羅刹鬼譚 第9話 投稿者: ARM(1475)
第12章 次郎衛門の『鞘』

 隆山警察署から逃亡した伊勢は、仲間と落ちあうべく、隆山海岸へやって来ていた。ぐずぐずに崩れた身体を
辛うじて綱糸で繋ぎ止め、蛇のように身体を地に這いずってようやくここまでやって来たのだ。

「――ジィジェイ?それに、夜摩泰斗(やま・たいと)まで?」

 伊勢は、青白い満月を背に立つレイシェルを挟み込むように佇む男たちを観て驚愕した。
 向かって左側には、身の丈3メートルはあろう巨漢の神父。
 もう一人は、Gパンに革ジャンと言う出で立ちの、幽鬼のような相貌をした男。歳は身なりより老けているよ
うで、右手には朱塗りの鞘に収まった日本刀を持っていた。

「まさか、お前たちまで来るとは――まちるは?」
「まちるには別の任務を与えておる」

 応えたのは、巨漢のほうだった。

「……それよりも伊勢。例の、『覇王殺し』の鞘は見つかったか?」

 訊いたのは、日本刀を持つ中年男だった。

「――あ。あ、ああ、隆山海岸の北側に、別荘がある。……そこで見つかったそうだ」

 伊勢は酷く怯えた口調で応えた。どうもこの二人に威圧されているようである。

「……そうですか」

 中央にいた金髪の少女が、一歩前に進み出た。

「…………雨月神社に収められている、不死王が造り出した紛い物ではなく、『覇王殺し』の力を制御できる本
物の鞘さえ手に入れば、我々の目的も半分達せられたも同然です。ご苦労様でした」
「おおおっ…………!レイシェル様!」

 伊勢が感極まった。この少女が、レイシェルなのである。今回の事件で数多くの犠牲者を生み出した首謀者が、
こんな幼気な美少女だというのか。

「……伊勢。よく、頑張ってくれましたね」

 レイシェルの、伊勢を労う言葉。なのに、それを耳にした者すべてを戦慄させる響きヲ持っているのは何故か。
 伊勢は、動揺のあまり無意識に後ずさりしていた。

「レ……レイシェル…………さま?」

 レイシェルは、にこり、と花が咲いたように笑った。
 その花の名は、氷の華であった。

「じょ……冗談ですよ……ねぇ」
「今のお前は役立たずだ」

 そう言って、日本刀を持つ中年男が一歩前に出た。

「――夜摩っ!て、手前ぇ、何をする気――――?!」

 夜摩と呼ばれた男が沈み込むように屈んだ刹那、白刃が、満月の光を受けて閃いた。
 次の瞬間、伊勢の首が宙に舞った。

「やままああああああああああああああああああっっっっっ!!!!!」

 凄まじい絶叫が、満月の青白い光の中で轟いた。

「死なんぞ死なんぞ俺はっ!!俺はぁぁぁぁぁぁぁ――――――??!」

 伊勢の首は、その巨体からは想像だに出来ない機敏さで自分よりも軽々と宙を跳んでいた巨漢を見て戦慄した。

「ジィ〜〜〜〜〜ジェ〜〜〜〜〜〜〜イ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
「――滅っせい」

 ジィジェイと呼ばれた巨漢は、空中で伊勢の首を鷲掴みにし、地面に残されたぐずぐずの胴体目がけて投げつ
けた。首を投げつけられた胴体は、肉の飛沫を上げた。
 それを追うように、宙でトンボを切ったジィージェイは、胸の前で十字を切って振り上げたボーリングの玉の
ような巨大な拳を、伊勢の首がめり込んでいるその胴体に叩き付けた。

「――灰化(アッシュ)」

 ジィジェイが呪文のようにそう呟くと、その拳から眩いばかりの光が四方に放射され、伊勢の身体はその光の
中で塵と化していった。十秒も掛からず、伊勢は地上から消滅していた。

「……さて」

 ジィジェイはゆっくりと立ち上がると、仲間の処分を表情一つ変えず見つめていたレイシェルを見た。

「いかがなされます?」
「ブランカが来ています」

 レイシェルがその名を口にしたとき、ジィジェイの眉が僅かに動いた。

「ジィジェイの『夢』、先ほど解けましたわね」
「……仰せの通りです。流石は、〈不死なる一族〉の現総帥」

 そう応える巨漢の口調には、どこが気恥ずかしさというか嬉しそうな響きがあった。

「……うふふ。これで役者が揃ったというわけですね。――まだ、時間がありますわ。もう少し――せめて、あ
の鬼神の末裔たちにももう少し動いてもらわないと…………つまらないですわ、あはははは」

 笑う仕草だけなら、可憐な少女である。だが、その目に宿りし邪悪な光は、とても相応のものではなかった。

 風が吹いた。やがて哄笑し始めたレイシェルの髪先を、ゆっくりと揺らしていた。

 夜の隆山市内を走り抜けたその一陣の風を肌に受けた者たちは皆、その晩、悪夢にうなされたと言う。

   *   *   *   *   *   *   *

 隆山市内を騒然とさせた事件の翌朝。
 柏木家の人々は、何事もなかったようにいつものように朝食を摂っていた。
 柳川はその場に不在だった。伊勢との死闘で大事をとって入院していたのだが、夕方には帰ってくるだろう。
「鬼」の血のなせる再生力ならではである。

「おかわり」

 柳川の代わりに座っていた一重が、茶碗を梓に差し出した。

「居候、三杯目はそっと出し」

 隣に座っている耕一が、咀嚼しながら嫌味を言う。しかし一重は馬耳東風を決め込み、梓からご飯茶碗を受け
取るとそれを煽るように食べ出した。

「手前……ちったぁ遠慮ってものをなぁ…………」
「とーちゃん」

 耕一の嫌味を遮ったのは、梓の隣で食べていた千歳だった。

「ん?何?」
「きのうのよる、北どおりのストリップごやで、――すっぱだかになって、なにやってたの?」

 堪らず耕一、噴飯する。一緒に食べている初音や楓に当てる訳にはいかなかったので、即座に横を向き、一重
の横顔を直撃した。

「――――何で知っているンだぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ?????!!!」
「あ、俺が教えたの」

 次の瞬間、耕一のコークスクリューが一重にヒットした。

「手前ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!(憤怒)」
「……最低ぇ」

 冷めた視線を浴びせたのは梓だった。

「……こんな可愛い家族が居るのに、――最低ね、耕一!」
「まてまてまてまてまてえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!(涙)」
「もう……イイ大人が、朝っぱらからうるさいよ」

 懲りずにゆう一重に、耕一は今度は見よう見まねのブーメランフックをかます。一重は胸に斜めに走る傷を受
けて宙を舞った。

「…………」

 突然、その場を、すっく、と立ち上がった者がいた。

「……あ……楓ちゃん…………」

 一番に朝食を摂り終えた楓は、耕一の呼びかけに一瞥もくれず、とっとと居間を出ていこうとする。そして敷
居を跨いだ途端、耕一のほうへ振り向き、

「…………不潔」
「あああああああああああああ!!!!ち〜〜〜が〜〜〜う〜〜〜ん〜〜〜だ〜〜〜あ〜〜〜〜っっっ!!(血涙」)
「でもストリップ小屋でフリチンになったのは事実だしぃ」

 またもや、耕一のスーパーブローが一重に決まる。今度はジェットアッパーであった。

「あれは………………あれには、ワケが………………ぁぁ!?」

 泣き叫ぶ耕一は、そこでようやく正面で食事を摂っていた初音が、複雑そうな顔で自分を見つめているコトに
気づいた。

「あ…………初音…………ちゃん…………」
「……わたし……耕一お兄ちゃんを信じるよ」
「初音ちゃあああああああああんんんんんんんんんんんっっっっ!!!」
「――でもね、言い訳は男らしくないと思うわ」


「すっかり四面楚歌やね、耕一お父さん」
「――手前ぇの所為じゃないかぁっ!!」

 鶴来屋本館のロビーに、一重を罵倒する耕一のキレた声が轟く。従業員たちは仕事の手を休め、何事かと一斉
に耕一たちのほうを見るが、相手があの一重であるコトを知ると、ああまたか、と各々納得して仕事を続けた。

「とどめが、千歳の『とーちゃんのふけつ』だぜっ!最愛の娘にまで嫌われる気持ち、判るかっ!?お前のっ!
おまいのせいだっ!」

 そう言って耕一はテーブルを乗り越え、一重の首を絞めて振り回す。絞めている相手が、死んでも奇怪な蘇り
方をする一重なので耕一は遠慮なくフルパワーで絞めつけていた。次第に一重の顔色が紫色になっていくのだが、
従業員たちも一重の体質を承知しているらしく、驚いている泊まり客を余所に、みんな無視している。止めない
のか、と泊まり客らしき中年男が近くの従業員に訊くが、毎度のコトです、とニコリ。
 そんな二人のそばで、ニコニコ笑っている、従業員ではない人物が居た。

「絞めるトキは、静脈を指で押さえつけると効果的ヨ」
「……ブランカ。そうゆうシャレにならんコトはゆわないほうが」
「ほら、手が休んでる、休んでいる」

 プラチナブロンドの前髪の下で、金銀妖瞳の瞳が笑っている。一重の隣に座っていた、ブランカと呼ばれた美
女は、この物騒な光景をじゃれあっている程度にしか思っていないのか。耕一はすっかり毒気を抜かれて、一重
の首から手を離し、肩を竦めた。

「ダメね、コーイチ。殺るときはしっかり殺っとかないと」

 そういうとブランカは、膝の上に置いていたハンドバックからグロック17を取り出し、テーブルの上に突っ
伏している一重の米噛みに銃口を当てた。

「こらこらこらこらこら(汗)。絨毯が血で汚れるからやめなさい(笑)」

 耕一のやる気のない制止を無視し、ブランカは引き金を引いた。
 途端に、一重の髪に火が点いた。グロックの形を模したライターだと言うことは、耕一も途中で気が付いていた。

「あちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃあっ!!?」

 一重は飛び上がり、燃え上がる頭を掌で叩いて消そうとしてはね回った。

「……相変わらずバイオレンスだね(汗)」
「イチエとは付き合い長いからネ。これぐらいやらないと、アキがくる」
「ちなみに、コレを読んでいるよい子。絶対、こんな真似しちゃいけないよ(^_^;」
「誰に向かって言っているの?(笑)」

 それはそれとして。

「……で、イチエに持ってこさせた資料の件で、ちょっと気になるコトを思い出してネ」
「それでわざわざ東京から。ご苦労様です。――で?」
「昨日、ミスター柳川が闘った相手が、警察署の資料室で調べていた『鞘』のコト」
「『鞘』――」

 隆山署の事件は、ストリップ小屋の騒動に関する事情聴取の際、長瀬から聞かされていた。その時、犯人が調
べていた『鞘』のコトも教えられていた。

「鬼の刀、か。……でも、あれは20年前に盗難にあったとき、直ぐに見つかって、雨月寺から、管理の良い雨
月神社のほうへ移されて保管されているって……」
「あすこにあるのは、偽物ヨ」
「偽物――――」

 絶句する耕一に、濡れタオルをターバンのように被っている一重が話を継いだ。

「20年前に鞘だけが見つかった時、ブランカたちが差し替えたんだ。――見つかったのは良いが、人の手に負
える状態ではなかったからだ」
「人の手に――――?」


「――なるほど」

 耕一は、岩盤に突き刺さっている朱塗りの鞘を見て、呆れるように言った。
 ここは、隆山海岸北側にある別荘の地下室。鍵で幾重に厳重に戸締まりをされた扉をようやく開けた先には、
湿気を帯びたひんやりとする空気が充満する中、剥き出しの岩盤に刀身のない鞘だけがが突き刺さっているとい
うシュールな光景が待ち受けていた。
 試しに耕一が鞘を掴んで引き抜こうとするが、びくともしない。鬼の手をもってしても同様であった。

「なんともはや。こんなものを、奴らは狙っていたのか。しかしいったい、誰が何のために?」
「これを突き刺したのは、わたしの父様です」

 ブランカがそう言うと、耕一は当惑した顔を彼女に向けた。

「『不死王』が……ここに?じゃあ」
「ちなみに、雨月寺から盗んだのは『不死王』ではないよ。過激派に奪われかけたのを、突然現れた『不死王』
が奪い返し、ここへ突き立てたそうだ」

 一重の説明を受けて、再び耕一は鞘を見た

「……中身は?」
「無い」
「ンなの、見りゃわかる。――刀のほうだけ奪われたのか?」
「端から、無い――無かったんだ」
「無かった…………?」
「室町時代、雨月寺に収められた時点でそれはもう存在していなかったんだと」

 そう言って一重は懐からガラムを取り出し、一本加えて火を点けた。

「お寺のほうは鞘だけでは寂しいと、代わりの、何の変哲もない刀を差して、今まで保管していた。そのお陰で、
雨月山の鬼伝説は、伝説足らしめたのさ」
「何で、鞘だけなんだ?」
「次郎衛門が破壊したらしい。――『彼方(あちら)側』では、そう言い伝えられている」
「……〈魔界〉?〈魔界〉にまで次郎衛門の名が伝えられているのか?」
「ええ」

 ブランカが頷いた。

「〈魔界〉にも、雨月山の鬼――鬼神の件は知られているワ。神の眷属でありながら、魔界にその身をやつした、
理解しがたい存在のコトを研究しているものは、〈魔界〉にも大勢居るのヨ。――カシワギ一族の名は、彼方で
も紳士録に載っているくらいだし」
「〈魔界〉の紳士録……(笑)」

 耕一は苦笑する。〈魔界〉といっても、この人間界とはほとんど違わない社会機構を持っているというのは耕
一にも承知しているのだが、マンガや伝奇小説などに出て来る、地獄のようなイメージがどうしても先行してし
まうのだ。文明の要となっているある点を除けば、人間世界と同じ文明レベルにあると言われて、それを納得す
るコトは非常に難しいだろう。

「でも、なんで次郎衛門は鬼の刀を破壊したのかな?」
「過ぎた力は、破滅に繋がる――父様の見解です」
「……過ぎた力、か。……何となく、判る」

 もし、鬼たちを殲滅させた武具が人間の手に渡ったら――当時の日本は、覇権を求める武将たちが跋扈する戦
国時代を迎えようとしていた頃である。最悪、この世界さえも滅ぼしかねない強大な力を、次郎衛門は惜しげも
なく破壊したというのか。

「……強い人、だったんだな。……俺たちの先祖は」

 耕一は、鞘を見つめながら、どこか嬉しそうに言ってみせた。

「……ところで、どうしてこの鞘を、奴らは捜しているのだ?」
「鞘、って何のために使うか、判るか?」

 耕一の疑問に応えたのは、一重だった。

「何の……って、そらぁ、刀を仕舞う為に……」
「鬼神たちを殲滅させた妖刀を仕舞う為に、な」

 言われて、耕一は、あっ、と驚いた。

「――まさか。この鞘は……」
「……コーイチの考えている通りでしょう。この鞘は、強大な力を封印する、途方もない力を保有しているのです」

         第10話 へ つづく

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