正調・幻相奇譚:第4話(訂正板) 投稿者:ARM(1475)
【承前】
「……何故、あかりのそばにいてやらないの?」
「――――」

 浩之は、志保の言葉に驚いていた。

「……なんで、あかりが」
「あかりはね、あんたがそばにいてやンないと、駄目なコなのよ」

 志保は半ば呆れた顔でそういうと、はぁ、と溜息を吐いた。

「困らせているのは、志保、お前だろう?!」

 志保の態度に、浩之は少し切れ、声を荒げて言った。
 すると志保は、少し俯いて嘆息し、

「……何言っても無駄かもしれないけど――とにかく、ヒロ、あんたは今すぐあかりのところに行ってよ。でな
いと、とんでもないことになる」
「とんでもないこと?」
「あかり――死ぬわよ」

 志保がそう言った途端、浩之は気色ばみ、志保の両肩を強く掴んだ。

「……何いってやがる…………お前、何を言っていやがるっ!!?」

 浩之に力一杯肩を掴まれ、志保の顔は苦痛に歪む。しかし、やせ我慢の笑みを浮かべて浩之の顔を見据えた。
志保に見つめられた浩之は、ようやく我に返り、手に込めていた力を緩めたが、それでも志保の肩から手を離さ
なかった。

「……ヒロ。あんたはね、本気であかりのコトが好きなんだよ――好きなハズなんだよ」
「――な、何をいきなり……」
「今だって、あかりのコトで向きになった。――あかりが大好きなコト、あんた、もう気づいているんじゃないの?」
「そ、そりゃあ、……あいつは……幼なじみで、人の良いヤツだし、誰にも嫌われちゃ……」
「そう言う好き嫌いじゃないの。――あんたの『好き』ってヤツは、ひとりの男として、あかりを女として見て
いるほうの、好き。そのコトにあんた鈍いから、全然気づいていないのよ」
「な――――」

 動揺する浩之は、志保の肩から手を離してだらりと降ろすと少し俯いた。
 そんな浩之の額を、くすっ、と微笑んだ志保が拳で、こつん、と軽く叩いた。

「正直言って、あんたの後をひょこひょこついて行くだけのあかりのコト、見ていらんなかった。――あっち行
ってからも、ずうっと気になっていた」
「…………」

 浩之の顔をのぞき込む志保の微笑みは、どこか寂しげに見えた。

「…………志保。お前が”ここ”に居るのは、それが理由なのか?」

 志保は頷いた。

「…………」

 浩之は黙り込んでしまった。

   *   *   *   *   *   *   *

 智子は、浩之に溺れていた。
 想いを遂げたという達成感が快感を呼び、頭の中が真っ白になっていた。
 その白さの中に、染みのように僅かに残る、罪悪感。
 自分よりも昔から、浩之に思いを寄せている少女、神岸あかりの存在。

「…………あ……かんにんや、かんにんや……あかり…………あ…………」

 あかりへの罪悪感を思い起こす度、智子の全身を駆けめぐる快感が増していく。もはやあかりへの罪悪感は、
快楽を引き起こす道具の一部になっていた。


 琴音は、浩之に溺れていた。
 想いを遂げたという達成感が快感を呼び、頭の中が真っ白になっていた。
 その白さの中に、染みのように僅かに残る、罪悪感。
 自分よりも昔から、浩之に思いを寄せている少女、神岸あかりの存在。

「…………あ……ごめんなさい……ごめんなさい、神岸さん…………あ…………」

 あかりへの罪悪感を思い起こす度、琴音の全身を駆けめぐる快感が増していく。もはやあかりへの罪悪感は、
快楽を引き起こす道具の一部になっていた。


 悪いと思うのなら…………私の前から消えてよ。


 その声は、直接脳に響いてきた。

 智子は、瞬時に我に返った。

 琴音は、瞬時に我に返った。

 しかし、浩之は自分の身体を激しく責め続けていた。身体の芯から震える快感が、再び夢見心地へと引き戻し
ていく。


 …………どうして、浩之ちゃんを好きになったの?――私が居るのに、あなた、どうして浩之ちゃんのそばに
居るの?


「「どう……して……?」」

 智子も、琴音も、快楽のさざ波の中で、顔を睨み付けるようにのぞき込んでいるあかりの姿に気づいていた。


 …………浩之ちゃんは私のもの――私だけのもの!


 ビクッ!智子と琴音の身体が同時に震えた。しかし快感からではなく、快感さえも忘れさせる戦慄感から。
 しかし直ぐに、浩之の激しい愛撫が全身に快感を呼び起こし、正気を再び快楽の海に沈めてしまった。


 ……そのまま……………………溺れちゃえ…………溺れちゃえっ!


「――遅い、マルチ!」
「ご、ごめんなさいですぅぅぅぅぅ!」

 智子と琴音が突然消失してしまったコトに驚いたレミィは、あわてて図書室に飛び込み、芹香を探した。だが
芹香はいつの間にか図書室から居なくなっており、パニックを起こしかけて図書室の窓からちょうど下を覗くと、
偶然葵達と話し込んでいたマルチを見つけ、慌てて呼びつけたのだ。慌ててやってきたマルチは、背負っている
ランドセル型量子感知器がずれ落ちそうになっていたの構わずよたよたとやってきた。この辺り、本当に小学生
にしか見えないな、とレミィは苦笑した。

「来栖川先輩は一階に居らっしゃいましたけど、本当に、ここで琴音や保科先輩が消えたんですか?」
「Yes。アタシ、カミカゼなんて初めてよ」
「……それは、『神隠し』じゃ……?」
「Oh!そーでした!アハハ!」

 あまりにも緊張感を殺ぐレミィのボケに、葵とマルチは困ったふうに肩をすくめた。
 そんなうち、マルチはレミィのほうを見て、きょとんとなった。

「……レミィさん」
「What’s?」
「……後ろ」

 マルチが不思議そうな顔をして指すので、レミィは振り返って見せた。
 しかし、そこには誰も居ない。何の変哲もない図書室の入り口でしかなかった。

「どうしたの、マルチちゃん?」
「だって、そこに、琴音さんも保科さんもいらっしゃいますよ」

 不思議そうに言うマルチに、レミィは、What’s?!と大声で驚いてまた後ろを振り返った。
 しかし、そこには相変わらず誰も居ない、何の変哲もない図書室の入り口でしかなかった。

「――マルチ?!悪い冗談はよしてヨ!」
「どうしたの、マルチちゃん……?らしくないよ?」

 葵にも不思議がられ、狼狽するマルチは、え?え?とレミィと葵の顔を行き来した。

「え?え?え?――で、でも、レミィさんの直ぐ後ろに――――」

 マルチのセンサーは、廊下に倒れ込んでいる智子と琴音の姿をちゃんと捉えていた。何故、レミィと葵には二
人の姿が見えないのか――まるで無視しているように。


 3人が困惑しているその頃、浩之は神社で志保と対峙していた。

「……俺が……あかりを…………」
「正直になりなよ」

 当惑する浩之に、志保が笑っていった。

「良い機会じゃないの?あんたとあかりの関係を見直す」
「だけどなぁ…………その為にお前はあかりを困らせた――――」
「あたしじゃない」
「え?」

 志保は頷いた。

「……あたしじゃない」
「……なんだと?」

 浩之の頭は混乱した。

「あのあかりは、あたしじゃないよ、ヒロ」
「……そんな……何を…………あれはお前が――」
「もう、判って居るんじゃないの?」
「――――」

 心を見透かされたような気分だった。
 そして浩之は、あることに気づいた。

「…………お前…………誰、だ?」
「俺だよ」

 志保が立っていたその場には、藤田浩之が立っていた。

「――――」
「驚いたか?」
「――――」
「…………?」

 志保が変化した浩之は、そこでようやく目の前の浩之が立ったまま気絶しているコトに気づいた。もう一人の
浩之は慌てて浩之の両肩を掴み、脱力感からくにゃくにゃになりかけている浩之の身体を揺さぶって何とか目覚
めさせた。

「――う!っわぁっ!!?」
「お約束のような反応するなよ、俺」
「わっ!?わっ??わっ!!」

 目覚めた浩之は錯乱しながらもう一人の浩之の手を払いのけ、そこから逃げ出そうとする。しかしショックの
あまり腰が抜け、へなへなと倒れ込んでしまった。もう一人の浩之はその無様な姿に苦笑するばかりだった。

「おいおい。お前の姿を借りただけなのに、そこまで驚くコトは――無いでしょうに」

 もう一人の浩之の姿は、途中から志保に戻っていた。

「だ、だって、だって――」
「ほら」

 志保はへたり込んで半べそを掻いている浩之に手をさしのべた。浩之は、はぁ、と深い溜息を吐くと、渋々そ
の手を取って何とか立ち上がった。

「い――いきなりあんなマネされちゃ――」
「あー、わかった、わかったわよ」
「――お、お前、いったい何者なんだ?」
「さぁ?」

 そう言って、神岸あかりは肩をすくめて見せた。

「こ、ころころ、姿を変えるなよっ!!」
「わたしの所為じゃない――これは、お前の所為さ」

 浩之は、もう一人の浩之に鼻先を指されて怯んだ。

「俺の――姿は、あたしを見ている時の心情によって決まる」
「心……情……?」

 浩之が恐る恐る訊くと、志保はくるりと回ってスカートの裾を翻した。

「もう気づいているでしょ?――浩之ちゃんが一番気になっている人の姿が現れているって」
「――――」
「だから――俺の姿も見えるんだ」

 もう一人の浩之の言葉に、浩之は暫し俯いて黙り込む。やがてゆっくりと面を上げて、

「………………そうなのか」
「そうだよ。――――あたしは、ヒロの心が作り出した幻影(イリュージョン)」

 浩之は、既にその頃には、そうではないか、と疑っていた。

「……でも、何故、お前なんだ?」
「ヒロは、あたしを疑っていたんじゃないの?」

 言われてみればそうだった。あかりのドッペルゲンガーは、志保じゃないかと思い始めた時に現れたのだ。

「――そして、俺の姿が見えたのは――」
「――言うな」

 浩之は、もう一人の自分を睨み付けた。
 すると、もう一人の浩之は、ふん、と鼻で笑って見せ、

「――自分自身を疑っているからだ」

 浩之の身体が硬直した。無論、変化などしないほうの浩之が、である。
 何も言えなかった。何も言い返せなかった。
 もう一人の浩之の言うとおりだったからだ。

「…………俺が……あかりを…………苦しめている…………?」


 智子と琴音の精神を支配していたのは、浩之の愛撫がもたらす快楽だけだった。何度も浩之を受け止め、その
度に至高の満足感に浸っていた。もう浩之なしには考えられない。、浩之との肌の感触だけが、とろけて消えそ
うな自我をかろうじて保たせていた。

 ……そのまま……………………溺れちゃえ…………溺れちゃえっ!

 消え去ったあかりが残した言葉。二人は、本当にこのまま溺れても良い、と思っていた。
 それほどに、二人とも、浩之と結ばれるコトを望んでいたのだ。
 後悔はなかった。
 ――と言えば、嘘になる。

 あかりの顔が再び脳裏に浮かんだ時、二人は、例えようのない罪悪感に苛まれた。

 あかりから、浩之を奪い取ってしまったのだ。
 親友から――尊敬する人から――愛する人を奪ってしまった。
 あかりは、浩之に抱かれている自分を見ていた時、嗤っていた。
 あの笑顔は、自分を呪うための笑顔なのだ。
 痛かった。心がとても痛かった。
 そして想う。
 どうして、この人を愛してしまったのか、と。

 藤田浩之。
 どこにでも居る、ちょっと気難し屋だが本質的にはお人好しの、普通の少年。
 取り立てて瞠るような才の持ち主でもなく、かといって、決して何をやっても駄目な男でもない。いつも程々
に物事をこなす。しかしいざその気になれば、不足する実力を補う強い意志を発揮する。――本当は未知数の実
力を秘めた人間。早い話、色んな引き出しをたくさん持っていながら、それを使いこなせていないのだ。目覚め
の悪い天才とでも言うのであろうか。万能な人間より人間味があって、嫌味がない。

 決して、そんなコトで好きになったのではない。

 単純に、――好きになったのは、自分に優しくしてくれたからだ。

 満たされぬ想い。それを、彼は、見返りなど考えなく、優しく補ってくれたのだ。

 人は、自分にないモノを満たしてくれる者を、いつも求めているのだ。

 だから、彼を愛したのだ。

 ――でも本当に、そうなのか?それだけなのか?
 この違和感は、いったい何なのか?


 浩之は、地面にしゃがみ込み、あぐらを掻いて、はぁ、と困憊しきった溜息を吐いた。 そして、ふと見上げ
た視界が、黄昏色に包まれていたコトに気づくと当惑するが、何故か、直ぐに心が落ち着いた。

「………………見覚えが……あるな…………この風景」
「公園だよ」

 答えたのは、そばに立っていたもう一人の浩之だった。

「思い出せ。――これは、いつの頃か」

 言われて、浩之は仰いだ。そして、ゆっくりと顔を戻し、辺りを見回した。

「…………この視界の高さは――――5歳の頃だな」
「そうだ。――忘れられない、あの日の視界だよ」

 もう一人の浩之は、いつの間にか、5歳の頃の藤田浩之の姿になっていた。

「……このばしょはどこか、おもいだした?」
「――ああ。俺が、公園に”戻って来た”時の風景だ」

 そう答えると、浩之はゆっくりと腰を上げ、腰についた砂埃を手で払い落とした。

「あそこに――」

 5歳の浩之が、公園の奥を指した。

「――いるよね」
「ああ」

 浩之は、5歳の時に今と遜色のない同じ黄昏の風景を見たのは、この公園に忘れてきたものを取り戻すためだ
った。
 正確には、忘れ物ではない。
 他愛のない、子供のいたずら心がもたらした、小さな悲しみ。
 浩之は、浮かされるように進み出した。
 不意に、浩之は右手に痛みを憶えた。想い出したように右手を見ると、血が滲んでいた。
 いつもそうだった。浩之は自分の悪さを痛感する時、この右手を痛めてきた。
 5歳の時も、公園の木を力一杯殴っていた。
 そして、あかりの想いに応えられなかったあの夜も、浩之は壁を殴っていた。
 今度は、何も打ち付けていない。身体が記憶していたのだ。

 浩之ちゃん、み〜つけたっ!

 懐かしい声。あの時と同じ笑顔で言われた。
 かくれんぼで置き去りにされ、途方に暮れて泣いていたあかりは、浩之の姿を見つけるとトコトコと駆け寄り、
ズキズキ痛む右手を嬉しそうに掴んだ。握られた手の痛みより、胸のほうが痛い。
 世界が暗転した。
 いつのまにか、あの夜になっていた。
 成り行きで、あかりを抱こうとしたあの夜。
 心の迷いが、それを失敗させた。
 結局、それが重荷となって、浩之はあかりから距離を置こうとした。
 それでも、迷いは晴れなかった。
 結局、二人が出した結論は、このままでも良い、と言うコトだった。焦ることはない。時間はまだある。
 それに、好きだという想いは、まだ一つも褪せていないのだから。

「――そんなあやふやな想いが、こんな複雑な事態を引き起こしたというのか?」

 5歳児から、元の姿に戻っていたもう一人の浩之は、当惑する浩之の問いかけに、何故か何も応えなかった。

「俺が――はっきりしたコトを決めなかったから、――俺があかりを苦しめているのか?!」
「………………それは違う」

 もう一人の浩之は、重々しく口を開いた。

                   つづく