ToHeart if.「雅史の事情」第3話 投稿者: ARM(1475)
3. ボーイ・ミーツ・ガール

 雅史が、月夜の下に佇む美少女に心を奪われた翌日。

「――雅史、聞いたわよぉ。いい娘、見つけたンだってぇ?」

 朝練から上がって教室の席に着くなり、狙い澄ましたように教室に入って来て意地悪そうに笑う志保に、雅史は溜息を吐いた。

「――二木ぃ!」

 雅史は直ぐ向かいにいた情報源に怒鳴ってみせた。

「おいおい、そりゃあないぜ。長岡なら、お前さんが見そめた娘を捜し出してくれると思って、気ぃ利かせたつもりなんだぜ」
「……顔が笑っている」
「嘘ぉ?志保ちゃん、俺、笑っている?」

 そう言って二木は志保にニヤニヤと笑って見せた。志保はそんな二木を鼻で笑うだけで一瞥もくれず、雅史の席の前に、雅史のほうを向いて座った。

「ねえねえ、一体誰なのよぉ?」

 このまま黙りを決め込んでも、もはや志保に知られた後では無意味である。雅史は不承不承、口を開いた。

「…………ってもねぇ。名前も知らない。――見たこともないひとだった」
「うちの女子生徒の制服来ていたんだよなぁ」

 二木が口を挟んできた。

「ふぅん。何か人相みたいなのは?」
「なんか警察の取り調べみたいだな」
「ふふん。金田一少年もコナンも、古畑任三郎さえも裸足で逃げる、長岡志保サマの超推理がバッチリ探し出してあげるから、有り難く思いなさいよぉ!」
「はいはい。…………えーと、凄く綺麗な女のコだった」
「あたしより」
「うん」
「……………………」
「…………怒った?」
「……少し。――なのはいいのよ。もっと具体的に、ない?」
「えーと」

 雅史はしばし仰く。そして、天井をみているうち、ああ、と呟いて、

「――月がよく似合う。そんな綺麗な…………それでどこか物憂げなひとだった」
「……ふーん。月、ねぇ」

 志保は唸るようにいうと、自分の鼻の頭を軽く掻いた。

「そんな美人って、あたしは来栖川先輩くらいしか思い当たらないわねぇ」
「あ、先輩じゃないよ。それだけは間違いない」
「それじゃあ……えーと…………えーと」
「情報屋の長岡にも心当たりのない娘なら、やっぱり佐藤、幻でも見たんじゃないのか?」

 二木がチャチャを入れると、雅史は少し不機嫌な顔をして見せた。

「そんなコトない。あの人は確かに、昨日の夜、グラウンドの土手の上に――」
「――土手の上?」

 そう訊いてきたのは志保だった。先ほどまでの陽気さはどこへ行ったか、そう訊く志保の顔に何故か当惑の色に満ちた陰りがあった。
 雅史と二木は、そんな志保の突然の変化を不思議がった。

「……ああ。そうだよ。昨日の夜、グランドで――――」
「そ、そう、」

 そう言うと志保は妙にそわそわし始め、ついに席から立ち上がってしまった。

「わ、わかった。あ、あとはあたしが情報を集めるから、雅史はのんびり待っててね。いい、絶対、待っているのよ!」
「?――あ、ああ」

 雅史が頷くと、志保は当惑した面もちを背に隠して、教室をあたふたと出ていった。
 志保が出ていくのと入れ替わるように、浩之とあかりが、反対側の扉から教室に入ってきた。

「……なんだぁ志保のヤツ、慌てて出ていったな。なんかあったか、雅史?」
「い、いや」
「いやな、藤田、それがな。――佐藤にもやっと春がやってきたんだよ」
「春ぅ?」
「お、おい、二木!よしてくれよ!」
「いいじゃんか、減るモンじゃないし。――実はな、佐藤のヤツ……」
「こ、こらっ!」

 雅史の静止の甲斐なく、面白可笑しく話す二木によって、雅史の一目惚れ話は、浩之とあかりにも知られるコトになったのであった。


 浩之が数学の時間に居眠りした罰で居残りさせられたその日、部活動が休みだった雅史はあかりといっしょに浩之につき合っていた。ようやく浩之がやる気を出して、罰として出された問題プリントをあっという間に解いた頃はもう日が暮れ、空が西から茜色に染め変えされていた。
 智子と浩之が職員室から戻ると、あかりと雅史は四人で校門をくぐり抜けてきた。
 いつもならここにあと一人、志保がいるのだが、どういうワケか最近の志保は、浩之たちと疎遠になっていた。

「志保、今日ぐらいは一緒に帰れると思ったんだけどね」

 あかりが少し寂しそうな顔で言うと、浩之は、うーん、と小首を傾げた。

「……なんかあいつ、変に俺たちの前に現れなくなったなぁ。何でだろう」
「色々、調べ事があるらしいよ」
「例の彼女のコトか?」
「う、うん……」

 曖昧に返事すると、雅史はあかりのほうを見た。

「……あかりちゃん、ごめん。そんなつもりはなかったんだけど、志保に変なコト頼んじゃった所為で……」
「――え?う、ううん、いいのよ。志保のコトだから、楽しんでやっているんだろうし」
「タマにはあいつも人の役に立つコトしないとな、罰が当たる」
「そやそや」
「智子までゆぅ(汗)」

 四人はどっと湧いた。
 その笑顔の中で、最初に笑顔を解いたのは雅史だった。
 そんな雅史を見て、浩之は心の中で少し困った。
 相変わらず気苦労の絶えない野郎だ、と。
 子供の頃から、いつも他人のコトとなると甲斐甲斐しく世話したり、手伝ったりする、優しいやつ。子供心ながら、面倒ぐさがり屋の自分に良く付き合っていると呆れ半分感心したモノだった。
 浩之にとって、雅史は弟みたいな存在だった。つい最近まで、妹みたいな娘もいたが、今はもういない。しかし、雅史が浩之の弟分でいるコトはきっとこれからも変わることは無いだろう。
 そんな出来の良い弟に、いつも見られている。浩之はこれからも絶対ぶざまなところは見せられない。雅史にとって浩之は、あこがれの存在で居続けなければならない。そう考えるたび、浩之は居心地の悪さを覚えるのであった。
 だが、そんな思いは直ぐに忘れていた。物事を突き詰めて考えない性分が、こんな時ほど有り難いと浩之は思った。
 落ち込んでいるヒマがあったら、雅史にしっかりとしたところを見せてやらなければ。
 そしていつか、雅史自身が困っているコトがあったら、進んで助けてやらなければならない。浩之が密かに誓っていた義務であった。

「……おい、雅史。どこか、寄っていくか?」
「?」
「あ、私、ヤックがいい」
「すまんな、委員長。今日は、雅史が優先だ」
「……ふっ、わかっとるわ」

 智子は苦笑して見せた。つき合いは浅いとはいえ、こんなふうに浩之の微妙な心情を理解する智子に、浩之は良くも驚かされていた。初めてあった頃は人見知りの激しい突っ慳貪な女だと思ったが、――かつて心が砕けてしまった時、すべては、他人に気を使いすぎる優しく強い心が災いしたコトを浩之は知った。雨の降る夜、公園で濡れねずみになっていた自分を見つけてくれた浩之とあかりの前で、智子はゆっくりと凍らせていた心を溶かしていったのだ。以来、智子は生来の優しさを取り戻し、口のきつさは相変わらずだが、面倒見の良い少女に戻っていた。特に他人の複雑な心情を察する洞察力は、このあかりですら足元にも及ばないほど鋭い。

「……なぁ、佐藤クン。この間、ハムスターのコト、ゆぅとったやろ?」
「ハムスター?」

 その言葉を聞いて、落ち込んでいた雅史の目が輝いた。

「実は私な、最近、なんか動物飼ってみようかなと思うてるんや。雑誌に、室内で飼うんやったらフェレットかハムスターが流行りだってゆうから…………なぁ、みんなで駅前のペットショップにでも見に行かへんか?」
「お。それ、いいね。行こうぜ、雅史」
「うん、いいね。行こう、雅史ちゃん」

 三人に言われ、雅史は少し照れくさそうに俯くが、やがてゆっくりと顔を上げて、うん、と頷いた。

 まもなく浩之たちは、駅前の商店街の一角にある、浩之たちが住む街の近辺の中で一番規模の大きいペットショップの入り口を潜っていた。

「へぇ。フェレットって、結構デカイんやね」
「一応、イタチだからね。その黒っぽいのはセーブル。向こうにいる白いヤツは……うん、バタースコッチだと思う」
「凄いね雅史ちゃん。フェレットも詳しいんだ」
「流石にハムスターが居るから、一緒に飼えないけど、流行りだから色々と」
「動物を飼うことに関しては、俺は雅史を尊敬するぜ。俺は死に別れだけはもうごめんだし」

 浩之はかつて犬を飼っていたコトがあった。可愛がっていた飼い犬が病気で死んだ時、浩之波にはこんな辛い思いをするなら二度と飼うモノか、と決めていた。その辺りから、結構生命力の弱いハムスターなどの小動物を愛情を込めて飼っている雅史には、本心から敬服していたのだ。

「…………確かに、死に別れは辛いけどね。愛情を込めていると尚更。――でも、それを乗り切らなきゃ、絶対。こんな小さな儚い命を守ってあげるって自信は、ペットを飼うだけじゃなく、他のコトにも良い自信になると思うよ」

 ペットショップ店内のかごに入っていたハムスターの頭を、雅史は人差し指の腹でやさしく撫でながら嬉しそうに言ってみせた。いつもの、雅史の笑顔がそこにあった。

「ふっ。いいやがったな。――ん?あかり、委員長、どうしたんだ?」
「みてみて、浩之ちゃん!これこれっ、パンダうさぎ!」

 いつの間にか奥の棚に移動していた智子とあかりが釘付けになっていたモノは、ケースに入っていた、白と黒のツートーンで色分けされた、まさにパンダカラーのうさぎだった。

「ねえねえねえ!これ、パンダウサギゆうんやろ?」
「いいや。パンダウサギってのは商品名だ」

 答えたのは意外にも浩之だった。

「正式名は、ダッチ、って言われている。でも、パンダカラーのヤツは、ダッチの純血種ではなく、ダッチ系の雑種だ。色々掛け合わせて、こんなカラーリングの毛並みの種類が出来たんだ」
「へぇ、藤田クン、意外と博識なンやね」
「雑学の帝王、と呼んでくれたまえ――ん?どうした、雅史?」

 浩之はそこでようやく、雅史が黙り込んでいたコトに気付いた。
 雅史は黙り込んで、浩之たちが居る通路の反対側にあるレジのほうをまじまじと見つめていたのだった。

「……なんだよ、雅史。何、真剣な目をして…………ん?」

 浩之はやっと、雅史が見つめている存在に気付いた。
 レジのそばにあるケースの前で、ピーターラビットのモデルになった、耳が短いネザーランドドワーフ種の白い毛並みのうさぎを優しく抱きかかえている、腰まである長い髪の下に、物憂げな面もちを浮かべている少女の存在に。

「…………あの娘だ……あの時の、あの娘だ」
「……何?」
「――あ!あの人……あの人や!」

 雅史の浮かされたような声に首を傾げていた浩之の背後から、不意に、智子が耳打ちしてきた。

「――あの人が、例の不登校児…………南雲ゆえ、や」

 少年は、少女とようやく再会した。

            つづく

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