【承前】
「……マルチ。俺を、もう『ご主人様』、と呼ぶな」
「え――――」
呆気にとられるマルチを、浩之がその腕を掴んで引き寄せ、そのはかなげな小さ
な身体を優しく抱きしめた。
「……ご主人様……」
「……マルチ。お前の心……な……。お前の身体の中に入っている……THライド
の中に詰まっている…………オゾムパルスが作りだしているモノだってコト……知
ってたか?」
ビクッ!浩之に訊かれ、マルチの身体が硬直した。
暫くの沈黙の後、マルチは浩之の胸の中で、こくん、と小さく頷いた。
「……妹たちのTHライドが暴走したとき、素粒子OZを放出すると聞いたときか
ら……なんとなく…………気づいていました」
そう言ってマルチは顔を上げ、
「……やはり……わたしたちはご主人様たち人間にとって、危険な存在だったので
しょうか?」
どうやらマルチにもそれは、すでに危惧していたコトだったようである。
そんな惑乱したマルチの顔を見て、浩之は、ほんの数分前までこの場にいた美紅
との会話を想い返していた。
「……藤田クン。あなた、マルチがあたし達と同じ、命ある生き物と知って――ど
う、する気?」
「どう…………って、」
整備中のマルチの元へ向かおうと、艦橋から出ていこうとした美紅が、THコネ
クタの準備を行っていた浩之のほうへいきなり振り返り、そう訊いてきた。
「マルチたちもあたしたちも、同じ素粒子0Zの働きによって心が構成されている
のよ。人類もメイドロボも、同源の存在であると判った今――あなたは、マルチを
選ぶの?」
浩之はそこで、美紅が指す「どうするの」の意味がようやく分かった。
「……あかりのコト、ですか」
美紅は無言で頷いた。
浩之は唇を軽くかみしめ、しばし俯いた。
「…………藤田クンは間違いなく、マルチを一人の女性としてみている。これはも
う否定できない事実よ。――この質問は、マルチという奇跡の命に関わった技術者
の一人としてではなく、――ひとりの女として、訊いているつもりよ」
美紅が興味本位で訊いていないことは、浩之には判っていた。
浩之の返答次第で、人という種の新たなる道が拓かれる。美紅はそれを承知で、
ひとりの女の立場として訊いていた。浩之はそれが、ずるいな、と思った。
だが、浩之には応えようがあった。
「……黙示と俺は、同じ穴のムジナ、というワケですか?」
「政樹さんは、あたしを選んでくれた」
「俺にも、同じ選択をしろと?」
聞き返した浩之の声は険しさを帯びていた。
しかし美紅は一つも怯まず、
「興味はある。――あなたは、かつてメイドロボットを見下したりせず、対等の立
場でマルチに付き合ってくれた。外見や出自など、関係なくね。――でもそれを、
優しい、の一言で済ませられるほど、人の心は単純ではないわ」
「…………」
「人の身体が、記憶と人格以外すべてが機械に代わった時、他人はそれを人でない
と認めるのかしら?――『ひと』の定義って、そんな曖昧なモノなワケ?」
美紅の疑念は、先ほど浩之が通った道だった。浩之は出口を見つけていなかった。
「ひとが、ひと、であると自認するその心の働きが、素粒子OZがもたらすもので
ある以上、同じ素粒子OZで自我に目覚めたメイドロボットと、根元の所での相違
点を果たして挙げられるのかしら?」
「……素粒子OZは、ヒトとメイドロボットとの最小公倍数、か。――いや――ヒ
トもメイドロボットも、自我が素粒子OZによって働くモノならば、両種の真の姿
とは、素粒子OZと言うコトになる」
「同じ存在なら、迷うことはない。――違うかしら?」
美紅の言うとおりである。
しかし浩之は、何かが違う、と感じていた。
その、何か、とはいったい何なのか。
「……俺には、判らない」
「…………」
「でも、一つだけ、はっきりしたことがある」
「一つ?」
美紅が訊くと、浩之は美紅の顔を真っ直ぐ見据え、
「……俺は、神岸あかりを愛している。多分――否、確実に、マルチと同じくらい
に」
「…………」
浩之の返答に、美紅は沈黙した。何かを思案しているようにも見える。
「……俺って……卑怯ですか?」
「卑怯?」
「マルチとあかり、どちらを選べ、といわれても、どんなに足掻いても両方選んで
しまう、――――そんな無責任さが、だ」
そう言う浩之は、どこか当惑しているようであった。自分が割り切った答えに、
ではなく、そう言いきってしまう自分に戸惑ってしまったようである。
美紅は、俯いて唇をかみしめる浩之を見て、ふっ、と笑みを零した。
「……藤田クンは、自分が卑怯だと思っているの?」
「え……?」
「もし、それを卑怯だと思うのなら、貴方は本気で人を愛していないコトになる」
「…………?」
「好きなんでしょう?マルチも、神岸さんも」
「…………」
「本当に好きなら、それを偽ることは出来ない。――ひと、ってそういういきもの
なのよ」
そう言って、美紅は、どこか嬉しそうに微笑んでみせた。
ミクを抱けなくとも、私はミクを愛し通せる自信はある。……たとえ、私たちの
間に越えられない深く暗い谷があってもだ。――イかれていると思うか?キミなら
判ってくれると思ったのだがな、藤田浩之よ。
そんな美紅の笑顔を見て、浩之は、つい数時間前に面と向き合った黙示の言葉を
想い出していた。
やがて、浩之は知らずに口元に笑みを浮かべていた。
「……関係ないよな、やっぱ」
「?」
「あ、いや、こっちのコトさ。…………悪いが、結論は、今は出したくない」
「怖いの?」
「はっきりいって――怖いさ」
浩之はこめかみを人差し指で軽く掻き、
「…………ひとを愛するコトがこれほど怖いなんて、今まで思ったコト無ぇ。好き
なら好きで良い、としか思っていなかった」
「結論を出せる自信は?」
「無い」
「あっさりゆうわねぇ」
「自信なんてモノは、有るか無いかでゆわねぇと駄目だ、って、子供の頃からうち
の親父に散々教育されたんでね」
「ふぅん。じゃあ、自信がないとき、どうしろ、って教えられた?」
「たとえ自信が無くても、やる時はやる。やれる時は、出来る限りやれ。後悔なん
か、あとでいくらでもするモノだ、駄目で元々なんだからな、って、実の親父なが
ら呆れる調子の良ささ」
「いいんじゃない、それで」
美紅はくすくす笑い出した。嫌味のない、佳い笑顔だった。
「――焦るコトはないわ。あなたなら、きっと、佳い答えが見つかる」
「いつも行き当たりばったりの男に、そんな気休めはやめてくださいよ」
浩之もつられるように苦笑した。
「――正直、ゆうとね」
「?」
「もし、藤田クンがあたしに訊かれて、マルチと神岸さんのどちらかを、この場で
きっぱり選んでいたら、あたしは貴方を軽蔑していた、きっと」
「…………」
「ひとを愛する、ってコトを単純に割り切ってしまう男なんかに、愛を語ってほし
くないの。――ひとを傷つけずに愛せるなんて、愚か者の夢というより戯言。ひと
はね、自分も、相手も、散々悩み苦しみ、散々傷つけ合って初めて、他人を愛する
という行為が持つ意味が解るのだから」
浩之は美紅の言い分が、何となく実感出来た。美紅の恋愛観は恐らく、報われな
かった両親の生き様から得たモノなのだろう。
そして、美紅を本気で愛している男が居たから、美紅はここまで厳しくも優しく
愛を語れるのだろう。浩之は異性ながらも、美紅が羨ましかった。
「……美紅さん。今のは、先人の有り難いお言葉として、肝に銘じておきます」
「素直な子は、お姉さん、好きよ」
二人は一緒に吹き出した。
「……なぁ、マルチ」
「……はい?」
不安げな面もちのマルチに、浩之は笑顔を見せた。
「俺の、――いや、人間のこころもな、お前たち自我をもったメイドロボットと同
じ素粒子OZの働きによるものなんだよ」
「え…………?」
「つまり、だ。お前たちメイドロボットと、ひとは、身体のつくりが違うだけで、
根本的には同一な存在なんだ」
「――――」
浩之から告げられた事実に、マルチは絶句した。この事実は流石に、データバン
クのライブラリーにはメモリーされていないハズである。
ショッキングな告白に、胸の中で瞠るマルチの頬を、衝撃的な告白を口にした割
りに、実に穏やかな表情で居る浩之が右手で軽く撫でた。
「……もっとも、俺自身、そんなコトはどうでも良いんだ。俺はただ、大好きな女
性とは対等に居たい、それだけなんだ」
「大好きな女性…………ぽっ」
マルチははにかんで浩之から視線を逸らした。
だが、逸らした途端、マルチの顔が急に翳った。
「……でも…………わたし……」
「……あかりのコトか?」
浩之がその名を口にした途端、マルチは、ビクッ、と身体を小さく震わせた。
そんなマルチの反応がいじらしかったのか、浩之は胸に抱いているマルチの身体
を強く抱きしめた。
「……お前には済まないと思っている。…………俺は、あかりもきっちり好いてい
る。お前と同じくらいに、あかりも愛している」
浩之がそう言うと、マルチは、ほっ、と安心しきった顔で安堵の息を吐いた。て
っきり、あかりと別れる、などというのでは?、と心配してしまったらしいようだ。
無論、浩之は、こんなマルチの反応から、マルチの心情は直ぐに理解した。
「…………だから、帰ろう。あかりが、俺たちの無事をきっと信じて待ってくれる、
あの世界へ」
「……はい」
その5へ つづく