羅刹鬼譚・第11話 投稿者: ARM(1475)
第14章 羅刹哀歌

 柳川が柏木邸を訪れる気になったのは、柳川自身も自室で酒におぼれている最中、どこか近くで、同じ傷ついた心を持つ者の存在を感じ取った為でもあった。
 それが、千鶴を守りきれなかった耕一の心であることを、「鬼」の血がもたらした交感作用によって即座に認識すると、柳川は酔い潰れていた耕一を罵倒して、容赦なく殴った。
 その痛みは、交感作用によって柳川の頬にも伝わり、二人して同時に口の中を切っていた。

「……好い加減にしろよな」

 柳川は、目の前にいるもう一人の自分に、そう言ってみせた。どうしても言いたかったのに言えなかったその言葉が、耕一を前にしてようやく口に出来たのである。
 一方の耕一は、突然覚えの新しい名も知らぬ(正確には忘れていたのだが)男に殴られ、当惑した。
 にもかかわらず、耕一は柳川に対して憤りひとつ覚えなかった。何故なら、真っ直ぐ自分を睨んでいる柳川を見つめているうち、交感作用によって柳川の心の中にあった、言い知れぬ哀しさを直ぐに理解したからであった。
 柳川の怒りは、耕一の怒りでもあった。耕一の哀しみは、柳川の哀しみでもあった。
 こうまで同時期に同じ境遇に置かれた人間がいるのだろうか。あるいは、柏木の血の宿命が生み出した、不幸な偶然なのであろうか。
 鏡のようなこの二人の出逢いは、彼らを立ち直らせるための、運命を司る存在が与えた奇跡なのかも知れない。その日のうちに二人とも、一重が提示した、内調の特命捜査官の任官を承諾し、今に至っていた。


「一重は?」
「?」
「何で内閣調査室の特命捜査官なんかやっているんだ?」
「……性に合ってんだよ。この仕事」
「……ふーん」

 しかし耕一は、一重の言葉を鵜呑みに信じなかった。
 耕一は、一重という男も、柳川や自分と同じで、他人と馴れ合った生き方は出来ない、孤独な人間だと言うコトを知っていた。
 耕一と柳川が今の仕事を続けているのは、ひとえに<不死なる一族>の武闘派、という存在に「復讐」したい為であった。
 では、この男も、<不死なる一族>に対して何か復讐したいものがあるのだろうか。
 決してそうではないコトを、耕一は知っていた。
 一重には、まだ、命を懸けてまで守りたい人が居た。

「――ん?」

 考え事をしていた耕一は不意に、別荘の物陰に動く存在に気づいた。一重も既にその存在に気づいて立ち止まり、身を屈めていた。別荘まで、岩影を進んであと50メートルほどと言うところであろうか、ちょうど別荘からでは、岩影にいる二人の姿を見るコトは出来ない位置にあった。

「……はん。予想通り、ってか」

 咄嗟に身を伏せた二人は、目を凝らして別荘の周囲に現れた数名の人影を認めた。

「伊勢の野郎、取引の場に使っていたか、提供していたのだろうとは思っていたが……けっ、どこかで見たツラと思ったら、広域指定暴力団『葉峰会』の幹部クラスが混じっているぜ。柳川のダンナが来ていなくて幸いだったぜ。我忘れて突進しちまうところだ」
「一重、どうする?」
「まぁ、しばらく様子見だな。武闘派の連中、『葉峰会』の巨大な裏の情報収集力を使って『不死王』の行方捜しを行う腹か――えっ?」

 一重が唖然となったのは、別荘のそばにいた暴力団の人間たちが、次々と押しつぶされていったからである。

「……一重」
「ああ」

 二人とも、何が起こっているのか即座に理解した。
 微かに聞こえる、刹那の断末魔を二人は聞き逃していなかった。耕一と一重の目の前で、何者かが暴力団の人間たちを始末しているのだ。

「まずいな。鬼の力で探れないか?」

 言われて、耕一は意識を集中し、聴覚を一気に増幅させた。鬼の力によって増幅された聴覚は、

「……居ない」
「嘘ぉ?」
「いや、間違いない。ほとんど立ち止まっている暴力団の連中とは別に、土を足早に蹴る音が一つだけだ……ん?……なんか……いや……これは」
「やはり、相手は<不死なる一族>の者か?」
「いや、そこまではわからん。――――気になったのは、何か上空で、風を切る音が聞こえたコトだ」
「風?風なんか吹いちゃいないぞ」
「俺にもわからん。…………ちぃ。全員、殺られてしまったみたいだ。どうする?」
「どうするもこうするもねぇ。――腹、括るしかないさ」

 一重は肩を竦めてみせると、一気に岩影から飛び出し、別荘目がけて走り出した。耕一も続いてその後を追いかける。
 襲撃者は、駆け寄ってきた耕一たちに対して何も攻撃しようとはしなかった。別荘に到着した二人は、辺り一面に細切れになって散らばっている人間だったモノの群を見つけると、はあ、と困憊した溜息をもらした。

「……居ない。逃がしたか」

 一重は足許に転がっていた右足首を掴み上げて、それをまじまじを見つめながら憮然とした。
 血と肉塊の海の中で持て余していた耕一は、周囲を警戒しながら敵の存在を追うが、「鬼」の超常的感知力をフルにしても見つけ出せなかった。

「ざっと10人か。いくら<不死なる一族>でも、こんな短時間に、全員ぶち殺せるマネなんて出来ねえよ」
「もし……」
「ん?もし?」
「それを可能とするならば、どんな方法があると思う?」

 耕一の疑問に、一重は少し唸って首を傾げた。

「目の前で、俺たちの目にも留まらない方法で、大勢の人間を押しつぶされた殺戮現場……そして、風を切る音…………風を切る音…………」


 耕一。上の扇風機だ。

 不意に、ストリップ小屋で一重が耕一に指図した言葉が甦った。
 ――いや。


「耕一。上の竹とんぼだ!竹とんぼから発せられる風が、ジンの正体だっ!!」

 意識を失いかけていた耕一は、一重の声に、はっ、と我に返り、上を向いた。
 そして、耕一の頭上でくるくるとまわっている竹とんぼの存在に気付いたのである。

「URYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYeeeeeeee!!!」

 耕一は力一杯咆吼すると、四方から延びるジンの剛腕をはじき返し、勢い良くジャンプすると、頭上で回っていた竹とんぼを拳で粉砕した。同時に、耕一を追って飛び上がり、掴みかかろうとしていた四体のジンは、あっけなく消え去った。まさか、耕一の人間時の拳程の大きさしかなかった竹とんぼが、無数のジンを作り出し、操っていたとは。ストリップ小屋の時は、天井にあった扇風機がその役目を果たしていたのであった。
 ジャンプした耕一は、その勢いを利用して一気にまちるの正面に着地した。

「――逃ガサネェ――逃ガサネェ――――!」

 必殺の術を破られて狼狽するまちるは、自分を睨み付けながらそう、呪詛のように繰り返し呟く、鬼化した耕一の怒りに満ちあふれているその目に、正気の色がなかったコトに気付いて蒼白した。

「――逃ガサネェ――チヅルヲメザメサセル手ガカリハ、逃ガサネェ――――」


 ねえ、おかーちゃん。……いつ、おきてくれるの?

 それはある日、遅れて千鶴の病室へ見舞いに行った耕一が、先に入室していた千歳が、美しく静かに眠り続ける母に向かって訊いた言葉。
 なんとも寂しげな言葉だった。
 無理も無かろう。生まれて以来、今だ母からその生を祝福されていないのだから。千歳に、今の千鶴が彼女にとってタダの物静かな物体にしか取られなくてもおかしいくらいなのに、それでも千歳は、何も応えない千鶴を母親としてみていてくれる。耕一は、紛れもなく娘にも、あの優しい母親のこころが継がれているコトを嬉しく思った。
 その一方で、耕一は釈然としないものを感じ取っていた。
 こんなふうに千鶴のそばで寂しげに訊く千歳を、耕一は見たコトがなかった。
 耕一はそこでようやく、千歳が自分を気遣って居るコトに気づいたのだ。


「今、オ前ヲ逃シタラ、『不死王』ヲ見ツケダス手ガカリガ――!」

 鬼の耕一に圧倒されつつも、我に返ったまちるは、掴みかかってきた耕一の手を逃れ、その背中から巨大な黒い翼を吐き出し、一気に空を飛び抜けようとした。

「――くそ――――うわっ?!」

 耕一の目の前で飛び抜けようとしたまちるのその翼を、いつの間にか――昨夜と同様、全く無傷の一重が掴んでいた。

「き、きさま――――」
「〈高天原流古武術<金屋子式・壱の鎚>〉」

 一重がそう言った途端、まちるの翼が霧散した。粉々というよりも細かく、まるで風化したかのようであった。まちるはあえなく砂浜に落ちてしまった。
 まちるは慌てて立ち上がろうとするが、その鼻先へ、ブランカの右手から延びる半月刀のような巨大な爪の刀が突きつけられた。まちるは観念するしかなかった。
 そのブランカの背後へ、正気を無くしている鬼化した耕一が着地した。ずんっ、と砂浜を振動させた耕一は、ブランカのことなど忘れて、まちるに掴みかかろうとした。
 その間に立ったのは、一重だった。

「……やめろって、耕一。こいつは伊勢と同じ使い魔レベルの雑魚だ。少なくとも、『不死王』の行方などしらんよ」
「……この女は『死鬼』。ニューデリーの事件でも現れたコトがあるワ。所詮は、我ら<不死なる一族>の使い魔」

 そう言うと、ブランカは右手を突き出した。ざくっ、と不快な音が鳴り、どっ、とまちるは俯せになって倒れた。

「――ブランカ!?」

 まちるを躊躇無く殺したブランカを見て、耕一はようやく我に返り、鬼化を解いた。

「直ぐに殺すこたぁはないだろうが!」

 耕一はいきり立ってブランカを睨み付けた。
 ブランカは何も応えず、躊躇いがちに視線を下に移す。そしておもむろに耕一のほうへ戻して重々しく口を開いた。

「……焦るお気持ちは判りまス。しかシ、『死鬼』は、与えられた命令しか記憶しませン。捕らえても『不死王』の行方を聞き出すコトは出来ませン」

 耕一は舌打ちし、砂浜に血を吸わせているまちるに一瞥をくれた。

「……しかしこの『死鬼』は、有益な手懸かりでもありまス。――敵に、ジージェイがついているという事実の」
「……ジー……ジェイ?」
「300年前、〈不死なる一族〉の眷属に加わった、人類最強の妖魔ハンター――」
「ちっと、待った」

 ブランカの説明を遮ったのは、顔を指し貫かれて絶命したハズのまちるだった。まちるの身体が爆ぜ割れ、その中から飛び出した無数の触手が、向き合っていた耕一とブランカに襲いかかってきたのである。
 しかし、最初にブランカの説明を遮った声の主は、まちるのものではなかった。ブランカも耕一も、この声の主を、そしてその実力を知っていたから、自分たちに襲いかかってきたまちるに対して何も行動をとらなかった。

「――高天原流古武術<金屋子(カナヤゴ)式・弐の鎚>」

 まちるの背後にいつの間にか回っていた一重の一対の腕が、その血塗れの首を掴んだ。すると触手がうねるまちるの身体が綺麗な半月を描き、頭頂が地を向くと一気に地面に叩き付けられた。ずん、とまるで震源地を足下にしたような衝撃が耕一たちの身体を頭頂まで駆け抜けると、まちるの身体は塵のように霧散した。遙か太古、出雲の国において、度々人々を苦しめていた対悪神用に、と八百万の神々から人間に授けられた超古代格闘術によって、まちるの身体の分子結合が維持できなくなる程の超振動がもたらした技などと、誰が想像できようか。
 まちるを一瞬にして倒したのは、先ほど岩に押し潰されたハズの、『死なずの一重』であった。まったく無傷の一重は、あの無惨な死に様が月下の幻であったかのように、のほほんとした笑顔を二人に向けていた。

「……我ら不死者とは異なるその、死した瞬間、”刻戻り”の体質によって、生ある過去へ逆行するコトで生き返るその<力>は健在でスネ」
「<不死なる一族>の女王様にお誉めいただき、光栄です」

 一重が慇懃に一礼すると、ブランカは、ぷっ、と吹き出した。

「失敬な。笑うこたぁねぇだろ?まったく、いくら黄泉還るって言ったって、『死ぬ』コトには変わりないんだぜ!二人とも、岩に押し潰される人間の心境なんて、わかるか?いい加減、何度も無惨な死に方しても発狂しない俺の図太い神経がイヤになってくるぜ、くそっ!」

 珍しく悪態を吐く一重を見て、ブランカはもういちど、ぷっ、と吹き出した。一重はあきらめ顔で後頭部を掻きむしるが、怒っているふうには見えなかった。

「……今回の一件は、ジージェイ――いえ、彼ばかりでなく、我々に対する敵の本格的な挑戦状と見たほうがいいでしよウ。一刻も早く『不死王』の手懸かりを探し出さないと、この世界は――」
「……ああ、一刻も早く、見つけださないとな!」

 その苛立ち混じりの耕一の呟きに、一重とブランカは複雑そうな貌をした。

「……耕一。ちっと落ち着けや」
「俺は常に冷静だ」

 にべもなく言う耕一に、一重は肩を竦めた。

「……コーイチ。奥様を見舞っている不幸には同情します。……『不死王』の血ならば、『鬼』の――いえ、『柏木の血』で辛うじて極限の生を繋いでいる奥様を回復させるコトは可能でしよう。でも……」
「――千鶴が<不死なる一族>と同じになる恐れがある、と言いたいのだろう?」
「……それが<不死なる一族>の運命だからな」

 一重はどこか寂しげに答えた。同時にブランカが少し唇を咬む仕草を取ったことに、耕一は気づいていた。目の前にいる二人が、心を通わせながらも決して結ばれることが出来ない恋人同士であるコトを、耕一は知っていた。
 『夜叉姫』ブランカ・D・サンジェルマン。もう300年も生きているが、<不死なる一族>から見ればまだ若輩の長である。彼女たちにとって永劫とも言える一生からみれば、刹那にしか値しないこのひとときにおいて、彼女と想いを交わしたこの男は、死した瞬間、まるでゲームのリセット技のごとく、過去の自分へ転生するコトで何度でも黄泉還る、異なる<不死>の男。しかし彼にとっては、彼女の刹那は茫洋とした長い時間に値するものであった。たとえ結ばれたとしても、時の流れが彼女の手から彼を奪っていくコトは間違いなかった。
 時の流れから置き去りにされた者と、時の流れに抗い続ける者。そんな二人に耕一が巡り会えたのは奇跡と言うより、出会うべくして出会う運命だったのかも知れない。耕一は二人の関係を不憫に思うたび、そんな二人に自分と千鶴を重ねるのである。そしてそんな二人だからこそ、耕一に力を貸してくれるのだろうと心の底から感謝していた。

「……済まない」

 耕一の詫びる言葉は、自然と口についた。ブランカは無言で、微笑む面を横に振ってみせた。

「そう、思い詰めるこたぁねえだろうよ。まぁ、ブランカの親父さんは森羅万象を極めた史上最強の大賢者だ。逢えればきっと、<不死なる一族>の血に頼らずとも、千鶴さんを目覚めさせる方法を知っていると思うさ」
「……そう……だな」

 頷いた耕一は夜空を仰ぎ、そして軽く深呼吸した。
 世界は、いつの間にか夕陽は沈み切り、美しい星空に変わっていた。

 一重とブランカには、信じ合える、命を懸けてまで守るべき大切な者がいる。だから傷つくコトを怖れないで闘えるのだ。
 柳川は、口にこそしないが、大切な者を奪われ続けた己が生き方に終止符を打ちたいが為に戦っている。
 果たして俺は――

 東の空を穿つ月の白さの中に、耕一のその目には、陽のように暖かい笑顔で娘に微笑む母親の姿が見えていた。
 いつか、きっと。

「……ご両人、行きますか」

 その日がきっと来ることを信じ、耕一は闇に向かって進み始めた。
 その貌に、希望を信じる笑みを浮かべて。

             終わり、そして始まり――

                 羅刹奇譚 第1部 了

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