ToHeart if.「雅史の事情」第1話 投稿者: ARM(1475)
 ん?何、ゆえさん?――雅史がこんなふうに怒ったコト、あったか、って?
 …………今回みたいなのは、一回だけさ。いつも能天気なトコあるけどな、あいつを本気で怒らせると、怖いんだぜ。…………でも、あいつの場合、怒る理由は、自分が何かされたコトにじゃなく、――

1 ゆえ、という名

 藤田浩之には、幼なじみがふたりいる。
 ひとりは、人当たりの良い家庭的な美少女で、異性として意識しない長すぎたつき合いがもたらした紆余曲折の末に、ようやく気持ちが通じ合い、はれて浩之と念願の恋人同士になれて喜ぶ、神岸あかり。
 そしてもうひとりは、校内の女生徒たちから屈指に入る人気の的の美少年で、頭脳明晰、運動神経抜群といった、絵に描いたような優等生、佐藤雅史。
 このふたりが、どうして浩之みたいな不良っぽい、目つきの悪い唐変木といつも一緒にいるのか、不思議だと思う生徒は、決して少なくなかった。
 もっともそれは、藤田浩之という少年の表面しか見る機会がなかった生徒の声ばかりであって、少なからず浩之に関わったコトのある生徒たちからは、そんな声は上がることはなかった。
 とはいえ、それはまだ少数派の意見になってしまうのだが、浩之への悪態に対し、弁護する声の存在は、藤田浩之という少年が見た目通りの人間では無いという事実を証明する理由のひとつになっていた。
 しかし一番それを証明する理由はやはり、あかりと雅史が屈託なく浩之と付き合っている点であろう。ふたりが浩之のそばに居て安心しきっている様を見て、他の生徒たちは、浩之が見た目のような怖い人間ではないとようやく理解するのであった。
 浩之の居るクラスのクラス委員長である保科智子は、浩之を擁護する少数派のひとりである。
 かつて、自分が招いた種とは言え、人間関係で追い詰められたとき、浩之に精神的面で支えられ、まだ人間関係に若干のしこりは残しているとはいえ、以前のような突っ慳貪さはなくなり、浩之たちと学園生活を有意義に過ごしていた。

「――時間は有意義に過ごさなぁあかん。ほら、とっととその問題、解く解く」
「……ったくよぉ。もうちっとやさしく教えてもらえないんですか、智子ちゃあん」
「な、名前で呼ぶなっ!自分、なんで取り残されているんか、わかっとんか?」

 赤面する智子は、数学の問題が書かれたプリント用紙を嫌々見ている浩之の机の上を思いっきり叩いた。その音で、浩之の隣に座っていたあかりが、おもわず、びくっ、と身を震わせた。

「ふわーい。数学の授業中、つい居眠りこいてそれが先生にみつかり、罰として問題集のプリントやらされているからでーす」

 右手を挙げてふざけた口調でいう浩之に、智子は、はぁ、と肩を落として溜息を吐いた。

「……それに付き合わされとる私の身にもなってぇなぁ」
「俺の隣の席に居て、しかもクラス委員長を勤めているコトが災いしたな」
「――どの口がゆぅかぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 浩之の態度にキレた智子は、浩之の両ほっぺたをつまんで強く引っ張る。浩之が痛ぇ痛ぇと口だけで抵抗する姿を見て、あかりは恋人のピンチに助けもせず苦笑した。

「……もう、浩之ちゃん、真面目にやらないと智子もあたしたちも帰れないんだよ。頑張って解いて」
「――あ゛ー゛、も゛う゛、わ゛がっ゛だ、わ゛がっ゛だがら゛、でー゛ばな゛ぜや゛い゛い゛ん゛ぢょ゛ー゛(笑)」

 もうっ!と忌々しそうに言って、智子は浩之のほっぺたから手を離す。摘まれて真っ赤になったほっぺたをさすりさすり、浩之はプリントの問題集に再び向き直った。
 それから37秒後、問題を睨み付けたまま黙り込んでいた浩之は、おもむろにプリントの回答欄にシャーペンで書き入れ始めた。さらに丁度3分後、すべての回答欄を記入し終えたプリントを智子に突きつけた。
 一分も経たず智子のチェックが入り終えたプリントの回答は、全問正解であった。

「……ったく。最後の問題なんか、センセが意地悪で出した、まだ習っとらへん範囲の方程式なのに一発で解くかぁ自分?……本気でやれば学年トップも夢やないオツムもっとって、いつもめんどぐさがって本気でやらへンやもん。あんたとはやっとられへんわ、ホンマ」
「まぁまぁ智子、一応は課題をクリア出来たんだから、もうそこまでに……」

 苦笑しながらなだめようとするあかりに、智子は今度は噛みついた。

「ンなコトゆわれてもなぁ、世の中にはどないしても許せへンコトもあるんや!こないだの期末テストみたいに……」
「期末テスト?もう二学期が始まったのに、どうしてまたそんな昔のコトを?」

 浩之が不思議そうに訊くと、智子は、しまったぁ、と困却した顔をして黙り込み、ややあって、渋々口を開いた。

「……いや、なぁ。三人とも、そんなコトにこだわる女だって思わんといてぇな。…………試験の順位で、私、中間試験もそうやったんけど、2位やったンや」
「おおっ、それは凄い」
「……藤田君、なンや、そうワザとらしゅう驚かれるとなぁ、逆にシャクに障るんやけど」
「気にしない気にしない。――それで」
「もう。――でな、ちなみに、一位、誰やったか、覚えとる?」

 訊かれて、浩之は首を横に振った。追うように横に振るあかりも同じらしい。

「……南雲ゆえ、さん。2−Aの人らしい」
「ふぅん。志保のクラスの人か。しまったなぁ、志保のヤツ、帰らせずに待たせておけば良かったかなぁ」
「別に長岡さんに訊く必要はあらへん。夏休み明けに木林先生から、南雲さんのコト、聞いとるわ。――長岡さん以上の問題児らしい」
「「問題児??」」

 智子はゆっくりと頷いて、

「……本当なら今年、3年生になっとるヒトや。確か、来栖川先輩と同じクラスのヒトだったらしい」
「……って、まさか、ダブり?」
「そや。かなり成績優秀なヒトらしゅうてな、去年も試験では常に首席だったンやけど、不登校で出席日数が足らンかった為に、結局、落第したンやと。…………今年もほとんど学校に来とらへンそうや。まぁ今更、試験の出来なんて関係なくなったけどな、常連の佐藤君や雛山さんになら負けたならあきらめつくけど、それでもそんないい加減なヒトに負けたコトがどうもシャクに障って障って……!――佐藤君だってそう思うやろ?」

 智子は悔しそうな顔で、あかりの隣に座って、今まで黙っていた雅史に振った。
 しかし、振られた雅史は、何の反応もしなかった。

「…………何や、まだ腑抜けとるンかぁ、佐藤君」

 呆れ気味にいう智子の目には、ぽけぇ、と夕陽が射し込む窓のほうを見ている雅史の姿が映えていた。雅史とのつき合いは浅いとはいえ、どこか天然が入っているとは思っていたが、こんなに呆然とするような人間とは思っていなかったらしい。

「……まだ、例の娘、見つからへんのかぁ?」
「ああ。まぁ、幻でも見たんだろう」
「……幻じゃ……ないよ……」
なにがてな
 ようやく雅史が応えた。浩之はやれやれ、と肩をすくめて見せた。
 うっとりとしている雅史の目には、黄昏色などどうでも良い光景だった。
 雅史の脳裏に浮かんでいるものは、土手の上で、煌々とする満月を背に立つ、長い黒髪を冠するその下に物憂げな面もちを浮かべている少女の姿だった。

             つづく

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