正調・幻相奇譚:第3話(訂正版) 投稿者:ARM(1475)
【これまでのあらすじ】
 冬のある日、藤田浩之たちの前に奇怪な来訪者が現れた。
 神岸あかり。浩之の幼なじみである。
 彼女を奇怪と言わしめるのは、既に神岸あかりという存在は居たからである。
 二重存在。古くより世界各地で、ドッペルゲンガーともダブルとも呼ばれる超常現象は、既に存在する神岸あ
かりをノイローゼに追い込んでいた。浩之たちはこの事態を解決すべく、クラスメートの保科智子や下級生の姫
川琴音らの協力を得て対策をうとうとするが、もう一人のあかりはそんな浩之たちをあざ笑うかのように現れた
…………。

(第1話・第2話は「りーふ図書館」に所収されています。)

【承前】

「……いったい、アレは何なんや?!」

 あかりの二重存在に手玉に取られた智子は、図書室のテーブルに頬杖をついて苛立っていた。

「うちの人生で、ここまでコケにされたのは初めてや!むっちゃ腹立つぅ〜〜!あ〜〜〜っ!!」

 いきり立つ智子に、隣にいた琴音とマルチは頬を引きつらせて当惑する。どうやら西方の荒れた方言を耳にし
たのが初めてらしく、すっかり怯えてしまっているようである。智子と向かい合って座っている浩之のほうは、
流石に同じクラスで、ましてや一時期の突っ慳貪とした頃の智子を知っているおかげで苦笑するにとどまっていた。

「ホンマ、いったいドコのどいつや、あのドッペルゲンガーの正体はっ!?」

 智子はそう怒鳴ると、浩之のほうを見た。
 浩之は椅子に腰を下ろしたまま、憮然とした表情で黙り込んでいた。先ほどから一言も発していない。それが
智子を一層苛立たせた。

「藤田クン!あんたも何とかいいやっ!!」
「……なんとか」
「ああっ?!」

 智子がにらむと、浩之はそれをにらみ返した。

「……落ち着けよ、委員長。いつもの冷静さはどうした?」
「あのなぁ!あすこまで小馬鹿にされて、怒らへんほうがおかしいわっ!」

 いつもの冷静さは何処へやら、完全に智子はトサカにきているようである。しかしこの怒り様は、少し尋常で
はない。そのコトはクラスメートの浩之やレミィばかりか、琴音やマルチ、先ほどからずうっと沈黙の――いつ
もの通りではあるが、芹香も、そのあたりを不思議に感じていた。

「…………あのう、浩之さん」
「ん、どうした、マルチ?」
「はい。……あのドッペルゲンガー、誰かに似ているような気がしませんか?」

 「ある」「ない」のロジックで構成されているロボットのマルチが、「気がする」などと曖昧なコトを言うあ
たり、かなり奇妙な感があるが、ワラをもすがりたい気分の今の浩之たちにはそんなコトなど気にもならなかった。

「……似ている?誰に?」
「もしかして……」

 と手を挙げたのは琴音だった。

「…………長岡サン、か?」

 そう言ったのは、激怒していたハズの智子であった。

「「あ、は、はい」」

 マルチと琴音が声をそろえて頷いた。

「おい、委員長――」
「……わかっとる。ウチをこないにムカツカすコトが出来るのは、後にも先にも長岡サンぐらいなもんや」

 浩之は、あれだけ怒りまくっていたのにも関わらず、冷静に事態を分析していた智子に感心した。
 だが、その結論は、とうに浩之も気づいていた。
 いや、浩之ばかりか、レミィも琴音も、芹香も。
 あの自由奔放なあかりのドッペルゲンガーを見ていれば、誰もが気づいているコトだった。
 それを口にしなかったのは、志保が、あかりの親友である、という事実があるからだ。
 志保は、あかりや浩之たちとのつき合いは、中学校時代からの浅いものであるが、親友というモノは時の長さ
で決まるモノではない。それを物語るように、志保の抜けた穴を智子が見事に埋めているではないか。そればか
りかレミィも、芹香も琴音もマルチも、あかりの大切な親友といえよう。
 そんな親友といえる存在が、大切な友を傷つけるようなコトをするものなのか。そんな疑念が、みんなの志保
への疑いを無意識に否定していたのだ。
 だが、気づいてしまった。いづれ、誰かが口にするハズだったその事実を。
 浩之たちは沈黙した。気まずさばかりが辺りを支配した。

「…………うちは、な。はっきりゆうが、長岡サン、好きやない」

 浩之が困惑した面を智子に向けると、智子はゆっくりと面を横に振って見せた。

「…………でもな。それでもウチ、あのヒト、あかりに酷いコトするようなヒトやない、って信じている」

 智子の微笑に、浩之は少し救われたような気がした。おそらく、ほっと胸をなで下ろしたレミィや琴音たちも
そうであろう。
 確かに、転校していった志保と智子が、ウマが合っていたとは言い難い。それでいて目立った諍いがなかった
のは、二人の緩衝剤として常にあかりが間に居たコトもあったが、決して嫌い合っていたワケではなかった。
 例えるなら、火と水のようなものか。志保と智子を、火と水に例えたのはあかりだった。それはどちらが優れ
ていると指したものではなく、とても比較できないからだという。火は水で消されるが、水もまた火によって蒸
発する。水と油、と例えなかったのは、決して混ざり合うことのない後者に対し、前者の、どちらが優秀だと決
めつけられないそんな相殺し合える関係だから、いがみ合うことはなかったんじゃないかな、とあかりは浩之に
その理由を述べていた。

「……あの二人はね、自分に無いモノを相手に見出しちやったから、ウマが合わないだけ。それを望んでしまっ
たら、きっと永遠に分かり合えないんじゃないかな」
「?……足りないモノを得られるのに、か?」
「得られないから、いつまでもそれを求めようとして、一緒にいられるんだと思うの」
「……なんだか、男と女の関係みたいなモンだな。――俺とあかりも、そんなものか?」

 浩之がそう訊くと、あかりははにかんで俯いてしまった。


「……だが…………志保が犯人ではないとは、言い切れない」
「藤田クン!」

 たまらず智子は立ち上がって浩之を睨んだ。

「あんた――――」

 すると浩之も立ち上がり、深い溜息を吐いた。

「…………しばらく……考えさせてくれ」

 そういって浩之は芹香に一礼した。
 だが芹香は、何故か瞳だけを窓の外へ向けていて、一礼する浩之に気づくまで少し間があった。
 浩之が声をかけると芹香は、はっ、と驚き、浩之に向かってこくこく頷いた。浩之は芹香の様子がおかしいコ
トが気になったが、追求する気にはなれなかったので、そのままひとり図書室を出ていった。

「勝手な――」
「ヒロユキも、辛いのヨ。――シホを信じたいから」

 サンフランシスコの日差しのようないつもの陽気さなど微塵もない、レミィの物憂げな声に、智子は黙るしか
なかった。


 浩之たちの通う高校の校舎は、コの字型になっている。智子達がいる図書室の向かい側にも校舎があり、その
屋上から、智子達の様子をうかがい見ることは可能である。
 さきほどから、屋上から図書室を見つめていたのは、あかりだった。無論、あかりは帰宅している為、このあ
かりはドッペルゲンガーのほうに間違いあるまい。
 もうひとりのあかりは、笑っていた。嘲笑しているといっても差し支えのない、そんな昏い笑顔であった。

 そんなあかりが、図書室から目だけで自分を見つめている芹香に気づいていたかどうか。先ほどの不審な行動
は、すでに屋上のあかりの存在に気づいていた芹香が、屋上のあかりに気取られぬようにその様子をうかがって
いたのだ。


 浩之が図書室を出ていってからしばらくして、智子達も退室した。芹香はもう少し調べたいコトがあるらしく、
図書室に残った。マルチは、一階の職員室で待っている長瀬に、芹香の手伝いをするので帰宅が遅れることを告
げに、トコトコと小走りに智子たちを追い越していった。
 廊下を、肩を並べてトボトボと歩く智子と琴音は、互いに一言も口にしなかった。その後をついていくように
レミィも歩いていたが、とても声をかけられる雰囲気ではなかった。
 やり場のない気持ちをはぐらかそうと、レミィはふと、歩みを止めて大きく深呼吸した。
 その途端、その場に硬直したレミィの全身が泡立った。
 得体の知れぬ悪寒。――その原因が、窓の外からであるコトに即座に気づいたレミィは、力を振り絞って窓の
外のほうへ向いた。

「――――What’s?」

 レミィが素っ頓狂な声を上げて驚いたのは、視線の先にある屋上に、あかりの姿を見つけたからである。

「あかり?――No!トモコ、コトネ――――What’s??」

 あのあかりがドッペルゲンガーであることを即座に看破したレミィは、驚いて二人に声をかけた。
 だが、いつの間にか二人の姿が忽然と消え去っていたのである。


 智子は、雨が降りしきる公園の中に佇んでいた。
 学校の廊下を歩いていたハズだった智子は、突然の事態に困惑するが、暗い空より当たる雨の冷たさはどうし
ても錯覚とは思えなかった。

「…………なんで、こんなとこ――――」

 突然、智子の脳裏に、この場にいる理由が思い浮かんだ。
 そう、あの日と全く同じなのである。

 行き場を失った、あの日。

「……こんな……こと……って…………あれ」

 次第に、智子は自分の意識が薄らいでいくのが判った。やがて自我が淘汰され、――自分がここにいるのは、
彼に会いたいと思ったからだと納得した。
 あとは、振り返れば良いだけ。
 智子は、振り返った。
 浩之は間違いなく――どうして「間違いない」なのか、もう判らなかった――そこで傘を差して自分を呆然と
見つめていた。


 琴音は、黄昏色に染まった世界の中にいた。
 学校の廊下を歩いていたハズだった琴音は、突然の事態に困惑するが、屋上の上で、西の空から差し込まれる
夕陽のまぶしさはどうしても錯覚とは思えなかった。

「…………なんで、こんなとこ――――」

 突然、琴音の脳裏に、この場にいる理由が思い浮かんだ。
 そう、あの日と全く同じなのである。

 自らの真実を知った、あの日。

「……こんな……こと……って…………あれ」

 次第に、琴音は自分の意識が薄らいでいくのが判った。やがて自我が淘汰され、――自分がここにいるのは、
彼の言葉を信じてに会いたいと思ったからだと納得した。
 あとは、振り返れば良いだけ。
 琴音は、振り返った。
 浩之は間違いなく――どうして「間違いない」なのか、もう判らなかった――そこでしりもちをついて大きく
安堵の息をついて、自分を見つめていた。


 智子は、浩之の部屋にいた。冷えた身体は風呂を借りて暖まり、浩之のベッドの中に横たわっていた。
 浩之は、床の上に毛布にくるまって寝ていた。
 あの日と、全く同じだった。

 …こっち、来うへん?

 どうしても口に出来なかった、あの一言が脳裏を過ぎる。
 どうして、それが言えなかったのか。

 あの一言を口にしていれば、どれだけ気が楽だったか。
 後々、こんな切ない想いをいつまでも引きずらなければならないなどと、この時どうして知り得ようか。
 ――どうして、そうなる、と判るのか。智子はどうしても思い出せなかった。
 その一言の価値だけしか思い出せなかった。
 それが、浩之を、自分だけのものに出来る、自分が幸せになれる魔法の言葉なのだ。
 だから、智子は、それを口にした。


 琴音は、教室の中にいた。力の酷使による昏倒からようやく正体を取り戻し、浩之に介抱されていたのだ。
 浩之は、とても穏やかそうな顔で自分の顔をのぞき込んでいた。

 ……わたしに、こんなに優しくしてくれる……藤田さんなら、わたし……抱かれても……いいです。

 どうしても口に出来なかった、あの一言が脳裏を過ぎる。
 どうして、それが言えなかったのか。

 あの一言を口にしていれば、どれだけ気が楽だったか。
 後々、こんな切ない想いをいつまでも引きずらなければならないなどと、この時どうして知り得ようか。
 ――どうして、そうなる、と判るのか。琴音はどうしても思い出せなかった。
 その一言の価値だけしか思い出せなかった。
 それが、浩之を、自分だけのものに出来る、自分が幸せになれる魔法の言葉なのだ。
 だから、琴音は、それを口にした。

   *   *   *   *   *   *   *

 智子達と別れた浩之は、いつの間にか神社の境内に足を運んでいた。
 足を運んだ理由は特にない。強いて言うのなら、なんとなく訪れたい気分だったからだった。
 それに、ここへ来れば何か判るのでは。そんな気がしたからである。
 いざ、やってきたものの、人気のないそこに何が得られるのか。浩之は自分の行動が理解できなくなり、仰いだ。

 本当に、志保の仕業なのだろうか。

 芹香達にはああいってみたものの、浩之はどうしても志保の仕業だとは思えなかった。浩之には、志保があか
りを苦しめる理由がどうしても思い当たらないのだ。
 おとなしいあかりが、あんなやかましい女と親友でいられる理由を、なんとなくだが、浩之は理解していた。
あかりは、志保に自分にないモノを見出したからだ。もっともあかりがああ言わなくとも、どちらかというと受
動的なあかりが、あきらかに能動的な志保にあこがれらしきモノを抱いていたのは浩之もとうに理解していた。
だから浩之は、やかましい女だとは思っていても、志保を敬遠するようなことだけは決してしなかった。志保と
一緒にいれば、もうすこしあかりも自分にまとわりつかず、能動的に行動できるようになるだろうと考えたからだ。

「…………本当、世話の焼ける女だよ」

 浩之はそう呟くと、境内に腰を下ろし、やれやれ、と頭をかきむしった。
 やがて、黄昏の世界へ変わりつつある中で独り呆然とする浩之は、どうしてそこまで自分があかりのコトを心
配してやらなければならないのか、疑問を抱いた。

「……俺にとって、神岸あかりって、何なのだ?」

 浩之にとって、神岸あかりという少女は、幼なじみに過ぎなかった。
 少なくとも、心情的には。
 浩之とあかりの両親は、いづれ二人が一緒になるものだと思っているようである。浩之自身も、少なからずそ
の可能性は高いと思っていた。浩之には、あかりの本心を知るよしもなかったが、自分を慕ってくれるあかりと
一緒になるコトは、決して嫌なコトではなかった。
 ただ、浩之の中で、肝心な「恋愛感情」が芽生えていない、という点が、浩之にとって問題であった。
 幼なじみという長い付き合いからすれば、それはもうどうでも良いことなのかも知れない。浩之自身、恋愛感
情には淡泊なところがあり、自身も認めているコトであった。他の女子生徒から、どこか怖い、という近寄りが
たい印象を持たれながらもしかし、決して嫌われていない理由はそんなところにあるのかも知れない。
 あかりの、自分に対する気持ちは、恐らくではあるが、恋愛感情のそれであるのは間違いだろう。
 しかし、浩之があかりに接するときの想いは、異性ではなく、むしろ近親者に抱くそれでしかなかった。出来
の良い妹。自分には過ぎた妹。
 ある時、異性として意識したコトもあったが、悪ノリして飲酒し気が大きくなっていた為なのかもしれず、本
心からどうかは分からない。
 あるいは、浩之があかりを特別視しているだけなのかもしれない。
 そんな曖昧な気持ちを、あかりの顔をした奇怪な存在に汚された。
 ファーストキス。
 なのに浩之は、言いようのない気持ちに戸惑っていた。
 暗然となるばかりか、何故か、心が躍った。
 その奇妙な感覚が、芹香達の前から去らせた理由だった。

「………………」

 浩之はそこでようやく悟った。
 俺は恋をしているのだ、と。
 あかりに。――いや、あかりの顔をした、あの不思議な存在に。

「…………お前が…………志保なのか…………?」

 あかりのドッペルゲンガー=長岡志保。
 この公式は決して悪くはないと思った。もしかすると、心のどこかで、浩之は志保に惹かれていたのかもしれ
ない。
 なのに、心の中では釈然としないものがあった。

 何故、自分を誘惑するのに、あかりの顔をしていなければいけないのか。

 そんな時だった。

「――――あかり?」

 浩之は、目の前に忽然とあかりが現れたコトに驚いた。
 そして即座に、目の前のあかりが、ドッペルゲンガーであるコトを看破した。
 ドッペルゲンガーのあかりは、困ったふうな顔をして浩之を見つめていた。

「……お前………………」
「……浩之ちゃん。こんなところで、何をやっているの?」

 あかりに訊かれ、浩之は返答に窮した。この場へ訪れたのはただ、独りで考え事をしたかっただけなのだ。だ
が、それを口にしようとすると、何故かためらってしまうのだ。
 ためらう理由は一つしかない。それは、詭弁にすぎないから。
 だから浩之は、思ったコトを口にした。

「…………志保。お前を、待っていた」

 目の前のあかりは、いつの間にか長岡志保の姿と入れ替わっていた。

「…………やっぱり、か」

 浩之はどこか安心したふうに面を嫌々横に振った。
 ところが、志保は、一層悲しそうな顔をして――見ようによっては、浩之をにらみつけているようにも見える
――浩之を見据えていた。浩之はその理由が、どうしても思いつかなかった。

「……ヒロ。あんた、こんなところで、何しているのよ」
「だから言ったろ、お前を待っていた――――」
「嘘おっしゃい」

 その口調は、まるで駄々をこねる子供を諭す母親のような、そんな厳しくも穏やかに優しいものであった。

「……ヒロ。あんた、まだ、躊躇っているんでしょ?」
「躊躇う…………?」

 すると、志保は険しい顔で浩之を見据え、

「……何故、あかりのそばにいてやらないの?」
「――――」

 浩之は、志保の言葉に驚いていた。

「……なんで、あかりが」
「あかりはね、あんたがそばにいてやンないと、駄目なコなのよ」

                   つづく