ToHeart if.「雅史の事情」第2話 投稿者: ARM(1475)
2. 月は出ているか?

 雅史が今、自分のこころを支配している美少女を見かけたのは、今からちょうど二週間前――二学期が始まって二日目の夜であった。
 その晩、雅史は、二学期最初の部活動で、後輩の一年生部員たちの特訓が行われ、その後かたづけを一年生部員たちに指示していた。
 この特訓が、三年生であるサッカー部の部長、橋本の思いつきによるモノであったために、雅史は一年生部員が少し気の毒になり、特訓に付き合うことになったのだが、それがいけなかった。雅史も参加すると言い出した途端、突然橋本は張り切りだして一年生たちをしごき始めたのである。これは校内でも評判の優等生である雅史がリーダーシップを見せたために、橋本が慌てた――というのは表面的なものである。無論、サッカー部の誰もがそうは思わなかった。部員たちは、橋本が雅史を変な目で見ているコトにはとうに気付いていた。気付いていないのは雅史ばかりである。
 女のコのような可愛い顔をした雅史に橋本が気がある、という噂は志保が志保ちゃんニュースで流すまでもなく全校生徒に知れ渡っている話で、浩之たちは本気にはしていなかったが、それでも橋本と雅史をふたりっきりにさせると何となく危険かも、とは思っていた。
 つまり、今回の件は、雅史に良いところを見せようと橋本が張り切ってしまった為に、罪なき一年生部員がとばっちりを喰らったというわけである。雅史は、橋本がそのケがあるかどうかは微塵も考えておらず、ただ、橋本のやる気にケチを付けてしまったからかもしれないと思って最後まで付き合ったのだ。
 ようやく最後のサッカーボールがキャスター付きの金カゴに収められ、グランド脇にある物置へしまうように、と一年生部員に最後の指示をすると、やっと片づいたな、と呟いて大きく背伸びした。
 その時、雅史は、グランドの土手の上に満月を目撃した。
 煌々とする青白さが、闇を綺麗に穿っていた。
 その青白き天穴を背にして、じっと雅史を――いや、雅史の背後に見える街の灯りを見つめている、雅史が通う高校の女子生徒の制服を着た、腰まである長い髪の美少女を、雅史は目撃したのだ。

「――おい、なにをぼうっと見てンだ、佐藤?スキ見せていると橋本先輩が襲って来るぞ」

 そういって雅史に声をかけ、にやり、と笑ったのは、雅史と同じクラスで同じサッカー部員の少年、二木であった。

「?――なに、バカなコトいってんだよ。ほら、あすこにうちの学校の女子生徒が――――って、あれ?」

 呆れ気味に言って雅史が指した土手の上から、いつのまにかあの黒髪の美少女の姿は消えていた。

「あれ?あれ?」
「どこにいるんだよ、カワイコチャンが?」

 当惑する雅史に、二木は流行りのロン毛を翻して、意地悪そうに雅史の指が指すベクトルの果てまで見渡したが、その姿はどこにも見えない。

「……佐藤ぉ、どこに居るんだよぉ、彼女ぉ」
「……て……あれ…………どうして?」

 終いには雅史、照れ隠しに笑い出す。そんな雅史に、二木、肩をすくめて、雅史の肩をポンポン、と叩いた。

「…………佐藤。溜まっているのか?」
「バ、バカゆうなっ!」

 雅史は下ネタになると向きになる傾向があるコトを、二木は知っていた。知っていて、二木は雅史を下ネタでからかい、その反応を楽しむ。
 女のコにモテたいがためにサッカーをやっている、と二木は公言してはばからない。
 そんな軟派な二木と、雅史は何故か気が合っていた。
 二木はデカイ口を叩くがそれに見合った実力を持っていたし、しかしそのコトで高飛車になることもない。不真面目さなところは浩之と良い勝負である。ある意味、浩之によく似た少年なのだが、唯一違う点は、何事にもやる気にあふれているマメな性分である。もしかすると子供の頃、一緒にサッカーをやっていた浩之の延長上の姿を二木に求めている所為なのかも知れない。いづれにせよ、二木は悪い人間ではないし、サッカーの試合中は、同じFWをつとめ、息の合ったコンビとしてサッカー部の主力になっている現状に不満はなかった。
 それでも、二木の下ネタ攻撃には雅史はいい加減、まいっていた。

「んー、でもなぁ、こんな遅く、こんなところで女子生徒を見るなんて――って、お前、ノーマルだったの?」
「?どういう意味?」
「いや、な。てっきりあの藤田といつもいっしょだから、デキているモンだと」
「……藤田、って、どこの誰だよ、どこの?」

 この手の揶揄には、実際、雅史は聞き飽きていた。藤田とは浩之のコトを指しているのは承知している。無論、そんな気はない。気心の知れた幼なじみとして一緒にいるだけなので、以前はそんなふうに思われるのが大変シャクだったが、最近はそんな冗談に向きになればなるほど、損であるコトを理解して、困憊しきった溜息を吐くにとどめていた。
 苦虫を噛み潰す雅史を見て、二木は、冗談だよ、と目で合図し、そして、くくくっ、と笑い出した。

「……それにしても驚いたぜ」
「?何が?」

 まだ機嫌の直らない雅史に睨まれ、二木は肩を竦めてみせる。そして嫌らしそうに笑っていたその顔が不意に真顔になると、雅史は少し当惑した。

「…………いや、な。佐藤が、例え幻でもな、うちの学校の女のコに興味を示したンで、つい、からかってみたんだ」
「そんなつまらない理由でからかわないくれよ」
「済まん済まん。…………いや、お前がちゃんと男の子だったので安心した」
「怒るぞ」

 そう言って二木の胸を小突いた雅史の顔は、照れくさそうに笑っていた。

「……で、どんな娘だった?」
「腰まである長い黒髪の、綺麗な……物憂げな面もちの女のコだった」
「……ってーと、校内じゃ…………来栖川先輩か?」
「違うよ。来栖川先輩は浩之と友達だから良く知っている。見間違うことはない。――見たことのない女のコだった」
「見たことのない?嘘ぉ?」
「嘘と言われてもねぇ……。困ったなぁ」

 二人して小首を傾げていると、倉庫から一年生部員たちが戻って来た。

「……おっと。わかった、もう上がって良いぞ」
「うーん。佐藤、こんな時間だし、明日にしようや」
「別に良いよ、そんなコトで……」
「そんなコトとは何だ?」

 二木は険しい顔をすると、雅史の鼻先を指差し、

「佐藤!お前、校内の女子生徒たちから人気があるコトを知らないとはゆわせねぇぞ!人気があるクセに、女のコにはつれない態度しているモンだから、妙な噂が立つんだ!ちゃんと女の子が好きだってコトをアピールしないと、末は歌舞伎町二丁目の常連になってしまうのだぞ、佐藤雅史っ!いい加減ここいらで身を固めて見る気はないのか?」
「身を固める、ってあの(汗)」
「お前さえ、お前さえ誰かとくっつけば、他の女子生徒たちの注目は必然的にオレ様に注がれ、あとはオレ様待望のハーレムが…………くぅぅっ!いつになったら実現できるのだっ!!」
「それが狙いか」
「悪いか」
「バカバカしい」

 雅史は呆れつつ、二木のこのノリには感服しているところがあった。二木はつくづく「男」なのだ。これくらいの年頃なら、これが当たり前なのだろう。
 雅史は、淡泊な浩之のそばに居た所為もあって、異性とのつき合いにはあまり興味を示さないことが異常とは思っていないが、それでも気にはしていた。もっともそれは単に、自分の理想に合った女性と巡り会っていないからだと納得していたところがあったが――理想?
 そう考えたとき、雅史は再び土手のほうを見た。
 誰もいない。
 その先には、月が出ているばかりだった
 やはりあれは、無意識に理想を求めた幻なのか。
 雅史は、いつの間にか高鳴る胸の鼓動に戸惑っていた。

 それが幻でなかったコトを知ったのは、その夜から丁度二週間後、浩之が数学の時間居眠りをした罰の居残りに付き合ったその帰り道、皆で道草して寄ったペットショップの店内に、あの美少女の姿を見つけた時だった。

            つづく

http://www.kt.rim.or.jp/~arm/