正調・幻相奇譚(第7話) 投稿者: ARM(1475)
【承前】

 浩之たちが神社に再びやってきた時、空は茜色に染め変えされていた。
 浩之たちの視線は、境内の中にあるお堂へと注がれていた。

「……やっぱり、ここか」

 芹香は、こくん、と頷いた。

「……前々からここは、何を祭っているのか疑問だったんだ。――で、昼休みに、以前、志保がこんなコトを言
っていたのを想い出したんだ」

 ここはね、縁結びの神社なのよっ!

「……そんな縁起のいい神社が、どうしてこんなに寂れているんだ?ってそん時は突っ込んでやったんだがな。
だいたい、ここら一帯はもともと昭和30年代後半に新興住宅地として開発された場所で、その前は山の中だっ
たんだ。おおかた、学校を建設するときにこれも一緒に建てられたのだろう、って思っていたんだ」

 浩之はゆっくりとお堂に近づいていった。

「……ここを疑った確固たる根拠は無ぇ。ただ、志保がそんなコトを言った後、あかりにふってみたら、あかり
もここは、縁結びの神社だ、っていわれてさ。タマにゃ本当の話も言うんだな、って笑ったらあかりに叱られた
のさ。それがなんか今回、妙にひっかかってさ……」

 そう言って浩之はお堂の階段に腰を下ろした。

「…………ん?お堂を開けてください?」

 言われて浩之は振り向き、木製の観音扉に手を掛けた。鍵は掛けられていなかった。浩之はゆっくりとそれを
開けた。開けるのに難儀しそうな見た目とは裏腹に、意外にも扉は簡単に開いた。
 お堂の奥に、夕陽を受けて閃くモノがあった。

「……祭られているこの鏡について、知っていますか、って?いや…………この鏡に、ちょっとした因縁話があ
る、って?――――どんな?」


 どこまで本当の話なのかははっきりしないが、それは江戸時代末期の頃らしい。
 木場に店を構える材木問屋の娘が、同じ界隈に住む旗本に恋をした。
 だが、その旗本には幼い頃からの許嫁が居た。器量の良い、誰とでも分け隔てなく付き合う優しい娘だった。
材木問屋の娘が旗本を見初めたのは、その許嫁と偶然知り合いになったからである。
 材木問屋の娘が、旗本を見初めた瞬間は、その恋が決して叶わぬものと悟る瞬間であった。身分の違いでなく、
許嫁の人柄にも惚れ込んでいた為である。
 許嫁は旗本に惚れ込んでいた。無口で突っ慳貪なところもあるが、時々、町角で町内の子供と遊んでやってい
るのんびりとした性格の持ち主で、許嫁が材木問屋の娘に旗本のコトを話す時、とても優しい人だと嬉しそうに
語っていた。
 しかし、材木問屋の娘の目には何故か、許嫁は、旗本から少し煙たがられているように見えてならなかった。
 どうして遠ざけられているのか気になって仕方がない材木問屋の娘は、ある日、蕎麦屋にいた旗本にそれとな
く許嫁のコトについて訊いてみた。だが許嫁のコトをどうしても語ろうとしない旗本を前に、材木問屋の娘は一
計を案じ、今度は許嫁のコトを悪く言い始めたのである。
 すると旗本は怒り始め、材木問屋の娘に今にも斬りかかりそうになった。
 材木問屋の娘は毅然とした態度で旗本の奴相を見据え、一言、愛してらっしゃるんですね、と嬉しそうに告げ
た。そこでようやく旗本は、材木問屋の娘が許嫁との関係を案じているコトに気づいたのである。その真意を理
解した旗本は材木問屋の娘に詫び、許嫁への想いを素直に告白した。結局、両想いだった。
 旗本が許嫁を遠ざけていたのは、意図的なものではなく、許嫁の態度が気になってしまったからである。許嫁
はとても優しい娘だと言うコトは判っていたが、旗本に接する態度がいつも怯えているように見えるのが気にな
って、つれない態度をとってしまったらしい。言われてみて、材木問屋の娘も、許嫁がそんなふうに見えるとき
もあるコトを思い出し、それをとても不思議がった。
 旗本の気持ちを確かめた材木問屋の娘は、今度は許嫁に、どうして好きな旗本を怖がっているのか、旗本の心
情を隠したまま訊いてみた。
 すると、許嫁はいつも、突っ慳貪な旗本に嫌われていないかと心配しているコトを材木問屋の娘に告白したの
である。好き合っている者同士が、互いの気持ちが見えずに腹の探り合いをして、ギクシャクしていただけだっ
たのだ。バカバカしいにも程がある、と材木問屋の娘は呆れ返り、そしてあるコトを思いついた。
 材木問屋の娘は、南蛮渡来の、人の心を映し出す鏡があるコトを許嫁に教えた。その鏡を使って、旗本の本心
を映してごらん、と教えたのである。
 無論、そんな鏡などあるワケも無い。材木問屋の娘のホラである。鏡は材木問屋の娘が用意した、普通の鏡で
ある。
 そして材木問屋の娘は、今度は、旗本の元に先回りし、鏡が偽物であるコト、そしてその鏡で許嫁の顔を映し
なさいと教えたのである。
 何も知らない許嫁は、旗本を呼び出し、問題の鏡で彼の顔を映してみた。無論、普通の鏡に本心など映し出せ
るハズもなかった。
 だが、鏡には、旗本の本心の顔が映し出された。
 許嫁が最初に見初めた、幼い頃に見た時と同じ、優しい笑顔がその中にあった。
 そして旗本は、次に許嫁の顔を鏡で映し出した。
 そこに映えるものはは、旗本の本心が見えずに不安でいるいつもの顔はなく、本心から喜んでいる許嫁の笑顔
があった。
 互いの本心がようやく理解し合えた二人は、まもなく祝言を挙げた。材木問屋の娘は、今の浩之たちの住む町
に嫁いだ際、二人を結びつけたただの鏡を、縁結びの鏡としてこの神社が建てられた時に一緒に奉納した。そう
言った経緯から縁結びの縁起物としては地味な代物であったため、ほとんど知られていないのであった。


「…………ふーん」

 少しほこりを被っている鏡を指先で払う浩之は、ホコリを拭った隙間からに映える自分の顔を見つめていた。

「…………縁結び、か。…………自分の想いを殺してまで、友人達を結びつけた材木問屋の気持ちって、さぞ切
なかっただろうな…………ん?なんだって?」

 浩之は芹香のほうへ鏡を差し出し、

「……この鏡から、強い念が感じられます?」
「浩之さん、量子感知器がもの凄い反応を示していますっ!」

 芹香の隣にいたマルチが、背負っているランドセル型の量子感知器についているランプがピロピロと鳴り出し
たコトに慌てふためいた。

「…………魔法で、誰の念か、調べましょう、って?――判った」

 浩之は芹香の指示に従い、芹香が地面に描き上げた魔法陣の中心に鏡を映し出す面を上にして置いた。
 まもなく芹香の詠唱が始まった。ぽけっ、とそれを見ていた浩之は、やがて鏡が光り輝き始め、夕映えの中に
直径一メートルはあろう大きな光球が出現したのである。

「――浩之さん、中に誰かが居ますっ!…………えっ?それはこの鏡に込められた念の正体なんですか?」
「まさか、旗本の許嫁ってコトは無いだろう………………え?」

 光球の中に映っていたのは、お堂を開けてこの鏡を手にしている志保の姿であった。
 姿ばかりか、やがて志保の声までが光球の中から聞こえてきた。

 ……ふぅん。謂われを聞いてたから、さぞ豪勢な代物かと思ったら、フツーの鏡なのね。
 …………こんな鏡に、本当に本心が映し出されたのかしら?

「……志保め。まったくあいつ、ちゃんと由来を聞いていないな。――まぁいつもの通りか」

 …………この鏡を奉納した材木問屋の娘って、これで自分の顔を映したのかしら?

「…………?」

 …………旗本に恋する気持ちを隠して、親友のために尽くすなんて、バカも良いところよ。

「失礼なこと、ゆうなぁ、こいつ」

 呆れる浩之は、志保が鏡をお堂の中に納めようとしている姿に突っ込んだ。
 不意に、お堂に顔を入れた志保の身体が凝結した。

 ……今度…………さ、あたし、引っ越さなきゃならなくなったんだ。…………なのにさ、あのバカ、あかりの
気持ちにいつまでも応えようとしなくて…………見ててホント、じれったいのよねぇ。

「志保…………?!」

 …………だから、さ。縁結びの神様に、お願いしたいの。今度、時期外れだけど、肝試しやるの。そん時で良
いからさ、あたし、なんとかあの二人を一緒に肝試しさせるから、あかりを怖がらせてヒロにべったりさせたい
の。いくら突っ慳貪のヒロでも、あかりに頼られたら嫌と言えないだろうし、うまくいけばそこであかりの気持
ちに応えてやるかもしれないしね。…………無論、ただとは言わない。もし応えてくれるのなら、喜んであげる
わ。
 ――あたしが、藤田浩之が好きだっていう想い。

「――――」

 浩之は歯を食いしばり、その場で地面を右足で蹴った。

 ……だって、材木問屋の娘、って自分の想いを犠牲にしてあの二人を結びつけたんでしょ?充分すぎるわよね、
だってこの志保ちゃんの初恋なんだから。――――まぁ、引っ越すのに邪魔だから置いて行きたいってのが本心
だけど…………あれ?

「…………もう、いい」
「浩之さん…………?」
「――――先輩、もうやめてくれっ!!」

 そう絶叫するなり、浩之は魔法陣の中に飛び込み、鏡を取り上げた。

「――やっと、判ったっ!!鏡、お前だなっ!!お前があかり達に化けて苦しめていやがったんだなっ!!――
――許さねぇっ!お前だけは絶対許さねぇっ!!」

 怒り心頭の浩之は、鏡を振り上げた。
 振りかぶった浩之の鼻先に、ぼろぼろ泣いている志保の顔があった。
 浩之はそんな泣き顔を間近に見て一層怒りに駆られ、振り上げた鏡を地面に叩き付けようと、勢い良く振り下
ろそうとした。
 その腕をつかみ取って止めたのは、セバスチャン長瀬であった。

「爺さんっ!!邪魔するなっ!!」
「壊してはなりませんぞ、藤田様」
「いくら芹香先輩の頼みでも――」
「これは私めの願いです」
「――――」

 そう言って毅然として自分を見据えるセバス長瀬の顔に、浩之は怒りを忘れ、毒気を抜かれたようにポカンと
なった。

「この鏡は、壊してはなりませぬぞ」
「しかし……」
「この鏡に込められた想い、決してこの場でうち砕いて良いものではありませぬ。――藤田様が先ず、成さねば
ならない事は、この鏡に怒りの丈を叩き付ける事では無いはず」

 そう言ってセバス長瀬は浩之の顔をじっと見据えた。
 当惑する浩之は、芹香達のほうを見た。芹香とマルチは何も言わず、こくん、と頷いてみせた。

「……素直になりなされ、藤田様」
「…………」
「ここへは、後悔したくない為にやって来られたのではないのですか?」
「マルチ…………」
「志保さん――いえ、鏡さんは、きっと、どうしても浩之さんの心を映したかっただけなんですよ」
「……俺の心を?」
「……そうです……神岸さんを好きな、藤田さんの笑顔を」

 芹香は珍しくはっきりとした声でそう言うと、にこり、と微笑んでみせた。
 浩之の目の前から光球は消え去っていた。最後の一瞬に見えたのは何故か志保ではなく、お堂の中をのぞき込
んでいたあかりの姿だった。

「…………お前も、か」

 多分、あかりだけでなく、この神社が縁結びの神社だと知っている者全ての想いを、この鏡は映し続けていた
のだろう。
 そう考えると、浩之は、大きく深呼吸をし、鏡をお堂の中に戻した。
 お堂の中に鏡を納め直した時、鏡に浩之の顔が映った。
 既に陽は落ち、とても暗かったが、辛うじてそれは見えた。何でこの中にいる自分は笑っているのか。しかし
浩之はそれを不思議には思わなかった。

「……仮面は、外れたかな」
「?」

 近くにいたセバス長瀬が、浩之のつぶやきを耳にしてきょとんとなった。

「なんでもないさ」

                   最終話へつづく