正調・幻相奇譚(第5話) 投稿者:ARM(1475)
【承前】
「――――」
「……浩之」
「…………いうな」

 浩之は、いつの間にかもう一人の浩之と入れ替わっていた志保に言った。

「――――お前の所為でもない」

 志保は、あかりの姿になっていた。

 浩之は、あの夜に戻っていた。

 あかりが、先日の風邪の見舞いのお礼がしたいといって、浩之の家に夕飯を造りにや
ってきた。浩之は久しぶりにあのあかりの母親直伝の旨い手料理が食べられると喜んだ
のだが、調子に乗っていた浩之は、以前、父親が買ってきた箱詰めされた缶ビールを一
本、黙って拝借していた分を食前酒といって飲んでしまった。あかりの手料理が食べら
れる嬉しさもあったのだろう、浩之はすっかり気が大きくなり、とんでもないことを口
走ってしまった。

 今度は、あかりを食べたいなぁ。

 冗談のつもりだった。
 なのにあかりは、赤面しながら、うん、と頷いた。
 もう止まらなかった。
 浩之はあかりの身体を引き寄せ、いきなり押し倒して服を脱がせ始めた。キスもなく、
ムードもへったくれもなく、強姦と言われても仕方のない暴挙だった。
 だが、あかりは抵抗しなかった。
 浩之は、あかりのブラジャーを外したところで、浩之はその手を止めた。
 ほのかに女を感じさせる、あかりの露出された白い肩は震えていた。明らかにおびえ
ていた。

「……なんで、いやだ、って言わないんだよ」

 目の据わった浩之の詰問に、あかりは、え?と当惑した。
 とたんに浩之は、あかりを引き剥がすように突き放し、帰れ、と言って背を向けた。
 あかりは、浩之の背に向かって、ごめん、と言った。

「――何で謝るんだよお前がっ!!」

 浩之はあかりに振り向きもせず怒鳴った。
 あかりは、もう一度、ごめん、と言うと、慌てて服を着て、帰っていった。
 あかりは、泣いていた。
 だが、浩之もあかりに自分の泣き顔を見せたくなかった。
 拭いがたい後悔と不思議な安堵感が、浩之の胸中で入り交じっていた。

 次の日から、浩之はあかりをしばらく遠ざけた。結局、あかりが臆することなく浩之
にいつものように接し続けた為、浩之はわだかまりに耐えきれなくなり、ごめん、とあ
かりに謝って自分なりにけじめを着けた。それ以降、二人はまたいつもの幼なじみのま
までいた。

「…………あかりは何も悪くは無ぇ。――いつも悪いのは、俺のほうだ。――俺が、あ
かりに応えてやらないから――――」
「違う」
「違わねぇっ!俺だっ!俺が一番悪いんだっ!」
「そうやって、あかりをかばう」
「――――」

 浩之は衝動的に、あかりの胸ぐらを掴んだ。

「…………お前は、悪くないんだ…………!」
「ヒロはそうやって、あかりをかばうんだね」

 浩之に胸ぐらを捕まれている志保が、寂しげな笑みを見せた。それを見た浩之は、志
保の胸ぐらを掴む手をゆるめた。

「…………言っておくけどヒロ。そんな弁明は、只のごまかしにすぎないんだよ」
「――――」
「そう、ごまかし。――あかりを大切にしたいという、ヒロのエゴが作り出した、『い
いひとな藤田浩之』という仮面をあんたはかぶって満足しようとしている」
「仮面――」
「あたしにはそれがよくわかる。だってあたしは、ヒロの幻影だから」

 困惑する浩之は、志保の顔を睨むように見据えた。

「そんなあんたの気持ちを、あかりは理解しようと努力している。――それがそもそも
の間違いだと言うことをどうして気付こうとしないの、あんたたちは――――」


 智子は、――琴音は、浩之をまた受け止めて上り詰めた快感がゆっくりと引き始めた
頃、先ほどの違和感のコトを想い返していた。

 本当に優しいだけでこの人を愛したのだろうか。

 それは決して、本懐を遂げたコトで、浩之に対して軽い倦怠感を抱いたからではない。
 琴音は、――智子は、半ば真っ白に染まっている頭を何とか奮い起こし、整理しよう
と試みた。

 どうして、浩之はこんなに自分に優しくしてくれるのだろうか。

 好きだから。

 でも、LOVEではない。多分、LIKEのほう。そうでなければ、とっくに浩之と
結ばれていたハズだ。

 では、どうして、浩之は自分に優しくしてくれるのか。

 そう言う男だから。
 優しさをもたらすこころの働きは、時として言葉では言い表せないものもある。
 多分、浩之が自分に優しくしてくれる理由は、その辺りだろう。
 生まれつきの「いいひと」なのか。

 そんな時だった。

 そう、ごまかし。――あかりを大切にしたいという、ヒロのエゴが作り出した、『い
いひとな藤田浩之』という仮面をあんたはかぶって満足しようとしている。

 突然、智子と琴音の脳裏に、浩之を罵る志保の声が響いた。

「「仮面――」」

 そう言って絶句する智子と琴音の声は、奇しくも、神社の境内で志保に指摘されて絶
句した浩之の声と、ほぼ同時に発せられたものだった。
 そして、智子と琴音の脳裏に、ほぼ同時に閃くものがあった。

 自分は、どんな藤田浩之に惹かれたのか?――と。
 惹かれたのは、優しい藤田浩之。
 では、どうして浩之は優しいのか。
 「いいひと」だから。
 ――――違う。
 どうして「いいひと」なのか。

「「――そうよ」」

 藤田浩之を「いいひと」たらしめているのは、――――
 
 浩之のそばには、いつもあの娘が居た。
 いつも心配そうに。
 いつも嬉しそうに。
 まるで彼の半身であるがごとく、その後をトコトコとついている。
 浩之のそばには、いつもあの娘が居た。

 浩之はそんな彼女に、何も言わない。
 気にもとめない。
 だけど、それを疎ましいとは、言わない。そんな素振りも見せない。
 何故だろう。
 ――答は簡単だ。
 浩之のこころはどんな時も、あの娘に向けられているからだ。

 ――――神岸あかりを大切にしてやりたいという優しい想いなのだ。

 そう理解した瞬間、今まで浩之と裸で抱き合っていた智子は、いつの間にか制服をま
とっていた。そして、あの雨が降る公園で、濡れ鼠になっている自分をいぶかしげに見
ている浩之と向かい合っていた。

 そう理解した瞬間、今まで浩之と裸で抱き合っていた琴音は、いつの間にか制服をま
とっていた。そして、あの夕陽がまぶしい校舎の屋上で、念動力の使いすぎで倒れ掛け
たところを浩之に抱き留められていた。

「……藤田クン。あんた、優しいのね。だから、うち、あんたを好きになったんや」

 濡れ鼠の智子は嬉しそうに浩之に言って見せた。

「……藤田先輩。とても優しいんですね。だから、わたし、先輩を好きになったんで
す」

 霞がかった意識の中、琴音は自分の顔をのぞき込む浩之に、とても嬉しそうに言って
見せた。

「「そして――――」」

 智子と琴音は、いつのまにか反転して暗やみに包まれた世界にぽつりと佇んでいた。
 二人の背後には、神岸あかりが居た。

(…………やめてよ)

「……いーや。ゆぅで」

(…………嫌っ!絶対、言っちゃ嫌っ!!)

「……それだけは駄目。――わたしはやっと理解できたのだから」

(――それを肯定したら、あなた達はもうお終いよっ!!それでも――)

「もう、ええ」
「これは、夢なのだから」

(――夢なんかじゃないっ!これはすべてあなた達の現実なのよ!)

「こないな痛い現実なんぞ、うち、要らへんわ」
「あたしが望む現実はただ一つ」

(駄目っ!!それを口にしちゃ――――)

「「好きな人を好きで居る、素直な心で居られる現実を、あたしたちは選ぶ。こんな、
上っ面の幻に、あたしたちは溺れたくない」」

((いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっ!!やめてっ、”あたし”
――――))

「「――あたしたちが好きな藤田浩之は、神岸あかりを大好きな藤田浩之っ!」」

 世界が崩壊した。


「――トモコ!?コトネ!?」

 図書室前の廊下に佇むレミィと葵は、突然、床の上に倒れている智子と琴音を視界に
捉え、仰天した。

「だから、さきほどからお二人はそこにいらっしゃるって……」

 マルチは釈然としない顔で言うが、事態が飲み込めず慌てふためくレミィと葵に急か
され、二人の介抱を始めた。二人を介抱するマルチたちの耳には、二人が蚊の鳴くよう
な声で、これで良かったんだ、とうわごとのようなつぶやきは聞こえていなかった。


 志保の言葉を遮ったのは、黒魔術衣装に身を包んだ芹香の突然の出現だった。

「…………え、先輩?!…………間に合った?」
「うん」

 と志保は頷いてみせた。

「芹香先輩。あたし、何に見えます?」
「――――?」

 浩之は、志保の問いかけの意味が解らなかった。
 いや、それ以前に――

「――お前、俺の幻影なのにどうして先輩にも見えるのか?――――え?先輩、違う
?俺の幻影じゃないって?!」

 芹香は、こくっ、と頷いた。
 すると、志保は、ふふっ、と怪しげな笑みを浮かべ、

「先輩の目にはあたしの姿、きっと――――」

 志保がそう言った途端、周囲の空気が変わった。
 変えたのは、芹香の頬を伝う涙。志保を睨み付ける芹香の怒りをはらんだ眼差しから
止めどなくあふれる涙と、そして、

「…………これ以上、人を好きになる想いを侮辱しないで」

 そう芹香は、はっきりと言った。
 しばし浩之が呆然としていたのは、あののんびりとした芹香がここまで怒るとは想像
もしたコトがなかったからだ。
 芹香の怒りは、不敵な笑みを浮かべていた志保を当惑させるのに充分すぎるくらいだ
った。

「…………ごめんなさい」

 そう言って志保は姿を消した。浩之は志保の消失を目の当たりにして絶句したが、泣
き崩れる芹香に気づき、慌てて芹香のそばに駆け寄った。

「芹香先輩、なんでこんなところに――え、俺を捜していた?――委員長と琴音ちゃん
が大変な目に遭っている?!」

                   つづく(汗)

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