正調・幻相奇譚(第6話) 投稿者: ARM(1475)
【承前】

 芹香とともに、智子と琴音がかつぎ込まれた保健室に飛び込んできた浩之は、ベッドの上で起きあがってレミ
ィ達と話していた二人を見て、はぁぁぁぁっ、と大仰に安堵の息を吐いた。

「藤田くん……」
「……よかった。先輩から、二人があいつから酷い目に遭わされたらしい、って聞いたから…………痛いところ
はないか?」
「……だ、大丈夫です」

 そう答える琴音は、何故か赤面して浩之から目をそらした。浩之は琴音が恥じらうワケなど知る由もない。
 智子も、同様の理由で浩之を正視できないようだったが、それでもなんとか浩之のほうを見ようと努力してい
た。
 浩之はそんな二人の反応を不思議がった。

「………………」

 しかし、やがて沸々と沸いてくる怒りに、浩之の中からその疑問は霧散した。

「…………くそっ。委員長達まであの奇天烈なヤツに酷い目に遭わされたとは…………もう勘弁ならねぇっ!」
「――待ちぃや」
「?」

 浩之は、急に自分を睨み付ける智子に当惑した。

「……もう、ええ」
「?――酷い目に遭わされて、なんでだよ?」
「酷い、といっても、ある意味自業自得でしたから……」
「自業自得?」
「琴音ちゃんは黙っときぃ」

 智子に制され、琴音はうろたえながら、はい!と変に元気良く返事した。

「何でもないンや――それより、うちらな、今度の件で、よぉく判った」
「?」

 当惑する浩之の目を見据えるように、智子はその顔をまじまじと見つめた。そして、何かを告げようとして、
一瞬、声を詰まらせる。だが、どこか諦めたような顔をすると、溜息のような深呼吸をして口を開いた。

「――あかりに掛けられた呪いを解く鍵は、あんたや」
「――――」
「――藤田くんが一言、あかりにこうゆえばええんや。――好きだ、って」

 浩之は呆然となった。それは既に自分も判っていた指摘だった。改めて他人に言われて少しショックを受けた
らしい。

「――アレはやはり、あんたを想うあかりの心が分かれてしまった、もう一人のあかりなんや。――応えたって
や」

 そういって頷く智子の顔は穏やかな微笑みを浮かべていた。その向こうで、琴音も嬉しそうに浩之を見つめて
いた。浩之にはその笑顔を作りだした理由など知らなかった。
 しかし、だからというわけでもなさそうである。再び当惑する浩之が沈黙を続けたのは、決して返す言葉を知
らないのではなかった。

「――――言えねぇよ、それは」

 予想外の浩之の返答に、智子と琴音は仰天した。事情がよくわからないレミィ達もこの返答には流石に驚かさ
れた。

「ど、どうしてですかっ?!」
「な――なんでぇなぁっ?!」
「どうしても、言えない――――」

 浩之はそう言うと、踵を返して保健室から出ていこうとする。

「――――ひ、卑怯モンっ!!」

 智子は思わず言ってしまった。たまりかねて口をついてしまった、決して浴びせてはならないその一言を。は
っと我に返った智子は、とっさに自分の口元に両手を寄せて覆った。
 智子の失言を耳にした刹那、浩之の足が止まり、周囲が凍り付いた。

「………………悪りぃ」

 立ち止まった浩之は振り向きもせずそう答えると、再び歩き出して保健室から出ていってしまった。
 浩之が立ち去った後、智子は自分が泣いているコトに気づいた。

「…………ウチ…………なんてコトを…………!!」

 嗚咽するほど後悔するも、しかし本心では、言わずにはいられなかった。
 そして智子は、あかりを追いつめているあの存在が、本当は何が言いたかったのか、――何がやりたかったの
か、判ったような気がした。


 浩之は、校庭のベンチに腰を下ろして、呆然と空を見上げていた。
 雲の少ない冬の空は高かく、澄み渡るように蒼かった。

「……浩之さん」

 呼ばれて浩之は顔を戻した。
 目の前に、不安そうな面もちのマルチが、ぽつん、と立っていた。

「……マルチか。そこに立っているのもなんだ、横に座れや」

 はい、と答えるとマルチは浩之の横に座った。そして横から憮然としている浩之の横顔を見つめた。

「いったい、どうされたんですか?」
「別に……」

 浩之は首をひねり、こきん、と首をならした。

「………………なぁ、マルチ」
「はい?」
「お前、ひと、好きか?」
「あ、はいっ!」

 マルチは嬉しそうに返答した。

「なら、嫌いな人は、居るか?」
「嫌いな…………ひと…………ですか?」
「ああ」

 するとマルチは首を傾げ、うーん、うーん、と唸りながら考え始めてしまった。
 しかし、浩之が予想していた時間より早く、マルチは浩之のほうを向いて、いいえ、と答えた。

「わたし、みなさん、好きです」
「本当に嫌いな人は居ないのか?」
「え?」
「居ないのかっ?」

 浩之はマルチに詰問する。浩之の少し強い口調に、マルチはおどおどしてしまう。浩之はおびえるマルチに気
づくと、冷静さを失い掛けている自分に気づき、マルチの頭を撫でて、ごめん、と詫びた。

「……そうだよな。やさしいお前が嫌う人間なんていないもんな」
「でも……」
「でも」
「……好きな人に好きといえない人は、嫌いになれると思います」
「――――」

 浩之はようやく、マルチが自分を追いかけてきた理由に気づいた。

「……浩之さん。どうして、好きな人に、好き、って言えないんですか」

 マルチは不思議そうに訊くが、憮然とする浩之は、マルチから辛そうに目を逸らし、何も答えようとしない。

「……わたし、わかりません。………浩之さん、あかりさんと一緒の時はとてもまぶしいくらい生き生きとされ
ているのに……」
「…………」
「あかりさんのこと、嫌いではないのでしょう?」
「…………」
「好きなんですよね?」
「…………」
「どうして…………ぐすっ」
「――――」

 浩之はそこでようやく、マルチが泣いているコトに気づいた。

「マルチ――――」
「わたし、嫌ですっ!人のこころって、どうして素直に、好きな人に好きといえない働きもあるんですか?わた
しのAIは、人のこころをモデルに作られています。でも、そんな哀しいこころの働きは、嫌ですっ!」

 マルチは浩之の意気地のなさをとがめていたのではなかった。自分も、好きな人に好きだといえない時がある
コトを恐れているのだ。なんと純粋な心の持ち主だろう。浩之はマルチのもつAIの完成度の高さに感心した。
 だがそれは、マルチに対して抱いていたある考えに対する失望感を実感するコトでもあった。

「……やっぱり、YESか、NOか、しかないのか」
「…………?」

 涙で顔がくしゃくしゃのマルチの頭を、浩之は、やれやれ、と苦笑しながら撫でた。

「……マルチ。人はな、好きでも嫌いでもない関係にほっとする時もあるんだ。――いつまでも結論を出さずに、
先延ばしにする。大切な事柄ならなおさらだ。なぜなら、結論を出すコトで、全てが終わってしまうからだ」
「……終わって…………しまう?」
「…………怖いんだよ。…………結論を出さずにいればいつまでも見続けられる、幸せな結末という名の夢が…
…終わってしまうのが」
「………………」

 マルチは浩之の言葉に当惑しているようだった。結局のところ、デジタルな思考判断に委ねられるマルチのA
Iは、好きでも嫌いでもない、という人の曖昧な感情を理解しきれないようである。
 浩之はそんなマルチの反応に失望しつつ、その反面、ほっ、としていた。人といういきもののこころは、こん
な素直な感情の働きを、いつしか忘れてしまっているのだ、と。だからマルチのような素直な心の持ち主が居て
くれるコトに、ほっ、とするのだ。

「……ありがとうよ、マルチ」
「……?」
「……今の俺は、自分の心の内をあかせる相手が必要らしい。そして、そのコトに対して曖昧にせず、はっきり
と応えてくれる相手が、な」
「……それが…………わたしなのですか?」

 浩之は、ああ、と頷いて、マルチの頭を撫で回す。マルチは照れて頬を赤らめ、はにかんだ。

「…………今でも俺は、結論を先送りにしたいと思っている。…………怖いんだよ。好きと言ってしまうコトで、
あかりか、あるいは俺の中にある何かがきっと壊れてしまうだろう」
「…………」
「……でも、もう結論を出さなきゃいけないのだろうな」

 浩之がそう言うと、マルチは花が咲いたように笑顔を作り、

「なら――」
「まてまて。その前に、どうしても決着をつけなきゃならないコトがある――」

 そういって浩之は校舎のほうをみた。
 視線の先には、黒魔術帽を被った芹香と、その背後に立つセバスチャンが居た。

「……先輩。先輩なら、もう判っているんでしょ?」

 浩之が訊くと、芹香は、こくん、と頷いた。浩之が指すモノを理解しているらしい。

「そうゆうワケだ、セバス――ん?」

 浩之はしばらく芹香の力を借りるつもりで挨拶しようとしたが、いつの間にかセバス長瀬は浩之の元へ、つか
つかと歩み寄っていた。

「藤田様――」
「……な、なんだよ」

 セバスの険しい眼差しは、無言の威圧で浩之をとがめようとしているようにも見えた。もの凄いプレッシャー
に、たじろぐ浩之の隣でマルチがびくびくしていた。

「……芹香お嬢様がお泣きになられていたようですな」
「あ?――――あ、ああ」
「どなたがお嬢様に哀しい目を遭わせたか、ご存じか?」

 セバスの詰問は、まるで浩之が原因だと言いたげのようであった。浩之はセバスが殴りかかってくるかと警戒
しながら、ああ、と頷いた。
 するとセバスはしばし仰ぎ、やがて、ふむ、と何かを納得したかのように頷いた。

「……それでは、向かいましょうか」
「?」
「芹香お嬢様を哀しませた張本人の元へ。――そして、どうやら今回の面妖な事件の鍵を握る場所へ」
「セバス…………」

 浩之は、流石だな、と言いかけてそれをやめ、ああ、と頷いた。そして、気怠げにベンチから腰を上げて、

「……行ってみっか。校舎裏のあの神社へ」

                     つづく

http://www.kt.rim.or.jp/~arm/