトとなるととても辛そう」
「――――」
「私らな、興味本位でゆってるワケやない。――あの南雲サンに無責任な噂があるのがシャクなだけや。力になれるのなら、喜んでなるから、正直にホンマのコト、教えたってぇ」
智子の言葉に、志保はしばし仰いだ。
やがて、はぁ、と困憊しきった溜息とともに、困却した志保の顔が二人に向けられた。
「…………わかった。あんたたち二人なら、言っても良いのかも知れない。ゆえちゃんのコト――――」
つづく